異様な圧迫感をなす本の群れから逃げて、少しずつ常識的な感覚が戻ってくるのを感じつつ、エディオは怯えたような目をアルヴィーゼに向ける。
 「あんな本……持つだけで罪です……神はお許しになりません……」
 「……許さないのはバチカンだろう?」
 教皇領内でも特に教皇と縁の深いオルヴィエート領主の一族に連なる身であるにもかかわらず、教会への敬意の欠片もない口調でアルヴィーゼはエディオに詰め寄る。
 「告発するか?」
 剣を付きつけるような冴え冴えとした声。
 「ジャンピエトロ枢機卿に伝えることだな。俺のもとに間者をよこすつもりなら、もっと厚顔無恥で頭の悪い不信心者を送りこめ、と」
 嘲るような笑いを交えて黒衣の男が枢機卿の名前を出すと、エディオの身体は凍り付き、その蒼い目には愕然とした表情が浮かんだ。
 「それとも枢機卿が君を買いかぶっていたのかな? 片田舎の天文学者の本を読んだだけで竦むような男とは思いもよらなかったということか?」
 あまりに正直な反応を示す目の前の少年が愉快でたまらぬ、というようにたった1つの目をやや細めて、アルヴィーゼはすいと手を伸ばし、青ざめた相手の頬に手をあてる。
 「俺は兄者よりだいぶ人が悪くてね。あのナポリ生まれの枢機卿の噂も色々聞いているんだよ。残念だったな」
 生粋の文人にしては逞しすぎる手に顔をなぶられるままになっているエディオの視線は次第に、自分が任務に失敗したというくやしさに苛烈な色を帯びてくる。
 「枢機卿に何と言われてここにきた?」
 「……あなたの書庫の中身を調べてこい、と」
 「その恩賞は何だと言っていた?」
 「バチカンの神学校の学費と生活費を全部」
 「なるほど、悪くない条件だ……今となってはそれも夢と消えたか」
 皮肉を刷いた調子でうなずき、アルヴィーゼはその手を少年の顎から、武器を持つことを知らない細い腕へと動かした。
 「知られたくない秘密を誰かに知られたら、どうすべきだと思う?」
 強く握れば折れてしまいそうなエディオの腕を鷲のように捕らえて尋ねるその声は、期待する学生にあえて厳しい質問を投げかける教師のようだ。
 「殺すんですか」
 精一杯虚勢をはった生徒の答えに教師はさらに問いを続けた。
 「死にたいのか」
 「死にたくありません」
 「正直でよろしい」
 まあ、及第点だという調子でうなづいてアルヴィーゼはわずかに手の力をゆるめる。
 「そう、あんな枢機卿のためなんかに死んでやることはない。命はなかなかに大切なものだからな」
 「じゃあ、僕は……」
 「ここにいろ。最初の話しと同じだ。俺のために本を読み、字を書き、蔵書の管理をする。それが君の新たな仕事だ」
 殺されることはない、と知ったエディオは思わず息をついた。
 ここでしばらく、いいなりになっていよう。きっといつかすべてを教会に伝えるチャンスがくるだろう。そうしたら、自分の罪を懺悔し、神のみ前に悪しき知識をすべて投げ捨てるのだ。
 「逃げて、教会にかけこもうなんて考えるな」
 内心を見透かしたような冷たい声がエディオの身体を硬化させ、俯いた赤毛の頭上からさらに酷薄な色を帯びた言葉が降ってくる。
 「服を脱ぎたまえ」
 「え……」
 「服を脱ぎたまえ、と言ったんだ」
 それは命令だった。
 先に図書館の鍵を差し出したときと同じ、拒否を絶対許さない命令。
 エディオはのろのろとシャツの襟元を止めている細い麻のコードに手をかける。指先が震えていた。
 ―― 厳格な教師が子どもにするように、彼は僕を叩くのだろうか?
 思うように動かない手をやっと動かして、毛織のタイツを体からはずし終えるまで、やたらと時間がかかったように思えた。
 うす暗がりの中でも、やや離れたアルヴィーゼのたった一つの目が自分の貧弱な体を検分するように眺めているのが裸の少年にはわかった。
 今夜が新月だったらよかったのに。
 こんなに冴えた初秋の満ち足りた月などではなく。
 伏目がちにで、エディオがそんなことを考えていると足元にすっと主人を名乗る男の影が射し、思わず顔を振り仰ぐ。
 間近で覗きこむアルヴィーゼの隻眼が刃のような光を帯びたよう感じたとたん、少年の視界は闇に閉ざされた。
 男の黒衣と同じ色。
 そして、重くて生ぬるく、柔らかく小さく蠢く感触。
 「……!」
 少年の挨拶以外の口づけを知らない唇を割って、とろりとなめらかな塊がその口蓋を侵しはじめると、くぐもったうめきと湿った音が部屋の中に流れた。
 息ができない。
 溺れる。溺れてしまう。
 「んんっ……!」
 恐怖にエディオが体をよじると、不意に息が楽になった。
 闇から再び浮かび上がったアルヴィーゼのの口元を呆然とエディオは見上げた。
 「女と寝たことはないのか? なさそうだな、その様子だと」
 笑い声ともため息ともつかぬ調子を交えながらも、エディオを見下ろす端正な顔は変わらない冷ややかさをたたえている。
 そのまま、表情をまるで変えずにアルヴィーゼは腕を前へと突き出した。
 「なっ……あっ?!」
 どん、と力強い掌に右肩を押されてエディオはバランスを崩し、後ろへと倒れた。計算されていたようにふわり、と弾力のあるベッドがその体を受け止める。背中を撫でる絹の感触。仰向けになったまま動けないでいる自分を見下ろす一粒の宝石。
 サイクロプスと呼ぶにはあまりにも美しい魔物が黒い衣を脱ぎ捨てた。
 「二度と教会に立ち入れない体にしてやろう」

