都会の薔薇は美しく咲き誇る


 ヴィオラートは、翌日さっそく訪ねて来た。
 なんの悩みもなさそうな能天気な顔を見て腹が立ち、昨日のロードフリードが見せた笑顔を思い出すと苛立ちが増した。
 ろくに話もせずに、泥棒扱いをして追い出した。
 コインを投げつけたのだって、貶めてやりたかったから。
 ヴィオラートは犬嫌いなのか、番犬に吼えられて泣きそうになっていて、こちらが帰れと凄むと慌てて出ていった。
 そこまでやって、胸が空くかと思えば、その逆だ。
 ブリギットはベッドに突っ伏して、自己嫌悪に苛まれた。
「私、何をやっているのかしら?」
 これでは物語のヒロインというより、ヒロインに意地悪をする悪役だ。
 ここまで自分は性格が悪かったのかと呆れてしまう。
「嫌いよ、あんな子。大っ嫌いっ」
 年が同じだから、同性だから、自分と違って未来のあるあの子が妬ましい。
 一緒にいたら、きっと嫌な言葉しか出てこない。
 自分を惨めにさせる、あんな子と仲良くなんてできるわけがない。

 部屋に籠っていても、気が滅入るだけなので、表に出ることにした。
 村はずれということもあり、屋敷の周辺にはにんじん畑しかない。
 なんとも寂しい光景だ。
 行く当てなどなく川沿いを散歩をしていると、剣を振っている人影が見えた。
(ロードフリード様)
 鍛錬中なのか、川べりで剣を振る姿は絵になっていて、ブリギットは彼の真剣な横顔に魅せられて足を止めた。
(素敵な人)
 嫌な気持ちを忘れるぐらい、それは心に残る光景だった。

 動くことも忘れて見ているブリギットに、ロードフリードの方が気がついた。
「こんにちは、ジーエルンさん」
 剣を納めた彼は、昨日と変わらない紳士的な態度で挨拶をした。
「ごきげんよう、ロードフリード様。私のことはブリギットと呼んでいただいて構いませんわ」
 親しくなりたいとの思いを込めてそう提案しても、ロードフリードは故意かそうではないのか、返事をしなかった。
「ところで……、ヴィオラートはお宅を訪ねましたか?」
 彼が聞きたかったのは、ブリギットのことではなくて、あの娘のこと。
 消えたはずの嫌な気持ちがまた戻ってくる。
「先ほどお会いしましたわ。……お友達になりましたの、楽しい方ね」
「そうでしょう、彼女と一緒にいると楽しいんです」
 ブリギットが咄嗟についた嘘の罪悪感を覚える前に、ロードフリードは見惚れるような笑顔で言った。
「ヴィオラートとその兄のバルトロメウスとは、物心ついた時から共に遊んでいたんです。村中を駆け回っていたから、思い出のない場所なんてない。そうそう、この川べりではね……」
 ロードフリードは楽しそうに、昔話を聞かせてくれた。
 無邪気な子供達が川遊びをする姿が、重なって見えるようだった。
 ブリギットにはない、楽しい幼少期の思い出。
 叶うことなら、自分もその中にいたかった。
 感傷に浸るブリギットに、ロードフリードの優しい声がかけられた。
「この村は変わろうとしているけれど、変わらないものもある。あなたにも良い思い出がきっとできますよ」
「私にも? この村で?」
「ええ」
 頷いた彼を見つめて、ブリギットは頬を染めた。
 どんな思い出ができるのかはわからない。
 それでも、何もしないで死を待つよりは、少しでも足掻いてみようかと思った。




 ヴィオラートは、とにかく変な娘だった。
 にんじんについて語り出すと熱くなって止まらない。新鮮さ、硬さ、味の違いまでひっくるめて、全てのにんじんが好きなのだ。
 そんなものに固執するなんて馬鹿じゃないかとブリギットは呆れ返った。
 にんじん一つで幸せになれるヴィオラートは、最初に受けた印象通り、物事を深く考えたりはせず、好奇心と度胸だけで何事にも突っ込んでいく。
 こちらが嫌味を言っても半分も理解していない。
 きつい言い方をした時は、つらそうな表情も見せるのだが、次の瞬間には笑顔になって錬金術とやらで作った怪しい品を見せてきた。
「ねえねえ、ブリギットー!」
「うるさいわね、大声を出さなくても聞こえているわ」
 会えば、笑顔で駆け寄ってくる。
 逆の立場であれば、ブリギットは無視するだろう。
 そのぐらい酷い態度を取ってきたことは自覚している。
 いつロードフリードに告げ口をされてもおかしくないのに、ヴィオラートはそんな素振りを見せることはなく、仲良くなろうと話しかけてきた。
「お店の宣伝しに、他の街に行くの! ブリギットも行かない?」
「……ハーフェンに行くならいいわよ」
 いつの間にか、行動を共にするようになっていた。
 ヴィオラートが始めた店は、店内に入ってみると雑で垢抜けないパッとしない陳列と内装だった。
 両親の商いを見て育ったブリギットには、もどかしくて仕方がない。
 掃除もきちんと行き届いておらず、外で散らばっていた空きビンをこっそり片づけたりした。
 来店ついでにあれこれ口出しをしているうちに、なぜか店番までするようになっていた。
「ちょっと、ヴィオラート! またゴミをこんなに溜めて! 忙しいんだったらすぐに私を呼びなさい! 何事も迅速に対応しないと商売は失敗するわよ!」
「うわー、ごめんね! でも、良かったぁ、ブリギットが来てくれて。お店番はブリギットが一番頼りになるね」
「褒めたって、何も出ないわよ」
 照れ臭さを誤魔化して、可愛げのないことを言ってしまう。
 冷たくあしらわれても、ヴィオラートは気にしていないようで、笑顔のままこちらを見ている。
 ヴィオラートと付き合っていれば、世話を焼くのに忙しくて、病のことで悩む暇もなかった。
 採取とお店の宣伝を兼ねて、王国中の街や村を周り、隣の国にまで足を延ばす。
 退屈な田舎暮らしをしているはずが、ハーフェンにいた頃よりも、広い世界を見て自由に動き回っている。
 毎日が楽しかった。
 咳が出る頻度が増え、病状が悪化していることに気づいても、やめられないほどに。




