へそぼし

05

「むつみさん、まだいますかぁ?」
 女三人の熱気がこもった控え室に、先程のステージで司会をやっていた男が顔を覗かせる。
 それに早く気付いたのはむつみ本人だけであった。あとの二人――改造された臍を愛撫しあっている啓子と由宇の母娘――は自分達のことに懸命なのか、男の存在に気付こうともしない。
 むつみは少し慌てたように立ち上がり、男のもとに行く。
「一体何?」
 どこかいらだたし気な態度に男は気押されたが、すかさず用件を切り出す。
「外人の方が来られてます」
「外人?」
「ええ。何でもあの二人にぜひとも会わせてほしいとかで……」
「もう公演も終わってるし、あの二人も会わせられる状態じゃないわ。帰ってもらってよ」
「あはぁぁぁっ」あられもない啓子のあえぎ声がむつみの後ろからのぞける。
「……あ、いやそれが、引き下がってくれないんですよ。お金は幾らでも出すからって」
 「お金」という単語にむつみは少し眉を動かす。
「……わかった。一度会って話をしてみるわ」
 抱き合う母娘をそのままに、扉の男を押し退けて、むつみは控え室を出る。
 カツカツと高いヒールの音を鳴らし、秘密クラブのロビーへと向かっていった。

「御用の方はあなたですか? ミスター」
 ステージの終わった秘密クラブのロビーはいつも無人になる。押し掛けてきた外人を見つけだすのは至極簡単であった。
 しかしこの男の身体のふてぶてしさに彼女は思わず嫌気を抱いてしまった。浅黒い肌に二重顎、病的ではないにせよかなりの肥満体だ。そんな風体の男が、むつみに声を掛けられて「ハイ」と指輪だらけの手で挨拶をする。
 来ていたのはその男だけではなかった。もう一人、何の変哲もないサラリーマンの様相をした日本人が一人、彼の脇に座っていた。彼はむつみが来るとさっそうと立ち上がり、愛想良く軽い礼をした後に名刺を差し出した。貿易会社の部長とのこと。
「彼はルデニフ・アブナラ、最近独立したオセアニアの国の商務官をしている方です」
 貿易会社の部長に紹介されたその外人は脂ぎった笑いをむつみに向ける。百パーセントうわべだけの愛想笑いでむつみはそれに受け答える。
「で、ミスター? 今宵はどういった御用件で?」
「あぁ、さっきの男の人に伝えた通りです。あの二人に会わせてほしいのです」
 流暢な日本語であった。だがやはり外人ならではの訛りが色濃くしみていた。言葉一つ一つの息の漏れる音の大きさからして、母国ではフランス語を喋っているのだろうか?
「申し訳ございません、ミスター・アブナラ。先程の男も申し上げたかと思うのですが、今二人はステージを終えたばかりで、あなたに会わせられる状態ではないのです」
「私はあの二人に話がしたいのです。是非会わせて下さい。なんならチップをはずもう」
「何か伝えたいことがあるのなら、私が承りますが……」
「あなたは、彼女たちの何なのですか?」
「まぁその……マネージャーというか、世話役というか……」
 すると途端にルデニフの顔が明るくなる。
「おお、それなら話は早い。では率直にお話しましょう。あの二人を私に譲っていただけませんか?」
「……え?」
 譲る?
