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見張りの交代のため、真夜中にロードフリードは目を覚ました。
眠りは浅かったが、休息は十分取れた。
代わりにヴィオラートは夢の中にいる。
隣でこちらに寄りかかるようにして眠っている彼女を、倒れていかないように手で支えて引き寄せた。
信頼してくれるのは嬉しいが、男として意識されていないことが悲しくなってくる。
(こういう所はまだ子供のままなのかな、恋愛に興味があるようには思えないけど)
店の客の中には、彼女をナンパしてくる者もいるそうだ。ただ、ヴィオラートが言うには、彼は女の子になら誰にでもそういうことを言う人だからと、本気にしていない様子で笑っていた。
ロードフリードの方は気が気ではないというのに、彼女の世界は広がっていき、男の知り合いも着実に増えていた。
(武器屋の彼との仲も、ちょっと気になるし)
ハーフェンで武器屋をしているダスティンは、力仕事を生業とするだけに鍛え上げた体を持つ健康的な若者だった。
荒くれ者だらけの冒険者と対等に渡り合って仕事をしている割には、女性や子供には優しく、柄の悪い冒険者に絡まれていたヴィオラートを助けてくれたこともあったらしい。
鉱石を加工したいと、武器屋の工房に置いてある釜や溶鉱炉を欲しがったヴィオラートに設計図を書いてくれたりして、親切な人だと彼女が褒めていた。
何度かヴィオラートの護衛で一緒に行動したことがあるが、生来の人の好さに好感を持つのは早かった。
本人は仕事一辺倒で、ヴィオラートのことも職人仲間か取引相手ぐらいにしか思っていないのだが、何がきっかけで相手への感情が変わるかはわからない。
(余計な心配をしているより、行動を起こすべきなんだろうな)
無垢な寝顔で熟睡している思い人を見つめ、その時を思い浮かべては逡巡する。
(俺はバルテルとは違うんだ。いつまでもヴィオのお兄ちゃんではいられない)
離れて過ごした六年間で、ヴィオラートの存在を強く意識するようになった。
昔は、会いたいと思えばいつでも会えた。
懐いてくれる彼女が可愛くて、夕方に別れる時には妹と手を繋いで帰っていくバルトロメウスが羨ましくて、自分もヴィオみたいな妹が欲しいと両親にねだって困らせたこともある。
当たり前すぎて、気がつかなかった。
素直で明るい彼女の笑顔に、どれだけ癒されていたのかを。
カナーラント王国を守護する竜騎士隊。
竜を狩れるほどの強者の集まりとして、冒険や英雄に憧れる少年達の憧れの的だった。
ロードフリードも十二才になると、幼い頃からの夢であった竜騎士を目指して、首都ハーフェンへと旅立った。
首都に置かれた竜騎士候補を養成する騎士精錬所では、厳しい訓練が待っていた。
それ自体は予想していたことであり、望むところでもあった。
入ったばかりで目立たない内は良かった。
一心不乱に稽古に打ち込んだ成果が表れて、上官達の注目を集めた頃から、周囲の様子が変わり始めたのだ。
ロードフリードは、ここでハーフェンが都会であったことを思い知らされた。
穏やかで優しい人達ばかりだった村とは違い、都会には心に闇を持つ様々な人がいた。
貴族という存在には特に悩まされた。
精錬所の同期には貴族の子弟もいて、その一部の者に妬まれて、田舎者が調子に乗っていると、聞こえよがしに陰口を囁かれたり、物を隠すなどの低俗な嫌がらせを受けることもあった。
さらに国の有力貴族達がたびたび訪れては、訓練風景を見学していく。
名目上は、精錬所に支援をするための視察とのことだったが、横柄な態度で騎士や候補生達に命令し、己の権力や金の力を誇示して相手を黙らせては悦に入っていた。
そんな彼らに同行してくる妻や娘達も、苦手な人種だった。
香水の匂いを振りまいて、豪華なドレスと装身具を身に着けた煌びやかな女性達は、候補生達を値踏みしながら、楽しそうに何事かひそひそと囁き合う。
ロードフリードにも視線を送ってくる人達は多くいて、まるで品評される家畜にでもなった気分だった。
竜騎士隊は国の組織である。
国家の中枢を担う貴族達を無下にはできず、不愉快な訪問を許容していた。
ここで、騎士への憧れに小さな亀裂が生じる。
