7.止まった時間 いろいろあったけど、兄貴は無事に高校を卒業することができた。 卒業って、やっぱり普通より学校が終わるのが早い。 兄貴は、泣いてたっけ…? 人に囲まれてて、花束貰ってて。それがちょっと多くて持ちきれなかった。 「俺が卒業するからって、お前の分の記念品もたくさん貰ってきた」 ああそうだ、言ってたっけ。俺は途中で全部置いてきたから。 兄貴は二人分の思い出を抱えて、卒業したんだ。 もう、風景でしか覚えていない。 それから、マシンを作ることに専念して。 なんだかんだ言いながら、うまくいってて。 あともうちょっとだと思う。 まだ寒いけど、少しずつ気温が高くなってくる。 俺は、列兄貴の横顔を見てる。 なんていうか、綺麗だなって思う。 赤くて俺よりくせがある細い髪とか。 透き通るみたいな赤い目とか。 輪郭とか。 表情とか。 ………… ふっと、意識が遠のいた。さっきのは、俺の思い出だったんだろうか。 思い出せない。 (……) ぼうっと窓を見ていた俺は、その遠のきに眉を寄せた。 この感じ、どこかで覚えがある。 どこだったっけ? 幽霊になる前?いや…なってからだっけ? 違う。これは… 春が近い、その日。 俺は…… そうか、そういうことか…明日は。 (…烈兄貴) 「なんだよ、いきなり呼びかけて」 時刻を見る、夜の11時59分。 (明日、俺がどうなってても、心配しないでくれない?) 「は?どういう意味だよ」 烈兄貴は言われたことの意味がわかってない様子だ。 そうだろうな、俺自身もよくわからない。 ただ、俺がわかることは、明日は、一番俺が消える状態に近いってこと。 針が進む。もう時間が無い。 (俺は、まだ消えないよ) それだけは、確実だから。信じていてくれるといいな。 5 4 3 2 1 0:00 俺は倒れた。 今日は、俺が死んでちょうど1年。一番、死に近い日。 消えることは無いけど、全ては引っ張られる。 あれ、何ていうんだっけ? そう…… 俺が、いつか行く世界。 ※ ※ ※ 「ちょっ、豪!」 変な事を言い出したと思ったら、突然倒れた。 起こそうとしても、すり抜けて掴むことさえ出来ない。 「どうなってんだよ……」 (明日、俺がどうなっても心配しないでくれない?) 豪の言葉を思い出した。 「明日って…」 時刻は0:00を指している。確かに豪の言葉から逆算して”明日”だが。 豪は倒れたまま、空ろな眼を何処も映さずに見ている。 まるで精巧に出来た人形のようだ。 「全く、明日早く起きろって、母さんに言われてるのに……」 豪の一周忌だから客人がいっぱい来ると言っていた。 その準備だと。 「待て…豪の、一周忌?」 突然倒れた豪、心配するなとも。まだ消えないと。 「豪……」 それは、自分ががこうなるということを知っていたから? 再び豪を見た。 生気の無い目。 垂れ落ちた長い髪。 真っ白な肌。 「……心配するなって、無理に決まってんだろ」 布団を被って眠ろうと思っても、そのまま倒れた豪が気になってしょうがない。 「……」 仕方なく、横を向いて眠ることにした。 そのまま、夜は更けていく。 それでも眠気には適わず、すぐに眠りの世界へと堕ちていった。 翌朝。 「おはよ…」 起き上がると、豪はそのままというわけでもなく、いつのまにか立っていて、窓から射す光を見つめていた。 とりあえず動いていることに、烈はほっとする。 「なんだよ、昨日あんなことを言うからびっくりした」 豪は声に気づいたのか、振り返る。 「……!」 あの、何も移さない硝子のような目。 表情が無くなった顔。 幽霊らしくない、といつもからかっていたが、今の豪は。 生気の無い、幽霊。 不思議と恐怖感は無かった。ただ、哀しいのか、ぼんやりしてるのか、わからないような表情。 「豪、お前…どうしたんだよ」 (……) 豪は何も答えようとはしない。そのままじっと、烈を見つめる。 「あ……」 なんていえば良いのか、烈にはわからなかった。 言って聞こえるのかどうかさえ、わからない。 そのまま、お互い身動きが取れずに1分が過ぎる。 「烈、早く起きなさい」 下から突然、母の声がした。 ふっ、と豪の姿が掻き消える。 「豪っ」 伸ばしても、そのまま黙って消えてしまった。 「(何なんだよ…?)」 今日一日だけは、あのままらしい。