2.先行きの未来 夏期講習も10日以上過ぎると、お盆休みに入る。 人のざわめきが遠くで聞こえる。夏祭りが始まったが、烈は行くつもりにはならなかった。 豪が何も食べないからだ。 幽霊の豪は食欲が無い。当然、何も食べない。 そんな中で、自分だけが夏祭りを楽しむなど出来なかった。 (烈兄貴、夏祭り行かないの?) 「あんまり興味ない」 そっか、と豪は納得してまた外を見た。 (…ガキの頃はよく行ってたよな) 豪は窓から聞こえる音に興味があるようで、聞き入っている。 「お前は行きたいのか?」 (うーん、烈兄貴が行くなら、一緒に行くよ) 「…そうか……」 烈は机から顔をあげた。豪の時間は残り少ない。こうしている時間でさえ1年も無いのだ。 それくらいは、してやってもいいと思う。 「行こう、夏祭り。お前に遠慮してたらいつまでも行けなくなりそうだ」 (でもさっき興味ないって) 「いいんだよ」 有無を言わさない口調に豪は肩をすくめた。 小さい町とはいえ、お祭りだ。人がごった返して歩くのも注意しないといけない。 烈はそうだが、豪は人とぶつかるということが無いので思うがままに売店を覗き込んでいる。 (烈兄貴、あれすごい綺麗だな) 「何だ?」 豪が指差した先には、色とりどりのジュース。 「ああ、トロピカルジュースか」 (そういう名前なのか?) 「お前見たこと無かったのか?」 トロピカルジュース、場所によって名称は違うが、作り方はいたってシンプルで透明な炭酸水にシロップを入れるというものだ。 シロップの色によってイチゴ味やメロン味になる。 「買うか?」 (買って買って) 「しょうがないな」 飲めないくせに…と思いながらも豪が楽しそうなのを見て、烈はしばらく並び、そのジュースを買った。 「ほら」 見せると、豪は興味深げに眺めている。こういうところは子供の時と全然変わらない。 (青にしたのか?) 「赤のほうがよかったのかよ」 言うと、豪はきょとんとして烈を見た。何かを感じ取ったのか、首を振った。 (全然、俺嬉しい) 「ならいいんだ」 そのジュースを飲みながら、烈は大通りを歩いた。 豪はそのあとをついていく。 言えるはずも無かった。ジュースを青にしたのは、豪がその色を好きだから。 設置されたライトに反射して、氷が光った。 そんな風にして、時間は刻々と過ぎていく。 烈は豪がやりたいと言ったものはできるかぎりやった。 射的なんてものも初めてやっただろう。運良く当たって、もらった小さいぬいぐるみ。 そのままバッグに入れるものどうかと思い、括り付ける。 (あはは、兄貴かわいい) 「(うるさい!)」 豪は一切そういうことが出来ないが楽しそうに笑っている。 本当は、やってみたかっただろう。射的も、金魚すくいも。 「お前、見ているだけで楽しいのか?」 (すっごく楽しいぜ、烈兄貴。来てよかったよな) 話を聞いていない感じで豪は答えた。 「…そうか、ならいいんだ」 豪の手を握ろうとして伸ばした。しかし、それはするりと通り抜けてしまう。 (…烈兄貴?) 分かっていたのに、そうしてしまったのはやっぱり豪が好きだからなんだろう。 悔しくなって顔をそらす。豪は少し笑って、 (どこか行って座ろう?烈兄貴も疲れただろ) 下に降りて、烈の手を取った。 「…ああ」 (俺、いい場所知ってるんだ) そう言って豪の行くままにたどりついたのは、祭りのすぐ傍の川辺だった。 「一本道を外れると、静かなもんなんだな」 夜風がさらさらと流れていく。水の流れる音がどこか気持ちがいい。 天気もよく、綺麗な月が照らしていた。 そうして、しばらく見ていてふと烈は気づいた。 豪がいない。 「…豪?」 いつも後ろか横にいるのに。どこにもいない。 「どこ行ったんだ…?」 立ち上がって数歩進むと、豪はいた。 「……」 これはいったい、何の冗談なんだろうか。 川のほうを見ていて豪は後ろを向いていた。 その周りに、蛍のように光るものがいくつもいくつも浮かんでいる。 両手を広げて出迎えるような格好に、どこか神秘的な空気が漂う。 後ろで束ねている長い髪が、風が吹いたように揺れる。 (……。) 豪は何かを話しているようだったが、烈には聞こえない。 やがて、その光は豪のまわりをくるくると回り、空へと消えていく。 上へ上へと昇っていき、やがてふっと消えた。 豪はそれを見送っている。 「…豪」 呼びかけると、豪は振り向いた。 (兄貴、もういいの?) いつもと変わらない、豪の姿だ。 なのに、どうしてこんなに物悲しく見えるんだろうか。 「お前、さっきの……」 (ああ、烈兄貴の嫌いなモノだから、気にしないでくれよな) 豪は苦笑した。 烈が嫌いなもの、つまり…おばけというものか。 (俺が珍しいって、言ってた。こんなに強く存在を明確に出来るのは、珍しいってさ) 「…存在を、明確?」 うん、と豪はうなずく。 (俺もよくわかんなかったけどさ、幽霊っていても誰もそれを知らないだろ? 現れるのは「いる」と言われているところだけ。そのときに、生きてる人が「幽霊はいる」と、存在を決定させるんだって) 豪が言う意味を烈は考えた。 「つまり、お前がいまここにいるのは、俺が幽霊の豪がいる、と思ってるからいるのか?」 (たぶんな。前に俺が混乱したとき、かなり消えかけてたんだ。あれは俺自身が烈兄貴を拒絶したからなんだ) 「…そうだったのか」 (でも、今は平気。烈兄貴が俺を好きだと言ってくれたからなんだぜ) 認識する人間の関係が強ければ強いほど、幽霊はその存在を明確にできる。 だから”珍しい”のだ。幽霊を生きてるときと同じように接する人間、ましてや恋人など。確率にしてほぼ無い。 「豪、お前俺の弟でよかったな」 (なんで) 「弟じゃなかったら、絶対僕はお前を拒絶してたと思うよ」 (そうだな、今でも烈兄貴お化け全然ダメだもんな) 「悪かったな……」 豪は笑って、月を見上げた。 (今日は、死者が一晩だけ帰るお祭りだから。俺も知らなかったことがいろいろ聞けた) ふと、豪がそんなことを呟いた。 「…豪?」 (幽霊って、本来は死んだときの思いがそのまま留まり続けるんだって) だから心残りを変える事は出来ない。変えてしまうことは、その幽霊の存在理由を消してしまうことになりかねないからだ。 (…俺は、烈兄貴を助けたいって、思ったよ。縛りたくないとか、そういうことよりも何よりも) きっと本当の心残りはこれだったんだよな、と豪は一人で納得していた。 烈はそれで気づいた。豪はいつでも、確かに自分を助けてくれた。この前の殴ろうとしたときも。 壊れかけた自分を、10歳の姿に変えてまで修復した。あれは全部、烈のため。 たった一人に向けられた思い。死んでさえも残り続けた思い。 それが、今の豪なのだと。 あまりにも深いような愛情に、震えが走る。 そして…そんな風に思いの結晶にさせてしまった自分に、苛立ちがつのる。 (……兄貴、どうしたの?) 「…なんでもない」 (嘘だ、また自分を責めてる) そういいきったのは豪だった。 「なんでわかるんだよ」 見上げると、豪は優しい目で烈を見た。 (頼むから、そんな顔するなって) 「あ……」 全部わかってる顔だ、これは。 豪は自分が豪に対して罪悪感を持ったときに一番その気持ちをわかってしまう。 いくら言葉で言っても、表情を作っても、誤魔化せない。 「なんで…わかるんだよ」 (…烈兄貴が、わかってほしいって言ってるから) はっ、として豪の顔を見た。 豪は微笑んでいる。あの、たまに見せるような、遠い目をして。 (わかって欲しいことじゃないなら、俺は何も言わないよ。けど、これに関して言うなら、烈兄貴はわかって欲しいと思ってる、いや…) 首を振った。 (俺に、そうじゃないって言って欲しいんだよ) 「……そうかもな」 多分、言って欲しいのだ。豪に自分のせいではないと。 それは自分で変えることが出来ないから。 (ダメだよ、兄貴…聞いてあげることはできるけど、俺は何度も言ってあげられない…兄貴は俺と違って、自分で変えられるから。曲がることが出来るから) ほら、兄貴のマシンもコーナリング重視のソニックだったじゃん?と豪はちゃかすが、烈の心は重い。 「ごめん…俺、お前に甘えてばっかりだな」 やはり落ち込む。豪はため息をついた。 (じゃ、俺からも甘えていい?) そういって、豪は両手で烈の頬を挟む。 「…豪」 お互い、目を閉じた。 冷たい感触が唇に伝う。 目を開けると、豪は少し笑った。 (恋人になってからのファーストキス、かな?) 「…お前な……」 それでも、暗い気持ちが飛んだのだから構わないのだろう。 (やっと恋人って感じの雰囲気も出せたし) すうっと夜空に浮かぶ豪。 青い髪が半透明で風に揺れる。 烈の足は自然に自宅へと戻っていった。 (烈兄貴、そういえば大学ってどこ行くの?) 「言ってなかったかな?建築学科だよ」 (建築って家建てたりする、あの?) ああ、と烈はうなずいて、歩きながら話す。 「本当は、学科なんか関係なくて、もっといい大学に行こうかなって思ってたんだけど」 (だけど?) 「お前、あの絵が好きって言ってただろ。自分のスケッチブック開いてたら、建物の絵ばっかりあって」 それで、思ったんだ。今度はこの建物を創りたいって。 「今まで忘れてた。思い出せたのは、お前のおかげだよ、豪」 (烈兄貴…) 「お前はいつか消えるかもしれない。けど、今お前がここにいたことで、きっと未来の俺があるんだ」 だから、今はまだ少しだけ。 手を伸ばす。豪はその手を取る。砂のようにつかみ所は無くても、きっと豪にはわかるのだろう。 こんなにも、この時間が幸せなのだと。 |
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