お嬢様のわんこ

第二章・わんこ、お嬢様への愛を叫ぶ・14

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 朝食を終えると与えられた執務室に向かうのが、最近の日課だ。
 いずれここで仕事を行うそうだが、今は単なる勉強部屋となっている。
 歴史と政治、王族用の礼儀作法を教える教師が日替わりでやってきて、王太子教育が始まる。
 最初に受けた試験で、その他の授業は免除された。
 それはそうだろう、俺は旦那様から最高水準の教育を施されている。商人に必須の算術、地理、語学、話術は、政務に携わる者にも有用な知識だ。
 半年後に結婚式を挙げる頃には、現在受けている教育も終えられる予定らしい。

「今日はここまでに致しましょう」

 昼過ぎから受けていた歴史の授業が終わった。
 ロー王国の成り立ちから始まり、歴代の王の業績や、時々に起こった災害や事件、争いなどを順番に覚えていっている。
 父上の代まで行くのに、あとどのぐらいだろう?
 教科書代わりの分厚い歴史書は、まだ十冊ほどある。

「はーい、みんな! こっちに来て、並んで!」

 窓の向こうからお嬢様の声が聞こえた。
 窓は中庭に面していて、空気の入れ替えのために空けてある。
 近寄って覗き込んだ。
 部屋は二階にあり、高い場所から庭を見渡す。
 中央の青々とした芝生の上で、お嬢様が犬を横一列に整列させているのが見えた。
 番犬達は戦闘訓練を受けた短毛の厳つい大型犬ばかりだ。
 愛玩用の小さくてモフモフしたわんこではないのに、お嬢様は奴らを嬉しそうに眺めている。

「少しだけ撫でさせてね」

 列の端にいた犬が撫でられた。
 お嬢様は目の前にいたそいつを満足そうな笑みを浮かべて触っている。
 頭と背を一通り撫で終えると、彼女は次の犬に手を伸ばす。
 犬どもにも、お嬢様の神の手のごとき撫で撫での素晴らしさがわかるのか、騒ぐことなく身を任せていた。

「あーん、可愛い! こんなにたくさん犬がいるなんて嬉しいっ」

 ああ、お嬢様!
 そいつらは全員牡なんだよ!
 抱きしめて頬を摺り寄せたりとかしちゃ駄目だ!
 あ、こら、そこのお前! お嬢様のお顔を舐めるな!
 俺のお嬢様に、他の野郎の匂いが付いてしまう!
 それだけは許せん!

「ラファル殿下、本日の晩餐に招待する臣下のリストをお持ちし……って、何をしているんですか!」

 部屋に入ってきたらしいパトリスが慌てた声を出していたが、構わず服を脱ぐ。
 別に露出狂の気があるわけではない、変身のためだ!

 獣人の変身能力である獣化は二種類の形態がある。
 一つは人獣化とも呼ばれる、今まで俺が使ってきた人と獣の特性を合わせた姿になること。
 もう一つの変身は完全なる獣へと己の姿を変えること。
 服についてはその場に置いておくしかないので、先に脱いでしまったのだ。

「とう!」

 黒狼の姿に変わり、掛け声をかけて、窓の外に飛び出した。
 二階ぐらいの高さなら、飛び降りても平気。
 問題なく地面に着地して、お嬢様の下へ走る。
 お嬢様、あなたの犬が今参ります!




 何食わぬ顔をして、犬達の列に加わった。
 この場にいる犬達を威圧で追い払うこともできたが、下手なことをしてお嬢様の不興を買うわけにはいかない。
 隣で可愛がられている犬どもを睨みながら、おとなしく順番を待つ。
 やがて全ての犬が撫でられて、お嬢様が俺の前に来た。
 彼女は俺が他の犬と違うことに気づいて、不思議そうな顔をした。

「あら? この子は犬ではないのね、もしかして狼? すごい、これが黒狼なのね。わー、綺麗な毛並み!」

 毎日あなたに洗われているからですよ、お嬢様。
 さあさあ、遠慮せずに撫でてください。
 頭でも尻尾でも差し出しますよ。

「触り心地もいいわね。ふふ、あなたクロと似た匂いがする、彼の尻尾も同じような感触がするの」

 そうです、俺はあなたのクロです。
 声を出すこともできるのだが、黙っていた。
 このままただの狼として可愛がってもらうのだ。
 お嬢様の関心を、番犬どもから逸らすために。
 ちらりと横目で犬達の方を見ると、こちらを気にしながら離れていく姿が見えた。
 よしよし、空気を読む奴らで良かった。
 後で餌係に、あいつらの夕飯は豪華にするようにと伝えておこう。

 お嬢様の顔が近くにきた時を見計らい、頬を舐めた。
 他の犬がつけた匂いを、俺の匂いで上書きするんだ。
 身を乗り出して顔面を舐めまくる俺に対して、お嬢様は笑い声を上げた。

