その日は本当に穏やかな一日であった。空には
雲ひとつ無く、風も爽やか。居眠り日和である、
といって過言ではない。
にもかかわらず桜井京介は至極不機嫌だった。
対して栗山深春・蒼・神代教授の3人はすこぶる
上機嫌であった。この対比を説明するのに丁度
良い言葉がある。「他人の不幸は蜜の味」と言う奴だ。
何しろ今日は京介主演CMの衣装合わせがあるのだから。
でもいいのかなー。皆そんなに呑気で。
さて場所はがらりと変わりジュエリーアカネ本社内
臨時録音スタジオ。と言っても機材はPCとキーボード
各1台のみ。その前に腰を据えているのは《PINY−GATE》、
又の名を佐々木国松。
ヘッドホンを着けて先程から何回も自動演奏部分の調整を
繰り返している。それこそ丹念の3乗といって良いほどの。
音色を変化させ、リズムの細部を調整し……其処まで来たら
コンピュータに任せれば良いのに、と思えるほど。
『それかこいつの長所でもある、と』
蔵内一巳はそんな彼を見ながら苦笑している。この義理の
従弟は普段呆れるほど大胆な癖に、いざ本番となると俄かに
信じにくいほど繊細になる。だからこそ多くの人の支持を
得られると言う事もあるのだろうが。
「カズ兄?」
「ダイジョブか?」
「一遍聴いてみて。ドつぼに嵌ったみたい」
頷いてやるとスピーカーのヴォリュームを調整して演奏を
始める。今目の前にいるのは騒がしい義理の従弟ではなく、
ミュージシャン《PINI−GATE》だ。全く別人の様に良い音を
出しやがる。ファンも多い筈だ。
こいつが音楽を始めて間もなくプロになったのは佐々木の
苗字を名乗ってすぐの事だった。2,3年前だったか、
始めた理由を聞いた事がある。
『ま、お百度参りみたいなもんかな』
照れくさそうに言ってそれきりだったが、多分実の爺様に
対しての意思表示ではなかったか。言葉にするには恥ずかしい
から、と。名乗りなんてモロにそうだ。《PINY−GATE》、
『松の』『門』。
自動演奏部分に負けじとキーボードを操る。無機質なだけ
だった『音』が『音楽』になって行く。それに頭の中で映像を
重ね……ん?自分でブレーキ掛けてやがるな。
「クーニ!」
「判ったん?」
「判ったもなにも。お前、登場人物一人の設定で曲進行させて
たろ?」
「一人やんか」
「ダーホ。お前如きの考えが読めぬ従兄と見くびったか?ん?」
「…お見通しでしたか」
苦笑しつつ速やかに設定変更。
「お見通しというよりも、必然だな」
「?元々ソロ予定でしょ?」
「お前ね、素直に信じてた訳?」
「…い……?」
言葉を失う国松に対し、会心の人の悪い笑み。
「朱鷺が撮った写真、2ショットが殆どでなー。それを参考資料と
して嘆願書と一緒に各部署に回した、訳だ」
「………それって……、カズ兄?」
「?」
「性格の悪さに、ずいぶん磨きかかってない?」
ほっとけ!お前にだけは言われたくねーよ!
極悪タッグが漫才をやっていたその同時刻、遊馬朱鷺は
神代教授宅で風呂敷を広げていた。読んで字の如くに。
「紙袋よりも使い勝手が良いのよ。遣い回しも利くし」
確かに遣い回しという点では賛成だ。が、その正体は色鮮やかな
薄物。いざとなれば衣装の一部としても遣い回そうと思っている
のだろう。衣装はその包み一つだけ。メイク道具の鞄は…どうも
見当たらない。そしてもう片方の手で提げて来たトランクの中身は、
「イミテーションだけど、本物なのよ」
総てが人造宝石で作られたアクセサリー。人造と言って馬鹿に
してはいけない。人造エメラルドにいたっては値段の面でも
天然物と遜色は無いのだ。そんなものが神代宅の居間にある…
ちぐはぐな光景だ。
「メイクは最低限…目元と唇程度で良いわね。カラーコンタクト
を入れて、髪はプラチナのスプレーをかけましょ。ボディーペイン
ティングは取り止めね。胸元はチラリと覗くだけで充分刺激的
だから」
朱鷺…ホントにはしゃいでるなー、と蒼は溜息を吐く、ふりを
する。だってここで下手に笑おうものなら後で京介にどんな目で
見られるか堪ったものじゃないし。でも普段傲岸不遜向かう所
敵なしの京介が(憮然とした顔をしながらでも)女の人に
唯々諾々と随っている姿と言うのは…、
『悪いけど、笑えるよぉー』
葡萄瓜もそう思う。ただね蒼君、もう少し危機感は持った方が
いいなぁ。京介の傍にはどんな状況であろうと君はいるんだよ。
もう少し自覚するべきじゃ、無いのかなぁー。
「さて、ご開帳よ!」
ファンファーレでも鳴らさんかの勢いで朱鷺が蒼達を襖の前に
誘導する。余程自信があるらしい。イヤ、なければおかしい。
あの極上素材なのに。
「そーれっ!」
内側から力任せに閉じられた襖(京介…最後の抵抗だな)をより
上回る力でこじ開ける。そこに現れたのは…イヤ、葡萄瓜の筆では
描けない。篠田先生以上の誉め言葉を思いつかないから。
敢えて言及するなら、一夜を共に出来なくてもせめて其の傍らに
居る事を許して欲しいような…美しさだ。
「見事に化けやがったな」
神代教授の一言が総てを物語っている。
「遊馬社長」
「何、栗山さん」
「ポスター撮り当日、カメラマンのポスト、空いてませんかね。
何だったら助手でも良い」
「丁度空きが出来たところよ(と言うより作ったんだけど)」
「口利き、お願いできますか。これだけの素材を見逃す手は無ェ」
「喜んで推薦させて戴くわ」
流石にしれっとした顔で言ったけどね…ここまで上手く行くとはね。
栗山氏を引き込むには飛び切りの素材を見せる…思いきり
読み込んでるわね。良かったわ、一巳が敵じゃなくて。
「蒼、お前どうする?」
「ぼく?遠慮しとく」
ここで喜んで付いて行ったら…後が怖いもんねー、だ。
でも其の蒼の配慮でさえも一巳が計算していたとは誰も知らない。
京介でさえ。もっとも京介は自分の災難で手一杯だったのだから、
責めるのは酷か。
さて、再びジュエリーアカネ本社。
「もしもし」
「あろあろー」
「あのね、国松…。あたしがあの御方のファンだと知ってて
それを使う訳?」
「戯れやて。で、御首尾は?」
「上々。あんたの方は?」
「99.9%は。カズ兄に代わる?」
「どうせ帰ったら嫌でも顔合わせるでしょ」
「どうせ、ねェ。ほう、嫌でも、ねェ」
「…一巳……、あんた、いつの間に声帯模写なんて…」
「忘年会に役立つかな、と。じゃ、後は蒼だけな」
「そう言う事ね」
電話で話しつつ次のバトン走者にウィンク。さてもう一手で
大きな花火が打ちあがるかな?音楽以上の出来、期待してるぞ!
(混乱途上2へ、続いてしまう)