river…共犯者
1
[人物紹介]
「佐々木…………起きてくれるか?そろそろ看板だから。」
肩をかるく叩かれて起きた男は、いつの間にかカウンターに突っ伏して眠っていたらしかった。ゆっくりと顔を上げ、重たい目を擦りながら小さい声で『ああ…』と答える。
「俺……随分と寝ていたか?」
カウンターの中で洗い物をしている男に問い掛ける。男は端正な顔をほんの少し緩めてうっすらと笑った。
「そうでもないよ。30分くらい…かな。」
佐々木がまだ気だるい表情をしながら席を立とうとすると、カウンターの中の男が小さく手で制した。
「まだ飲み足りないんじゃない? ………なんなら、うちで飲み直す? この前のこと、相談もしたいし。」
思いがけない言葉に佐々木は顔を上げて男を見た。青白い照明が綺麗な顔を照らしている。
「いや…………悪いだろ。」
「別に、平気だよ。俺ならどうせ帰ったって一人で…やる事もこれと言ってないから……」
そう言ってふっと寂しげな顔で目線をそらした。
「まあ、無理強いは………しないけどな。」
少しだけ微笑んだその表情が自嘲気味な雰囲気を醸し出しているのを感じて……佐々木はふぅっと息を吐いて口許に静かな笑みを浮かべた。
「………解った。」
ススキノの外れにあるバー・SOME TIME。そこからほど近いアパートに、九重達也は住んでいる。
いつものように店を閉め、九重は右足を重たい荷物のようにズルズルと引きずりながら歩きだした。傍らには九重のペースに合わせて佐々木が歩いている。
二人とも何も言わず、ただ無言で10分ほど歩くと目の前に大きな公園が現れた。昼間は散歩する人や遊ぶ子供達で賑わい、中にある池や川で遊ぶものも多い、市民の憩いの場所。
だが夜ともなればお世辞にもあまり治安が良いとは言えないのも現実だ。
まだ新しい4階建ての建物は、その公園の傍に立っていた。若者が好みそうなデザインでいて、何故かひっそりと暗いイメージが付きまとうそのアパートは、どこか住人である九重と似ていた。
室内に通された佐々木は着ていたジャケットを脱いで、辺りを見回ししてみる。
清潔そうな室内。どちらかと言えば殺風景なくらいの部屋にはテーブルと二脚のスツール。奥にはベッドが一つ。
「ああ、適当にその辺に座っていてくれよ。今、グラス出すから。」
つい店の中にいる時のように動いて用意をしようとする九重。重そうに脚を引きずってキッチンに行こうとしたところを、佐々木が止めてスツールに座らせた。
「いいよ、そんなに気を遣わなくて。」
九重は笑って言っていたが、目は辛そうな色を湛えている。
そんな様子に気付かないフリをしながら、洗って置いてあったグラスを手に取り、小さなテーブルに運ぶ。
「酒………ここにある物でいいのか?」
九重が頷いたのを確認して、それもテーブルへ。ついでに氷も用意して、自分も腰掛けた。
「悪いな………かえって気を遣わせた……」
顔を曇らせた九重を見つめて、佐々木は小さく『……いや……』とだけ呟いた。
暫くの間、何とも言えない沈黙が支配している。
カラン…とグラスの中で氷が音を立て、琥珀よりも濃い色の酒がグラスの中で揺れていた。
「なあ……。あの計画って、本当に上手くいくのかな……」
先に口を開いたのは九重だった。重苦しい雰囲気の中、グラスの中身を見つめながら尋ねる。
「………やるしかないだろう………」
佐々木の言葉は低く静かで、重たかった。
「………お前は何で消したいんだよ。見たところ、そんなにやり直したい事があるみたいには見えないけど。」
ちらりと佐々木を見ながら、やはり自嘲気味に笑って言う。
「お前は――――俺なんかと違うだろ。」
そう言って九重はぐいっとグラスを煽った。氷がまたカラン…と、柔らかい音を立てる。
「……いや。」
佐々木は少し目を伏せた。
「ふ……ふふっ……………………ははは……………」
グラスをテーブルの上に乱暴に叩きつけて、九重がテーブルの上に突っ伏した。もう酔いが回ってきているのかもしれない。
「達也……」
佐々木がそっと肩に手を置く。
暫く九重は身体を小刻みに震わせ、笑っているとも泣いているとも取れるような嗚咽を漏らしていた。
「笑えよ、お前も! おかしいだろ!? こんなに落ちぶれて無様な姿の俺なんて―――」
そう叫んで、テーブルの上に爪を立てた。
「………達也。」
肩に置いた手に力が籠もった。どこかひねくれた物言いをして、自分を嘲るふりをしながらも己の過去に縋り付き…傷跡をぱっくりと開けたまま、血を流し続けている男。
