身長コンプレックス


 ヴィオラートは、一つだけ自身について不満に思っていることがある。
 劣等感とも呼ぶべきそれにはできるだけ触れないようにして日々を過ごしてきた。
 幼い頃は、気にもならなかった。
 ヴィオラートは女の子で、周りにいたのは年上の少年少女に大人ばかり。
 そもそも比較すべき同年代の女の子がいなかったのだ。
 だけどある日、兄が発した一言から、彼女のコンプレックスは始まったのかもしれない。

 それは何でもない日常の食事の席だった。
 子供だからと遊んでばかりだった時期は終わり、兄は父と共に畑仕事をやり、ヴィオラートは母に習って家事を覚え始めた頃のことだ。
 メニューはパンとシチューで、シチューには赤いにんじんが存在感たっぷりにたくさん浮かんでいる。
 ヴィオラートは至福の笑みを浮かべながら、煮込まれて甘みの増したにんじんを食べていた。
 妹とは違い、食べ飽きたにんじんを作業のように口に運んでいたバルトロメウスは、ふいに思いついたように言った。
「ヴィオ。お前さ、小さいよな」
 ヴィオラートは何を言われたのかわからず、きょとんとバルトロメウスを見返した。
「え? 小さいって何が?」
「背丈だよ。前から思ってたんだが、大きくなるの遅くねぇ?」
「そ、そんなことないよ、普通だよ。お兄ちゃんだって、最近になって急に背が伸びたじゃない。あたしだって、そうなるもん」
 バルトロメウスは成長期に入って急に背が伸びた。
 大きくなったのは身長だけではなく、しっかりと筋肉のついた逞しい体つきをしている。
 目線が高くなったせいなのか、彼には妹がどうにも普通より小さく見えて仕方がないらしい。
「お前、にんじんばっか食べてるじゃねぇか。幾ら好きでも程ほどにして肉も食わないと、小さいままになるかもしれねぇぞ」
「お肉だって食べてるよ。ミルクも毎日飲んでるし、大丈夫だよ」
 その頃のヴィオラートは、兄のおせっかいな助言も余裕で受け流せた。
 まだまだこれから成長するのだから、相応に大きくなれるのだと思い込んでいたのだ。