 外人の口から出た言葉に、むつみは対応を凍らせてしまった。
「ケイコさんとユウさんを、私に譲ってほしいといっているのです。もちろんタダとはいいません。キャッシュはたっぷり用意しました。私の国で大事にしますので、どうかお願いします」
 すかさず、脇の男がジュラルミンケースをむつみの目の前で開いて見せる。隙間なく敷き詰められた一万円のピン札の束。
 その男がむつみに耳打つ。
「私からもよろしくお願いします。我が社のビジネスのためにも、どうか彼の要求を飲んでいただだけないでしょうか? もちろん、これで足りないなら……」
 むつみは男の口を手で払い除け、ルデニフに顔を迫らせてきっぱりと答えた。
「ノー。ノーです。いくら積まれても、私はあなたにあの二人を渡すことはできません」
「な、何だと……」
 青ざめて呟く貿易会社部長。
 ルデニフは表情一つ変えずにむつみを見つめる。相手の出方を見届けんとしている顔ともとれる。
「あの二人は私にとって大切な人間なのです。言うなれば『金の卵を産む鶏』。彼女たちにはもっとこのクラブのステージで働いてもらいたいのです。それに――」
 やっぱり言っておくべきか。むつみは決心した。
「あの二人は、私のペットですから」
 その言葉に、ルデニフは目を丸くした。その顔で何やらフランス語らしい言葉をぼそりとつぶやいたようだったが、むつみにはわからなかった。
「そう、あの二人は私のペット。SMごっことか、そういうのじゃありません。私はあの母娘のことを人間だとは思ってません。あなたも見たでしょ? あの二人のお臍。普通の人間だったらあんなお臍なんかありえないでしょ?」
「……なるほど、そうですね」
「こんな程度で終わらせるつもりはありません。どんどんあの二人を牝のケダモノにしていくつもりです。将来的には犬や豚と交合わせて子供を孕ませてやりたいと考えてます。私は医学の裏の世界とコネクションを持ってます。それくらいのこと、いくらでもできますよ」
 むつみの顔は不気味に涼し気で、笑いに歪む口元はたちの悪い悪魔を思わせた。
 目を見開いたまま、ルデニフは顔を洗うように両手のひらでしばらく顔を擦った。
 彼はあきらめずに交渉しようとした。
「それで、人間に犬や豚の子供を産ませる手術というのは幾らほどかかるのですか?」
「教えてどうするのですか? 言っておきますが、コネクションがないとできませんよ」
「そういった技術研究の類いならば金銭面でサポートしてもかまいません。それと引き換えにあの二人を譲っていただけませんか?」
「何か勘違いをされているようですね、ミスター・アブナラ。私はあの二人がケダモノにまで堕ちるのをこの目でみたいのですよ」
 笑いの消えたむつみの顔も、悪魔のような印象を喚起させた。
「美人であることをいいことに人生の幸福を平穏に満喫している女を見ていると、ムカついてくるのよ。私は今までに幾つもの挫折を味わい、苦い思いをしてきているのよ。あの二人は私にとっていい腹いせになってるわ。それなのに『譲ってくれ』ですって? 無理な相談よ、ガイジンさん」
 言うまでもなく、交渉は決裂してしまった。
 ルデニフは大きく息を吸って吐いた。
「ではそういうことですので。もうここも閉館する時間です。お引き取り下さいな」
 冷たく言い放ち、むつみは踵を返そうとした。
「お待ち下さい」
 大きな声でルデニフは呼び止めた。
 めんどくさそうに彼の方に向くむつみ。
「あなた、『ジャパニーズ・ダルマ』は御存じですか? 日本ではにわかに知られているとは聞いたことがあるのですが……」
「そういう都市伝説に興味はありません」
「根も葉もない噂ではありません。私も実物を見ましたしね」
「……何がおっしゃりたいのですか?」
 むつみがルデニフとの会話に面向かった。
 脇にたたずむ貿易会社部長はその二人の対峙にぞっとした。さっきの交渉のような平和な雰囲気はみじんともなかった。さっきからの涼し気な悪魔の表情をしたむつみに対して、ルデニフも穏やかな表情から切っ先の鋭い銛を構えたかのような眼光を据えている。
「中国は上海のごみごみした下町で見ました。ここよりも暗く、じめじめしたところです。小さな部屋が幾つかあるのですが、どの部屋にも一匹ずつダルマが入っているのです。……両手足を切り抜かれ、ものによっては歯や舌を抜かれた日本人女性がね」