九重のそんな姿に、佐々木は自分の姿を投影してしまうのかもしれない。
突っ伏している九重を無理矢理引き起こした。
綺麗すぎる、整った顔。
昔から笑うと愛らしかった九重達也。スキーが得意だった少年は……事故による脚の怪我で空を飛ぶ術と、心から笑うということを忘れ去った。
脚を引きずらねばならない程重い後遺症が、心にのし掛かる重い枷となって昼となく夜となく彼を追いつめた。
……そうして今では、その端正な顔に影の面差しと、一抹の冷めた印象を与えてしまっている。
佐々木にはそれがとても切なかった。
「大丈夫だから………」
その言葉に顔を上げた九重は眦に涙をいっぱい溜め、泣き腫らした顔で佐々木を見つめてきた。唇をきゅっと真一文字に噛んでいる。血が滲むほどに。
「お前だけじゃないから………」
それだけを言うのが精一杯だった。
自分の姿が九重にダブる。
自らの崇高な奢りによって、助けることが出来なかった命。人の命を助けるために必要だったはずの事柄を、自分の甘い考えによって軽んじてしまったがゆえの―――――罪。
消したくても消せない、悲痛な言葉。
助けられなかった者の最後の哀願が、今も脳裏にこびり付き…………佐々木もまた、その顔に暗い影を落としていた。
思い出したくもない辛い過去を背負って、このまま生きていくのにはあまりに辛すぎた。
だから、乗ったのだ。あの計画に。
荒唐無稽すぎる薬―――記憶を操作し、都合の悪い記憶を消すことの出来る新薬を盗み出して欲しいという話。
勿論現役警官である佐々木は、この出来過ぎた依頼にウラの匂いを嗅ぎ取っていた。
製薬会社と認可されない新薬、それに通り魔的殺人犯。その繋がりを追っていってぶち当たった男、横井。
元同級生である彼が、全ての糸を操っているのには間違いがなかった。
騙されたふりをして真相に飛び込み、その流れの中に身を任せる。そんな覚悟を決めていた。
だがやはり―――――辛い過去を消すという薬の存在が、もし本当であれば――――――
そんな思いに駆られて、計画に荷担したことも紛れもない事実だった。
九重の泣き顔が…………………重たく陰る自分の心に焼き付く。
言葉を発するのも抵抗があるほどの闇の中で足掻いている自分の中に、同じ匂いの闇を持つ者が紛れ込んできていた。
「………笑えってば………………悲劇の主人公だなんて開き直ったふりして。だけどこんなに惨めな姿晒して…。それでも脚さえ治れば…なんて、いつまでも昔に縋り付いてる大馬鹿な俺をさ!」
九重は佐々木の腕を振り払って叫んだ。頬に雫のあとを一筋、残して。
痛々しい程の傷をさらけ出した九重に対して、奥底から忍び寄る闇の心は佐々木をじわじわと支配し始める。
その感情は強いて言えば近親憎悪に近かったのかもしれない。
泣き叫んで不幸を嘆いている目の前の男を哀れむ気持ちは、自分自身への気持ちへの裏返しでもあった。
自分すら救えていない筈の男が、目の前の男の絶望を受け止めてやりたいと思い始めていた。
――――たとえどんな手段を用いたとしても――――
そんな不可思議な想い。自分自身でも制御しきれない感情が、音も無く沸き上がってくる。
「………ッ!………」
九重の身体が凍り付いた。
佐々木が腕を掴んだまま無理矢理唇を合わせたからだった。
暫くの間、身じろぎも出来ずに九重は佐々木の舌で蹂躙され続ける。どうにかして逃げようとするのだが、身体に力が全く入らない。
やっとの事で一旦解放されて、九重は息苦しさに喘いだ。
「……なっ…………にを…ッ………」
そこまで言ったところで再び九重は佐々木の腕に捉えられた。暴れようとするのだがやはり身体に力が入らなかった。
佐々木は無言のまま九重の首筋に吸い付き、舌を這わせる。硬く強張る体を抱き締め、舌と唇で舐りながら無我夢中で上に羽織っていたシャツを脱がせた。
下に着ているTシャツの裾から手を侵入させ、九重の引き締まった身体を弄ぐり出す。
「……お前ッ………何……!?………」
流石に身体を捩って逃げ出そうと暴れた途端、九重の身体がスツールから落ちそうになった。佐々木は表情も変えずにその身体を支えて再び抱き締めた。
「………忘れさせてやる……ほんの一瞬だけでも。」
そう言って、ふわりと九重を抱きかかえた。
奥の部屋の窓際にはベッドが置いてあった。その上にそっと降ろされ、九重は尚更身体を硬直させる。
「………ささ………佐々木ッ…………お前、何考えて……………」
