5.夜色遊泳
(烈兄貴、星が綺麗)
机にしがみついて2時間、ようやく眠ろうとしたときだった。
横を見ると、豪は窓から外を見上げている。
「今日は満月だって言ってたし、雲もないからよく見えるだろ」
(烈兄貴は見ないの?)
「俺は寝るの」
(そうかよ)
つまらない、と言いたいばかりに、豪はまた空を見上げた。
「だったら飛んでいけばいいじゃないか」
(だって俺、高いところ苦手だし、兄貴いないと面白くない)
自分がいて果たして面白いのか、という疑問も浮かぶがとりあえずそれは無視する。
「お前、本当にらしくないな」
(何がだよ)
「幽霊らしくないって言ってるんだよ。大体、俺がいる建物内から出られないってどういう幽霊だよ」
(仕方ないだろ!ドアはくぐれても外壁を越えられないんだ)
豪の言うとおり、ドアを通り抜けられても、外へ通じる壁を越えることができない。
自分がドアを開けないと、豪は閉じ込められてしまう。窓が開いていると別らしいが、ひどく疲れるとか。
外にいるときは比較的自由に動けるようだが、家に帰ると豪は家にいる。
そんな感じだ。
「もったいないな、僕だったらどこまで星に近づけるか見てみたいのに」
言うと、豪はきょとんとした表情をして、次に、にやりと笑った。
まずい、こういうときは絶対何かたくらんでいる。
(……やってみたい?)
「へっ?」
にやにや笑っている。なにか嫌な予感がする。
「言っとくけど、死ぬなんてごめんだからな」
(わかってるよ)
わかってなさそうだ、まぁ、突き落とされることは無いけど。
そう思っていると、豪は思わぬことを言った。
(夢の中なら、なんでもできるだろ?)
「…豪?」
(目をつぶって、10数えて)
「なんだよいきなり」
(いいからさっさとやる!)
強い口調で言われれば否定する理由も無く。
大人しく目を閉じた。
(1,2,3…)
結局カウントするのお前かよ、というつっこみを心の中だけでする。
(4,5……)
唐突に、腕を掴まれた感触がした。なのに動けない。
身体が動かない。まさか、金縛りっていうものか。
(6,7……)
こら豪、カウントしてないで助けろ…ってあれ?
動いた。けれどなんか様子がおかしい。なんか、水の中にいるような感覚だ。
ふわふわする。
(8,9……、10)
カウントが終わった。
(もう目を開けていいよ、烈兄貴)
ゆっくりと目を開ける。あまり視界は変わっていない。いや、天井が少し近いような…
『…っ!』
がばっ、と起き上がる。下に何も無い。腕を突きぬけ、逆さまになる。
(れ、烈兄貴大丈夫?)
支えたのは豪の腕だった。
『豪、お前俺に触ってる?』
(うん、触ってる。下見てよ)
言われるままに、下を見る……自分がいる。ということは。
『うわああああっ!!』
とりあえず、絶叫。豪が耳をふさいでいる。
『豪、お前、よくも僕を殺したな〜!!』
がっくんがっくん揺さぶる、豪は違う違うと首をぶんぶん振っている。
『どこが違うって言うんだよ』
(もっとよく見てよ、烈兄貴は息してるってば!)
『…え?』
近づいてみると、確かに、息してる。死んでない。
『じゃ、今の僕は…』
(これは夢だってば。えっとあとなんて言うんだっけ……幽霊なんとかってやつ)
『幽体離脱、か?』
(そうそうそう、兄貴が目をつぶってる間、俺が兄貴を身体から引っ張り出したの)
あぁ、と烈はおでこに手を当てた。
夢と幽体離脱じゃ全然違うだろと思うけど、まぁ、この際は関係ないか。
『…で、俺をこうして、いったいどうするつもりなんだ』
(行くんだろ?星にどこまで近づけるか)
にや、と笑う。なるほど、行くというのはそういうことか。
『このままで行くのか?』
服はパジャマのままだ。
(俺以外に誰が見るんだよ)
『…それもそうか』
手を伸ばしてみる。ずるりと壁の中に手が埋まった。
『…っ!!』
自分の異常事態に、怖気が走る。
(何やってるんだよ烈兄貴)
豪は平気なのだろう、いつもこの状態なんだから。
(壁を抜けるのが怖いなら窓から出ればいいだろ)
よくわかってるじゃないか。窓は開いてるし、ちょうどいい。
下を見る、やっぱり眠っている自分を見るのは変な感じだ。
(ああもう、時間無いんだからさっさと行く!)
ぐいっと豪が僕の腕を掴んだ。
『豪っ…!』
しかもそのまま窓枠もすり抜ける。
『ち、ちょっと待て豪…』
ぶつかる!と目をつぶったが、なんともない。そうか、今幽霊だっけ僕は。
(本当にこういうのダメなんだな烈兄貴は)
『お前が順応性高すぎるんだよ!』
ふと思う、豪は最初、幽霊となったときもこうだったのか、と。
そんな思いにふけるが、豪は完全無視。おまけに
(じゃ兄貴、連れてって)
手を差し出した。
『連れてって…どういうことだよ』
(俺が高いところ苦手なの知ってるだろ、だから、兄貴が先に上って)
いや、それは知ってるけど。
(早くしてくれよ、あんまり時間無いんだからさ)
『時間が無いって…』
(あんまりこういう状態になると、烈兄貴が死んじゃう)
『…えっ?』
(ああもう!)
