お嬢様のわんこ

第二章・わんこ、お嬢様への愛を叫ぶ・11

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「お待ちください、ラファル殿下!」

 声がした方に目だけを動かした。
 そっちにはお嬢様が倒れていたからだ。
 血まみれのお嬢様は地面に寝かされていて、傍にパトリスが膝をついて蹲っていた。
 俺に呼びかけたのはあいつだった。

「まだ、間に合います! この方は生きていらっしゃいます! 殿下のお力をお貸しくだされば助けられます!」

 パトリスは酷く血の気のひいた顔色をしていた。
 大量の汗を掻き、息も絶え絶えな様子でなおも声を張り上げる。

「こちらに来て、心臓の鼓動をお確かめください! 私の魔力では僅かな時間引き戻すのが精一杯、完全な蘇生には殿下のお力が必要なのです!」

 嘘だと思う気持ちと希望とで心が揺れた。
 足はお嬢様のお傍へと向かう。
 止まっていたはずの呼吸が戻っていた。
 心臓が脈打つ音も、獣人である俺の耳は捉えていた。

「どう……すれば、いい?」

 怒りが鎮まると同時に、膨れ上がった体が小さくなっていく。
 全身を覆っていた体毛も元通りになった。

「傷の治癒は光の精霊、魂の契約は闇の精霊の領域です。ヤツらはすぐそこにいますよ。私の魔力を極限まで吸い取り、さらに極上の魔力を味わおうと笑みを浮かべて待っている」

 パトリスは憎々しげに辺りを見回した。
 確かに精霊の気配がする。

「光の精霊には体の回復を、闇の精霊にはお嬢様を血肉を分けた己の眷属とすることを命じてください。獣人族の強き生命力の恩恵が与えられます、主従契約の一つではありますが、それ以外に蘇生の成功を後押しできる方法はありません」

 迷いはなかった。
 魔法を操るには明確なイメージが必要だ。
 精霊に何をさせるのか正しく伝え、代償に魔力を与える。
 誰でも簡単に魔法を使えないのは、この匙加減が難しいからだ。
 精霊は人の都合なんて考えない。
 ただ魔力を得られればどうでもいいのだ。
 魔術師であるパトリスは精霊を分析してそう評し、いつ喉笛に噛みつくかわからない厄介な連中だから決して気を許すなと俺に教えた。

 言われた通り、光と闇の精霊に伝えた。
 お嬢様の傷ついた体を治す。
 俺と魂を繋げ、俺の血肉を彼女に分け与えて眷属とし、命を共有する。

 さあ好きなだけ魔力を持っていけ。
 その代わり、必ずお嬢様を助けろ。
 助けなかったら、お前らも殺す!

 精霊が俺に集まってくる気配を感じた。
 何がおかしいのか笑っている。
 こっちは必死なんだよ!
 苛ついて怒鳴りたくなったが、意識をお嬢様へと集中してイメージを作り上げた。

 俺と同じ、狼の獣人だったら、お嬢様はもっと元気に生きていられるかな。
 俺は体だけは丈夫で、幼少の頃も常に飢えと暴力に晒されていたのに生き延びた。

『怖いよ、痛いよ、寒いよ、お腹空いたよう』

 声に出したら殴られる恐怖から、救いを求める声を封じ込めた。
 お屋敷で暮らすようになった後も、信じられないほどの厚遇を受けて、これがいつまで続くのか、いつまた奴隷扱いされて鞭打たれるのかと、しばらくは恐れながら暮らした。
 俺の中に根付いた恐怖心は、お嬢様がゆっくりと取り除いてくれた。
 優しい手つきで撫でられるたびに、愛されることを知った。
 体に触れることを許されて、愛することを知った。
 お嬢様と過ごした時間はおよそ十年。
 まだ足りない、もっと一緒にいたい。

 精霊の声が聞こえた。
 声というより、意志と言い換えた方がいいか。
 同じにすればいいの?って聞いてくる、できるならそうしろ。
 そうしたら増えて嬉しいって、何がだよ?
 願いを叶えようと精霊達は言った、代わりに魔力をいっぱいもらうとも。
 早くしろ、俺はお嬢様が助かればどうなってもいい……。
 代償の魔力を吸い取られ、全身の力が抜ける。
 精霊達の笑い声に腹が立ったが、それ以上意識を保っていられなかった。




 気がつくと、見慣れた家の中にいた。
 寝心地の良いベッドの上で、お嬢様と寝ている。
 悪い夢を見たのかと思ったけど、頭がはっきりするにつれ、夢ではないことを認識した。

 お嬢様!
 飛び起きて、隣に寝ていた人を見つめた。
 俺と同じ、深い闇色の髪と褐色の肌、頭には狼の耳がついている。
 だけど、お嬢様だ。
 人族の特徴は無くなっても匂いも姿も変わらない。
 鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
 お嬢様の匂いを吸い込んで涙ぐんだ。
 呼吸は続いているし、心臓も動いている。
 生きてる、生きてる!
 早く目を覚まして、俺の頭を撫でて!