「もう、だめよ。顔中、涎まみれになってしまうわ」

 やりすぎたかと、慌てて舐めるのを止める。
 お嬢様はまだくすくす笑っていて、俺の頭から背をゆっくりと撫でた。
 首の辺りを擦られて、気持ち良さに目を瞑った。

「人懐っこい子なのね、ここが気持ち良いの?」

 お嬢様の手が触れた場所ならどこでも気持ち良いです。
 きゅんきゅん甘えた声を出しながら、地面に寝転がる。
 腹を見せるのは服従の証。
 お嬢様は永遠に俺のご主人様です。

「ああんっ、このふさふさした毛皮が素敵!」

 お嬢様が興奮している。
 初めは遠慮があったのだが、俺が無抵抗で受け入れるものだから、段々と手つきが大胆になってきた。
 全身をくまなく撫でて、顔をこすり付け、俺の毛皮の感触を楽しんでいるようだ。
 ご満足いただけて、俺も嬉しいです。

「リュミエール様、お時間ですので、室内にお戻りください」
「はーい、すぐに参ります」

 休憩の時間が終わったのか、侍女が呼びに来た。
 お嬢様は名残惜しそうに俺から離れると、また頭を撫でた。

「今日はありがとう、また会えたら撫でさせてね」

 尻尾を振りながら、ひと声吼える。
 了承の意味だと伝わったのか、お嬢様はにっこり微笑んだ。




 彼女が立ち去ると、俺も部屋に戻る。
 建物の前に着くと跳躍し、開きっぱなしになっていた二階の窓へと飛び込んだ。

「お帰りなさいませ」

 部屋にはパトリスがいた。
 そういや、窓から飛び出す前に入ってきてたな。
 奴は中庭の様子をずっと見ていたのか、生温い視線を送ってくる。

「何だよ?」
「いえ、お幸せそうでなによりです」

 パトリスは棒読みでそう言うと、手に持っていた紙を机の上に並べだす。
 その間に服を着込んだ。
 卓上に置かれた紙は、晩餐に招いた者の略歴が書かれたリストだ。
 王太子になるなら、主要な臣下のことは知っておかなければならない。
 一度に全員と会っても覚えられないので、こうして数名ずつ招待して話す機会を設けることにしていた。

「殿下、今宵の晩餐にはもう一人、国内で人気の劇作家を招いております」
「劇作家?」
「はい、彼には殿下とリュミエール様の物語を書いて頂こうと考えています」

 なんのために?
 俺の疑問に、パトリスが答える。

「多くの国民は幼い頃の殿下のことしか知りません。リュミエール様のことも、殿下がお連れになられた女性というだけで素性も明らかではない。だからこそ、物語という形でお二人の過ごされてきた歳月を形にすれば、国民も身近に感じることができるようになると考えたのです」

 作品は芝居だけではなく、絵本や歌にもして様々な層や年代に広く伝える計画だそうだ。

「もちろん、真実に少しばかり脚色は加えますよ。伏せておいた方が良い事もありますからね」
「その辺は任せる。俺はどうでもいいけど、お嬢様のことだけは良いように書いておけよ」
「わかっております。目的は国民がお二人を身近に感じ、好意を持つように伝えることですから」

 後日、改めて劇作家と面談し、おおまかなシナリオを決めた。
 攫われて奴隷にされ、不遇の身の上から救ってくれた少女を守りつつ、冒険者となって旅をするという流れに作家は物凄く食いついた。
 創作を混ぜて脚色は派手にしても良いと告げると、さらに興奮の度合いが高まった。

「素晴らしいお話です! お二方の純粋な愛と、血沸き肉躍る冒険の日々! これほどの題材を不肖のこの身にお任せいただけるとあれば、必ずや老若男女が夢中になる大作を書き上げてみせましょう!」

 国の重鎮に推薦されるだけのことはあり、作家が描いた俺達の物語は全く間に国民に広まり支持を得た。
 さらにこの話を元に別の作家が創作をして、様々な劇や歌や本が作られていく。
 作られたものは、まず俺が確認してから世に送り出している。
 物語の中でも、俺とお嬢様は愛し合う。
 時々、これは俺なのかと疑問に思うほど王子が美化されていることがあるのだが、そんなことは問題にならないほど物語の中でもお嬢様は実物と寸分違わず愛らしく、美化する余地のない素晴らしい女性であることを再認識するのだった。

「そういうのを惚気と言うのですよ」

 物語の感想がてら、お嬢様について語ると、パトリスがうんざりした口調で言った。
 何を言う、俺にとっては真実だ。
 お嬢様は世界で一番優しくて可愛い人。
 聞き手に構うことなく俺は話し続ける。
 愛しい彼女への無限の愛と賛辞を。

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