4.君が好き? 豪が幽霊になって変わったことといえば。 (烈兄貴の傍にいたい) と、よく言うことだった。 今までなら言わなかっただろう言葉。生前は思春期だからか、避けることのほうが圧倒的に多かった。 それが今、傍にいなければ誰にも気づかれない状態なのだから、不思議なものである。 期末テストまであと2週間。 豪は普段よりも姿を見せなくなった。多分、自分の勉強の邪魔になることを心配してだろう。 退屈な授業中。大体の内容はわかっているし、授業が終わるまで、と10分。 (おい、豪いるか?) ぼそっと心の中だけでつぶやく。 (呼んだ〜?) 「―っ!」 内心で冷や汗をかいた。いきなり逆さまで天井から出てきた。 叫びださなかったのが今までの自分からだと不思議なくらいだ。 (脅かすなっ!) (ごめんごめん、でなんの用だよ) (お前、昼休みどこにいる?) たまには二人で食べるのもいいかもしれないという考えだ。もっとも、豪は食べないが。 (日によってまちまち、グラウンド行ったり、他の教室行ったり) (…そうかよ) 烈はため息をつく。 「(…あれ、僕なんでため息なんか?)」 豪は後ろを振り返る。授業中だったことに気づき、豪は諦めたように、 (いいよ、兄貴の好きにしても。俺邪魔したくない) (お、おい…) ふっと消えた。 (なんだよ、まったく…) 最近はこうだ、豪らしくもない。人の気を心配するなんて。 授業終了のベルが鳴った。 結局、烈は一人で昼食を取ることに決めた。 窓際の席から外を見ると、サッカーをしている生徒がちらほらと見える。 (そういや、豪はサッカー部に入ってたっけ…) 1年でレギュラーを勝ち取り、練習に明け暮れていたことを思い出す。 思い込んだら一直線、は豪の長所であり、短所だ。 そのための努力は惜しまない。ミニ四駆で相談は出来ても、サッカーは自己鍛錬だ。 あっという間に自分より背が伸びてしまったことが、悔しかった。 (ま、今は逆なんだけど…) 当時は僕の方が高かったっけ…と烈は思い出す。 「星馬、ちょっといいか?」 「何?」 呼んだのは同じ部活にいた同級生だった。高校に入って烈は美術部に所属していた。 それなりに賞はもらっているが、やっぱりミニ四駆をいじっていたときのほうが楽しかったのかもしれないと今では思う。 「あのさ、お前美術部の部室まだ片付けて無いだろ。あとお前だけだからやっておけって先生が」 「わかった。やっておくよ」 そういや、3年生はこれで引退だから溜めておいたスケッチブックを片付けておけと言われていたことを思い出す。 なんだかんだと言って、2年半で10冊くらいあったから描いたのだろう。 放課後、補習を早めに切り上げた烈は鍵を借りて美術室へ向かった。 ※ ※ ※ (…あれ?) 「…豪?」 もう閉校時間ぎりぎりの時間。夕暮れの中で、豪がいた。 机の上に座っている。椅子ではなく、机に。 「なんでここにいるんだよ」 (烈兄貴こそ) 「俺は、スケッチブックを片付けてこいって言われたから…」 言うと、豪は目を見開いた。 (そっか、じゃあ…もう描かないんだ) 「…えっ?」 (……) 豪は一枚の絵を見ていた。それは、去年入賞した絵。自分が描いたもの。 「…豪、お前……」 (俺、この絵好き。なんか、烈兄貴が見てる世界って感じで) そういう豪は、本当に羨ましそうに眺めている。 「お前まさか、俺の絵を、ずっと?」 行く場所は時々違うと言っていたが、本当はずっと、この絵を見ていたのかもしれない。 それは風景画で、家の周りの町並みを描いたものだった。 題材が決まらなくて悩んでいた時に、 「なら、その辺の家でも描いてろ!」 って豪に怒鳴られて、何にも知らないくせに、と怒って家を外に出たら、少し違った光景が見えた。 その時の絵がこれだった、まさか入賞すると思わなくて。美術室に貼られたときは、しばらく恥ずかしかったものだ。 思い出してみれば、そのときの借りを、まだ返してなかった。 