憎しみの檻

ただ君の幸せを願う 2

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 砦の周囲にアーテス軍が迫ってくると、次第に兵站が絶たれていき、物資が入ってこなくなった。
 これは予想できていたので、砦の中には必要な日数分の兵糧や薬品などが予め蓄えられていた。
 籠城など、こちらは最初からする気もないのだ。

 軍勢はすぐには攻め入ってこず、砦を包囲して動きを止めた。
 それと同時に降伏を促す使者が何度も砦の門前を訪れた。

「降伏すれば命だけは助けるか、フェルナン王子は随分と温厚な性格をしているのだな」

 一度だけ話を聞き、その後は門前払いにしつつ、王がため息をつかれた。

「温厚ではありますが腰抜けではない。自ら陣頭指揮に立ち、剣を抜いて戦っている。周囲の助けもありましょうが、まだ少年と言って良い年頃なのに大した男です」

 お側に控える父が、王の言葉に自身の感想を述べる。

「余の助命まで約定とするとは信じがたいが、今までの行動を省みればまったくの嘘とも思えぬ。どこまでも真っ直ぐで気持ちの良い男だ。あれでは権謀術数渦巻く政争の中では生きづらかろうて」
「アーテスの王宮は魑魅魍魎が跋扈する魔境と噂されるほどですからな。だからこそ、王子でありながら騎士になられたと……、納得です」

 殺し合っているはずの相手であるのに、こちらの陣営でのフェルナン王子の評価は高く、好意的ですらある。
 我々は強い男が好きだ。
 体を鍛え、武の技を磨き、共に高め合う、そんな相手を常に求めている。
 素直で優しく、それでいて武の道へと歩んだ王子は、殺し合うことよりも、そういった競い合いの方こそを好んでいるのではないかと思うのだ。

「一度ゆっくりと語らってみたかったですね」
「戦場でなら手合わせする機会ぐらいはあるかもしれんな」

 王子達も笑い合って、砦を包囲する敵軍の本陣へと視線を向けた。
 向かうべき場所は決まった。
 後は開戦の合図を待つだけだ。

「見届け人はシラスに頼もう、引き受けてくれるな」

 王の言葉に、その場にいた全員の視線が一人の老将に向けられた。
 左目を眼帯で覆った隻眼の偉丈夫。
 老将と呼んではいても、未だ衰えを見せぬ屈強な体躯を持ち、戦場でも十二分の働きを続けている。
 シラス=バシュラールは、ネレシアの騎士達が敬愛する古き英雄でもあった。

「陛下のご命令、しかと承りました。この片目と両の耳でネレシアの最後の騎士達の生き様を見届け、この命が尽きる時まで語り継ぐことをお誓いいたします」

 見届け人とは、この大陸に古くから続く慣習の一つで、全滅を覚悟した軍の者が置く、最後の語り部のことだ。
 軍の長に最も信頼される者より選ばれ、戦闘には参加せず、戦士達の親類縁者に彼らの最期の姿を伝える役目を与えられる。
 戦の相手によっては殺されることもあるが、恐らくアーテス軍はシラス殿を害さないだろう。
 この地を滅ぼすのではなく統治するつもりがあるならば、見届け人の存在は戦後の混乱を避ける助けにもなるからだ。

 各自、己の配置と役割を確認すると、持ち場に散っていく。
 次の夜明けを迎えれば、決戦の日となる。
 武具の手入れを念入りに行い、逸る気持ちを抑えつつ、静かにその時を待った。




 翌朝は快晴で、決戦に相応しい良い日よりに思えた。
 砦の門が開かれると同時に、我々は一斉に飛び出した。
 目指すは敵の主力、近衛騎士団。
 そして総指揮官のフェルナン王子の首だ。

 鬨の声を上げて迫り来る我が軍を前にしても、フェルナン王子は冷静に対処し、アーテス軍が動揺することはなかった。
 すぐさま包囲陣形を作り、こちらを迎え討ってくる。
 一対一の真剣勝負など、乱戦となった場では望むべくもない。
 一人、また一人と味方が倒れていく中を、私は夢中で剣を振るって駆け抜けた。
 太陽が真上に来る頃には、敵味方、数え切れないほどの屍が築き上げられ、ようやく場が静まりかえった。
 ネレシア軍は壊滅し、残ったのは王と私を含む数人の騎士だけとなった。対してアーテスの兵は後方から増援が到着してきている。
 周囲を何万もの大軍に囲まれては、さすがにこの地が死地となることを認めないわけにはいかなかった。
 弓兵の矢が我々を狙う中、一人の若い騎士が騎乗したまま近づいてきた。
 今更、降伏勧告でもあるまい。
 おそらく彼は一騎打ちを望んでいる。

 フェルナン王子と似たような年頃の青年ではあったが、このような場面で出てくるのだ。年は若くても地位は高く、実力もあるはずだ。
 残った騎士の中で、一番強いのは私だろう。
 自惚れではない証拠に、仲間達に視線を向けると頷きが返ってきた。
 私は青年の前に歩み出て、名乗りを上げた。
 
「私はネレシア王の騎士、ドミニク=ベルモンドだ。アーテスの勇敢なる騎士よ、貴殿の名は?」
「アシル=ロートレックだ。アーテス第三王子フェルナン様に忠誠を誓っている」

 青年はフェルナン王子の側近だった。
 近衛騎士団はアーテス軍の中でも最強と謳われる。
 その近衛に名を連ねているのだ、家柄や縁だけで選ばれるはずがない。
 アシルと名乗った彼に対して、慢心に繋がる意識や感情を全て排除した。

