気がつくと、天化兄ちゃんはいなかった。
何かやな気がしたけど、・・・ま、いいや、探しに行こうっと。
きょうは大きな戦いだったって。
天化兄ちゃんやナタク兄ちゃんが紂王さまをやっつけたんだって、天禄兄さまが話してくれた。
紂王さまなんて僕はほとんど覚えてないけど、天禄兄さまはまじめな顔で話した。
で、その後で笑って言った。
「天祥、明日には昔の家に入れるかもしれないよ?」
確かに、きのう渡った大きな河は、むかし父さまや兄さまたちと渡ってきた覚えがあった。
朝歌、がすぐそこってなんだか変な気分だけど、そう言ったら兄さまの方が変な顔をしていた。
「天祥、僕たちは朝歌を目指してきたんだよ」って。
そーいえばそーだよね。
それで、帰ってきた天化兄ちゃんはとっても疲れてたみたいだったから。
いっぱい話を聞きたかったんだけど、天禄兄さまに止められた。
「天祥、天化を休ませてやらなきゃだめだよ」
「へっ、天祥悪ぃさね。でも今日は俺っちも少し休ませてもらうさ」
天化兄ちゃんに直接そう言われたら、仕方ない。
「わかった。また、後でね」
天化兄ちゃんは笑って手を振ったけど、返事はなかった。
それからいつものように野営の仕度をして、夕ご飯を作って食べて。
天化兄ちゃんは休んでるんだと思ってたのに、気がつくといなかった。
どこ行ったのかな?
「ごめんな、俺も聞いてないよ」と天禄兄さまは静かに言うし、
・・・ま、いいや、探しに行こうっと。
だけど、天化兄ちゃんはどこにもいなかった。
ナタク兄ちゃんのとこにも、蝉玉姉ちゃんのとこにもいなかったし、太乙さんのとこにもいなかった。
たいこーぼーなら知ってるかなって思ったんだけど、そういえば、たいこーぼーも見かけないや。
それじゃあ、武王サマのところかな?少なくともたいこーぼーはそこだよね?
そう思ったんだけど。
「ねーねー、たいこーぼーは?」
「師叔なら疲れてもう寝ているよ」
「ちぇーつまんないのっ!天化兄ちゃんもどっか行っていないしなー」
天化兄ちゃんがふいっといなくなるのも、たいこーぼーがどこ探しても見つからないのも、
別によくあることなんだけど。
何か、やな気がする。
別によくあることなんだけど。
天化兄ちゃんはいつもいつも僕たちと一緒にいるわけじゃない。
いなくなったと思ったら、遠くで楊ゼンさんたちと修行してたり、武王サマと遊びに行ってたり、
もちろん一人の時だってきっといっぱいあって、
だってだいいち僕だって、いつも兄さまたちと一緒にいるわけじゃないもの。
でも、何か。
どくんと心臓が胸の底の方で暴れた。
僕はうちに帰るけど。
兄さまたちもみんなそうだと思ってたけど。
天化兄ちゃんもそうだと思ってたけど。
ほんとにそうかどうか、僕は知らない。
天禄兄さまがさっき言ってた昔の家は、きょう僕が帰るうちじゃない。
父さまがいて母さまがいたあの家のこと、ちゃんと覚えてるけど。
母さまはいない。父さまは帰らなかった。
そして、いま僕のうちは兄さまのところだ。
天化兄ちゃんのうちはどこだろう。
そしてそれより、天化兄ちゃんはうちに帰るだろうか。
父さまの顔が浮かんできて、そしてたいこーぼーを見て消えていった。
父さまは帰れなかったんじゃない、帰らなかったんだ。
聞仲さまだって帰れと言っていたのに。
飛刀は帰したのに。
でも。
「天祥?」
急に声が掛けられて、びっくりして顔を上げたら天禄兄さまだった。
「あれ?兄さま、どうしたの?」
思わず聞き返して、辺りを見回したらそこはうちの前だった。
つまり、兄さまたちと僕の天幕の。
「なかなか戻ってこないから、外に出て待ってたんだよ。星が綺麗だよ?」
見上げると、天禄兄さまの言うとおりだった。
兄さまの袖に触ってみたらひんやり冷たかったから、僕はその腕をぐっと抱きしめた。
兄さまは笑う。
「ん、どうした?」
「天化兄さまのうちも、ここだよね?」
小さく聞いてみると、静かな声が返ってきた。
「そうだよ。俺たちが待ってるからね」
声はとてもきっぱりしていて、そして、一呼吸おいて継がれた。
「帰ってこられなくても、帰らなくても、ここが天祥の家で、天化の家だよ」
それは聞きようによっては縁起でもない言葉だったけれど、
兄さまの穏やかで揺らぎない声で紡がれるとほっとする。
「さあ、中に入ろう。明日は早いよ」
いつか僕も帰らないことがあるのかもしれない。
それでも、明日の朝になれば天化兄ちゃんが帰っているといいなと思いながら僕は僕のうちに入った。
ちんまりと手に納まった、けれど映すものに手加減があるわけじゃない。
ずいぶんむかしから愛用の手鏡、お持ちではありませんか。
半分は天禄の話かな。それとも飛虎の話なのか?
おそろしいペースの連載になっておりますが(連載と呼ぶ気かこれを)、
いましばしお付き合い願えれば幸いです。