Escena U〜残された記録から

 1599年12月15日
 サンチャゴの宿にて

 巡礼宿で知り合ったイエズス会のパードレ(司祭)から、ハポンでキリスト教禁教令が出されたことを聞きました。
 私が一時期をすごしたアヅチのセミナリオのパトロンであったオダは部下の反逆で亡くなり、その後を継いだトヨトミがキリスト教を禁止したのだそうです。
 近頃になってついに最初の殉教者たちが生まれたとのこと。
 殉教はキリスト教信者にとっては誉れあることですが、修道会を離れた身になると親しい人たちには棄教してでも生きていてもらいたい、との思いもよぎるものです。

 それにしても殉教者の中には12歳の子どもまでいたというのですから、やはりあの国の人々の考えることには理解し難いものがあります。
 そう、人というものは国が離れればまるで違う人間になるのだということを、私はあの国でまざまざと体験させられました。
 言葉の隔たりだけではなく、信仰も、政治も、人を愛するということについても、すべてにおいて故郷にいるかぎりはありえない現実を私は見せ付けられました。
 私がアヅチですごしたのはたったの1年半のことではありましたが、あの国で起きたある一つのことは私の人生の中でもっとも信じ難い過ちであり――キリスト、憐れみたまえ――それでもなお、私にとってはその記憶を消し去ること、あるいはその過ちをなかったことにするのはどうしても受け入れ難いことです。

 神よ、今、ここに私の罪を告白します。
 私は今でも、あの人とあの人が住まう神秘の国についてなお想いを寄せているのです。
 禁教と殉教者の知らせを聞いて、一番に心配したのも、棄教すると偽ってでも健やかであってほしいと思ったのもあの人のことです。
 愛する故郷ガリシアの潤う緑の大地を見ても、妻と子とそこに住んでいるのにもかかわらず、ふとした拍子にさらに緑深い山の麓にあったアヅチのセミナリオでの日々を思い出してしまうのです。
 それも、たった一人の人ゆえに。
 私のマリア・マグダレナ。

 私は、初めて出会ったときはあの美しい微笑みが、少年のものであったとは本当に知らなかったのです。
 最初に彼を見たのは、アヅチのセミナリオから少し離れた雑木林の近くでのことでした。
 イルマンの少ない自由時間をさいて、人のいないところで好きなリュートの練習をしようとして、手ごろな切り株に腰掛けて指鳴らしの曲を奏でていました。
 気づくと遠巻きに私のことを見ている少女がいました。(そのときは、私は少女だとばかり思っていたのです)この辺りの農民の娘とは違い、美しい衣装をまとって清潔な黒く長い髪をていねいに整えた身なりのよい様子でした。
 私が試しに手招きをしてみると相手はおそるおそる近づいてきましたが、私が誰でも好きそうなガリアルダのような快活な舞曲を奏でてやると、すぐものめずらしげに私の手元を覗き込んできました。
 その日の自由時間は、たった一人の観客を相手にリュートをひき続けるうちに終わってしまいました。まだ聞いていたそうな相手に、私はつたないながらもこの国の言葉を使って、翌日の同じ時間にここに来ることを約束しました。
 本当に翌日、その子は同じ場所に私よりも先に来ていました。
 私が近づくと目を輝かせて近寄ってきて、私の袖をひっぱって携えてきたリュートを指差し、まったく無邪気な調子で曲をせがむのです。
 調子のよいパッサメッツォ、カナリオス、タランテラ。ゆったりとしたサラバンダ、パヴァーヌ、ファンタジア。熱心に聴いてもらえるのが嬉しくて、私は時には即興演奏も交えながら弦をかき鳴らし続けました。
 翌日も、またその翌日も。
 晴れた日は出会った雑木林の切り株の前で、雨の日はそのすぐ近くに見つけた小さな荒れ寺の庇を借りて。
 数日のうちには、相手も横笛を持ってくるようになり、私たちは即興の合奏を楽しむようになりました。気の赴くままに旋律を奏でれば、それに応対してまた音を返す。そんな言葉なき語らいをしばらく続けていました。
 笛の音は、吹き手の容姿に劣らずに美しく、私の音に対する反応も素直かつ機敏で、気づけば私のほうが相手の奏でる旋律に聞き惚れていることもしばしばでした。
 ハポンでの生活は、不慣れな言葉や気候もあって私にとって決して楽なものではありませんでしたが、この音楽に彩られたわずかなひとときが私に一日一日を乗り切る力を与えてくれるようになりました。
 笛を吹き、興が乗れば私のリュートに合わせてゆるやかに舞い踊る美しい人に会うために私は聖なる勤めを果たすようになっていたのです。
 やがて、私はどうしてもその子の名前を知りたくなり、音楽が途切れたところを見計らって尋ねてみました。
 私の名前はマッテオという。君の名前は何か。
 そんなように聞くと、相手はおずおずと口を開きました。
 ユミワカマル。
 そう名乗った声が、やわらかなアルトリコーダーのような響きを持っていたことを覚えています。
 ユミワカマル。
 この国の人々は、シナの人々のように一文字毎に違った意味のある文字を名前に使いますから、きっとこの名前にも何か意味があったのでしょう。私にはついにそれを知る機会は訪れませんでしたが。

