お嬢様のわんこ
第二章・わんこ、お嬢様への愛を叫ぶ・13
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お嬢様と結ばれて、この上なく幸せな気分に浸る。
このまま部屋に籠って、彼女と二人で過ごしていたかったが、そういうわけにも行かない。
面倒なことは先に済ませてしまうに限る。
お嬢様にゆっくり過ごしてもらうためにも、魔術師団と騎士団の主要な連中を集めてもらい、謝罪と説明をさせて、状況を理解してもらうことにした。
お嬢様は危害を加えられたことに対して怖がっている様子だったが、怒ってはいなかった。
爺さんが自分の命で償うなんて言いだすから、誰にも死んで欲しくないと俺にすがりついて懇願したほどだ。
誰に対しても優しいお嬢様に惚れ直す。
彼女が許すと言うなら、俺も許さないといけない。
ディオンだけはやっぱり許せないけど、他の奴らに対しては前のように接することにしよう。
城に着いた時、俺はこの先どうするかあまり考えていなかった。
あれだけの騒ぎを起こしてしまった以上、今まで住んでいた街には戻れない。
家の方はパトリスの部下が管理しているそうだ。
大事なものはこちらに来る時に全て持ってきたので、家の処分も頼んでしまおう。
城に留まるのもお嬢様が元気になるまでのこと。
面倒なことになればすぐに出ていくつもりだったが、城では俺を王太子に、お嬢様をその婚約者として受け入れることにしたようだ。
お嬢様は元から俺を家族の下に帰したがっていた。
だから、引き離されることがないと知ってからは、ここに留まることにまったく抵抗はないようだった。
「クロ、お父様にお会いしてきて。私はお部屋で待っているからね」
騎士団と魔術師団の連中との話が終わった後、部屋に戻ったお嬢様はそう言って俺を送り出そうとした。
俺達を部屋まで送り届けたパトリスが、今なら王の執務の予定が空いているので会えると言ったからだ。
「あの、お嬢様……じゃなくてリュミエールも一緒に……」
急に会えと言われても、どんな顔をして会えばいいのかわからない。
何を話せばいいのかとか、そもそも覚えていないのだし、改まって会うとなると尻込みしてしまうのだ。
縋るように願えば、お嬢様は首を横に振った。
「私は後でご挨拶に伺うわ。お父様は二人だけで会いたいと思うの、あなたの無事を願って、長い間探し続けてこられたのだから」
愛する者を理不尽に奪われた怒りや悲しみを、今の俺なら理解できるだろうと、お嬢様は問いかけた。
最愛の妻を失い、血を分けた我が子を奪われ、それでも王の責務を果たすために感情を抑え込んで長い月日を生きてきた。
お嬢様を失った時に感じた絶望を思い返すと複雑な思いに囚われた。
記憶がないために、俺にとって父母は実体のない存在でしかなかった。
だけど、向こうは違う。
誰に話を聞いても実感できなかった父の気持ち。
対面を間近に控えた今になって、その心情を己のものと重ねて想像することができるようになった。
「会いたいと思っても、クロの気持ちを考えて三年も待っていてくれた。今、あなたはすぐ会える場所にいる、もう待たせてはだめよ」
お嬢様に背中を押されて部屋を出た。
廊下を歩く間に出会った者は、俺がどこに行くのか知っている様子で、期待と不安が入り混じった微妙な空気の中を進んでいく。
やがて、扉の両脇に警備の兵が立つ部屋の前に着いた。
「こちらは陛下の私室です。気負わず、ただお顔をお見せになられるだけでよろしいのです」
先導していたパトリスが、柔らかい笑みを浮かべて俺を促した。
緊張を解すつもりなのだろうけど、効果はなく、さらに体が強張っていく。
二人だけとか、ますます落ち着かなくなる。
「ラファル殿下をお連れいたしました。陛下に御取次ぎ願います」
パトリスがドアを叩く。
中から執事らしき男が出てきて、頭を下げた。
「お待ちしておりました。殿下が来られたならば、すぐにお通しするようにと承っております。ラファル殿下、こちらへどうぞ」
パトリスは扉の外で待機、執事は部屋の中に俺を入れると、次の間の扉を開いてそこに控えた。
一人で中に入れってことか?
