6、死せるものの夢と



「…豪?」
豪は部屋にいた。しかし、眼を閉じてベッドで倒れている…というか眠っている。しかも。
「成長…してる?」
姿が違っていた。10歳の豪ではない。16歳の豪の姿。死んだときの豪だ。
うつ伏せ寝が普通の豪は、生前そうであったように、ベッドで眠っていた。
(幽霊…って眠るのか?)
確かに毎朝起こしに行くが、豪は目を開けたままぼーっとしていた。
その間の豪は、自分の知らない何かを見ているようで。やっぱり幽霊なんだ、とこういうときは思った。
それでも瞼は開いていた。しかし、今はそれも閉じられている。
半透明でなければ、普通に眠っているように見える。
「起きろよ」
起こそうとしても、身体はすり抜けてしまう。
「…豪……」
向こうが気づかない限り、こちらから呼ぶことは出来ない。起こす方法は無かった。
「起きろよ」
じっと顔を覗き込んでみる。自分とは少し違う。青い髪。
「なんでだろうなぁ、こういう寝顔だけは可愛く見えるんだな」
棺の中の豪は青白くて、あんまりにもらしくなかった。見る気も起きず、すぐに閉じてしまった。
豪が事故のときから、幽霊の豪が現れるまでのことを烈はほとんど覚えていない。
「起きるよな…」
死んでからだってすぐに戻ってきた。きっと、すぐに目覚める。
烈にはそんな確信があった。
今日は誰も来ないし、自分以外に誰もいない。
「このねぼすけ」
起きたら、いろいろ言いたいことがあるのに。
ふと顔をあげると、片付けられた豪の机の本棚に、烈の持っているものと全く同じスケッチブックがある。
「…?」
気になって手を取ってみる。使い込んだ形跡があった。
「いったい何を描いていたんだ?」
めくってみると、そこには、信じられないようなものが描かれていた。
ミニ四駆の設計図。というか、サスペンションとかの細かいところまで描かれたデザイン書。
あの本を見ながらメモしたであろう殴り書き。
それがシャーシからボディまでいくつもいくつもあるのだ。
「豪、お前こんなもの書いていたのか…」
豪のほうを見るが、起きる様子は無い。
スケッチブックのページは半分くらいまでで止まっていた。
「これが最後のページか……」
最後のページ。そこには、新型のミニ四駆のデザイン画と、そのシステムが事細かに書かれている。
右上、そのマシンの名前だろうところには、名前が無く。一言だけ書かれている。

「兄貴の誕生日までに仕上げる!あと30日」

「そんな…」
自分の誕生日の三十日前。つまり、豪が死んだ日だ。
あいつは、そんな頃からこれを描いていたんだ。
「豪、お前……」


※  ※  ※


(…ここ、どこだろ)
豪はふっと目を覚ました。真っ暗闇で、自分が浮かんでいる。
(眠ってたのかな、俺…)
今までぼーっとしていたときはあったが、眠った、と自覚するのは初めてかもしれない。
(……戻らなきゃ)
言って、ふと気づいた。戻る。いったい何処に?自分は死んだっていうのに。
(でも、戻りたいんだ)
烈兄貴のところへ。帰りたい。あと少しでいいから。
このままなんて絶対に嫌だ。
(…行こう)
腕を伸ばして、はたと気がついた。
(俺、元に戻ってる?)
身体が10歳ではなく、16歳になっている。
(なんで)
でも、今はどうだっていい。帰らなきゃ、烈兄貴のところへ。
前に進むことにした。
何処まで行っても暗闇が続くだけの世界。
幸いと言えば、自分が少しだけ光ってるから”自分”を認識できること。
眼を閉じても開いても、何も変わらない。
(烈兄貴だったら、怖くて動けないかもな)
そう思って、少しだけ笑った。
俺は高いところがダメで、烈兄貴はお化けがダメで。
きっと、俺たちは幽霊なんか向いていないんだ。
(でも烈兄貴は克服しちゃったんだよなぁ…)
まぁ、俺だからかもしれないけど。ホラー系は今でも全然ダメだから。
(…烈兄貴)
自分がこうして幽霊でいるわけを、兄貴はきっと知らないだろう。
(知ったらぶっ飛ばされそうだからな)
それが叶ったら、消えるつもりでいる。
いつまでも幽霊のままではいられない。そんなことはわかっている。
(でも、その幽霊のおかげでで1つ、夢が叶った)
烈兄貴が、自分を好きだと言ってくれた。
いつだって、自分のダメなところをフォローしてくれた兄貴。
笑うときも、泣くときも、喧嘩も二人じゃなきゃ出来なかった。
ふと見せてくれる自分を頼ってくれる表情が、一番好き。
俺の出来ないところはできても、完全じゃない烈兄貴。
そして、あまりにもその心が繊細に出来ていることも、知っている。
だからこうした。すぐに死ぬわけにはいかなかった。


