お嬢様のわんこ
第二章・わんこ、お嬢様への愛を叫ぶ・10
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ディオンは相当単純で頭の悪い男だ。
己の腕っぷしばかり誇り、あまり周りをよく見ようとしない。
狩りに出て獲物を見つけると、真っ直ぐ突撃していき、がむしゃらに剣を振り回す。
力はあるので弱いヤツなら一撃で仕留められるが、上級の魔獣相手だとすぐ怪我をして倒れるハメになる。
「この脳筋が……っ」
回復魔法をかけてやっているパトリスが、低い声で吐き捨てていた。
調教して従うようにはなっても、扱いづらい部下には違いない。
俺も懐かれてから毎日のように、殿下、殿下とまとわりつかれて正直疲れている。
復活したディオンは、またもや魔獣に突っ込んでいった。
お、今度は倒せたようだな。
「殿下! やりましたぞ! 見て下され!」
仕留めた獲物を抱えて誉めてくれと言わんばかりに駆け寄ってくる姿は、そこらの飼い犬と変わらない。
「あいつ、狼というより犬みたいだな」
「殿下も似たようなものでしょう」
俺がそう言うと、パトリスが疲れたような顔でぼそっと呟いた。小声だったので、聞き取れはしなかったのだが。
「爺さんには悪いけど、あいつ帰して、代わりのヤツ寄越してもらえばいいんじゃないか?」
「彼はまだ若いのですし、警備の面では頼りになります。魔獣討伐は若手に経験を積ませるには最適の任務なのですよ。私も頑張って教育しますので、今しばらくのご辛抱を」
若手を育てないと後々人材が不足する。
今耐えて鍛えておけば苦労に見合う成果が出るのだと言われ、頷きかけて止めた。
「よく考えたら護衛とかいらないし。全員まとめて国に帰れよ、お前ら」
今、普通に護衛を受け入れてたよ、俺。
危ない危ない。
殿下呼びにも慣れちまったし、こいつらの思惑通りに進んでいるじゃねぇか。
王子に戻る気なんてないんだから、そろそろ諦めてくれねぇかな。
面倒くさいのが増えて、うんざりしながらもそれなりに馴染んできた頃。
ギルドに行くと、珍しくディオンがいなかった。
こっちに来てから狩りに行く日は必ず来てたのにな。
鬱陶しかったけど、いないならいないで気になる。
パトリスに尋ねてみた。
「パトリス、あいつ今日はどうした?」
「ああ、ディオンですか?」
名を言わずとも通じたようだ。
俺が頷くと、パトリスは少し首を傾げて眉をひそめた。
「それが、今日は休暇を貰いたいと昨日に言われましてね。体調でも悪いのかと尋ねたら大丈夫だと言うのですが……。あの脳筋が殿下のお供をせずに休むなどと言い出した時には驚きましたよ。まあ、たまには休暇も必要かと許可は出しましたけどね」
ディオンにいつも悩まされているせいか、パトリスの言葉には毒が混じっている。
さらっと脳筋呼びしてるし。
「そうか、それならいいんだ」
あいつがいないぐらい別に大したことじゃない。
そう思おうとするものの、本能の部分で嫌な感じがした。
例えようのない不快な気分が胸の辺りで渦を巻いている。
狩りにも身が入らなくて、向こうから襲って来た獲物以外は見逃した。
こんなことは初めてだ。
「殿下、お加減がお悪いようでしたら今日はもう引き上げては如何でしょう?」
日が高くなり、お嬢様のお手製弁当を食べている時にパトリスが言った。
もちろんヤツらは各自持参した物を食べている。
お嬢様のご飯は俺の物だ、お裾分けなどしてやらん。
「そうだな……」
体はどこも悪くない。
弁当は全て食べた。
お嬢様の愛情がたっぷり詰め込まれたご飯は今日も美味しい。
そろそろお嬢様の仕事が終わる頃だ。
食堂を出ると、市場で買い物をして、彼女は家に帰ってくる。
際限なく湧いて出てくる不安を晴らすには、お嬢様の顔を見るのが一番だ。
俺の心配事なんて、お嬢様のことしかないんだから。
「帰る、ギルドには寄らないからついてくるなよ」
「殿下! せめて街までご一緒に!」
食べた後を片付けて、走り出した。
背後から呼び止める声が聞こえたけど、無視して街道へと飛び出した。
街に近づくにつれて、嫌な感じが強くなった。
人通りの多い道を避けて、路地裏を駆け抜ける。
途中で市場も覗いてみたけど、お嬢様はいなかった。
もう帰ったんだろうか。
家に帰ったら、お嬢様がいる。
いつものように笑顔で迎えてくれるはず。
毎日通る見慣れた道をひた走り、家に近づいていく。
今日は妙に人が多い。
どうして家の周りにこんなに集まっている?
