――二十分後、あたしは満員電車の人ごみに埋もれていた。
 結局シャワーを浴びてる時間はなかった。で、しかたなくママの鏡台からヘアスプレーと香水を拝借したわけだけど……
 ドアの窓から外を見ながら、あたしはさりげなく髪の毛のニオイを嗅いだ。
(大丈夫、におってない)
 ちいさく息をついた。 くさい なんて言われたら恥ずかしくて、二度と学校に行けなくなる。
 ガタン、と揺れて体がドアに押し付けられた。プン、とオーデ・コロンの匂いが鼻をつく。俗に言う オヤジくさい というやつだ。でもみんなが言うほど、あたしはこのニオイが嫌いじゃない。
 カメラマンのあたしのパパは今ごろアフリカで動物を追いまわしてるはずだった。ママは夜勤続きでここ三日ほど顔を見てない。
(最後に家族で食事したの、いつだったかな)
 ちょっとだけブルーな気持ちにひたっていると、スッとオシリを触られた。
(痴漢?)
 とっさにそう思ったけど、オシリに当たった手はそのまま動かなかった。
手が当たってるだけかもしれない
 と、あたしは思った。超満員のギュウギュウ詰めの朝はときどきこういうこともあるだろうし。
 そういえば お前はチビだから公立なんか行ったらイジメに遭うに決まってる って言って私立の学校を勧めたのはパパの方だったっけ? あたしは歩いて通える方がいいって言ったのに……
(さみしいのかな、やっぱり)
 無意識に指の爪を噛んだ。うつむきかげんの顔を上げて窓の外に目をやって……
 次の瞬間いきなりオシリをわしづかみにされて、あたしは思わず「ひゃっ」と声を上げた。
(誰か助けて!)
 声を出そうと口を開けて、その口まで手でふさがれた!
 息ができない!
 ジワッと、少しだけパンツの中が暖かくなった。
(オシッコちびっちゃったっ!)
 怖い!
 一気に頭の中が真っ白になった。ドキドキする胸を鞄で押さえて、あたしはギュッと目をつむった。
 そのとき、