 あれから数年後、ヴィオラートは商品棚の前で箱を抱え上げて伸びをしていた。
「うんしょ…っと、うう、届かない~!」
 つま先立ちをして懸命に箱を押し上げようと奮闘するものの、悲しいことに目当ての棚の上段には届かない。
「もう、お兄ちゃんってば、どこに行ったのよー! 肝心な時に限っていないんだからっ!」
 ヴィオラートはいつものごとく店番に飽きて、ふらりと姿を消した兄に悪態をついた。
 バルトロメウスはたまに剣を持って村の外に出て行く。
 冒険者になりたい兄は、修行がてらに村の近辺をうろついて気が済めば帰ってくる。長期間に渡って家を空けたことはないが、一度出かけると二、三日は帰ってこないのが常だった。
 両親がいた頃は、家の事情で夢を諦めた兄の複雑な心情を思いやって黙認していた放浪癖だったが、兄妹二人だけになった現在では少し状況が違ってくる。やはり、兄の手を借りなければ困る事は多いのだ。
「お兄ちゃんなら簡単に届く高さなんだけどな。あーあ、たくさん商品が置けるようにって欲張って、こんなに大きな棚にしなければ良かった」
 箱を持ちあげるのは諦めて、ヴィオラートはため息をついた。
「後で裏から踏み台を持ってこよう。もう少し背が高ければこんな手間をかけなくてもいいのになぁ」
 不満を口にしながら、邪魔にならないように隅の方に箱を積み上げておき、別の作業をしようとカウンターの方に歩み寄った。
 カウンターの前に立つと、扉が叩かれた。
 来客の合図だ。
「はーい、どうぞ!」
 愛想の良い笑顔を浮かべて客を迎え入れる。
 扉が開き、ロードフリードが店内に入ってきた。
「やあ、ヴィオ」
「あっ、ロードフリードさん! いらっしゃいっ!」
 営業用でもあった笑顔が、さらに笑み崩れる。
 両想いになってから、二人の関係は幼馴染から恋人へと変わった。
 毎日とまではいかないが、以前にも増してしょっちゅう顔は見ているものの、会えると嬉しいものは嬉しいのだ。
 ロードフリードはヴィオラートに笑みを返すと、カウンターの前までやって来た。
「月光亭でバルテルに会ったんだ。しばらく村の外に出るって言ってたから、ヴィオのことが気になってね。よければ、お店手伝うよ」
「わあ、ありがとう! あたしは助かるけど、いいんですか? お仕事とか、色々予定あるんじゃ……」
「大丈夫、大事な用は済ませたから暫くは空いてる。緊急の討伐依頼が入らない限りは、ヴィオのことが優先だ」
 優先と言われて、ヴィオラートははにかんだ。
「じゃあ、お願いします。ちょうど、困ってたこともあったし」
 積み上げてある箱に目をやると、ロードフリードは気づいてくれたようだ。
「上の棚に置けばいいんだね」
「はい」
 ヴィオラートは箱を手に取り、置いて欲しい場所を指示しながらロードフリードに渡す。
 背の高い彼は、つま先で立つこともなく、商品棚に箱を並べていった。
 自分では届かなかった場所に、簡単に手を伸ばす様子を隣で見ていたヴィオラートは、少し複雑な心境になっていた。
 彼女の視線に気が付いたロードフリードが、怪訝そうに問いかける。
「どうかした?」
「え? うーん、ロードフリードさんて、すごく背が伸びたなぁって……」
「そうかな? 普通だと思うけど」
「いいえ、大きいです! 何を食べたら、そんなに背が高くなったんですか?」
「特別なものは食べてないよ。強いて言うなら、好き嫌いしないで何でも食べてたかな?」
「あ、あたしだって、何でも食べてたよ。お兄ちゃんと同じもの食べてたのに、どうしてあたしだけ大きくならないのかな……」
 しょぼんと肩を落としたヴィオラートを見て、ロードフリードは思い出した。
 バルトロメウスと雑談をしていた時に、ヴィオラートが背が低いことを気にしていたと言っていたことを。
「ヴィオは女の子だし、バルテルや俺と比べなくてもいいだろう。そんなに気にしなくても、今のままでちょうど良いと思うよ」
「でも……」
 ヴィオラートは不満そうに、ロードフリードを見上げた。
「……やっぱりいいです。何を言っても背が伸びるわけじゃないんだし」
 ふいっとヴィオラートはそっぽを向いた。
 珍しく拗ねているようだ。
 ロードフリードは宥めるのに最適な言葉を探しながら声をかける。
「そのままでもヴィオは可愛いよ。小さくて困ることがあるなら、俺が手伝うからさ」
 ヴィオラートの表情は、嬉しさ半分、悔しさ半分の微妙なものに変わった。
「ま、また小さいって言った! わかりきったことでも、はっきり言わないでよ~。ロードフリードさんの背が高いから、あたしが並んだら大人と子供みたいなんだもん! もう無理だってわかってるけど、つり合うぐらいの背が欲しかったの!」
「ヴィオ……」
 己の無神経な言い方が彼女の気に障っていたことを知って、ロードフリードは反省した。
 だが、彼女が拗ねている理由がわかれば、膨れた顔も可愛らしく思えてくる。
「悪い意味で言ったつもりはなかったんだけど、すまなかった。だけど俺は、ヴィオの背が高くても低くても気にしたことはないよ。そのままの君が好きなんだ」
「あ…う、い、いいよ、もう。別にそこまで気にしてたわけじゃないからね」
 ストレートな言葉が功を奏して、ヴィオラートは機嫌を直した様子だった。
 照れて赤く染まった彼女の頬に手を添える。
 そっと顔を近づければ、ヴィオラートも察したのか目を閉じた。
 唇を重ね合わせ、触れているその場所を堪能する。
 聞こえてくるのは、遠くで放牧されている動物の鳴き声や、風に揺られた木々の擦れる音だけ。
 小さなそれらの音は慣れ親しんだもので、二人だけの時間を邪魔するものではない。
 いつまでもそうしていたい気分ではあったが、現実的ではなくて、ロードフリードは名残惜しみながら唇を離した。
 はふっと、ヴィオラートが大きく息を吐く。
 鼻息を気にして、息を止めていたらしい。
 せっかくの色気のある雰囲気も台無しになったが、初心な彼女が可愛らしくて、ロードフリードは笑った。
「まだ営業中だしね。今夜は泊まるから、続きはまた後でしよう」
 続きと言われて、ヴィオラートの顔が真っ赤になった。
 いつかは来ると思っていたものが今夜と言われては、彼女の心臓は飛び跳ねるように高鳴った。
「嫌なら何もしないから」
 動揺する彼女を見て、ロードフリードは少し残念そうに付け足した。
「ええっ! そ、そんなっ!」
 選択肢を任されて、ヴィオラートは困った。
「や…その…急だったから、嫌じゃないけど、後で決めていい?」
「ああ、いいよ。待つのは今に始まったことじゃないから、断ってもいいからね。その場合は添い寝だけで我慢しよう」
 一緒に寝るのは確定らしい。
 ヴィオラートもそれは断る気はなくて、こくりと頷いた。
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