魔獣の住処に突入する時だって、これほど緊張したことはない。
恐る恐る、父親がいると思われる部屋へと踏み込んだ。
「ラファルか?」
奥の窓辺に佇む男。
俺と同じ、黒い毛並みの狼族だ。
「はい」
声を聴いた途端、背筋が延びた。
足を揃えて、直立不動の姿勢になる。
この人は王だ。
姿を見ただけで畏敬の念を抱き、身が引き締まるような威圧感を覚えた。
「そう硬くならぬでもよい、もっとよく顔を見せておくれ」
硬直している俺に、向こうから近づいてくる。
尻尾まで固まって真っ直ぐになってしまっていた。
目の前まで来た父が苦笑する。
「赤ん坊の頃、お前はなかなか懐いてくれなくてな。私が抱こうとすると泣いて嫌がり、母や乳母の下に戻りたがったものだ。よくあることだと慰められたが、伸ばした手を我が子に拒まれるのは辛くて落ち込んだ。今もそうだ、私はそれほど恐ろしい姿をしているのだろうか」
俺はそんなこと覚えてないけど、匂いに覚えがあった。
爺さんと一緒で、この人の匂いも懐かしかった。
緊張が解けて、小さく息を吐く。
真っ直ぐに固まっていた尻尾も元に戻った。
「大きくなるにつれて、お前も私に関心を向けてくれるようになった。執務の合間に会いに行くと笑顔で走ってきてくれたな。言葉を覚え始めた頃に、父上と呼ばれた日のことは今でもしっかり覚えている」
抱きしめられて、それは嫌じゃなかったけど、返す言葉が浮かばない。
突っ立ったまま、父の語る言葉に黙って耳を傾ける。
「それがお前に会った最後の記憶だ。守れず、助けてもやれなくてすまなかった。一国の王でありながら、私はただ待つことしかできなかった不甲斐ない父親だ」
父が顔を伏せているであろう、右肩の後ろ辺りが湿り出した。
俺が子供だったなら、もっと素直な反応ができたんだろう。
黙っているわけにもいかないのに、言いたいことがよくわからない。
嫌いじゃないし、怒っても恨んでもいない。
会えて嬉しいのかと言うと、多分嬉しいんだと思う。
喪失した二十年を、すぐに埋めるのは難しいんだ。
「子供の頃、毎日が辛かった。それでもその日々があったから大切な人に出会えた。俺は今、幸せです。なかったことにしたくないぐらい、今を大切に思います」
この人が後悔している過去の出来事。
悔やんでも取り返しがつかないことなら、いつまでも囚われていて欲しくない。
「俺は彼女と共にここで生きていくことに決めました。これからはあなたの傍にずっといます」
父も俺も、この後何も喋らなかった。
語らうための言葉がまったく出てこない。
それでも俺に抱きついて泣いている父の姿を見ていると、積み重ねられた大きな愛情を感じ取ることができた。
俺の年齢は、現在二十三才ということだった。
つまり三つの頃に誘拐されたわけだ。
当時の俺は、無邪気に周囲に甘えて愛嬌を振りまく可愛らしい子供だったらしい。
どうしてそんな話を聞いたのかというと、俺が父親と会話ができなくて悩んでいることを察したお嬢様が、何か会話のきっかけになる物がないかと考えて、思い出の品が残っていないか爺さんに尋ねた所、連れて行かれた先の部屋で思い出話が始まったからだ。
爺さんは、俺とお嬢様の部屋に日参する。
俺達の警備の責任者でもあり、自ら扉の外に立っていることもあった。
お嬢様は爺さんが高齢なことを気にしてか、時々室内に招いて茶を出して、世間話をしがてら城内のことや昔の話を聞いていた。
「エドモンさん、クロの小さい頃のもの、何か残っていないかしら? できれば、お父様との思い出があるものがいいのだけど」
「はい! 殿下の面影を残す物は全て残してございますぞ!」
爺さんが張り切って案内してくれたのが、俺が幼少の頃に与えられていた部屋だった。
二間続きになっていて、奥には寝室があり、手前の部屋は日中遊ぶために整えられたもので、余計な家具がない分、広く感じられた。
部屋の隅には箱が幾つか並べられていて、積み木や独楽などの玩具が入っていた。壁は空色に塗られ、簡略化された太陽や雲の絵が描かれている。床全体が毛の長いふかふかの絨毯で覆われているのは、多少転げまわっても怪我などしないようにとの配慮だろう。
幼い頃の俺が毎日遊んでいた場所。
なんとなく覚えているような、いないような……?