 だけど、お嬢様は眠ったままだ。
 頬を舐めても、反応がない。

 扉が開く音がした。
 警戒して身構える。
 入ってきたのはパトリスだった。
 全身から疲労感を滲ませていたが、俺が起きているのを見てぎこちない笑みを浮かべた。

「ああ、良かった。お目覚めになられたのですね」
「良くない、お嬢様が眠ったままだ!」

 憤る俺に、パトリスは笑みを消して俯いた。
 よろついた足取りで、近くにあった椅子まで行き、腰を落とす。

「あれから丸一日経ちました。リオン王に手をまわして頂き、外の騒ぎを治めた所です。今はこの家の周辺を街の衛兵が囲っていることで平穏を取り戻しています」

 ぼんやりと、もうこの街には住めないなと思った。
 せっかく建てた家だけど、売ってどこかに移り住もう。
 誰も俺達を知らない場所でやり直せばいい。

「殿下、申し訳ございませんでした」

 パトリスは椅子から立ち上がると、床に跪いた。
 足下にひれ伏す姿を、冷めた目で見つめた。

「我々は殿下のお言いつけに背き、身辺を探り、お嬢様のことを把握していました。ディオンにも殿下とお嬢様の仲睦まじさを説き、見守るようにと言い聞かせていたのです。それがあのような思い込みをしていようとは……。此度のこと、部下の動向を把握できず、暴挙を許した私に責任があります。お嬢様がお目覚めになられ、責務の全てを果たし終えた時、殿下のお気が済むように不肖のこの身を如何様にでも処罰してください」

 あれはディオンの独断だったのか。
 そうだろうな、あれがこいつらの総意だというなら、もっと前にやっているはずだ。

「お嬢様は目覚めるのか?」

 処罰だとか、今はそんなことどうでもいい。
 お嬢様の意識が戻るのか、それだけが気がかりだ。

「そのことですが殿下、我々と共にロー王国へ来てください。このような事態になり、信じて頂けないのは重々承知しています。ですが、お嬢様を保護し、治療を施すためには、王城にいらしてくださった方が良いのです。お嬢様は必ず目覚められます、そのために全力を尽くします。陛下は我々に、殿下とその伴侶たる少女を見守れとお命じになられました。自ら国に戻るとおっしゃるまでは決して無理強いはするなと。どうか、陛下のお言葉が偽りではなかったことだけは信じて頂きたい」

 頭を上げることなく、パトリスは訴えた。
 ちゃんとわかっているよ。
 パトリスや爺さん、それに父親も、俺の意志を尊重して無理に戻れと言わなかったことぐらい。
 だけど、お嬢様のことだけは別だ。
 俺はお嬢様が傷つけられたことが許せない。
 ディオンは元より、王国の奴らも、俺自身も、何もかもが許せないんだ。

「わかった、一緒に行く。お嬢様が助かるなら何でもする。その代わり、お嬢様がこのまま死んだら、俺は王国を滅ぼすからな」
「承知致しました。その時には、この首を真っ先に刎ねてください」

 移動の手配をしてくると言って、パトリスは家を出て行った。
 静かになった室内で、俺は再び横になって、眠っているお嬢様に寄り添った。
 起きて、お嬢様。
 俺はあなたにたくさん謝らないといけない。
 怖くて苦しい思いをさせたこと、守れなかったこと、勝手に主従契約を結んで種族を変えてしまったことも。
 怒られても、罵られてもいい。
 あなたの声が聞きたい。
 もう一度、目を開けて、俺を見て。




 馬車に乗って三日後、ロー王国の王城に到着した。
 お嬢様の療養用にと与えられた部屋は、落ち着いて休める静かで風通しの良い客用寝室だった。
 時々、お嬢様の容体を確認しにパトリスが来て、身の回りの世話と食事を運ぶために侍女が数人やってくるが、他には誰も来なかった。
 王子が帰還したと騒いでいる様子もない。
 お嬢様が目覚めるまでは、そっとしておいてくれるつもりなんだろう。

 俺が元気でいないと、眷属であるお嬢様の回復が遅れる。
 そう言われたので、三食はきちんと食べて、部屋の中で体を鍛えることにする。
 お嬢様の傍を離れたくないから、外で運動するという選択肢はない。

 今日もお嬢様は目覚めなかった。
 眠るお嬢様の隣に寄り添い、目を閉じた。




 隣で動く気配がしたので目が覚めた。
 瞼を上げると、お嬢様が上半身を起こした姿勢で、不思議そうに自分の姿を見回していた。

 お嬢様が、お嬢様が起きてる!
 涙腺が崩壊して、堰を切ったように流れ落ちた。
 泣きながら無我夢中で、愛しい彼女に抱きついた。

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