豪は僕の腕を掴んでどんどん昇り始めた。
『ご、豪…お前……』
引っ張られていく腕からどんどん町が遠くなっていく。
(下見ない、下見ない、下見ない……)
豪はそんなことを言いながら昇っていく。
本当は怖いのだろう。なのに、自分が星を見たいと言ったから。
『豪、もういいよ。止まって』
呼ぶと、豪は上昇を止めた。
(ここでいいの、れつあ……)
言葉が止まった。どんどん表情が抜け落ちていく。
『…豪』
腕を引っ張ってここまできた。ということは。
僕の顔を見たとたんに、下を見たことになる。
『お前、本当に世話が焼けるな』
それがお前らしいといえばそうなんだけど。
今度は僕が豪の腕を引っ張った。体格差がそのままで本当によかったと思う。
とりあえず、抱きしめることにした。10歳の豪はすっぽりと収まった。
(れ、烈兄貴っ…)
『なんだよ、照れてるのか』
(ま、まぁな……)
そりゃそうか。中身は16歳だからな。身体は子供、頭脳は大人というアニメがあったけど。
こいつは中身も大人かどうか疑わしい。
とりあえず目的は星を見ること。僕は頭上を見上げた。
『うわぁ…』
満天の星、というのはこういうものだろう。
数え切れないくらいの星が瞬いている。
(おい豪、見てみろよ)
腕を放して、豪に上を見るようにすると、ぱあっと表情が輝いた。
(すっげぇ〜)
きらきらした表情で豪が星を見てる。僕も星を視る。
小学生の頃は、こうして夜を一緒に眺めていたこともあった。
けれど、いままでずっと忘れてしまった。
(烈兄貴)
呼ばれて、横を向いた。
『…豪?』
豪が、僕を見て笑っている。なんかとっても幸せそうな顔して。
けれど、それ以上に。
豪が、元の…16歳の豪になっている。
『お前、いつの間に?』
(ん、俺何か変わってる?)
呆然とする僕に、豪はまぁいいか。と言葉少なげに首を振った。
(あと少ししか時間が無いから、言いたいことだけ言うな)
『豪?』
豪が、眼前にいる。さっきまですっぽり入っていたはずの豪は、今では抱きしめれば僕のほうが入ってしまいそうだ。
(烈兄貴、今からすることに怒らないでくれよ)
『…えっ?』
(俺は、兄貴が好き。言っちゃいけないって思ってたけど…)
ふと、豪が目を伏せた。そして、じっと僕を見た。
青い瞳。なんだか海の底にでもいるような、深い色の眼。
『豪?』
言って、すぐだった。
豪が、僕に口付けていた。思ったより冷たい。
(…ごめん、でもこれは夢だから、忘れていいぜ)
離すと、開口一番に言った。
…豪がいった好きって、こういうことだったんだな。と理解した。
けど、嫌じゃないのかな。僕は、まだわからない。
「…」
そっと、手を離した。ふと目をそらして、豪は呟く。
(もう、時間だ……眼を覚まして、兄貴)
呟いたとたん、僕の身体は急に落下を始めた。同時に、意識が遠くなる。
豪を捕まえようと、手を伸ばした。だけど、届かない。
風を切り、背中から落下していく。豪はそのまま立ちすくんでいる。
『待てよ豪、僕はまだ、何も……』
何も答えてないのに……!!
星を背にして浮かぶ豪は、泣きそうな顔をして、微笑ってた。
※ ※ ※
眼が覚めた。
「…」
いつもより寝覚めが悪い。あんな夢をみたせいだろう。
「…夢?」
豪と一緒に、空を飛んで。星を見た。
星空の中で豪は自分のことが好きと言って。
答えなかった僕に、豪は口づけをしてきて。
その後、真っさかさまに落ちていった。
記憶はそこで終わっている。
「……」
瞼に手をやると、泣いた痕跡がある。
「夢、だよな……」
とりあえず、起きよう。早くしないと学校に…
「…あれ?」
今日は土曜日。学校が休みだった。
「……僕、は…」
かつて豪が好きだと、答えた。けれど、恋愛感情というには、あまりに不自然だ。
だって男同士だし、兄弟だ。いや、
「兄弟だから、か…」
ぎゅ、と腕を掴んで考えてみる。自覚してなかっただけかもしれない。
豪と一緒に居たいと思った。豪の絵もすらすら描けた。
何より、その存在がどれだけ救われていたことに。
もっといたいと、思うようになってしまったことに。
ベッドから降りた。
豪に会ったら、ちゃんと言おう。
「僕も、豪が好きだ」と。
どんな存在でも構わなかった。豪が好きなんだ。
言ってみると、なんだかもやもや感がすうっと無くなった。
起こしに行こう、今日は休日だけど。
土屋研究所に遊びに行くのもいいかもしれない。
ぱっぱと服を着替えて、呼んでみた。
「豪〜」
しかし、豪は現れない。
「…また寝坊してるのか?」
呟いて、隣の部屋に入った。確かに、豪はそこにいた。
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