憎しみの檻
エリーヌ編・3
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歳月は瞬く間に過ぎていく。
振り返れば、故国を出てから七年もの時が流れ、わたしは十五才になっていた。
フェルナン様は態度を変えることなく、わたしを大事にしてくれている。
レリアは相変わらず認めてくれないけど、少しずつ行動で気持ちを示していく。
お出迎えの時の抱擁や挨拶のキスなど、夫婦が当たり前にする行為を続けた。
そろそろ寝室も一緒にしてもいいのではと思うのだけど、フェルナン様もまだ早いと取り合ってくれない。
幾つになればいいのだろう?
初潮は十二の年に迎えたし、それを機に体も成長した。
胸だってレリアには負けるけど、十分大きくなったわ。
顔がいけないのかしら?
就寝前、鏡に向かって考える。
厚化粧は似合わないと薄く整えられた顔は、子供らしさが抜けなくて丸い。
表情を作って顔を変えてみようとしたけど、無駄な努力だということに気づく。
「鏡をいくら見ていても変わらないわね。もう寝ましょう」
レリアもとうに自室に下がっている。
昔は寝付くまで傍にいてもらっていたけど、さすがに今はそんなことはしない。
彼女に甘えている部分はまだたくさんあるけど、少しずつでも自立しないと。
子供のままでは、いつまで経ってもフェルナン様の后になれないもの。
寝台に潜り込み、瞼を閉じた。
今日は眠れない。
寝返りを打ってみたけど、睡魔が来ない。
寝たフリをしていれば、そのうち眠れるかしら。
目を開けてみると、外はまだ闇に包まれていた。
眠りに落ちる努力をすべく、もう一度と瞼を閉じたけど、目が冴えて眠れない。
喉も渇いたな。
仕方なく起き上がり、テーブルの上に置かれた水差しを手に取った。
添え置かれていたコップを持ち、水を注ぐ。
喉を潤して息を吐いた。
庭にでも出て気分転換しようかしら。
夜の庭はまた違った趣があって綺麗かもしれない。
レリアが怒るかもしれないと思ったけれど、わたしだってもう十五才なのよ。
いつまでも子ども扱いして欲しくない。
屋敷の敷地は夜間でも警備が厳重だし、庭に出るぐらいなら危険もないはず。
闇夜に挑む冒険に好奇心を刺激され、こっそり部屋を抜け出した。
音を立てないように慎重に廊下を歩いた。
もうじきレリアの部屋の前。
気づかれたら大変。
意識すると緊張した。
部屋に近づくと声が聞こえた。
話し声じゃない。
苦しそうな息遣い。
泣いているようなレリアの声がする。
どうしたの? 何かあったの?
不安になって部屋の扉に近寄った。
ノブに手をかけて、中の異常を確信した。
二人分の気配がして、ベッドの軋む音やレリアの喘ぐ声が断続的に聞こえてくる。
震えながら扉を少し開けて様子を窺った。
中は暗かったけど、窓から差し込む月明かりに照らされて、ベッドの上で動く人影がぼんやりと浮かび上がった。
息を呑んだ。
ベッドにいたのは二人。
レリアの上に男が覆い被さり、大きく広げられた彼女の足の間に自らの体を押し当てて腰を動かしていた。
二人は何も身につけておらず、隠すもののないレリアの胸の膨らみを男が撫で回し、先端の尖りを指で摘まんだ。
その度にレリアは身を剃り返して喘ぎ、弱々しい力で抗っていた。
「やぁ……、ああっ……!」
「気持ちいいだろ? いい加減認めろよ、素直になった方が体も楽だぜ」
発せられた声で相手が誰だかわかった。
アシルだ。
仲が悪いままだと思っていたけど、そうでもなかったんだ。
男女のことには疎いわたしだが、こうして現場まで見てしまえば、二人がそういう関係だってことは推察できる知識は持っていた。
アシルはレリアの耳に何か囁きかけて、首筋に顔を埋めた。
肌に繰り返されるキスの音。
レリアの嬌声がそれに重なる。
痛みに呻くというより、快楽に溺れまいとする抵抗に思えた。
レリアは真面目だから素直になれないんだわ。
ドキドキしながら未知の世界を覗き見ていたので、背後から近づいてきた気配に気がつかなかった。
口を押さえられて、血の気が引いた。
わたしを捕らえた何者かに引っ張られて扉から引き離された。
「驚かせてすまない。でも、覗き見はいけないよ」
小声で耳に囁かれた声はフェルナン様のものだった。
彼はわたしを抱き上げると、そっと廊下を進んでいく。
フェルナン様の体温や触れ合う体の感触を意識して、今まで感じたことのない熱が生まれた。
恥ずかしくて、触れられた箇所が火を噴きそう。
わたしの部屋に着くと、ようやく下ろしてもらえた。
フェルナン様はドアを閉めて、苦笑をこちらに向けた。
「ああいう場面は見てみぬフリをするものだ。レリアはともかく、アシルは気づいたかもしれない。覗いていたのが誰だかまではわからなかっただろうけどね」
気まずくなって頬を押さえて俯いた。
