思い描く限りの優しさと残酷さで
「っていうか、何でこんな2人でデートしなきゃなんないんですか」
「俺が古谷に頼んだから」
不貞腐れた顔で向かいの席に座っている一也を見つめ、笑みを浮かべながら河原は彼の問いに答える。
理由を聞いても一也の苛つきは収まるはずもなく、むしろ増すばかりで、一也はテーブルの上のバーガーを掴み、かぶりつく。
その思いきりのよさに、ニヤニヤと笑いながら河原はポテトをつまむ。
「3人で出掛けようとかいうから変だとは思ったんだ、みたいな感じ?」
河原の言葉に一也も一瞬手を止め、
「でも休日に、しかも日中のデートの誘惑には勝てなかった、と」
しかし図星である言葉に、さらに勢いよくバーガーを食する。
「俺は嬉しいよ、2人っきりで」
街中だからか、アタシという一人称を使わず、またオネエ言葉も使わない河原。
その、心の底から嬉しい、というような相好を崩した笑顔が、前回あった時の不敵な印象と違って一也は戸惑って手を止める。
というよりも河原の印象自体が会う度に変わっている。人物像が定まらない。その捉えどころのなさが、特徴といえば特徴に位置付けられるのだろうが、
「……何、じっと見ちゃって」
咥えようとしたストローから口を離し、笑う河原。
我に返って、冷たい口調で一也は答える。
「別に」
「いい男だからって見惚れないでね」
「古谷の方がいい男です」
躊躇わない言葉に、目を一瞬張る河原。だがすぐに微笑む。
「まあね」
そして眉を寄せている小崎に付け足して言う。
「小崎くんもいい男だよ」
「そんなの分かってます」
返された言葉に、目に涙が滲むほど笑った。
そして河原は一日中小崎を連れ回した。
屋内テーマパークで遊んで、飯食って、水族館行って、展望台登って、有名人の墓見て。
その間にも気温も下がっていた。
そして今は信号が変わるのを待っていた。
「寒いね」
「そうですね」
「昼間は暖かかったのにね」
寒さが堪らないのか、首に巻いたマフラーに顔の三分の一近くを埋めながら前方を見据えている。そんな小崎の顔を横目でちらりと見て、そして呟く。
「……今日はアリガトね」
何をいきなり、と怪訝な目を向ける小崎に、河原は微笑む。
「俺の事嫌いなのに付き合ってもらっちゃってさ」
その苦笑いに、小崎は呆れた顔を見せる。
「嫌いだったらとっくに帰ってますよ」
「……そう、ね」
その言葉が変なツボにでもはまったのだろうか、河原は声を立てて笑う。
しかし、デート中は綻んでいたものの、先程からこわばったままの小崎の表情に口を閉じる。そのこわばりは寒さの為なのだろうが、河原の心の中にやましさがあるせいか、その表情に責められているような気分を禁じえなかった。
だがしかし、
「今日楽しかった?楽しかったならまた2人でさ」
と河原は次の誘いの言葉をかけてしまう。
そんな河原を何も言わずに見返す小崎。沈黙の中の直視に、河原も黙って見つめ返す。
そして小崎は、
「……無理ですから、俺は」
そう呟いて彼はポケットから携帯電話を取り出す。
そして古谷の電話番号への短縮で素早く電話をかける。
前の道路を走り、去って遠くなるエンジン音が妙に河原の耳に残っていた。
じっと小崎の姿を見つめる河原の前で、小崎は鳴り続ける発信音の向こうの男を待っている。
「……古谷?」
電話に幼馴染が出たらしく、途端に軽くなる彼の声。
「俺酔っちゃったから〜、迎えに来て?」
それが心からの物でないのが握り締められた拳から分かって、その理由が分からず河原は眉を寄せる。
「……あいにく河原さんも潰れちゃって。……うん何かね、今日すっごく飲んじゃってさ。だから俺も河原さんも帰れないの。……お〜ね〜が〜い〜。……やった古谷愛してるぅ」
しかし続けられた言葉に目を剥いた。
「……うん、場所はね、今日の待ち合わせ場所近くに公園あんじゃん。…………うん、そこ。……ども、ありがと。じゃ、来てね〜待ってるからぁ」
