憎しみの檻
ただ君の幸せを願う 1
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「ドミニク、ほら、あなたの妹よ」
先日、出産を終えたばかりの母が、慈愛の笑みを浮かべて腕に抱えた赤子を見せる。
元気な産声を上げて生まれた子は、しばらく経てば落ち着いて、今はおとなしく抱かれていた。
私に妹ができたのは、十一才の頃だ。
子供は長男の私一人と諦めかけていた父母は、思いもかけない第二子、それも娘の誕生をとても喜んだ。
下の子に両親の愛を奪われるなどと嫉妬する年でもなかった私は妹を歓迎した。
いや、歓迎どころか歓喜した。
赤ん坊とはなんて可愛い生き物なのだ。
気がつけば父を押しのけて、顔を近づけていた。
赤子の顔が、ふにゃっと笑みを作れば、こちらの顔も笑み崩れる。
私を指導したり戦いに赴く時は厳しく険しい父の顔も、この時ばかりは気持ち悪いほど蕩けていた。
母はそんな私たちを見て微笑んでいる。
我が妹レリアは、神が我が家に使わされた天使なのだ。
「おにいさまっ!」
レリアが私の後を追ってくる。
赤ん坊から幼女へと変わり、レリアは屋敷の中を走りまわるようになった。
騎士の娘なら少々お転婆なぐらい元気がある方が良い。
飛びついてきた彼女を受け止めて、ぎゅっと抱きしめる。
ああ、可愛いなぁ。
大人になったら、この手から離れていくのだとわかっていても、それまでは私が守ってあげるからね。
時は過ぎ、我がネレシアとアーテスとの間で起きた戦争は二年の歳月を経て、最後の決戦へと向かおうとしていた。
長年互いを警戒し合い、睨み合ってきたが、均衡が崩れたきっかけは、互いの国の支配下にある小国同士の小競り合いだった。
片方の国が後ろ盾であるアーテスに救援を求め、それに応えた彼の国がその諍いに武力介入した時点で、衝突は避けられないものになった。
王はすぐさま宣戦布告をして、アーテスに向けて進軍を開始した。
あちらからすれば、戦を仕掛けられたという認識だろうが、そうではない。
我が王は覇王だ。
遙か遠い昔から、この地は武力によって統治されてきた。
代々の王となる者は、戦の勝敗によって選ばれた。
圧倒的な力を見せつけることで民衆をまとめあげ、支配地域を増やしつつ、この国は築き上げられてきた。
両雄並び立たずと言うではないか。
ネレシアの王は何者にも膝を折ってはならない。
唯一絶対の支配者であり続ける。
そうでなくなった時、王は王ではなくなり、民衆の支持を失う。
今日に至り、こちら側の敗色は濃厚となっていたが、陛下は戦い続けることを望まれた。
戦に敗れれば、王の権威は地に落ちて、どの道王家は衰退する。それがわかっているからこそ、我々は退くことができなかった。
勝って生き残るか、負けて滅びるか、ネレシア王家に残されている道は二つに一つしかない。
アーテスの者達は、世界各国の多様な文化を取り入れ、戦略にも知恵を巡らせた。
工作部隊と弓兵を巧みに用いて、主力の騎士団を援護する近代的な戦法だ。
対してこちらは昔ながらの剣と槍による力推し一辺倒。攻城戦でもなければ弓や投石器などの飛び道具は使わない。あくまで戦は人同士の対決であり、言葉でわかり合えぬのなら剣で語り合うのが古来から伝わる戦の作法だ。
戦いに対する姿勢がそもそも違うのだ。
策を弄する相手を卑怯だとは思わない、文明が発展すれば次第にそうなってくるのは必然。
ちょうど時代の転換期が今となった。
それだけのことだ。
対人戦では無敵を誇ったネレシアの騎士達だが、アーテス軍の巧妙な作戦と罠に嵌まり、幾度も打撃を受け続けて、残りの兵は僅かとなった。
残った者も満身創痍。
私も体中に傷を負って、日に日に動きが鈍くなっていくことに、苛立ちと焦りを覚えるようになった。
王都近くの最後の砦に入った我らは、決戦に備えて支度をしていた。
全滅を覚悟した王は、全ての兵を呼び集め、王に殉じる覚悟のある者だけ残るようにと告げられた。
そして従騎士を始めとした正式な騎士ではない者や徴兵された一般の兵達には、王都に戻って王妃の指示に従い、守備に徹するようにと命じられた。その中でも年の若い者達は殉じる覚悟があろうとも残ることを許されなかった。
忙しなく兵が行き交う中、廊下を歩き進む。
