二人での旅路


 翌日、ファスビンダーに着いたのは、夕暮れより少し早いぐらいの時間だった。
「まだミーフィスさんのお店開いてるかな。今日に買えれば、明日の朝には出発できるし、行ってくる」
「じゃあ俺は、宿の手配をしておくよ」
 宿を兼ねた酒場【酒と俺亭】の前で別れ、ヴィオラートは街の奥にある酒蔵を目指して駆けて行った。
 ロードフリードは扉を開けて、酒場に入る。
「こんにちは、ザヴィットさん」
「やあ、君か。久しぶりだな」
 店主のザヴィットがカウンターの向こうで出迎えてくれる。
 この街に来れば、ここで宿を取って酒を飲んで帰るので、顔を覚えられている。ヴィオラートの連れということもあるのだろう。
「お嬢さんはどうしたね?」
「先に酒蔵の方へ買い物に行ってますよ。お酒の仕入れだそうです。俺は宿の部屋を取りにこちらへ来ました」
「ふむ、部屋か。困ったことに今日は泊まり客が多くてな。一部屋しか空いていないんだが、構わないかね」
「その部屋は二人部屋ですか?」
「生憎と一人部屋だ。もちろん料金は一人分でいいし、必要なら長椅子を貸し出そう」
 知り合いだからこその配慮だ。
 宿泊を断られても仕方がないのに譲歩してくれている。
「部屋は押さえておいてください。寝る時どうするのかはヴィオに聞いてみます。ちなみに、ここで座って夜を明かすっていうのはできますか?」
「遅くても酒場は閉めてしまうからな、できることなら部屋で寝た方がいいぞ」
「そうですか」
 とりあえず、ワインを一杯注文しておく。
 店主自慢の極上ワインを味わいつつ、ヴィオラートが戻ってくるのを待つ。
 店内には数名の客がいたが、まだ夕食時には早いので静かに飲んでいる者ばかりだ。




「ロードフリードさん、お待たせ!」
 しばらくすると、ヴィオラートが入ってきた。
 無事に買い物はできたようで、にこにこしている。
「その様子だと、祝福のワインとファスビンダーは手に入ったのかい?」
「うん、ばっちり。明日の朝に間に合うように揃えておいてくれるって」
「そりゃ良かった。明日は予定通りに出発できそうだな。ところで、少し困ったことになってね」
 ロードフリードは、ヴィオラートに宿の部屋が一部屋しか取れなかったことを告げた。
「平気だよ、一緒に寝よ。ここのベッド大きいから、二人で寝ても落ちないって」
 あっけらかんと、同室を受け入れた上に、ベッドの共有まで言い出したヴィオラートに、ロードフリードは唖然とした。
 近くで聞いていたザヴィットも珍しく動揺していた。彼は心配そうに、二人の様子を窺っている。
「え、いいのかい? 俺と一緒に寝るんだよ?」
「昨日も一緒に寝たじゃない。それと同じことだよ」
(いや、違う! 同じじゃない!)
 ロードフリードは叫びたくなった。
 昨日は野営地で人の目があった。確かにくっついていたが、互いに服はしっかり着込んでいた。
 他に誰もいない密室で、薄着で眠る今夜とはわけが違う。
「それに信頼してるから。ロードフリードさんは、あたしが嫌がることはしないでしょう」
 一かけらも疑うことのない曇りのない眼を向けられて、ロードフリードは頷くことしかできなかった。
「大丈夫かね?」
 気遣わしげに、ザヴィットが声をかけてくれた。
「はい、ええ、我慢するのは慣れています。今更血迷って、おかしなことにはなりませんよ」
 ははっと、乾いた笑いを零すと、ザヴィットは首を横に振った。
「そうではなく、何となくだが、お嬢さんもわかってやっているんじゃないのかね。チャンスを逃すと、後で悔やむことになるぞ」
 ヴィオラートに聞こえないように小声で彼は囁いた。
 渋みを帯びた男の助言は、混乱した心に妙に沁みた。




 部屋には衝立が置いてあり、着替えはそちらの影ですることで乗り越えることができた。
 ヴィオラートはふんわりとした若葉色のネグリジェに着替えて、ベッドの端に腰かけている。
 寝間着に着替え終えたロードフリードは、その光景を見て眩暈を起こしそうになった。
(よりによって、どうしてそんな可愛らしい寝間着を持ってきたんだ)
 彼女の姿が初夜の寝床で夫を待つ、愛らしい新妻にしか見えない。
 動揺しまくるロードフリードとは対照的に、ヴィオラートは子供の頃のお泊まり感覚で楽しんでいるようだ。
「あたし、こっち側で寝るね」
 嬉しそうにベッドに上がると、ぽんぽんと自分の陣地を叩く。
 枕は二つ用意してもらえた。
 ヴィオラートは少し端に寄りながら掛け布の中に潜り込む。
 場所を譲ったのは、自分よりずっと体格の大きいロードフリードに気をつかったと思われる。
「おやすみなさい、ロードフリードさん」
「おやすみ、ヴィオ」
 苦笑して、ロードフリードもベッドに入った。
 変に意識をすることなく、子供の頃を思い出せば、穏やかに眠りにつけそうだ。
 目を閉じると、すぐ隣にある温もりを感じる。
(だめだ、意識しないとか無理)
 少し前の思考を全否定して、寝返りを打ち、ヴィオラートに背を向ける。
 いないものと思えばいい。
 いや、思い込め。
 自分自身に命令して、感じる気配をなかったことにしようとする。
 体感にして、長い時間が過ぎた。

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