そして小崎は語尾にハートマークがつけられたような声で電話を終えて、そして河原に目をやる。
「……あの……小崎く」
「言っとくけど今俺すっごくムカついてますからね」
今の電話の分からなさに動揺しながらも、その意図を聞こうとする河原の言葉を遮って、不機嫌そのものの声で言う。
「え」
その理由は何、っつーか今の電話の意味は、と新たな疑問で更に動揺した河原の前で、小崎は大きく息を吸って、
「ホントにホントにこういうの死ぬ気で嫌だし普段だったら絶対やらないんですよこんな事でも何か前から思ってたらしいし浮気性でも一途っぽいしつかそこらへんすっげ俺的に理解不能なんですけど」
とそこまで一気にまくし立てる。
呆然としている河原を真っ直ぐに見て、言う。
「告白もできないで、とんびに横からかっさらわれちゃうのはさすがに嫌でしょうし。チャンスはあげます」
呆然としていた河原の眉が、段々と寄って行く。目つきも険しくなり、
「何それ」
彼は皮肉気に顔を歪める。
「同情してんの?」
「そりゃしてますよ」
しかしそれに小崎は微笑みで返す。
「他人とは思えないくらいには、ね」
以前彼に対して言った言葉をなぞった言葉に、河原は気づく。
今日1日過ごして、小崎の事を聞いた。それは彼の職業の事や彼の趣味、好きな食べ物の事だったけれど、やはり古谷の話も聞いた。河原自身聞きたくないとは言えず、むしろ楽しんで聞いてしまった部分もあった。そしてその話の流れで、自分の昔の古谷への思いも少しであったけれど彼に話していた。
河原と小崎は、確かに似てはいた。
ずっと長い事古谷を思い続けているという点において。
(……だけど、ねぇ)
そう心の中で呟いて、河原は微笑みを浮かべる。
「言っとっけどさぁ。俺奥さんいるし愛人はいるしセフレはいるし、別に小崎くんみたいに一途に思い続けてる訳じゃないよ。小崎くんともそういう意味で楽しめたらって思って声かけたし、それで惚れてくれたらバンバンザイだな〜って思って声かけたんだってば。っつーかあいつはいい男だと思うけど、別にそこまで」
「じゃあ聞きますけど。好みなら何で声かけないんですか?俺に対してこうやってるみたいに」
溜息をつく小崎。
「古谷より俺の方が融通利かないですよ、そう言う意味じゃ」
そのまま話を流してくれればいいのに、自覚しているらしい融通の利かなさに、河原は心の中で舌打ちしながら彼に言う。
「じゃあ聞くけど。あんたも逃げたがってんじゃないの?アタシの誘いにこうやって乗ってる時点でさぁ、あいつには誤解されてるわよ完全に」
「だって古谷だってあんたが来るまでは俺に体触らしてくれてたし、それ以上は無理でも俺に応える事だけはしてくれてたよ。だから俺を少しは好きになってきてくれてるのかなとか思ってたのに、あんたが来てから応えてくれもしないよ。今更そんな事されたって」
敬称をつける事も、敬語もなくして小崎は、河原を見ずに言う。
「古谷があんたを好きならさっさとくっついてくれた方が俺にしたら気が楽なんだよ」
「……あのね……」
どうしたらそんな誤解ができるのよ。
そんな言葉が心に浮かぶが、それも推測でしかない事に気づく。
古谷は、小崎にも河原にも何も話していない。彼が小崎を思っているというのも河原の想像に過ぎない。だから小崎も不安になるしかないのだろう。
しかしそうであっても、古谷が自分に対して特別な感情を持っているという自惚れはさすがにできずに、河原は俯いた小崎の頭を撫でる。
(……ホントアタシって不幸そうな顔をしてる男が好きなのよね)
膝の上で、長い指が落ち着かずに拍子を取る。
「……河原?」
かけられた声にその指を止め、河原は顔を上げる。
黒いコートをはおった古谷がそこにいた。
「一也は?」
「俺が金渡して先にお前ん家にタクシーでやった」
(――やっぱそこで小崎くんの名前出るのね)