「そういうものであるのは知っています。私は、今そんな都市伝説を持ち出すあなたのいいたいことがわからないわ」
「あなたは医学の裏世界にコネクションがあるくらいでたかをくくっているようですが……。こと私のような新興の国の商務官ともなると、あらゆる世界に太いパイプを持っていないといけません。アメリカや日本といった大国の経済界のすみずみに張り巡らせるのはもちろん、コロンビアのテロ組織やアヘン生産エリアの流通ルートにも顔が聞くようにしないといけない」
「大人気ないですね。一政治家が下半身の欲求が通らないがために脅迫ですか?」
「人のことより自分のことを心配しなさい。……出番です、お願いします」
 ルデニフが、ロビーの入り口に向かって呼び掛ける。
 数人の黒背広の男達がロビーに流れ込んできた。彼らは一旦ルデニフの後ろに集まると、首領らしい一人が彼の横にやってきた。
 彼の顔を見て、むつみは驚く。
「……一体どういうことなの? なんであなたがここにいるの!」
「これはこれはむつみさん。こんなところでお会いするとは」男はたじろく様子一つなく彼女に応えた。「今日はこの方に依頼されましてね、ここにやってきたわけです」
「そんな……まさか……」
 むつみにとってこれほど悲惨なことはない。
 そう、啓子や由宇をさらう時に彼女はこの一行を雇ったのだ。むつみがコネクションを頼りにその存在を探り当てて大金を積んで母娘の拉致を依頼したのは、ヤクザの集団であった。
 それがまさか、今あの外人の側についているとは……!
 ルデニフと黒服の男が、むつみをちらちらみながらフランス語らしい言葉でいろいろ小声で話をしている。それを遮るように、彼女は怯えた声で叫ぶ。
「一体私をどうするつもりなの! そんなにあの二人が欲しけりゃ、力づくであの二人だけ連れていったらいいじゃない!」
「喧嘩というものを全然わかってないね、むつみさん」
 黒服の男がそう吐き捨てた。
「……とことん負けなのさ、あんた。こちらのガイジンさんの方が、金もあるし身分も高いし、それでもって頭がいい。少なくともあんたより数倍もな。第一、二人だけ連れてってもね、元の持ち主のあんたそのままにしてたらアシがつくでしょ? だからどうにかしてあなたを始末しとかないといけないわけ。それくらい誰でもわかると思ったんだけどね。なあに殺しはしないよ、ルデニフさんからそういう依頼はされてないから。そのかわりちょっと『加工』して中国らへんに――」
「いやあああああああああああああ!」
 髪をかき上げて絶叫するむつみ。そのまま彼らとは反対側、とにかく反対側へ走り出した。
 しかし彼女の足は何ものかにその動きを封じられた。
 三つの重りと何本かの紐で構成された奇妙な物体――ボーラと呼ばれる狩猟用具であった。黒服の男達の一人が投げ付けたその道具はむつみの足に絡んで遠心力でまとわりつき、そのまま彼女を転ばした。
 すかさずむつみの周りを黒服の男達が囲み、暴れる彼女の四肢を押さえ込む。
「いやあああああぁ! 助けてぇ!」
「助けられないよ。うちらは金で動く主義でね、いちいち人義に基づいて行動してられないの。もし自由の身になりたかったら、あのルデニフさんが出したお金の倍は出してもらわないと。さあて、一体何百万ドルになることやら……」
 首領の男がむつみの口に手を当てた。そのたなごころにはモルヒネを含ませた綿。動転したむつみはもろにそれを嗅いで、いとも簡単に気を失ってしまった。
 それを見届けて、ルデニフは友人である貿易会社部長を連れてその場を離れた。
「申し訳ありませんルデニフさん、お役に立てなくて……」
 流暢なフランス語で不手際を詫びる部長。ルデニフは満面の笑顔を作ってそれに応える。
「かまいやしないさ。そもそも恋人は自分の手でつかむものさ、違うかい?」
 と、ルデニフは唐突に耳をすませた。どうしたのかと部長が聞くと、ルデニフはにたぁと笑って答えた。
「マイダーリンの声だ。こっちの方から聞こえるぞ!」

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