 咳のことを気遣うヴィオラートに、ついに肺の病気のことを打ち明けた後、ブリギットは倒れた。
 今度の発作は今までと違い、常備している薬では治まらなかった。
 咳が止まらない。
 意識がある時は呼吸ができないほど苦しくて、眠れているのかすらわからなかった。
 発作を抑える薬を飲まされてはいたが、元々気休め程度のものだ。
 一向に効く様子はなく、横になって耐えることしかできない。
「ハーフェンに連絡を入れていますが、薬が届くのは早くて一月後です」
 部屋の中で、誰かの話し声が聞こえる。
 効かない薬を幾ら与えられても仕方がない。
 絶望を通り越して、諦めの気持ちが湧く。
 誰でもいいから、傍にいて手を握っていて欲しかった。
 だけど、現実は非情で、使用人は看護はしても付き添ってはくれない。
 孤独の中で死ぬのは嫌だった。
 両親もすぐに駆けつけるのは難しく、薬と一緒に来れば良い方だろう。
 意識が朦朧としてきて、考え事をするのも億劫になってきた。
 早く苦しみが和らぐようにと、そればかりを願う。
 何か、とろりとした液体が口の中に入れられた。
 水だの薬だの、意識があってもなくても飲まされていたから、それだろうと思う。
 メイドだろうか?
 その人物は何事か呟いて、部屋を出ずに枕元にいた。
 力なく投げ出していた手が、温かい手の平で包まれる。
 その温もりがあれば満足だった。
 不思議と呼吸も楽になっていき、久しぶりに穏やかな気持ちになれた。
(……ありがとう)
 誰だかわからないその人に、心からの感謝の言葉を浮かべながら、ブリギットは眠りに落ちた。




 朝日の淡い光を感じて目覚めると、ベッドの脇にヴィオラートがいた。
 彼女はベッドに背を預けて床に座り込み、寝息を立てている。
「まさか、ずっとついててくれたの?」
 正直、意識がはっきりしていなかったので、何も覚えていない。
 ただ嘘のように苦しさが消えていることが不思議だった。
 胸にいつも感じていた不快感もない。
 ベッドサイドのテーブルには、見慣れぬ薬ビンが置いてあった。
「この薬が効いたのかしら?」
 ハーフェンから届いた新しい薬だろうか?
 とにかく妙に体が軽いので、ベッドから下りて普段着のドレスを取り出す。
 メイドを呼ぼうかと考えたが、ヴィオラートを起こしたくなかったので、自分で着替えた。
 窓越しに外を見ると、清々しい朝の風景が広がっている。
 この景色を再び目にすることができて、ブリギットは嬉しかった。

 目を覚ましたヴィオラートから、彼女が作った薬をブリギットに飲ませたことを聞いた。
 つい反射的に余計なことをと反発したものの、彼女の無理に作った笑顔を見て、後悔の念が押し寄せる。
 去りかけたヴィオラートの服の袖を掴んで引き留めた。
 何を言うべきかと迷ったが、告げる言葉は一つしかなかった。
「……ありがとう」
 気まずさと、照れ臭さと戦いながら絞り出した礼の言葉に、ヴィオラートは笑顔で応えてくれた。

 友達を助けるのは当たり前のこと。
 病を理由に憐みなど受けるものかと反発していた心は、彼女がすでに友となっていたことを知って、清流で洗われたように穏やかになった。
 もうヴィオラートと話していても苛立つことはない。
 彼女は命の恩人で、初めてできた友達だ。
 たとえ、恋敵であろうとも、嫌うことなどもうできない。




 ヴィオラートがブリギットのために作った、肺の病に効果のあるエリキシル剤の効能は本物だった。
 ハーフェンから来た医者が、診察をして驚いていた。
 これで、ヴィオラーデンはますます繁盛するだろう。
 ジーエルン商会お抱えの量販店と提携して流通させれば、同じく肺の病に苦しむ人を助けることができる。
 胡散臭いと馬鹿にしていた錬金術を、ブリギットは見直した。
 ずっと以前、ヴィオラーデンでアイゼルと遭遇した時の会話を思い出す。

『でも、この店を見る感じでは錬金術とかいうものも大したこと無さそうね』
『このお店も、いずれあなたを救うような品物が並ぶことになるわよ。あなたが今一番欲しい物も……そのうちね』

 アイゼルはこうなることをわかっていたのだろうか。
 ヴィオラートの頑張りと、錬金術の可能性を知っていた彼女だからこその、予言めいた言葉だったのかもしれない。

 何はともあれ、病が治り、心身ともに余裕のできたブリギットは、未来に目を向けることができるようになった。
 どんな夢も将来も諦める必要はない。
 それには恋も含まれていた。
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