 少女だとばかり思っていた相手が“彼”であることを知ったのは、セミナリオのパードレ(司祭)たちが、地元の仏教の僧たちと信仰を巡る論戦をしてきた日の話がきっかけでした。
 寺から戻ってきたパードレの一人が、私たち修道士にも仏教の僧たちの堕落について話してくれました。
 そのパードレが僧たちのいくつもの悪徳の中で一番に弾劾していたことは、僧たちが男色にふけっているという事実でした。この国の貴族階級の人々は子息を教育するために寺に預けることがあるのだそうですが、寺の僧たちはそんな子どもたちの中から見目麗しい少年たちを選抜し、読み書きや歌舞音曲の素養を学ばせるのと引き換えに、髪を伸ばさせ美しく着飾らせて自分たちの情欲と快楽の対象としているというのです。
 この話を聞いて、私にはまっさきにユミワカマルの姿が浮かびました。
 そう、考えてみればあの美しい衣装は娘が着るものよりも武家の少年が着るにふさわしい、ズボンのように股の分かれた衣装でありました。あの類稀なる笛や踊りの技も、そのように学べるところがあるからこそだったのではないでしょうか。
 パードレの報告が生んだ不確かな疑念は私をひどく不安にしました。
 ユミワカマルが少女だとしても少年だとしても、私の思考はやりどころないところへと辿りついてしまうのです。
 その最大の理由は、明らかに私が彼あるいは彼女に対して、修道士にあるまじき恋慕の情を持ち始めているからだと私はその時に気づかされました。
 もし、ユミワカマルが少年だとしたら。彼もきっとパードレのいう悪徳の犠牲になっている少年たちの一人であるに違いありません。
 そうだとしたら、私はこの気持ちを何のためらいもなく捨て去らなくてはならないのでしょうが、私にはそのようにできる自信は微塵もありませんでした。
 むしろ私の罪深い恋心は、夜毎あの剃り上げた頭を持つ醜悪な邪教の僧たちに組み敷かれているであろう彼の境遇を思うと、哀しさとやるせなさ、怒りと嫉妬が混ざり合わさった重苦しい感情を呼び起こすのです。
 いっそのこと少女であったほうがよかったかもしれません。この国の身分の高い少女たちは貞操を大切にすることを知っていましたから。親が取り決める縁談で夫が決まるまで、高貴な娘たちは誰のものにもならないのです。そういうものだと思えば、私は自分の気持ちをそっとリュートの音で伝えるだけで満足できたのではないでしょうか。これは切ないことではありましたが、手の届かぬ女性に恋をするというほうがまだ境遇としてわかりやすいように思えました。

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