「髪の毛がオシッコくさいゾ」

 耳元で誰かがささやいた。
「え?」
 女の子の声だった。
「さては緋奈ったら、オネショしたなぁ」
「だ、誰?」
「振り向いたらダメよ」
 パニックを起こしかけていた頭の中が少しだけ落ち着いた。でも、ばれた。ついにばれてしまった。
 あたしは下唇を強く噛んだ。
(やっぱり遅刻覚悟でシャワー浴びてくるんだった!)
「お願い、みんなには、黙っていて」
 あたしは言った。
「考えとく」
「そんな〜」
「ふふ、大丈夫よ。それにうんと注意しないとニオイなんて、わかんないし。きっとみんなには分からないよ」
「ほんと?」
「うん。でも、こうするとね」
「きゃっ」
 後ろから抱きかかえられて、あたしの足が少しだけ宙に浮いた。
「こうするとニオウよ。緋奈のオシッコのにおい」
「う……
「白状しちゃいなさい。今朝お布団汚したのね? 失敗したんでしょ?」
 少しだけうなずいた。
「言葉でいわないと分かんないよ〜」
「お、オネショした……お願い誰にも言わないで」
 女の子はクククッと喉の奥で笑って、ますます調子に乗ってあたしの髪に顔を押し付けてきた。
「緋奈って子供っぽいって思ってたけどこれほどとはね。まだオネショが治らないなんて、フフフ……かわいい。おしっこくさ〜い。ね、緋奈ったら毎日オネショなの?」
 頬が熱くなるのが分かった。顔から火が出る思いだった。あたしは下を向いて鞄をギュッと抱きしめた。
「ホント可愛いね。耳まで真っ赤にしちゃって。そうなんだ。緋奈ったら毎日お布団濡らしちゃうんだ」
 手が、スカートの中に入ってきた。
「やっ、ダメだったら」
「おやおや、パンツが濡れてるね」
「や、言わないで」
「もしかして、オシッコちびっちゃったの? さっき?」
……だって」
「オシッコちびっちゃうくらい怖かったんだ? ごめんね」
 そう言うと、パンツの上からアソコを……
「お詫びに気持ちよくしてあげるから」
「いやっ……酷いことしないでっ」
「こらぁ。大きな声出すと、他の人に聞こえるでしょ」
……あっ、んっ……んんっ。やだぁ」
「緋奈ったら、まだお毛毛が生えてないのね。ツルンツルンだよ。緋奈のココ」
(早く着いて)
 腰の辺りからゾクゾクするようなむず痒さがせりあがってきた。
 火がついたみたいにパンツの中が熱くて、あたしは無意識に腰を震わせていた。体が熱い。初めての感覚だった。だんだん怖くなってきた。床の上に立っているのに、宙に浮いているような不安が、胸の奥からせり上がってくる。
……
 急に背筋に寒気を感じて、あたしはブルッと体を震わせた。
「お願い、やめて……あたし、怖いよ。やめて。ね、みんなに気づかれちゃうよ」
「ダメよ。だって、緋奈の、こんなに熱くなっちゃってるもの」
「いや」
「ココはイヤだなんて言ってないよぉ」
 ギュッとあたしは両手を握りこんだ。スカートの上から力いっぱい股下を押さえて、
「やめて、お願い」
 膝をすりあわせてあたしは言った。「そ、それ以上したら……
 パンツの中の指の動きがピタリと止まった。
「これ以上したら、どうなっちゃうの?」
「う……
「ほら、言わないと辞めてあげないゾ」
「ふぁっ……ん、オ……
「お? 何? 緋奈ちゃん」
「オシッコ……オシッコしたくなっちゃう」
 頭の中がボーとしていた。何も考えられなくて、つい甘えた声を出してしまった。
「オシッコ? 緋奈オシッコしたいの?」
……うん」
 少しだけうなずいた。
「おトイレまで我慢できる?」
 少しだけうなずいた。
「なんか自信なさそうね。ホントに我慢できる?」
 あたしはもう一度うなずいた。
……んっ」
 パンツの中から指が引き抜かれて、次にゆっくり頭を撫でられた。
 あたしはなぜか下を向いた。膝がガクガクしていた。でもそれはオシッコのせいじゃない。
「どうして、頭を撫でるの?」
「緋奈が オシッコ ってちゃんと言えたから」
「それがイイことなの?」
「そうよ。オシッコって言えないでオモラシしちゃうのは悪い子。緋奈はちゃんと言えたでしょ。緋奈はいい子よ」
……ふ、ふぅん」
「ホントに駅までオシッコがまんできるの?」
「だいじょうぶだよ」
「ホントに?」
 頭を撫でていた手が頬をつまんで、指が唇に触れた。少しだけ口を開くと、さして不思議とも想わずにあたしは指を口に含んだ。女の子の指は少しだけオシッコのニオイがしていて、ショッパイ味がした。
「ホントに我慢できる?」
「うん」
 あたしははっきりとうなずいた。我慢できるのは嘘じゃなかった。でも……
「でも緋奈ちゃんは、幼稚園に通うちっちゃなお子ちゃまよりも、たくさんオネショしちゃうんだよね」
……うん」
「そんな緋奈ちゃんはぁ、オシッコ一人でできるのかな?」
 ツッと口の中から指が抜かれた。
 ガタン、と電車が揺れてブレーキの音が聞こえてきた。ホームで電車を待つ人の顔が右から左に消えていく。
 電車が止まって、プシュゥゥと音をたてて扉が開いた。
「か、からかわないで」
「フフフ。可愛い声に免じて許してあげる。じゃあ一時間目が終わったら旧校舎の前に来てよ。そこで続きをしてあげる、分かった?」
……うん」
 あたしはうなずいた。
 次の瞬間、あたしはあっさり電車から降りる人波に飲み込まれていた。
 ホームに降りたとき、はじめて後ろを振り向いたけど女の子はいなかった。
 あたしはホームに突っ立ったまま、しばらくボーとしていた。胸のドキドキが止まらなかった。フッと力が抜ける感じがして、ジワッとパンツの中が暖かくなった。ハッと我に帰ったのはその時だった。
(何考えてんだろ。あたし)
 胸の奥から恥ずかしさがこみあげてきた。あたしは足早に歩き始めた。



 
 

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