わなわなと唇を震わせて佐々木を見上げた九重の目には、うっすら微笑んでいるかのような佐々木が映っている。
その表情にぞっとし、震える身体を必死で動かしてベッドから逃げようとしたところを、易々と佐々木に押し倒されてしまった。
「……言っただろ…………忘れさせてやるって。」
取り憑かれたような瞳をぎらぎらさせて、佐々木は九重の上に覆い被さった。脚が不自由な九重など、警察で格闘技をマスターしている佐々木にとっては押さえ込むことなど造作もない。身体の上に覆い被さられ、身動きも出来ずに佐々木の愛撫を身に受けていた。
「違うッ……こんな事……………違うって……………」
上擦った泣き声しか出てこない。
恐怖に身体を強張らせ、必死でこの状況から逃げ出そうと足掻くのだが、佐々木は顔色一つ変えずに淡々と九重の身体を弄ぐる。ただ荒い息づかいと九重の嗚咽だけが、静かな室内に響いていた。
Tシャツをたくし上げ、胸元の突起を唇に含んだ。九重の身体が弱い電流に打たれたようにびくんと跳ね上がって小さな悲鳴を漏らすが、佐々木は一向に気にせず黙々と薄赤く色づいて硬くなり始めた蕾を舌で転がしては吸った。……まるで愛しい女性に対してするように。
「お願い、佐々木…ッ…………もう…助けて……………」
切れ切れに哀願する。涙で頬を濡らしながら九重は佐々木を見つめて言った。
「………いいや………」
佐々木の答えは簡潔だった。それ以上でもそれ以下でもあり得ない言葉。
「なんで……………こんな…………」
そのまま絶句した。
佐々木の顔が自分の顔を見下ろしている。それは不思議な色合いを湛えていた。笑っているような薄い笑みが、泣き顔にも見える。
その顔を見つめてしまったことで、胸の奥が締め付けられるように苦しく…熱くもあった。もう自分では制御しきれないような…………不可思議な感情に一瞬捉えられて、心が揺らいでいた。
だがそれも、一時の惑いでしかない。
泣き顔にも見えた薄ら笑いのまま、佐々木は九重のベルトに手をかけあっという間にジーンズの中に手を滑り込ませた。
「………や…ぁ…ッ………」
突然自分のモノを触られ、あまりの羞恥にまた涙が零れそうになる。やんわりと刺激を与えてくる指先は器用に這い回り、いつしかしっかりと九重自身を掴んでいた。
「やめてくれ………頼むから、もう………止めて…………」
顔を横に背け、上にぴったりと覆い被さる佐々木の身体を退かそうと腕に渾身の力を込める。だが、それも徒労にすぎない。びくともしないうえに佐々木は顔を近付けてきて、顕わに浮き上がっている鎖骨や首筋に赤い跡を残し始めた。
小さな痛みと、身体の奥底でぞくりと動き出す快楽が九重をじわじわと襲う。慌てて肩を窄めたところを捉えられ、再び濃厚な口付けが彼に与えられた。
舌を絡められ、唾液を送り込まれて歯列をなぞられる。あまりにも甘美な口付けに、九重が思わず喘いでしまう。
「………可愛い声……出すんだな。」
耳を疑う言葉だ。二十九のこの年になるまで、可愛いなどと言われたことは一度もない。
「ふっ…ざけるな…!………」
あらん限りの軽蔑の意味を込めて佐々木を見据えた。
「そんな顔も、綺麗だ―――…………お前は。」
そう言いながら佐々木の掌が、その中にあるものをゆるゆると扱いてくる。
「…や…ッ………やめ…ッ………ああ…ッ…………」
気持ちとは反対に身体がこの刺激に如実に反応していた。もはや手の中に握られているモノは、自ら滴らせた液体で濡れ始めている。
九重はこの状況にますます混乱し、いつしか抗う力すら吸い取られていった。
煽られる感覚に翻弄されている九重の隙をついて、佐々木は身体をやや下にずらし、履いていたジーンズを引き剥がした。左脚さえ押さえてしまえば、もう片方の不自由な足では佐々木に蹴りを入れることすら出来ない。
―――――この右脚が、この男の心を地獄の底に縛り付けている。
どんよりとした切なさが佐々木の胸に去来していた。自分の中に抱えたままのどこにも行き場のない罪悪感と、九重の中に巣食う挫折感。どちらもやり場のない想いを抱えている。
血に塗れた傷口を舐めてやりたい気持ちと、一方では心の隅に生まれ始めている新たな罪悪感。その二つの心が自分の中で鬩ぎ合っては少しずつ解け合ってくる感覚。血の味を思い起こさせる仄かな甘みに、佐々木はいつしか酔いしれていた。