 男が女と寝るように男と寝るのは罪である――。
 ソドムの罪――。

 「……っ……ん……」
 ぐっと噛みしめているつもりの唇から、切なげな声が漏れて、寝室の暗がりへと溶けていく。
 耳を塞ぎたかったが、全裸のまま、天蓋の幕をとめる豪奢な絹ロープで後ろ手に縛められているエディオには、それもかなわぬことだった。
 聞きたくないのに。
 意志に反して零れていく自分のあえぎも、無防備にさらされた陰部から聞こえてくる濡れた音も、そしてその手と唇で自分の体と魂に罪の刻印を刻みつづける男の声も。
 「女と違って、経験がなくてもここは敏感なものだな」
 初々しいバラの色を帯びた少年の性器をアルヴィーゼが指先でこすりあげてやるたびに、その熱っぽい先端は露をにじませ、華奢で敬虔な体は与えられる淫らな刺激におびえるように強張る。
 「ほら、自分でもわかるだろう? 」
 「……んぁっ……も……やめてください……」
 ついに許しの言葉を口にしたエディオの青い目から、幾筋もの涙が流れて絹のシーツに染みを作った。
 「アルヴィーゼ様……許して……どこにも行きませ……何も言いませんから……」
 「……俺の屋敷に踏み込んだ自分を恨むんだな」
 「そんな……そんな……ああっ!!」
 一瞬、こめられた力にたまらず少年の精がはぜた。手淫さえ知らなかったエディオは、その衝撃に目を見開き、呆然と暗い色の天蓋に視線を泳がせた。
 「意外とこらえがきかないやつだな」
 アルヴィーゼは揶揄を投げつけながら、少年の腹の上に散った体液を指先にからめて、脱力して緩んだあどけない口へと運び、ねぶらせた。
 口の中に広がった味はひどく塩辛くて、エディオはなぜか涙をなめてみたときのことを思い出した。


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