「ちょっと待ってろ」 (烈兄貴?) 美術準備室に残された、スケッチブック。 その一番新しいものをぺらぺらめくる。自分の考えが正しければ。 「…あった」 白紙のページが残されていた。 戻って鍵をかけると、同じように机の上に座った。誰もいないし、咎められる事も無いだろう。 ページを開いて、鉛筆を滑らせる。 (兄貴、なにしてんの?) 「ん…お前を描いてる」 (え、俺の?) 「しばらく動くなよ」 (お、おう…) 何もしてやれなかった兄貴の、弟へのプレゼントみたいなものだ。 さらさら描ける自分が不思議だった。それくらい豪を見ていたのだろう。 鉛筆の擦る音だけが響く。豪はただ、黙っていた。珍しいこともあると思う。 モデルにしたら、絶対退屈だ、とか言うと思ったのに。 (…烈兄貴) 「…ん〜」 描きながら、耳だけで聞くことにする。 (なんかさ、すっごい…きれい) 「はぁ?」 見当違いな言葉に、烈は顔を上げた。 豪はこっちをじっと見ている。 (こう、なんていうのかな。どきどきする) 「何だよそれ、要領得ないな」 (そうだよな、ゴメン) 「全く……」 何が言いたいのか全然分からない。とりあえず、描く方に意識を集中させる。 豪はずっと自分のほうを見ているが、自覚すると恥ずかしいので、無視することを決めた。 (兄貴、聞き流していいから聞いてくれる?) 「何だよ」 (…本当はこの高校入るの、難しいって言われたんだ) 「…それで?」 たずねると、沈黙した。鉛筆の音だけが響く。 (でも、烈兄貴と一緒の高校じゃなきゃ行く場所が無いって、そう思った) 「お前らしいな」 (高校決まって、烈兄貴すっごく喜んでくれただろ?) 「ああ」 また豪は黙る。何分かたって、ようやく口を開いた。 (その時思ったんだ、俺……烈兄貴のこと、好きだって) 「……」 鉛筆の音が止まる。 烈は返事をしなかった。代わりに、鉛筆を収める。 「……豪、描けたぜ」 (本当?見せて見せて) 「ほら」 烈が描いた豪の絵。 (烈兄貴、これ…) 美術室にいる、16歳の豪。楽しそうに、空に浮いている。 「俺は今のお前を描きたかった。だからこれを描いたんだよ」 ぱた、とスケッチブックを閉じた。 (でも俺、10歳の姿だって…) 「バーカ、お前くらい空で描けるよ」 (なんだよそれ〜) 烈が笑うと、豪もつられたように笑った。 「豪、もう帰ろう」 (おう) 日はすっかり夕方になっている。早くしないと先生に怒られそうだ。 (ありがと、烈兄貴) 帰り際に、豪はそう言った。 「気にするなよ、お前らしくも無い」 (俺らしくも無い?) 不思議そうな顔で言う。 「そうそう、いっつも猪突猛進で、失敗あると俺に頼ったりして、何度俺が苦労したか」 (ちぇっ、そういうことかよ) ふてくされた豪に、烈は「でも…」と付け足した。 「でもそんな弟が、俺は好き」 言うだけ言って、烈は走り出した。 (お、おい兄貴っ!今の言葉って…) 「ん〜、俺何か言ったか?」 (言った!絶対何か言った!) 「気のせいだよ、気のせい」 烈は走った。家まですっと、豪が追いかけてくるのを待って。 豪が好き。初めて言葉に出すことになるんだろうか。 思い切り泣きじゃくった自分を、黙って聞いてくれたのが、そのきっかけ。 豪が自分が好きだというのだから、自分も思いに答えよう。 好きか嫌いかって聞けば最初から答えはわかってる。 (待てってば!) 「待ってやらない」 (チクショー!) あんまりの悔しがりようにおかしくなって笑いそうだ。 飛んでるんだから、行こうと思えばあっというまに追い抜いてしまえるのに。 なのに必死になって追いかけてくるんだから。 「告白って、こんなものだったか?」 何か、随分違う気がするが。 でもまぁ、こんなやり方もいいか。相手が常識外れなら。
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