クラーラさんのお店番


 プラターネ家の一階を改装して作られた、錬金術の店【ヴィオラーデン】
 錬金術という言葉を初めて聞く者ばかりの田舎の村のこと。
 最初は何を売る店なのか誰にもわからず、入ってみれば雑多な品揃えで、店主がいくら錬金術のお店だと主張しても、雑貨屋のようなものかと思われていた。
 近頃は本当に不思議なアイテムが陳列されることが増えて、錬金術と雑貨の違いも徐々に理解されつつあった。

 クラーラが店番を申し出て、カウンターに立つようになって、かなり経つ。
 最初は緊張していたが、開店当初は知り合いばかりが利用していたこともあり、経験を積んだおかげで接客にも慣れた。
 今では一人で留守を預かり、店を開けることも苦ではない。
「いらっしゃいませ。あら、ロードフリードさん」
 店に入ってきた客に、にこやかな笑顔を向けると、よく見知った彼だった。
「こんにちは、クラーラさん。ヴィオはいるかな?」
 入ってくるなり親友ではなく、その妹の店主の姿を探す様子に、クラーラは噴き出しかけた。
(相変わらず、わかりやすい人ね)
 これだけ態度に出しているのに、なぜか幼馴染の兄妹だけは気づいていない。
 距離が近すぎる故なのか。
「ヴィオなら、バルトロメウスさんと一緒に村近くの草原に出ているわ、フェストが欲しいんですって。夕方には帰って来るんじゃないかしら?」
「そうですか。……どうせ行くなら、俺にも声をかけてくれればいいのに」
 受け答えの後に、小さな声で呟かれた不満を聞いて、クラーラはまたまた笑いを堪えるのに苦労した。
「ふふっ、……今日は何かご入用ですか?」
 声をかけられて、ロードフリードは少し焦った顔で店内を見回した。
「ええ、そうなんです。ちょうど欲しいものがあって……」
 嘘だろう。
 即座にクラーラは見抜いて、笑みを深めた。
 ヴィオラートに会いたかったのだと正直に言うほどには、クラーラと彼は親しくないし、冗談にも受け取ってもらえない。村で生まれ育った彼は、田舎の女達の噂話の恐ろしさを知っている。下手なことを言えば、情報は人の口を伝って光の速さで村中を駆け抜けた。
 ここでクラーラにヴィオラートへ恋情など抱いていると知られれば、翌日には村人全員から好奇に満ちた目で見られるのは容易く想像できた。
(もう、みんな知っていることだけど)
 ロードフリードが特別に親しくしている異性はヴィオラートだけだ。
 村の女性達からは優れた容姿と紳士的な優しさで人気のある彼だが、誰もが本気で恋しようとは思わないのは、幼い頃からヴィオラートに夢中なことを知っているからだ。
 クラーラも目の保養になるとは思うものの、だからといって憧れたりはしない。
 村一番の功労者が彼になっても、婿養子の話は辞退してくれるはずだから、ヴィオラートの次に応援したい人物だ。
 では、バルトロメウスが一番になったら……と、考えて少しばかりドキドキする。それは恐怖ではなくて期待からだ。面白くて、優しくて、いざという時は頼もしい彼のことを知るにつれ、以前は感じたことのない好意が胸の中には育っている。
 祖父が功労者との結婚話を言い出した時は、変な人と結婚させられたらと想像が膨らみ、夜も眠れなくなるほど怖くなったが、今は少しだけ安心している。
 現在、村に最も貢献しているのは間違いなくこの店で、ここで働く人達なのだから。