目当ての部屋に近づくにつれて、騒ぎ声が大きく聞こえてきた。
部屋は傷病兵の手当に使われている。
大半の者は王都に向けて搬送されたが、意地張って残っている者もいた。
怪我人を運び出そうとする者と、その手を拒む者が、激しく言い争う姿が見えた。
「いい加減にしろよ! 陛下のご命令なんだから従え!」
「それにその体で戦えるわけがないだろう! 運んでやるからおとなしく担架に移れ!」
「うるせぇ! オレは最後まで戦う! 足が折れてようが、まだ腕が使える! 馬に括り付けてくれりゃあ、敵陣に突っ込んで大勢道連れにしてやる!」
仲間達が諫めの声をかける中、命令を不服とする従騎士が叫んでいる。
彼は私の従騎士だ。
大怪我をしているクセに元気なものだ。
意欲は買うが、実際にやらせるわけがない。
従騎士を捨て駒のように扱うなど、騎士の沽券に関わることだ。
「クロード、陛下の命令は絶対だ。私の従騎士であるなら背くことは許さない」
声をかけながら室内に足を踏み入れる。
その場にいた従騎士達は、ハッとしたように口を閉じて私の方を向いた。
私の従騎士クロード=セルトンは、寝台の上で上半身を起こして、担架に移そうとしている仲間が差し出す手を拒んでいた。
クロードは先日の戦闘で敵が仕掛けた罠にかかり、右足を骨折し、体のあちこちに裂傷を負っていた。
彼の赤みがかった金髪は汗と土埃で汚れてくすんでいる。頭部から足先まで包帯まみれの痛々しい姿でありながら、戦意を失わない碧の瞳で私を真っ直ぐに見据える。
「ドミニク様! オレは王都には戻りません! 最後までお供をさせてください!」
私に対して懇願の声を上げるクロードを、周囲の従騎士は諫めなかった。
こちらに向けられた視線の奥に同調の意思を見いだして、苦笑を浮かべた。
命令に従おうとはしていても、全員同じ気持ちなのだろう。
「ここにいる全員、この土地の歴史を学んだはずだ。勝者が民を従える、我々の祖先はそうして国をまとめ、導いてきたのだ。此度の戦も歴史の流れの一つに過ぎない。王は己が用いる武力の全てを捧げ、命が続く限り勝利を目指される。その王に剣を捧げ、忠誠を誓った騎士達もまた、彼の方のご意思を尊重し戦うのだ」
「だったらオレ達だって、王への忠誠心を持っています!」
「お前達は王に永遠の忠誠を誓ったわけではない、これは陛下のお慈悲だ。あの方は我が子と同じように民の子も大切に思われている。先のある若い命に新たな道を示したい、そう願われた」
クロードはまだ十七才。
王に忠誠を誓い、正規の騎士として認められて戦い続けてきた私と違い、まだ何も成さぬまま、ここで死ぬのはもったいない。
「騎士として新たな勝者に忠誠を誓うのも良い、剣を捨てて民の中で生きるのも良し。お前達は自由だ、どのような道を選んでも、王家に背くことにはならない。今ここで戦場から去ることは不名誉なことではない、お前達は我が王からこの地の未来を託されたのだ。クロード、これまでよく仕えてくれた。他の者も、それぞれが仕える騎士達も私と同じ気持ちでいることを忘れないで欲しい」
従騎士達の目に涙が浮かんでいた。
悲しみか悔しさからかはわからないが、彼らの涙を拭ってやることは私にはできない。
だが、クロードは違った。
私の言葉を拒絶し、反発の声を上げる。
「そんなこと言われても納得できねえよ! オレはあなたを目標にして生きて来たんだ! 戦に負けて全部失って、それでこの先どうやって生きていけばいい!」
「クロード、生き方はこれからお前自身が見つけるんだ。私が与え、教えてきたものはその身にしっかりと叩きこまれているはずだ。お前は強い、一人でも大丈夫だ。それに王都にはレリアがいる。託すとまでは言わないが、家族を全て失うあの子のことを、どうか気にかけてやって欲しい」
レリアの名を出したのは、彼が何もかも失うわけではないことを思い出して欲しかったからだ。
王都の屋敷には、我々が共に暮らした人々がいる。
故郷の地には途切れることのない繋がりがまだたくさんあるのだ。
「王都に戻り、療養すれば、この程度なら癒える傷のはずだ。捨て鉢になって命を捨てることはない」
「傷が癒えても間に合わない、全部終わった後じゃねえか!」
クロードから敬語が消えて、素の言葉遣いに戻っている。
矯正するのに随分と時間がかかったのに、元に戻るのは一瞬だ。
