8.いつの日か、風の中で 「よし、完成」 烈の誕生日に合わせて完成させるつもりだったマシンは、調整させることもあって、その一日前に完成させた。 まだ試作品段階だったが、走らせるには十分なほどに完成している。 (すっげぇ……) 「って、お前がデザインしたんだろうが」 (そうなんだけどさ、なんか、俺の想像以上だぜ、こいつ) まだ名前も決まってないマシン。 秘めたものも未知数。そのまま絵だけで終わっていたかもしれないマシンが、 いまここにある。 協力して作りあげたことは、他のマシンと変わらないけれど。 豪がデザインを考えて、烈が設計を考えて作ったマシンというのは、これだけになる。 今までは一人一人別のマシンを作っていたから。 「烈くん、マシンのカラーリングどうするの?」 「えっ……そうだなぁ……」 ぼそっと豪に話しかける。 「(どうするんだよ?)」 (赤がいい) 豪は悩むことも無く即答した。 (烈兄貴のために描いたんだから。最初からそのつもりだった) 「……」 真剣な目でマシンを見ている。 烈は言い出せなかった。本当は青にするつもりだったと。 そもそもの目的が「烈の誕生日にあげるため」にデザインされたものといっても、 烈の中ではそんなことはどうでもよかった。 二人がいたことの証のようなもの。 この一年の存在表明を、烈の記憶しか残せない、豪のための。 だけど、豪が赤がいいと言うなら、嫌という理由は無い。 「赤がメインで。でも、青のラインを入れて」 「ん、わかった……こんな感じ?」 Jはぱちぱちをパソコン画面を叩くと、CGで着色されたマシンが出てきた。 (もうちょっと、そこを変えて欲しい) 「(…豪)」 画面を見ながら、豪が指をさす。 「Jくん、豪がここを変えて欲しいって」 「豪くんが?」 (………) じっと、その画面をにらむような真剣な目で見ている。 Jは示されたところを断続的に変えて、指を止めた。 「こんな感じでいいかな」 (うん) うなずいて、豪はやっと笑った。 自分の思い通りのカラーになったらしい。 「カラーはこれでOK、明日には走れるね」 「ありがとうJくん。これもJくんの協力があったからだよ」 「そうじゃないよ、烈くんだって忙しかったのに頑張ってたよ。藤吉君も、みんなね」 (……そうだな、みんながやってくれたから、できたマシンなんだ) かみ締めるように、豪が呟く。 「それじゃ、明日。みんなマシンを持ってくるって言ってたから。そのときにね」 「うん……」 明日は4月10日。 ……豪の、最後の日。 ※ ※ ※ (烈兄貴) ふわっと音も無く、豪は現れる。 もう何度も見た行為。これももう、最後。 明日、豪はいない。 「…豪……」 (ありがと、兄貴。俺、すっげぇ楽しかったよ) 目を細めて、微笑んでいる。 明日には消えてしまうというのに、豪は消えることになんの未練も持っていないようだった。 烈は考える。自分はどうなのだろうかと。 タイムリミットを決めたのは自分自身だっていうのに。 豪は烈を責めもしない。怒りもしない。泣くこともしない。 ただ、烈を守ることだけに、命を使い、思いを使い、全てを捧げた。 たった一人のために。 それが明日、終わるのだ。 「いままで、ありがとな…ずっとお前を縛ってて」 (烈兄貴……) 「俺のために、命を投げ出して。それでも飽き足らなくて、幽霊のお前を縛った。俺の元から離れられないように」 今思うと、豪の”行動制限”はきっと豪自身が無意識にやったのかもとさえ思う。 自分が出て行かないように。心配させないように。 手綱をつけるように、豪を縛っていた。 (それでも、俺は望んでここにいる。烈兄貴が気にすることじゃねぇよ) 「俺は、お前に何をしてやれる?」 (たくさんしてもらったよ、消えかけた俺を、何度も助けてくれた) 「そうじゃない、お前が望むことを。”俺のため”じゃなくて、お前が望むことを」 (俺が、望むこと?) 豪は首を傾げる。自分のために烈に何かする、ということは今まで一度も無い。 その想像自体、していなかった。 烈が望むことだけを察知して、動いていた。 「俺ができることなら、なんでもする。一緒に死んでくれっていうなら……そうしてもいい」 (そんなこと、言うわけ無いだろ!) 「…!」 怒りを湛えた目で、豪は烈を見ていた。 そのあと、ふっと優しげな目をする。 (俺は、烈兄貴と一緒に死にたいなんて、一度も思ってない。これからだって思わない。俺が消えても、それだけは言うなよ) 「豪のために死ぬ、って?」 (あ、また言った) 豪が膨れっ面をする。なんだかおかしくなって、笑ってしまった。 「わかった……それはもう言わない。じゃあ、他になにか望みは?」 (望み……か……) 目を閉じて少し考える、思い出したように、目を見開いた。 (思いついた。