英雄の物語は所詮理想に過ぎないと、少しずつ現実を見るようになっていく。
同期にも、田舎の村から来たという同じ境遇の者達がいて、心を許せる友はできた。
訓練の合間に、彼らと一緒に街や湖に遊びに出かけたりして、殺伐とした日々だけを過ごしてきたわけではなかった。
それでも、心からの癒しを欲した時、思い出すのは幼い頃を過ごした村と、そこに住まう人々のことだった。
ここにバルトロメウスがいてくれたら、ヴィオラートと過ごすことができたらと、つらくなった時は村から届いた二人からの手紙を眺めて、山向こうにある遠い故郷に思いを馳せた。
貴族の同期に馬鹿にされないようにと、騎士に必要な礼儀作法や言葉遣いを完璧に身に着け、正規の竜騎士でも滅多に持つことのない【竜の加護】を得ると、ロードフリードへ向けられる周囲の期待は一層高まった。
しかし、華々しい場所には必ず要人として貴族が招かれている。
表面上は上品で礼儀正しい振る舞いをしているのに、言葉と心は必ずしも一致せず、己の利益を引き出すために駆け引きを繰り広げる人々と接するのは、ロードフリードにとって堪えがたいことだった。これなら剣一本を携えて怪物の巣に飛び込んだ方がマシだとすら思えた。正規の騎士になりたいという少年の夢は、現実を目の当たりにすることで、すでに大きく揺らいでしまっていた。
卒業を目前にすると、村に戻る決意が固まった。
周囲の人々は驚き、考え直すようにと何度も言ってくる。特に指導教官役だったローラントは、ロードフリードの才能を惜しんで、熱心に竜騎士隊に入るようにと説得してきた。
上昇志向が強すぎて戦いになると血の気の多い上司だが、貴族でありながら案外善良で面倒見のいい彼のことは嫌いではなかったし、尊敬もしていた。
ちらりと、幼い頃に憧れた英雄譚を思い出す。
竜騎士隊に入れば、叶えられる夢はある。
同時に、捨てるものも多いのだと知った。
得るものと失うものとを天秤にかければ、答えは簡単に出てくる。
竜騎士になって得る栄誉と称賛に未練がないとはいわない。
ただ、それらは一時のことであり、永遠に失いたくないものには敵わなかったというだけのことだ。
ロードフリードの傍らには、選んで残った愛しい存在があった。
幼い頃は何も考えずに好きだったのに、大人になってしまった今では、歪な執着も伴っていて我がことながら恐ろしいぐらいだ。
『ろーにぃ! 遊ぼう!』
小さな体で元気いっぱい、こちら目がけて走ってくるヴィオラートを懐かしく思い浮かべた。
次に、村に帰ってきた所を迎えてくれた、彼女の驚いた顔が浮かんでくる。
面影は残っていたがさらに女の子らしく成長した姿にこちらも驚いたのだが、彼女が発した言葉に冷水を浴びせられたような気がした。
『お帰りなさい、ロードフリードさん』
笑顔でお帰りなさいとは言ってもらえたものの、微妙に距離を置いたような大人びた呼び方に驚愕した。
すぐにバルトロメウスがやってきて、衝撃は霧散してしまったものの、その後もヴィオラートは村の年長者に話すように敬語交じりの話し方をするようになってしまった。
「ロードフリードさん、は正直言ってショックだったな」
寝ているヴィオラートを起こさないように小声で彼は呟いた。
昔のように駆け寄って飛びついてきてくれるのだと思い込んでいた分、余計に落ち込んだ。
子供にするように彼女の頭を撫でてしまうのは、抱きついてきてはくれない寂しさを埋めるためでもある。
「もう慣れたけど」
これで良かったのかもしれない。
離れてしまった距離は、別の形で縮めるべきだ。
「お店も軌道に乗ってきたし、そろそろ動くべきかな」
必死で錬金術やお店と向き合う彼女を煩わせたくなくて、積極的に動いてはこなかったが、いつまでもこのままではいられない。
思考をまとめつつ、ヴィオラートの寝顔を堪能していると、彼女の口が少し動いた。
「……んにゃ……、お兄ちゃ……、あたしのにんじん……食べちゃ……だめ……」
彼女らしい寝言に噴き出しそうになる。
やっぱり彼女は可愛い。
「バルテルはにんじんなんて取らないよ。ヴィオのおかげで食べ飽きてるんだから」
ロードフリードは微笑ましく眺めやると、耳元でそっと囁いた。