あの時、豪は自分の家にいた。
自分の遺影を見て、死んだことにようやく気がついた。
(俺…死んだのか?)
身体がとんでもなく軽く、意識すると宙に浮かんだ。手を見ると半透明でいる。
(そうだ、烈兄貴は?)
最後の記憶は、烈兄貴が自分の名前を呼んでいるところ。
遺影の前にいなかった。なら部屋にいるはず。
ドアは閉じていたが、普通に手を突っ込むと通り抜けた。
そのまま身体ごとドアを潜り抜ける。確かに、烈はそこにいた。
(烈兄貴、俺っ…!)
話しかけても、まったく聞こえないようだった。そのうえ、何か様子がおかしい。
(れつ、あにき…?)
「……」
烈はぼんやりと宙を見ていた。視点がどこにも定まっていない。
何かが、無い。
(おい…嘘だろっ…兄貴ってば!)
そこにいたのは、兄であって兄ではなかった。自分の知る星馬烈では無かった。
壊れてしまったのだ。自分が死んだのを目の当たりにして。
守るために飛び出したのに、その兄を守れたのは、生きていることだけで、それ以外のものを奪ってしまった。
(違う、こんなの…こんなの烈兄貴じゃない!)
するりと抜ける手をなんとか壁に押し付ける。
(兄貴っ…俺は、俺はここにいる!目を覚ませよ!)
「……」
自分の姿は見えない。どんなに声を張り上げても聞こえない。
(お願いだから…俺、こんなことのために……)
豪は泣いた。烈をこうしてしまったのは自分のせいだ。
なら、どんなことをしても、兄を助けなくてはならないと。助けられるのは自分しかいない。
兄はそれでも器用で呼ばれたことは答えるし、自分の葬式にはちゃんと出てくれる。
心配する声も、大丈夫だからという。
それは見かけだけだ。本当は全然大丈夫じゃない。
全部通り抜けていくだけだ。
(……烈兄貴)
それからずっと烈を追いかけていた。
眠る間は、じっとその寝顔を見ていた。
自分の姿が見えないから、自分がどうなっていたのかもわからなかった。
日に日に追いかけていくごとに、自分が若返っていくのを。
あっという間に、10歳までになって、若返りはそこで止まった。
(俺、どうしたらいい?)
このまま見えずに、烈が壊れていく様を見ていくしかないと思うとぞっとする。
そんなときに、豪はふと烈の棚にそれが置いてあったのを見た。
(ソニック…)
そして、はっとひらめいたのだ。レースをしようと。
急いで自分の部屋に戻った。
(マグナム、お願いだ。俺に力を貸してくれ)
手を伸ばす。これで触れなかったら、自分の考えは全て水の泡だ。
眼を閉じて、ぎゅ、と手を握り締める。
固い感触がした。今まで何も握らなかった手は始めてモノを掴んだ。
閉じた瞼を開ける。なじみのフォルム。愛機はそこにあった。
(ありがとな、ビートマグナム。こんな形でしか、走らせられなくてごめんな)
マグナムは何も言わないが、この手に確かにある。
(さて、次はなんとかして烈兄貴の視線をソニックに向けないと)

その日は烈の誕生日だった。
ついていった豪が見たのは、土屋研究所に本を届けて欲しいと言われた烈の姿。
(そうだ、これだ!)
それからはもう無我夢中だった。
仕度してる烈に耳打ちして
(ソニックを持っていくんだ!)と叫んでみる。
烈は普通にソニックを持っていった。
研究所についていき、お茶でも飲む?と誘ったときに
(コースを使いたいって言うんだ!)とまたも叫ぶ。
烈は不思議なほど自然にそのとおりになった。
…それだけ、烈自身の思いがなくなっていると分かっていただけに、辛い。
烈がソニックをスタートさせるのと同時に、豪もマグナムをスタートさせた。
(勝負だぜ、烈兄貴)
もっとも、走っている間、偶然か奇跡か烈は突然自分を認識した。
ただいま、と言うと烈は泣きそうな顔して抱きしめてくれた。けれど、豪は決意した。


”烈兄貴を、星馬豪という呪縛から解き放とう”と


そのための幽霊。少なくとも、あのままにしておけば烈の心は壊れていっただろうし、
回復できたとしても、自分を死なせたという重圧に耐え切れなかったかもしれない。
烈が聞いたらきっと怒るだろう。それほど弱く見ていた、ということになるだろうから。
それでも、豪は出てきて正解だったと思っている。
自分が死んだ後、一度も泣かなかった烈が、豪のために泣いたこと。
決着が決まらなかったレースに、どういう形であれ決着をつけたこと。
10歳の姿だったのは、烈が見たときに衝撃を与えるのを和らげるためだった。

けれど、たった一つだけ誤算があった。

豪が、烈に恋心を抱いてしまったことだった。
自覚は生前からあったが、自分を描いていたときの烈が、夕日に照られされていて本当に綺麗だと思った。
もうダメだと思った。気持ちを抑えられなった。
10歳の姿では冗談に聞こえるだろうと踏んで、好きだと言ったら。烈が自分を好きだと。
それだけで満足だった…はずなのに。

(俺、勝手なことしてばっかりだな)
夢にかこつけて、兄貴にキスまでして。返事も聞かずに、突き放して。

ここ数ヶ月で、烈は自分の時間を多く取るようになったし夢もできたらしい。
もう兄は大丈夫だろう。自分が消えるのも時間の問題だ。
そろそろ、うっとうしいと思ってくれればいいと、どこかでは思っている。
それに傷つくだろう自分も、分かっている。けれど。
(俺はいいんだ、もう死んでるんだから……)
ぽた、と涙がこぼれた。
(…嘘だ……本当は……)
進みながら、泣いた。
(俺、消えたくないっ……もっと、兄貴と一緒にいたいよ……)
消えたくない。消えたくない。消えたくない。
でも、兄貴の負担にだけはなりたくない。兄の十字架になるくらいなら、消えたほうがいい。
どちらを選べばいい?

温かさも無い身体を抱きしめて、豪は泣き続けた。
涙でけぶる向こうに、烈がいることを期待して、やめた。

 

 

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