呼び出した人物がそこにいなければ、そして酔いつぶれたはずの自分が普通に待っていれば、その言葉が出るのは当然だと分かっていながらも、河原は自虐的にそう思う。
「……何で」
心の底から不思議に感じている古谷の声音に、河原は苦笑する。
「俺が小崎くんに頼んだから」
「何で」
古谷は同じ言葉を繰り返して問う。河原はそれに何も答えずに、座っていたブランコの周りの囲いから立ち上がる。
わずかに高いその目線が見下ろすのを、なぜか切なく感じる。
(……こいつが俺より背高くなったのいつだっけ)
中学生の頃はまだ小さかった気がする。高校生の頃だろうか。――よく覚えていない。あの頃は何もかもが楽しくて、時間の経つのも早かった。
でも、
「――河原?」
この恋心を自覚した頃には、もう背は抜かれていた事は覚えている。
「……悪い」
自分の頭の上から聞え、自分の触れた肩から振動が伝わってくる声に、このまま酔ったと誤魔化してしまおうかという誘惑に駆られる。
だけれど河原は古谷の背を抱きながら、顔を埋めた肩へと呟きを落とす。
「あのさ」
「何だよ」
こんな常と違う自分の状態に何も言わずにいるのは、気付いているのかもしれないと期待を抱く。なら言わなくても良いのかもしれない、そう思うけれど、言わなければ自分の気持ちにけりをつける事も出来ないのを河原も知っているから、口を開く。
「……好きだったんだ、お前の事」
呟きには何も返されない。それでもいいと思いながら、河原は続ける。
「高校ん時から多分ずっと。……そりゃ他に誰も好きになんなかったなんて言わないけどさぁ、奥さんいるんだし。でもね、お前の事忘れられなかったし、一番そういう気持ちが強かったのもお前なのよ」
自分を愛してくれている人々にすまない、という気持ちがない訳ではない。むしろ有り余るぐらいにはあるのだが、甘やかし過ぎるほどに自分を甘やかしてくれる人々の愛情を知っているから河原は告白する。
「ホント何でお前なのとかも思ったりするけど……やっぱお前が好きなの。わざわざ、とかじゃなくって、理屈じゃないし。そりゃいい奴だとか思うけど、そんな事とかとは別んトコで本気で好きなの」
しかし古谷の口は彼の言葉を止める事はなく、その為に河原の口は溢れる感情のまま言葉をつむいでしまう。
「……別に、友人とかでもいいと思うのよ。これは本当に。……でも、出来るなら――本当に出来るならよ?……あんたの恋人に、なりたいの」
北風がブランコをわずかに揺らす。
もう季節は春に近いけれど、急に戻ってきた冬は彼らの体温を奪っていく。
しかし古谷の背にある河原の手が震えるのは、その寒さの為ではなく、緊張の為だった。
このまま逃げ出したいと思う怖さの反面、長年思っていた男の体が腕の中にあると言う事実が河原の心を満たす。それだけで充分で、しかしこのまま時が止まればいいと河原は思う。返事は分かっているから、このままでいさせてほしいと切に願う。
「……ごめん」
しかし、古谷は口を開く。
「俺にとってお前は友達だから。だから、お前をそれ以上に思った事もないし、これからも思えないよ。……だから、ごめん」
その声には迷いはない。それゆえに、残酷な言葉が彼の胸を刺す。
「……ま、な」
わずかな沈黙の後に、腕を解く河原。わずかに身を離した彼の顔には、既に笑みが浮かんでいる。
「言ったらそう言うとは思ってたけどな」
そして大きな衝撃が古谷の身に走る。
脛の痛みにうずくまる古谷を足蹴にする河原。
「む〜じゅ〜ん〜に気付けってんだコノヤロ」
そして、その始まりと同様の唐突さで足を止める。
「まあ、気は分からねぇ訳じゃねえけどさ」
しかしそのまま長細い足は肩に乗せられたままで、古谷は涙目で河原を睨み上げる。
そんな彼を見て顔を 細い目を更に細めて笑う。
「……ま。がんばれや常識人」
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