俺の望み) 「なんだよ」 くす、と少しだけ笑みを浮かべると、豪は糸を手繰るように両手を広げた。 (手を出して) 「……」 もう何度もやった行為だ。豪が烈に望んだ数少ないこと。 繋がったり、繋がらなかったりする。 片腕だけを烈が差し出すと、豪は見えない糸を烈の手首に括りつけた。 (はい、終わり。これが俺の望み) 手を離して、悪戯っぽく笑った。 「これが?」 腕をしげしげと見る。何も変化してるようには見えない。なにか付いているようにも。 (烈兄貴が言ってた、”兄貴に俺が与えてること”それがその糸。何も縛ってなんか無い。だけど時折思い出すんだ。こんな糸が自分の手首にまかれてるんだって。誰も縛らない、ただ影響だけを与えてる) 「それが、これか?」 何も見えない糸。まるで裸の王様の物語のようだ。 "この服は馬鹿者には見えない服なのです”と。 (今はそれだけ。きっと烈兄貴も、その糸が巻かれてるってわかるよ) 豪は意味深な笑みで言う。 「豪の望みは、それだけなのか?」 (それだけ、かな?あとは……ずっと願ってることだけ) 「何だよ」 (それくらい、わかってくれよ……) 困った兄貴、と豪は苦笑した。 (どうしてもわからなかったら最後に言うから) そうして話していても、時間はとまることも無く、刻々と過ぎていく。 「寝るのがこんなに惜しいって思ったことは無いよ」 (どうして?) 「お前をずっと、見ていたい」 あと何時間だろうそう思うと、眠るのさえ惜しい。 (奇遇だよな、実は俺もそう。今日はぼーっとせずに、烈兄貴を見てたい) 「……」 豪は何か気づいたようにきょとん、とした顔をした。 (何?一緒に寝たいの?) 「…っ、こういうときに俺の思考を読むなっ!」 (悪い悪い、でも俺もやっていい?) 音も無く歩み寄って、ベッドにもぐりこんだ。 通り抜けてしまうから、ベッド自体が狭くなること無いが、豪の顔をまじまじと見て、なんとなく気恥ずかしい。 さらりと落ちた長い髪。透き通るような青の瞳。 もう、見ることも無い。寂しい。けれど、越えなければならない痛み。 生きている自分に対して、死者の豪に出来ること。 「…お前を好きになってよかった。お前と、兄弟に生まれてよかった」 (うん…ありがと…俺もそう思うよ、烈兄貴が兄貴で、よかった) 恋人みたいな、兄弟みたいな。どちらも含む、中途半端で完璧な。 そんな、幸せな時間だった。 「豪、寝る前に、ちょっとだけ頼みがある」 (何?) 「俺を、名前で呼んでみろよ」 一度も呼ばれなかった。これくらいは、最後だけ。 (……そっか、一度も呼んで無かったっけ) ずっと兄弟だったからな、と豪は少し笑った。 (好きだよ、烈) その言葉だけでくらくらするような、眩暈を感じた。 ※ ※ ※ 4月10日、烈の誕生日。 (いよいよだな、烈兄貴) 「ああ」 完成したマシン。結局名前を決められなかった。 豪は烈につけろと言うし、烈は豪につけろと言ったから。 土屋研究所になんとか全員予定をつけることができたのは夕方だった。 うっすらと、空がオレンジ色に染まっている。 「名前が無いっていうのも不便でげすな」 「本当は決めてるけど、言わないって」 「豪がか?」 「まさに墓場まで持っていく、というやつだね」 もう墓場にいるっていえばそうなのだが、言いえて妙だ。 豪というと、前に見せたことがあることと、夕方ということもあって、全員なんとか見えるらしい。 声も聞こえず、陽炎のような状態らしいが。 (ありがとな、みんなと一緒にいられてよかった。俺楽しかった) 笑顔で返す。泣きそうな顔をして。 リョウも、藤吉も、Jも、そんな豪に何もいえない。 「わてが社長になったら思いっきり自慢してやるつもりだったのに、残念でげす」 「お、俺の前にだけは出てくるな…いや、出て欲しいような……」 「みんな、豪くんのことを忘れないよ」 三者三様の言葉に、烈はただ、それとは違った思いを抱えて、それを見ていた。 豪が、ずっと「願っていた」こと。 まだわからなかった。 そんな気持ちを抱えたまま、二つのマシンを持って、スタート位置に付いた。 スタートシグナルを自動に設定して、全員が持ってきたマシンをセットする。 1つだけ、空のレーン。 それは豪のためのものだ。 烈の隣で、豪は楽しそうにビートマグナムを手に持っている。 3 2 1 Go! シグナルが青に変わるのと同時に、全員のマシンがスタートした。 走っていくマシン。 月日がたっても、成長しても、変わらない記憶。 「いくでげす、スピンバイパー」 走り続けた遠い過去。 「エボリューション!」 あのときはチームランニングをしていたけど、今は自由に。 「行け!ライジングトリガー!」 全ての思いを抱えて、これからさきを走る。 「頑張れ、ソニック!」 豪、お前のずっと願っていたこと、やっとわかった気がする。 (かっ飛べ!マグナーム!) 