彼の愛は深くて重い


 カロッテ村から妖精の森を通り山を越え、ハーフェンへと抜ける近道がある。
 妖精の腕輪を手に入れてその近道が使えるようになり、ファスビンダーを経由していた頃よりは、旅路にかかる日数は随分と短縮された。
 さらにフライングボードがあれば、片道四日ほどで行ける。
 森の奥地や様々な遺跡を隅々まで巡り、錬金術士というだけではなく、冒険者としても経験を積んだ現在、ヴィオラートの心に驕りがあったのは否めない。




「きゃあっ!」
 ヴィオラートは降りかかってきた液体を見事に被り、悲鳴を上げた。
 目の前にはつぶらな瞳の愛らしい茶色のクマがいた。
 だが、姿こそ可愛らしいが、それは人を襲う怪物だった。
「ヴィオ!」
 ロードフリードの剣が、茶色のクーゲルベアを一撃で薙ぎ払い、追撃を防ぐ。
 彼はヴィオラートを背に庇って立つと、わらわらと集まってきた桃、黄、茶色のクマ達を睨みつけた。
「大丈夫か、ヴィオ?」
「うう〜。視界がぐるぐる回って気持ち悪い〜」
 ヴィオラートが被ったのは強い酒だ。
 おくりものと呼ばれる、クーゲルベアの攻撃。
 敵を酔わせて、動きを鈍らせ、その隙に攻撃する。クマの癖に策を弄する嫌なヤツである。
「なんで、クーゲルベアがこんなにたくさん出てくるの〜。こうなったら……」
 ヴィオラートは杖を構えて、グリューネブリッツを放つ体勢に入る。
「馬鹿者! そんな状態で攻撃魔法を使うな! お前はおとなしく防御に徹していろ!」
 魔法を放つ前に、ローラントの叱責が飛んできた。
 もう一人の護衛である彼は、すでにクマの群れに突っ込んでいて、剣を振るって次々と屠っていく。
 一般の旅人であれば脅威となるクーゲルベアの群れも、熟練の竜騎士の敵ではない。
「ローラントさんの言う通りだ。俺達に任せてじっとしていて」
 ロードフリードもそう言って、近くにいたクーゲルベアを切り捨てた。
「はい〜」
 ヴィオラートは目を回しながら、覚束ない足取りで立ち、杖を地面につけて支えにする。
 ほどなく敵は掃討され、戦っていた二人は剣を収めた。




 被った酒は強力で、状態異常を回復するアイテムの持ち合わせがなく、ヴィオラートの酔いはなかなか醒めず、ロードフリードはアイテムかごを背負い、彼女を横抱きにして持ち上げた。
「おい、腕に抱えて行くのか?」
 ローラントが驚いた顔で問いかける。
 ヴィオラートは眠そうにぼんやりしていて、抱きかかえられても抵抗せずに、逆に首に腕を回してしがみついている。
 ロードフリードは彼女を落とさないように抱え直すと、涼しげな笑みをローラントに向けた。
「はい、この状態でもフライングボードは使えます。ハーフェンはすぐそこですし、もしも敵が出てきたとしてもローラントさんが倒してくれるでしょう?」
「私が敵を倒すことに異論はないが……」
 ローラントはじっと二人を観察するように見つめた。

 武功を上げるのに、利用する形となった錬金術士の娘。
 錬金術を学び、実用的なものから不思議なものまで様々なアイテムを作っているが、素直で明るい、ちょっと世間知らずな普通の田舎娘だ。
 家が貧しく兄は憧れだった騎士になる夢を諦め、彼女自身はにんじんだけで何か月も生活していた事があると聞かされた時には、同情のあまり手持ちの金を全額渡してしまっていた。
 さすがに店が軌道に乗った現在では、食事に事欠いている様子はない。
 そんな彼女を抱きかかえているのは、かつて竜騎士候補を鍛えるための騎士精錬所で、ローラントが指導していた元候補生だ。教え子の中で最も優秀な成績を残し、いずれは竜騎士隊を率いるほどの男になると期待して目をかけていたのに、正規の隊員になることを拒み、彼は故郷に帰ってしまった。
 この二人が同郷で幼馴染であり、ヴィオラートと知り合ったことで再会することになろうとは、偶然なのか天の采配だったのか。今でもローラントは折に触れてロードフリードを勧誘している。
 色良い返事を聞けたことはないのだが……。

