煎餅屋・神代京介の毎日�D

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　そもそも京介は、甘味が余り得意ではない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　其れがそもそものきっかけであった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　最初は自主的に１年放浪して迎えた受験勉強
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　の時。夜食を考えあぐねた時の偶然であった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　下手に満腹しては眠りに突入してしまう。さ
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　りとて空腹を抱えたままではどうにも能率が落
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ちる。そして、出来れば眠気を吹き飛ばす要素
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　が含まれている方が有難い。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「炬燵の上に…何か…」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　余りの空腹にいつもの彼らしくも泣く茶の間
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　に彷徨いだす。そして、出会いがあった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「『草加煎餅…七味地獄』？面白そうだな」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　さて、部屋に戻り、何の気なしにいざ一口…
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　齧り取ろうとするが恐ろしく堅い。そして…。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「…!!!」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　余りの味に湯飲を一気に干す。決して不味く
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　は無い。神代の実家の製品なのだから。問題は
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　その辛さだ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「何処の誰が食べるというんだ。こんな…個
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　性的な味付けを」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　しかし、それ以降この１枚が京介の毎夜の勉
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　学の友となったのである。噛み砕く時の刺激で
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　眼が醒めるのは勿論、その七味唐辛子の辛味で
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　更に意識がクリアになり、そしてその成分で肉
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　体の発熱も促され、自然暖房要らずになる。誠
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　に重宝な夜食であった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　まさか自分が其れを後年造る側になろうとは、
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　夢にも思わぬ京介であった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「考えてみれば…策略だったんですかねぇ」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「宗のかい?アレは其処まで気は廻らないよ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　確かあんたが食べた分は、新製品の見本が出来
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　たから偶々持っていった分だったねぇ」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「それにあの堅さ…幾ら何でもと思いました
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　よ。でも病み付きになりましたけどね」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「あれ位堅い方がいいんだよ!あたしゃ今でも
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　平気で齧ってるよ」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「元気な歯茎ですね」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「歯が衰えたら喰うもんも食い上げだしね。に
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　しても品数が増えたねぇ」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「伝統も大事ですけど、伝統に逆らうのも愉し
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　いですしね」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「バレンタインはやんないのかい？」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「割るのが信条の物で祝っても仕方ないでしょ
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　う?誕生日用は時々遣ってますけどね」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「あちらにあるのは？」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「今開発中の奴なんですよ。眠気覚まし用で尚
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　且つローカロリー、しかも腹に凭れない奴という
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　リクエストがあったんで」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「随分物好きな要望もあったもんだ」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　さて、続きは次回講釈へ。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　《コメント》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　今回、１冊の参考図書があります。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　林望「音の晩餐」(集英社文庫/96年)
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　煎餅の堅さと眠気覚ましの関係について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　大いに参考にさせて貰いました。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　優れたレシピ集であり、エッセイ集です
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ので是非ご一読を!