消えたとしても、豪の行動制限はそのままだと信じたい。 「まだ、出てくるかもしれないな」 クローゼットから服を出して、着替える。 整えると、一回だけ深呼吸をした。 「よし」 豪は一日あのままなら間違いなく。 いきなり現れることを予想しての、深呼吸だった。 一周忌ということで、豪の部活の知り合い、先生が家に来ていた。 あの、僕が殴りかけた二人も来ていた。そそくさと通り過ぎていく。 「……」 今になってはあまり気にもしてないが、当人たちは気にしているらしい。 仏間いっぱいに人が集まって、読経をしている。 あとは故人のことを話したりして会食して終わりらしい。 「(読経ねぇ…)」 数珠を持ちつつ聞いているが、それで豪は決して成仏しないとわかっている以上、 あんまり味気ないものにも聞こえる。 不謹慎なことだし、決して言ったりしないけど。 後ろのほうで、静かに始まる、豪のための一周忌。 (……) 豪というと、ぼんやりした顔で、じっと自分の仏壇を見ている。 明るい表情の遺影とは、まるで別人のようだ。 (……) 「えっ?」 「どうしたの?烈」 「ううん、なんでもない……」 気のせいだっただろうか。 一瞬、豪の姿が掻き消えた。 ノイズが走ったように。 ※ ※ ※ 無理かもしれないなぁ…… ぼんやりと思った。 なんていうか、眠い。 今まで一度も眠りたいと思わなかったのに。 かくん、と意識が引っ張られては、覚醒する。 そんな感じだから、烈兄貴の言葉に反応することが出来ない。 気を抜いたら、消えそうだ。 しかも、さっき消えかけた。 冗談じゃない。まだ俺は消えなくない。 烈兄貴との約束期限の前に消えたりなんか絶対しない。 意識を奮い起こした。 俺が幽霊になって、1年。 あの事故からもう1年か……なんだか早いなって思う。 現実には俺はもう存在しなくって。 それでも、烈兄貴と俺の間だけは、生前以上の関係になった。 制限時間つきだけど。 置いていかれるのが分かってて、愛するのは辛いと思う。 俺が抱いたのも、死合わせの一回だけ。 抱いた直後、烈兄貴は長い時間眠ってた。すごくエネルギー消費したんだろうな。 最後にいきなり指を突っ込まれた時は驚いたけど。 半分実体化してたから痛いというか苦しいの何の。 おまけに倒れたから貫通した。 苦しかったけど、兄貴の腕の温かさが嬉しかった。 あれだけ兄貴に近づくのは、最初で最後。 できることなら、忘れて欲しくない。 けど、引きずって欲しくないんだ、時折思い出してくれるくらいで。 兄貴が言うには「俺に縛られて無い烈兄貴はいない」って。 なら、ちょっとだけ我侭を言っていいかな。 両手を拘束する縛ることじゃなくて。 手首に巻かれた糸みたいに。 何にも邪魔じゃないけど、何気なく見ると結んでいるみたいな。 俺、こんなにロマンチストだっけ? まぁ、いっか…… また眠気が襲ってきた。 もういい加減にしてくれ。今日一日がすごく長い。 烈兄貴と話すことだってあるのに。 お願いだから、俺を連れて行こうとしないでくれ。 自分で行くときを選んで何が悪いって言うんだよ。 振り切って、無理矢理戻ってみた。 烈兄貴は、土屋博士と話してる。 藤吉も、リョウも、Jもいる。 ……そっか、俺はもうそこへは行けない。 あとは、何かに思いを託すだけ。 何にも出来ない、と自分で言うけど、これほど自分が無力だって気づくと、 それなりに堪えた。 烈兄貴、俺はもういなくても大丈夫なんだよな。 楽しかったよ、烈兄貴。 でも、まだ消えたくないって思う、俺の気持ちに、応えてくれるといいな。 あと、少しだけでいいから。 俺を起こして欲しい。 いつものように。 他は何も、望まないから。 ※ ※ ※ 「はぁ……」 やっと法事が終わって、片付けも終わって、僕はため息をついた。 「烈、今日はもういいよ。あとでお風呂に呼ぶから、休んでいいよ」 「うん、ありがと母さん」 ずっと正座して読経して、おまけに知らない人(父さんの会社の人らしい)と会食して、 体力というより、精神的に疲れる。 豪のためだから、藤吉くんやJくんもきてくれたから、まだいいんだけど。 二階に上がって、部屋に入る。 「……豪?」 豪は部屋で倒れていた。 今日一日、表情の無い顔をしていた豪が、最初と同じように壁にもたれている。 それが、前とは少し様子が違う。 