ああ、どうしよう。
明日、あの二人に会って知らないフリができるかしら。
ふいに手首に触れられて、ハッと顔を上げた。
フェルナン様の顔が間近に迫っていて、反射的にびくっと体を後ろに仰け反らせた。
そうだ。
わたしと彼は夫婦で、いずれはさっき見たのと同じことをしなければならないんだ。
暗がりの中、淡い光に照らし出されていた筋肉質で逞しいアシルの体を、目の前にいるフェルナン様に重ねた。
夜着を着ていても頑強な肉体の輪郭は隠せない。
力強い腕は、わたしを容易く抱え上げて一切の抵抗を封じてしまう。
あの厚い胸板に直に抱きしめられたらどんなだろう。
引き締まった腹部に、さらにその下へと想像をめぐらせて、自分のはしたない欲望に気づいて羞恥に苛まれた。
「エリーヌ」
腰を抱き寄せられて、顎に指がかかる。
蕩けるような甘い含みを持つ瞳に魅入られた。
近づいてくる気配に目を閉じる。
唇が重ねられ、舌を絡める深い口づけに夢中で応えた。
「フェルナン様……」
もっとして。
目で訴えて、彼を誘う。
だけど、抱擁は口づけだけで終わってしまった。
「おやすみ」
わたしの頬にキスをして、フェルナン様は囁いた。
「良い子だから、おとなしく寝るんだよ」
扉が閉まっても、わたしはぼうっと立っていた。
心臓は音を立てて鳴っているし、頬は火照って熱い。
フェルナン様。
あなたにとって、わたしはまだ子供ですか?
どうしても、フェルナン様への想いが抑えきれなくなったわたしは、レリアに彼の本当の妻になりたいと打ち明けた。
レリアにだけは認めて欲しかった。
彼女は未だ過去に囚われ、憎悪を心に宿していたけど、それでは永遠に幸せにはなれないことをわかってもらいたかった。
レリア自身もアシルのことを愛している。
わたしが二人の仲をからかった時、彼女は否定したものの、彼らの間にあるものはそれだけではないはず。
「わかって、レリア。わたしはフェルナン様を愛しているの。あの方と幸せになりたい。あなたもそうよ。過去に縛られず、未来を見て。憎しみに囚われていては何も生まれはしないわ」
レリアにも幸せになって欲しいから、わたしは訴えた。
何も知らなかったからこそ、あんなことが言えたのだ。
その日の夜、レリアが自殺を図った。
知らせを受けた時には目の前が真っ暗になった。
血の気を失って横たわる彼女を見た時には、取り乱して泣き叫ぶことしかできなかった。
ずっと傍にいてくれたレリア。
わたしが前を向いて立っていられたのは、レリアがいたからだ。
戦敗国の姫と侮られ、誰に嫌味を言われても、一緒に耐えてくれる彼女の存在がわたしに立ち向かう力を与えてくれた。
心を許した侍女だというだけでなく掛け替えのない大事な人なの。
彼女はわたしの友であり、姉であり、母でもあった。
失ってしまったら、わたしも生きてはいられないかもしれない。
「エリーヌ、大丈夫だよ。レリアは助かる。彼女が君を置いて死ぬものか、信じて待つんだ」
励ましの言葉をかけてくれるフェルナン様にしがみついて泣きながら、レリアの治療が終わるのを待った。
レリアの容態は峠を越え、命だけは助かった。
そう、命だけは。
繋ぎとめた命の代償に、レリアから失われたものは記憶だ。
侍女となってからの十数年分の記憶が消えた。
わたしと積み重ねてきた時間も全て、彼女は覚えていなかった。
目覚めたレリアにとって、エリーヌとはまだ五才の、言葉も拙い小さな姫のことだった。
「レリア、具合はどう?」
「はい、傷も痛くないですし、大丈夫です」
昼間、アシルがいない間はわたしがレリアの傍にいる。
目覚めたばかりの頃は泣いてばかりいたレリアだが、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
わたしのことも受け入れてくれた。
小さなエリーヌと同じ人間であると納得するには時間がかかったようだけど、今のわたしと新たな関係を築こうと前向きになって話し合えるようになった。
「エリーヌ様、お医者様が歩いてもいいって言ってくださいました。お庭に出たいのですけど、いいですか?」
「ええ、一緒に行きましょう」
レリアの手を引いて、ゆっくりと歩く。
背は彼女の方が高いけど、話していると自分の方が年上なのだと実感する。
彼女の内面は十二才の子供。
初めて出会った頃の印象そのままの少女だった。
二人で刻んできた時間が、レリアから消えてしまったのは悲しい。
それでも、彼女が浮かべる無邪気な微笑みを見ると、これで良かったのかもしれないとも思うのだ。
今度はわたしが彼女を支える。
かつてレリアが守ってくれたように、わたしも彼女のためにできることをしたい。
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