「今日はこれを頂きます。たまにはこういう物も欲しくなるんですよ」
 迷ったあげく、ロードフリードがカウンターに差し出したのは、普段の彼なら絶対に買わないであろう【謎の仮面】だった。
 表面上の笑顔は涼しげなものだが、内面は取り繕うのに必死な様子が窺える。
 クラーラは、商品と彼を交互に見やり、にっこりと微笑んだ。
「今日はおまけしておくわ、半額でいいわよ」
 ヴィオラートからは、多少の値引きの許可はもらっている。
 いつも押しの弱さで値切り客に流されるままに応じてしまい、諦めたヴィオラートが彼女が気に病まないようにと仕方なく許可を出したのだが、天然なクラーラは言葉通りに受け取っていた。
 しかし、ロードフリードは値引きの申し出に良い顔をしなかった。
「正規の値段でいいですよ。あまり安売りすると、後でヴィオが困るでしょう」
「大丈夫よ、今日は一度も値引きしていないもの。これから来るお客さんにもしないわ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「ヴィオがいないのが悪いのよ、せっかく会いに来てくれたのにね」
 渋っていたロードフリードは、平静だった顔を一気に赤面させた。
 珍しい表情を見たと、クラーラはからかいが成功して楽しくなった。
「クラーラさんは、バルテルとお似合いだ!」
 彼の目には、クラーラと悪戯好きの親友の姿が重なったらしい。照れ隠しに怒鳴ると、謎の仮面を小脇に抱え、代金を置いて出ていってしまった。
 残されたクラーラは一人で笑う。
 優しい彼なら、こんな程度のからかいは時間が経てば許してくれるはずだ。
「それにしても、バルトロメウスさんとお似合いかぁ。うふふ、言われてこんなに嬉しくなるなんて思わなかったわ」
 立ち上がると、機嫌よく店内を見て回り、ハタキを使って埃を払う。
「ヴィオの家にあるハタキ、何年も使ってるって言ってたわね。でも、私のハタキの方が柄には鉄も使ってあるし、丈夫なんだけど、どうしてすぐに壊れるのかしら?」
 それはあなたが怪物をハタキでどつきまわしているからです。
 そのようなツッコミを彼女に入れてくれる人は誰もいなかった。




 夕方、帰宅したヴィオラートに、クラーラが今日の売り上げを記した帳簿を差し出してきた。
「かわいそうな人がいると、つい値引きしてあげたくなっちゃって」
 いつもと同じく、すまなそうに言うクラーラに、引きつった笑みを返したヴィオラートは、値引きしたという商品と顧客の名前を確認した。
「あれ? ロードフリードさんが謎の仮面を? ブームが来たわけでもないのに?」
 ヴィオラートは帳簿を穴が開くほど見つめてきょとんとした。
 まず彼が買った商品が、意外過ぎて驚いた。そして、値引きされていることも。
 クラーラは、なんと言ったのか。
 かわいそう?
 ロードフリードが?
「謎の仮面が欲しかったのにお金が足りなかったの? 家に飾るのかな? それともプレゼント?」
 どれほど考えてもわからない。
 助けを求めるように、クラーラへと視線を向ける。
 彼女は周りを和ませる微笑を浮かべていた。
 視界の隅で、デレデレ鼻の下を伸ばして、クラーラを見つめている兄の姿があったが無視しておく。
「クラーラさん、ロードフリードさんは何か言ってましたか?」
「伝言はないわ、ヴィオに会いたかったみたいだけどね」
 悪気なく、クラーラは言った。
 ヴィオラートは帳簿を抱きしめて俯いた。
 ロードフリードは、何か相談事があったのかもしれない。
 クラーラが同情を覚えるほど、彼は憔悴しきった顔で店に来たのだろうか。
 いつも見守ってくれて、危ない時や困った時には助けに来てくれる大切な人の一大事なら、今度は自分が助けに行かねばと、ヴィオラートは奮起した。
「あたし、ちょっと行ってきます! クラーラさん、迷惑ついでにお兄ちゃんの夕ご飯もお願いします!」
 帳簿を机に置くと、扉を開けて外へと駆けだして行く。
(家にいるかな、酒場にも良く行っているみたいだし、いつも鍛錬をしているって言ってた村はずれの川の近く?)
 彼がいるであろう場所を思い浮かべて、ヴィオラートは全力で走った。

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