僕が逆の立場だったら。僕が、豪のために死んでいたら。 きっと、同じ事を願うから。 だから、豪、お前の望みを叶えるよ―― 僕の、一生をかけて。 (お前の力はこんなもんじゃないだろ?見せてくれ。” ”) ふと、語った豪が考えていたマシンの名前。 その瞬間、ものすごいスピードを出してコーナーを曲がった。 「…!!」 「す、すごいでげす……」 そのまま5台をぐいぐい追い抜いていく。 けれど、追いつけないスピードじゃない。 「まだだ、行けソニック!」 豪の作ったマシンだし、僕の作ったマシンだけど。 負けはしない。 負けたくない。 最高の走りをするれけど、負けなくない。 (マグナム!) やっぱりな、豪もそう思うか。 抜きん出て、3つのマシンが並ぶ。 最後のストレート。 「行っけ――!!」 二つの声が重なった。 答えるようにして、飛び出したのは………ソニックだった。 そのまま、ゴールラインを超える。 (…烈兄貴) 豪の声が遠くで聞こえた。 マシンがそのまま失踪していく。 「ソニックが一位だよ」 「烈くん、すごいでげす」 「やったな烈」 二つのマシンを止める。あたりを見渡した。 「………」 豪が、いない。マグナムもいつのまにか消えている。 消えてしまったのだ。豪は、もういない。 全ての心残りと、望みを、叶えてしまったから。 「烈くん、どうしたの?」 「豪が……消えた」 さっきまでいたのに。走っていたのに。いない。 幻のように、掻き消えた。 「烈くん……」 3人が僕の顔を見て言葉を呑む。 泣いてるんだろうか。僕は。 豪のために、枯れるほど泣いたのに、まだ足りないんだろうか。 そんなこと、豪は望んでいないのに。 (どうしてもわからなかったら最後に言うから) わかったつもりだけど、豪の口から聞きたい。 「……」 風がどこからともなく吹いた。 その中に、気配を感じた。 上に、いる! 僕は部屋を飛び出した。 「烈くん!何処行くの?」 とめる声も聞かず、走り出した。 ※ ※ ※ (……わかったんだ。俺がここにいるって) 「豪……」 日が沈む、その中。空の青と黄昏の橙が混じる空の下。 土屋研究所の屋上。 いつも空に手を伸ばしてた。その空に、一番近い場所。 (俺が願っていたことはわかった?) 目を細めて、豪は問う。 「わかったつもりだ、だけど……答えは豪の口から聞きたい」 少し笑って言うと、豪も笑った。 (意地悪だな、兄貴は) 「最後くらい、いいだろ?」 豪は日に溶けて、もう陽炎よりも儚い。 風に吹かれる、長くて青い髪。 言葉は言霊のように、かすかに聞こえるだけ。 それは直接、響いてくる。 (じゃあ、言うな。俺の願っていたこと…) ゆっくりと瞬きして、豪は微笑む。 (幸せに、なってくれよ。兄弟とか、恋人とか、全部ひっくるめて、俺が願うのは、それだけだから) やっぱり、と思う。きっと僕が豪の立場でも、きっと大切な人の幸せを願う。 (これから、烈兄貴がどんなひとを好きになっても、全部許すよ。なんでも思い通りにしていい) (だから、幸せになって。俺がうらやましいって思うくらいにな) まったく、無茶な注文をつける。 豪がうらやましいと思うくらい、だってさ。 かなり幸せにならないといけないじゃないか。 いつだって、自分の思うがままに歩んでた豪にとっては簡単かもしれないけど。 僕はそんなに器用には生きられない。 (大丈夫、烈兄貴ならなれるよ) あっさり言うんだな。 でも豪がそういうなら、信じてもいいと思う。 「まぁそういうなら、頑張ってやってみるか」 苦笑する。いつもの会話と同じように。これが二人のありかた。 これからも、ずっと。 (じゃあな、烈兄貴。すぐこっち来たらぶっ飛ばして追い出すからそのつもりで) 手のひらを差し出して、豪が腕を伸ばす。 「お前がうらやましがって地団駄踏むような人生を歩いてやるよ」 手のひらを伏せるように、僕が腕を伸ばす。 もうお前のために泣いたりはしない。 僕は、僕のために先を生きるから。 (楽しみにしてるぜ、烈兄貴) 「じゃあな、豪」 両手が重なった。 ざあっと、一陣の風が吹く。 目を開けていられなくなって、腕で顔を覆った。 そのなかで、すごく綺麗なものを見た。 「豪」 夕日の中で、マグナムと一緒に消えていく。 両手を広げて、全てを振り切って。 鳥よりももっと自由に。 誰にも制限が掛からないところへ。 豪は、笑ってた。 それは、どんどん薄くなって。 風の中でひとつになった。 「………」 残った風が、頬を凪いでいく。 ほんとうに、これで最後。もう、豪は見えない。 ありがと、豪…… 今は、まだ辛いけど。僕は壊れたりしない。 お前の願いを叶えなきゃな。 破るのも、守らないのも自由だけど。それでも。 それでも…… この全てをかけて、お前の願いを叶えるよ。 お前が、そうしてくれたように。 |