既視感を覚えて部屋を眺めまわしていると、爺さんが楽しそうに昔話を始めた。
「殿下は元気なお子でしての、乗馬に興味を持たれた時には、儂が馬になってこの部屋で駆け回ったものです。陛下も時々馬になっておられました。そのおかげか、殿下は陛下が会いにこられると喜んで駆けていかれるようになりました」
……なんだろうな、申し訳ない気分になった。
いや、多分、父親に遊んでもらえて嬉しかったんだと思うぞ。
決して、馬役が来たと喜んだわけではないと……思いたい。
「この部屋は大切な思い出を残しておくためのものだったのですね」
お嬢様の言葉に、爺さんが頷いた。
「はい、殿下が子供ではないお年になられましても、この部屋が残っていれば、少しは懐かしさを感じていただけるかと思い、今日まで残しておりました。殿下の思い出は我々にとっても忘れがたい大切なもの、王妃様が亡くなられた後、陛下はお一人でこちらにおられることが増えましたな……」
あの人が一人でこの部屋にいる所を想像したら、胸が痛くなった。
子を奪われた両親の嘆きが、今にも聞こえてきそうな錯覚がする。
十年前に死んだ母は、体が弱り動けなくなるまで俺を捜し歩いたそうだ。
騎士と魔術師を率いて捜索をするたびに、幾つもの非合法な取引をしていた奴隷商人を捕え、救い出した子供達を親元に帰し、帰る場所のない子は城で養育して仕事を与えた。
今でもこの城には、そうやって救われた元奴隷が働いていたりする。
母の死期を早めた原因は不眠だった。
生来病弱で他者よりも多く休養を取らねばならない体なのに、攫われた俺の身を案じるあまり、薬を使っても眠ることができなかったという。
両親の愛情は引き離されても変わることなく俺に注がれていた。
無償の愛を受け取ることも返すこともできないまま、会えなくなってしまった母を思うと、やりきれなさと悔しさを覚えた。
お嬢様の手が、俺の手に触れる。
この手だけがあればいいと思っていた。
俺を愛してくれるのはこの人だけだったから。
でも、そうではなかったことを俺は知ってしまった。
「まだ間に合うよ、お父様には会えたもの。お母様も、あなたがここで幸せに暮らしていればきっと安心して喜んでくださるわ」
お嬢様の言葉に頷いた。
まだ全部失ったわけじゃない。
後悔する前にやれることはたくさんある。
翌日、さっそく行動に移す。
朝食を食べ終えてすぐに、父の執務室を訪ねた。
「父上、一緒に狩りに行こう!」
失った時間は埋めて行けばいい。
離れていた間のことを知ってもらい、知ればいいんだ。
まずは俺が一番得意なことから見てもらおう。
「狩りか、お前と二人でならどんな魔獣を相手にしようとも倒せそうだな」
俺の誘いに、父は嬉しそうに乗ってきた。
今日の執務は午後からにすると宣言して、剣を持って立ち上がった。
「陛下、殿下、我らもお供いたします!」
外へ出ると。騎士と魔術師達が慌てた様子で駆けて来た。
さすがに王と王太子が揃って外出となれば大騒ぎになるか。
狩場は近くだし、心配はいらないと思うのだが、護衛団が結成されるのを黙ってみている。
「クロ、いってらっしゃい!」
愛しい人の声に、城を振り返れば、お嬢様が笑顔で手を振っている。
いつもの日常が戻ってきた。
俺は今まで幸せだったけど、これからはもっと幸せになれそうだ。
父にも寂しい思いはもうさせない。
守るものがたくさん増えた。
乗り気じゃなかった王太子の地位だけど、ここにいる大事な人達を失わないためなら頑張ってもいいなと思えた。
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