 ヴィオラートを利用しているとはいっても、ローラントの思惑はすでに伝えてあった。
 彼女が求める希少な素材が採れる場所は、伝説級の怪物に遭遇する可能性がある秘境が多い。そこへ行く時に、ぜひとも自分を護衛として雇ってくれと頼み込んだだけだ。隊を離れる口実にしているのは確かだが、首根っこを掴んで危険地域を連れまわしたわけではない。
 ヴィオラートは素材を手に入れ、自分は怪物を倒して実績を積み、武勲を得ると共に竜騎士隊での地位も上がる。それは正当な取引とも言えた。
 ローラントが雇われると、ロードフリードは必ず同行を申し出てきた。
 最初は、彼も自分と同じく武勲を求め、名を上げる機会を欲していたのだと思って喜んだのだが、どうやらそうではなかったらしい。
 ロードフリードは強敵と戦うより、ヴィオラートを守ることを優先した。
 目的のために、より奥地に行きたいローラントを牽制するほどに。
『あなたが戦果を求めて逸るのは仕方がないことですが、あくまでヴィオの護衛で来ていることを忘れないでください。わざと彼女を危険に晒したら、あなたを囮にして俺達は逃げますよ』
 ぞっとするほど冷たい目をして、ロードフリードは言った。
 騎士精錬所で指導していた頃でも、見たことのない冷ややかな表情は、男にしては綺麗すぎる顔立ちと相まって鋭利な印象を与えた。
 ローラントが覚えている限り、彼は見た目通りの穏やかで優しい男だった。騎士を目指すに相応しい勇敢さは持ち合わせていたが、普段は気さくで人付き合いの良い、自ら争うことは好まない理性的な性格をしていたはずだ。
 忠告を聞いた後、ローラントも自制して、ヴィオラートの行動範囲の敵だけで満足していたためか、囮にされて置き去りにされたことはない。
 だが、こちらに欲が出て忠告を無視すれば、必ずやるだろうと確信していた。
 ヴィオラートが絡んだ時だけは、ロードフリードは別人のような雰囲気を纏うことがある。

 ヴィオラートを抱えて立つロードフリードは、腕の中の存在を愛おしげに見つめていた。
 ハーフェンにもいるファンの女性達が見たならば卒倒するであろう甘い眼差しを、ただ一人の少女に向けている。
 どれほどの美女が言い寄ってきても感情を動かすことなく、鮮やかにかわす姿を知っているだけに、どこにでもいそうなこの娘に注がれる溺愛と言ってもいいほどの深い情が、そら恐ろしく感じられた。
 いつからだったのか、気がつけば、ロードフリードは人前で彼女への特別な好意を示すようになっていた。
「ロードフリード。お前、普段とはどこか違うのではないか?」
「なんのことです?」
 首を傾げるロードフリードを、ローラントは胡散臭そうに見た。
「以前なら、酔いが醒めるまでこの場で休む提案をしていた所だろう。なぜ、わざわざ抱えてまで移動しようとする」
「軽い酔いならそうしましたけど、茶色の毛をしたクーゲルベアの酒は強力だ。街が近いのですから、日が暮れる前に移動した方がいいでしょう。ヴィオを安全な宿に運んで休ませてあげたいだけですよ」
 ロードフリードに抱きついているヴィオラートは、ごそごそ頭を動かしていた。
 ほぼ眠っているのか、目の前にあるロードフリードの胸元に頬を擦りつけて、ふにゃふにゃ口を動かしている。涎を垂れていてもおかしくないほどの無邪気な寝顔だ。
 ヴィオラートから視線を外し、再びロードフリードを見やると、彼女を見つめて蕩けるように笑んでいた。
 醸し出される甘い空気に触れて、背中に虫が這っているような気持ち悪さを感じ、居心地の悪い感覚に苛まれる。
 ロードフリードが、再びこちらを向いた。
 苦手な空気が消えて、いつも通りの穏やかな彼に戻っている。
「早く街に行きたい気持ちがあるのは認めます。ローラントさんは他に何が聞きたいのですか?」
「いや、お前が彼女を見る目が気になってだな……」
 変わりようが凄すぎて、得体が知れなくて恐ろしいのだとは言えなかった。
「ああ、そういうことですか。言ってませんでしたが、俺とヴィオは将来を誓い合った仲になりました。彼女の家族にも認めてもらいましたし、誰に遠慮する必要もなくなったので好意を親愛で取り繕うのはやめました」
 あっさりと認められては、ローラントは頷くしかない。
 これ以上、二人の仲に触れるのは良くないと、本能が警告してくる。
 別に邪魔をする気もないのだし、放っておけばいいのだ。
「もういいですか? 先に行きますよ」
 フライングボードを足下に浮かせて、ヴィオラートを抱えたまま乗ったロードフリードは、足だけでバランスを取り、器用に乗りこなして見せた。
 運動神経は抜群に良い。
 ボードは軽やかに宙を飛び、ぐんぐん加速していく。
 ローラントは自分も借り受けていたボードに乗って飛びながら、前方に見える後ろ姿を確認しつつ、惚れ惚れと呟いた。
「やはり惜しい男だ。カロッテ村に竜騎士隊の駐屯地でも作れば、正規の隊員になることを承知するだろうか」
 ローラントはどこまでも武人だった。
 自身の能力を高めることはもちろんだが、強者を集め、その中で切磋琢磨することも、また喜びである。
 あれほどの男をただの冒険者として市井に置いておくのは勿体ない。
 幸いカロッテ村は発展途上にあり、開拓が進んで規模が大きくなってきている。必然的に怪物や盗賊に狙われやすくなり、警備や防衛力の面で強化が必要なのは一目瞭然だ。
 組織の中で上に行ければ、発言力も増していく。
 近い将来、竜騎士隊本拠地の移転話が持ち上がるのだが、提案者はもちろん隊長格にまで上り詰めたローラントだった。

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