誰だか知らない女の悲鳴が幾つも聞こえた。
ざわつく声が喧しい。
前を塞ぐ群衆を押しのけて通る。
「どけっ! 邪魔だ!」
開けた視界の先には、俺とお嬢様の家があった。
だけど様子がおかしい。
家の前に、こちらに背を向ける形で、ここにいるはずのないヤツが剣を持って立っている。
剣先は血で濡れていて、まだ乾いていない証拠に赤い滴が幾つも伝い落ちていく。
ヤツはこちらを振り向き、俺の姿を認めた途端、いつもの獲物を仕留めた時のような誇らしげな顔をして叫んだ。
「お喜びください、殿下! 長年貴方様を捕え、使役してきた憎き人族の女は消え失せましたぞ! こやつめは最後まで殿下を解放することを拒みましたが、もう何もご心配なされることはありません! 忌々しい呪縛の元はこのディオンが成敗いたしました! これで殿下は自由の身! 我が祖父の悲願も果たされます! さあ、共に祖国へ帰りましょうぞ!」
奴隷契約に使われる魔法は、闇の精霊の力を借りる。
初めてお屋敷に連れて行かれた日に、俺の体に入り込み服従の呪縛を施した黒い霧は、闇の精霊の力が具現化したものだ。
それが俺の体から離れていく。
消滅した契約と同様に、役目を終えた精霊の力も消え去る。
痛みも何もない。
ただそれが消えたのがわかっただけだ。
家の壁にもたれるようにお嬢様が座り込んでいた。
力の抜けた四肢は投げ出されたまま少しも動かない。
首と胸から流れ出た血が、髪を濡らし、衣服を汚し、体の全てを赤く染め上げていく。
契約が消えた。
お嬢様の命が終わることで消えるはずのそれが無くなった。
認めたくなくても、目と耳と感覚が捉えた全ての事象が、俺に現実を突きつける。
誰がやった。
考えなくてもわかる。
たった今、こいつが自分で白状したじゃないか!
憎しみ、怒り、悲しみ。
ごちゃ混ぜになった感情で、視界が赤く染まる。
声を上げた。
言葉にならない叫びが辺り一帯に響き渡り、耳を抑えた多くの者が後ずさった。
許さない!
俺からお嬢様を奪ったあいつを!
あいつをここに連れて来たヤツらも!
傍観していた連中も!
みんな、殺してやるっ!
血が滾り、全身が熱く膨れ上がった。
獣の本性が表に全て引きずり出されていく。
全て殺し尽くすには力が要る。
俺の求めに応じるがごとく、体は変化を続けていった。
まずはあいつを殺そう。
あの人に与えた恐怖と苦痛を何十倍にもして返してから、肉片になるまで粉々に切り裂いて消してやる!
「で、殿下! そのお姿は、どうし……っ!」
驚愕の表情で呼びかけてくるディオンを右腕で一薙ぎした。
ヤツは吹き飛び、近くの家の壁にぶち当たり、壁面を破壊しながら家の奥まで転がり込んだ。
そちらに足を向け、歩き出す。
まだ一発ぶち込んだだけだ、この程度で済むと思うな!
「きゃあああああっ」
「だ、誰か衛兵を呼んで来い!」
「逃げろ! 巻き添えになるぞ!」
集まっていた野次馬が我先にと逃げ出した。
どうでもいい。
どうせみんな殺すんだ。
衛兵だろうと好きなだけ呼べばいい。
穴の開いた民家の手前まで来ると、中からディオンが這い出てきた。
全身擦り傷だらけで、鎧の一部がへこんでいる。
俺が殴った場所だ。
ダメージはでかかったらしく、苦しそうな息遣いでまともに立てもしないようだ。
「殿下、どうして……? 奴隷契約は、消えたはず、なの……に……」
心底わからないって顔をして、ディオンは俺を仰ぎ見た。
この阿呆が。
お前が俺の何を知っている。
つい最近現れて、一方的に後ろをついてきていただけのくせに、勝手な思い込みで俺を救おうとしたとでもいうのか。
「俺は確かに奴隷契約で縛られていた。それも今消えた。だがな、何も変わらない、契約があろうとも俺は自由だった。俺は自分の意志で彼女の奴隷でいたいと願った!」
左手でディオンの首を掴み、吊り上げた。
俺の体はヤツを優に見下ろせるほどの大きさになっていた。
「お嬢様は俺を解放すると言った! お前達が俺を捜していたからだ! 解放を拒み、生涯奴隷でいると縋ったのは俺の方だ! お前が幾ら脅そうとも、お嬢様に契約が解けるわけがない! 俺が契約書を破壊して、解放の手段を失くしたんだからな!」
左手にさらに力を込めた。
喉に食い込ませた爪が、肌を突き破り、血が滲み出す。
まだ殺さない。
窒息しない程度に締め上げて、地面に叩きつけた。
「ぐはあっ!」
苦痛に喘ぐ声と共に、ヤツ自身の重みと投げ落とした衝撃で土が抉れた。
幾ら頑丈な体でも骨が幾らか砕けたはずだ。
「お嬢様は俺に約束してくれた、誰が来ても俺を渡さないと! あの人は保身なんて考えない、いつだって俺のことを心配して、望みを叶えてくれた!」
お嬢様は逃げなかった。
俺のせいで契約が解けなくなったことも言わなかった。
自分の命と引き換えにしても、俺との約束を守ってくれた。
「彼女も俺も、お互いがいれば良かった! ただ寄り添って暮らしていられればそれだけで幸せだったんだ! 返せ! 俺のお嬢様を返せよおおおおっ!」
ディオンに対して抱く憎しみと、お嬢様を守れなかった自分への怒り。
攻撃に向かう感情に任せて、倒れたままのディオンに掴みかかった。
お嬢様を傷つけた腕。
首を絞め、剣で貫き殺したそれに噛みつく。
獣の物へと変化していた口には無数の牙が有り、捕えた肉を力任せに噛み千切った。
「ぎゃああああああっ!」
血飛沫が上がり、ヤツが悲鳴を上げてのたうちまわる。
もがく体を押さえつけ、もう一方の腕も同様に奪った。
血を浴びて、口の中も赤く染まる。
まだ息のあるヤツの頭を踏みつけて、頭蓋骨を粉砕するべく力を込めようとした。
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