彼は従者の立場ではなく、昔の弟分だった頃の気持ちで、私と共に死すことを望んでいた。
「幾らお前の頼みでも、今回ばかりは聞いてやれない。一人前になるまで面倒を見てやれなくて済まなかった」
「……お願いだ、オレも一緒に戦わせてくれよぉ」
尚も懇願を続ける彼を見て、説得は諦めて、拳を腹に叩き込んだ。
一瞬で意識を刈り取り、倒れ込んできた体を横に寝かせた。
「頼むよ、無事に王都に連れて帰ってやってくれ」
クロードを説得していた従騎士達に声をかける。
彼らは頷いたものの、気絶しているクロードを不安そうに見つめた。
「……は、はい、お任せください。でも、これ、死んでないですよね?」
「大丈夫、……だと思う」
トドメを刺していたらどうしよう。
私もちょっとだけ不安になったが、呼吸はしているし、心臓も動いているので大丈夫そうだ。
担架で運ばれていくクロードを見送って、父の所に戻ることにした。
将軍である父の部屋には、部隊の隊長達が最後の挨拶に訪れていた。
父は彼らと別れの酒を酌み交わし、一人一人に言葉をかけていく。
皆、決戦の日が自身の命日となることを受け入れ、最後のひと暴れに向けて士気が高まっていっている。
ここまできたら作戦も何もありはしない。
正面から討って出て、目の前の敵を撃破する。
単純明快でわかりやすい、ネレシアの騎士らしい戦い方をするだけだ。
皆が去り、私と父の二人だけになった。
父が私に顔を向けてしんみりと語り出した。
「冷静に戦況を見れば、我々が生きて帰れる可能性はない。母さんは亡くなったがレリアがいる。あの子を一人にすると思うと心配で逝けぬ。ドミニク、お前だってまだ若い、今ならまだ間に合う、レリアのために王都に戻らぬか?」
父は妹のために、私に生きろと言う。
だが、それは無理な話だ。
私は戦場で名を上げすぎた。
「アーテス軍にもドミニク=ベルモンドの名は広く知れ渡っています。戦場で私の首が見つからねば、彼らは血眼になって探すでしょう。王都に戻っても処刑は免れることはできません。主君を残して逃げ帰った卑怯者と罵られて死ぬよりは、騎士の本懐を遂げて命を終えた方が、残されるレリアにとっても良いのではと思います」
私が誇り高き死を迎えれば、同郷の者はレリアに同情してくれるだろう。
敵国の手に落ちた故国の中で、同じ国の者からも蔑まれては生きていけない。
「それにレリアはエリーヌ様の侍女です。フェルナン王子は女子供を虐げるような人物ではない。勝敗がどうなっても、城内の女達が傷つけられることはないでしょう」
驚くべきことに、フェルナン王子の軍は、これまで戦ってきたどの国の軍よりも規律正しくまとめられている。
戦の常として、戦場近くの街や村は兵士に襲われて略奪や強姦が行なわれるが、アーテス軍が我が国で行なったのは、寄り道のない行軍と砦を落とす戦だけだ。
村落が焼かれた気配もなく、それゆえこちらも砦の防衛に専念できたのだ。
「結婚していなくて良かったと心から思います。この上妻子がいれば間違いなく心残りが増えていた」
「そうだったな。良い縁談が幾つもあったのに、戦争で見合いどころではなくなったからな」
父母に孫を見せてやれなかったことは申し訳なく思っている。
父に対する孝行は、命の限り最後まで戦い抜くことで示そう。
「父上こそ、帰られてはいかがです? 早めに世代交代して隠居してもらったのだと、皆には私から説明しておきますよ」
冗談で、だが半分本気でそう言うと、父は笑った。
「バカを言うな。私はまだ老いてはおらん。お前のような若造に、私の代わりが務まるものか」
父は酒の瓶を手に取ると、中身をグラスに注いで渡してきた。
そして自身のグラスにも注いで、私に呑めと促した。
「これが親子で飲む最後の酒にならぬように、決戦の日は全力を出して戦うぞ。レリアの花嫁姿を……、いいや、お前達の子供を見るまで私は死なん!」
「私もですよ。可愛いレリアを攫っていく憎い男を殴るまでは死ねません」
グラスを受け取り、口をつけた。
私と父は王のために死ぬことを恐れたりはしなかった。
ただ一つの心残りは、一人で残していくことになるレリアのことだった。
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