「あんた、この状況でなぜ戦う? フェルナン様はむやみに血を流すことを良しとされない。降伏すれば命だけは助けると言っているのに、王もあんた達もなぜ無駄に命を捨てようとする!?」

 アシルは騎乗したまま、問いかけてきた。
 アーテスの騎士である彼には、ネレシアの騎士の矜持は理解できないものなのかもしれない。
 新しいものを取り入れて発展を続ける合理的な国の若者の目には、古き思想に縛られたまま滅び行く運命を受け入れた我らの行動は愚かと映るのだろう。
 それでも問いかけてくるのは、こちらの命を惜しむからなのか。
 主君と同じく、従者も甘い。
 だが、好ましいと思う。
 彼らを迎え入れた故国は、新しい風を送り込まれて変化していくことだろう。
 しかしその予感は決して悲観するものではなく、喜ばしく感じられた。
 たとえ、こちらの考えが変わらぬとしても。

「騎士にそれは愚問だよ。主君が最後まで戦うと言われたなら、我々は勝利を求めて戦うだけだ。騎士とは剣を捧げた人の名誉を守るために戦うものだ。勝てないからと途中で敵に背を向けては、主君の名に泥を塗り、また我が名も臆病風に吹かれた不忠者として、永遠に拭い去ることのできない汚名を被ることになる」

 私に残されている道は戦うことだけだ。
 剣を構えると、自然に闘気が漲ってきた。

「アシル=ロートレック。貴殿は忠誠を誓う王子のため、私は剣を捧げた王のために戦うのだ。我々の間には、戦の中で生み出された禍根ももちろんある。だが、私は貴殿に敬意を表す。恐らく生涯最後となるであろうこの戦いにおいて、騎士として誇り高く剣を交える機会を与えてくれたことを感謝する」

 私の言葉を聞くなり、アシルは馬から下りて盾を捨てた。
 対等の条件で戦いたいということらしい。
 ますます好ましい。
 できることなら私の全力を受け止めて、悔いなき最期を迎えさせて欲しい。
 とはいえ、手加減はしない。
 命を懸けた真剣勝負、当然勝利は我が手にする。
 両軍が見守る中、我々は戦い始めた。




 私が全力で振り下ろした一撃をアシルは受けきった。
 想像以上の筋力だ。
 だが、これでは足りない。
 アーテスの騎士とは何度も相対したが、その誰もが練度の点でネレシアの騎士には劣っていた。
 彼らがこちらの騎士を討ち取った時は、必ず誰かの補助や援護があった。
 今この時、もしも私が負傷しておらず、気力も体力も充実していたのなら、瞬く間に彼を斬り伏せていたと断言できる。
 対等の打ち合いが続いているのは、この体が限界に近づいているからだ。
 しかし、それゆえ皮肉にも、手応えのある勝負が楽しめている。

 この期に及んで楽しんでいるのだ、私は。
 きっと先に死んだ父も呆れていることだろう。
 アシルにクロードの姿を重ねて、見習いになったばかりの彼に稽古をつけていた時のことを思い出した。
 アシルも鍛えればもっと強くなる。
 私との戦いが彼の糧になるように、この先の未来に強き者を残すために、体に残された力を全て使って握った剣を振るい続けた。




 我々の勝負は決着がつかなかった。
 取り囲んでいた弓兵が合図を待たずに矢を放ったのだ。
 注意をそちらに向けた拍子に、アシルの剣が私の肩を切り裂いた。
 戦場では些細な刺激が混乱を招く。
 完璧な統率力を誇っていたはずのアーテス軍だが、弓兵達は指示が出たと勘違いしてか、次々に矢を打ち込み始めた。
 鋼鉄の矢が雨のように飛ぶ。
 私は眼前の敵を放って陛下の前に飛び出した。

 主君を先に死なせてはならない。
 私の命は陛下のためにあるのだ。

 矢が幾つも全身に突き刺さる。
 衝撃に体が揺れたが、痛みを感じる前に私の意識は消えてしまった。




 意識が微かに戻ってくる。
 水に浮かんで漂っているような感覚の中で、死を迎えたのだろうかと考えた。
 私は忠誠を全うして死んだと自分では思っている。
 先に逝って待っているはずの両親は私を褒めてくれるだろうか?
 陛下は満足されただろうか。
 共に散った仲間達は……。

 多くの、半分以上は死者となっているはずの人々の顔を思い浮かべた後、強く思ったのはレリアのことだ。
 私の最愛の妹。
 最後に会ったのは、戦争が本格的なものになり、王が前線へと出陣なされた日のことだ。私も隊列に加わって王都を出立した。
 見送りに来たあの子は、いつになく不安そうだった。
 笑顔はなく、泣きそうな顔でレリアは抱きついてきた。

『必ず帰ってきてね、お兄様』
『ああ、心配することはない。私は帰ってくる。これまでもそうだっただろう?』

 約束したのに、帰れなくてすまない。
 舞踏会にも連れて行けなかった。
 せっかく父からエスコート役を奪い取ったのに、レリアのために母が作らせたドレスも見ることはできなかった。

 許されるなら、もう一度会いたい。
 そう長い時間でなくてもいい。
 あの子の無事な姿を見られるなら、一瞬だって構わない。

 神がいるなら聞き届けて欲しい。
 私をレリアの許に連れて行ってくれ。
 黄泉へ行く前の最後の我がままを、どうか叶えてもらえないか……。

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