愛しげにそっと右の膝頭に唇を押し当ててから、ぐいっと脚を開かせた。その中心には佐々木が育て、煽り続けた九重自身が息づいている。先端から透明な蜜をうっすらと垂らしている様子を見ると、それを口に含んで愛撫したい欲求が佐々木の中にふつふつと沸き上がってきて………耐えきれずに、ねっとりと舌を這わせた。
「ささ……………き……………」
息を詰め、必死で堪えようとしていた九重は結局耐えきれずに言葉を発した。悔しげな涙を眦に浮かべ、唇を小刻みに震わせてそれでも尚、耐えようとしている。
「我慢するな………達也。」
優しげな声のトーン。だがやっていることは陵辱行為。そのギャップに九重は気が変になりそうだ。
「……ぅ…………嫌だ…ッ………ぁ……ッ…………」
ビクビクと身体を反らせていた。
シーツを握りしめ、上半身全体で呼吸をしている。
呆気なく佐々木の口でイかされてしまった屈辱に、九重は半ば放心状態で唇を噛みしめていた。
ゆっくりと時間をかけて中を解され続ける事によって、九重は今まで体感したことのない快楽に苛まれている。
指を身体の中に挿れられてすぐは、例えようのない痛みと不快感に身体が引き裂かれてしまいそうだったのだが、佐々木の指が中を器用に弄くる度にその不快感は、得も言われぬ感覚を呼び起こしていく。
九重は最早抗うことも出来ずにその行為を受け入れ続け、襲いかかる愉悦の波に翻弄された身体をベッドの上に横たえるしかなかった。
そんな様子に機が熟した事を感じて、佐々木が自らの猛ったモノを今まで指で陵辱していた場所に宛う。
その行為の意味を知りつつも九重は、逃げる術も気力も使い果たしていた。ただぼんやりとその様子を下から見つめる。
全て服を脱がされ裸の自分。大きく開かされた脚。そしてその脚の中心にはやはり裸になった佐々木の雄が宛われ、ゆるゆると先走りの体液を塗り込めてくる。
硬く怒張したそれが、自分の中に埋め込まれようとしている事を何となくは理解してはいるのだが、どこか他人事のようにも感じられる。
散々男にあるまじき行為をされて性感を煽られ、幾度もの波が過ぎ去った今は、ただこの流れに身を任していくしかないことを薄々感じ取っていたのかもしれなかった。
だが次の瞬間、そんな九重の様子は一変した。
指を挿れられた時とは雲泥の差の強い衝撃。身体を真っ二つに引き裂かれるような激しい痛みが電流のように駆け抜けて、思わず口からは悲鳴があがった。
「……無理だ…って…!! ……さ…さき……ッ……お願いッ……」
泣き叫ぶ九重の様子を無表情に見下ろしながら、淡々と行為は続行された。
取り乱すでもなく静かに、それでも少しずつ九重を犯していく様は、どこか紙一重の狂気を秘めている。
佐々木が腰を打ち付ける度、悲痛な叫びが聞こえた。だがゆっくりと打ち付けられ続ける楔は、徐々に九重の中に収まっていく。
佐々木の二の腕を掴んでギリギリと爪を立て、九重は襲いかかる痛みに耐えていた。
やがて全てが収まってしまうと、佐々木が身体を九重の上に密着させてきた。身体の下に腕を回し入れ、ゆっくりと腰だけ上下させながら抱き締めてくる。
「………達也………」
優しい声色。
耳元で響く佐々木の声は信じられないほど甘くて、優しい。
身体全体で抱き締められていた。
穿たれた楔が自分の奥深くで繋がりながら蠢くのを感じる。火がついたように熱く痛むその部分で、自分以外の他人と繋がっているという事実に、何故だか不思議な感情が沸き上がった。
「お前は………一人じゃないから。」
尚も佐々木が囁く。
「俺達は、同じだ。辛さも切なさも……だからもう一人で…………泣くな。」
佐々木は耳元に何度も口付けながら続けた。
「お前が今いる場所が地獄なら、俺も一緒にいるよ。其処から抜け出すまで、ずっとだ……」
「佐々木………?」
「忘れることが出来るまで、過去を消すことが出来るまで―――――お前が笑いながら血を流し続けるなら、俺は一緒に居てやるよ。」
佐々木はそこまで言ってから、九重に口付けてきた。
舌が絡め取られて、深く深く口付けを交わす。いつの間にか二人は互いの身体を弄ぐりながら、しっかりと抱き合っている。
身体全体で誰かを感じたのは初めてだった。
言い様のない安心感が奥底から吹き上がってくる。温かくて、切ない想い。
九重は涙が溢れてくるのを感じていた。それは決して辛いからではない事だけは、確かで。
今までたった一人で強がって必死に自分を誤魔化していた事実から、ほんの少しだけでも解放されたような気がして。
いつしか九重は、佐々木に自分の全てを委ねていた………