たまに、ノイズが走ったように、姿がふっと消えたりするのだ。 「……」 これは、もしかして本格的に危ないのか? 嫌な予感が走る。 「おい、豪……起きろっ!」 ノイズが消えた。 「…!」 (……) 目の色が、徐々に変わってくる。 透き通るような青に変わる。 かくん、、と首を下を向くと、顔を上げた。 (……烈、兄貴……) 「…豪……」 まだ口調が眠そうだったが、元に戻っている。 (兄貴…) ぼうっと見ている豪は、僕の顔をじっと見て、微笑んだ。 (俺、起きたんだ……) 「ああ、どうしたんだよ。……今日一日中……」 (消えなかったんだ……俺、まだ消えなかったんだ……) ぶつぶつ独り言を呟きながら、顔を伏せた。 「豪、消えなかったって…どういうことだよ」 (……烈兄貴) 気だるげに、顔を上げる。 (今日一日、ずっと眠気と闘ってたんだ。眠ったら、消えそうな気がして。 起きようとしても、すぐ眠気が来て、そうして、ずっと、ずっと……) 言いかけて、止めた。それ以上は言わないと、口を硬く閉ざした。 「…お前、もしかして……」 (これ以上は、言わない。また消えそうだから……) 豪はぼんやりと上を見上げる。 心なしか、ぼんやりと霞んで見えた。 何も言わない。 いや、豪は言いたくてもいえない。 言うと、頼ってしまうことに気づいているんだろう。 頼れば消える。だから何も言わない。 それが見ているほうからすると、どんなにもどかしいか、わかってるんだろうか。 「豪」 その透明な手に、手を重ねる。 (兄貴?) 「お前が何を考えてるとか、俺にはわかんないけど、今辛いってことはわかるんだ」 ふっと笑った。 「…泣き言が言えないなら、俺からやってやればいいんだ。何で気づかなかったんだろうな」 正面から向き合って、両手ともを重ねた。 「たとえば、勝手に”死合わせ”をやったりとか」 豪が目を見開いた。 (ちょ、ちょっと待てよ兄貴!) 「……」 強い目で睨み付けると、豪はうろたえて、そのまま黙る。 (兄貴、自分が言ってることわかってるのかよ) 「わかってるから言ってるんだよ」 (じゃあなんでこんなことしてるんだよ!) 「お前が自分から俺に助けて欲しいって言わないからだろ」 見ていて、辛くなるこっちの方の身になってくれ。 一方的な守護なんて冗談じゃない。 たった一人の弟を、守ろうとして何が悪い? (……だからって……) 「もう1年前とは違う。今度は俺が、お前を助けるんだ」 何よりも、大切だから。一緒にいたいから。 (兄貴……) 「ちょっと黙ってろ」 重ねた手に意識を集中して、目を閉じる。 イメージを重ねる。 存在を確定させる。豪が”ここにいる”ことを。 あと少しだけ残された未来を。 止まった秒針を動かす力を。 水を吸い取られるような、そんなふうにして、身体の力が少しずつ抜けていった。 自然と息が乱れてくる。 何もしてないのに、手に集中するだけで変わっていく。 (もういいよ、やめてくれ) 「……」 豪の声が聞こえた。 そうしてようやく、目を開けた。 ゆっくりと上を向く。 (……無茶するよな……でも、ありがと) 豪はいつもの姿を取り戻していた。 なんか困ったような表情を浮かべているが、ぼんやりした様子は微塵も無い。 「戻った、のか?」 (おかげさまで) な?と首を傾げて笑って見せた。 「よかった……」 身体はとても疲れていたけど、眠れば治るから、問題ない。 (なんでこんなに無茶ばっかりするかな?) 「お前が、好きだからに決まってるだろ」 (な、何言って…) 唐突に言ってしまって、豪は紅くなってる。 でも、事実だからしょうがないんだけどな。 「あーあ、お前のせいですっごく疲れた。もう寝る」 本当に疲れたので、ベッドに潜り込んだ。 (……うん、そうしてくれよ) 風呂も何も入っていなかったけど、明日の朝シャワーでも浴びれば問題ない。 電気を消してると、豪は仄かに光って瞳を細めてこっちを見ていた。 「何だよ」 (いや、ただ嬉しいだけ) 「……今まで、お前にいろいろやってもらってたからな。これくらいはするよ」 (うん……) 今までのような、支え、支えられてる関係。 もうすぐ、いなくなるのはわかってるけど。 あと、少しだけ。 |
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