5 硬いからこそ鏡
 



「おぅ、天化!遅かったのう、待ちくたびれたぞ!」

来るのはわかっておった。
来なければよいとも思ったが、このような推考、違えるはずもない。
それでも来なければよいと思って待つ時は早くは流れなかったが故に、
待ちくたびれたなどという言葉が口をついて出たのだ。

夜明け前。月が沈むにはいましばし。
こやつがやって来たのは予測のとおりの時刻だ。
このまま行けば紂王が目覚めたころにこやつは禁城に着いたであろう。
もっとも、紂王が人間としての暮らしをしていればのことではあるが。

「スース・・・」

天化はわしの視線を受けとめる。
そうであろうよ。目をそらすなどこやつには似合わぬ。

わしと向き合わぬ程度の決意であってくれたなら、もっと容易く確実な手でこやつを止めておけたのだが。

「おぬしが何かしでかすであろうことは感づいておった。
おぬしの傷・・・おぬしの思いはわかっておるつもりだからな」

その行動も、思いの強さも、予測を外れない。
わしとて目をそらす天化を望んでいるわけではない。

だが。
だが、そうだろうか。

「―――だが」

こやつがもっと弱くあれば。
わしは手段を選びはしなかった。
そしてそうすれば確実に数週間は、こやつを余計に生かしておくことができるのだ。

「今勝手な行動を取るのであればおぬしはただの反逆者!見過ごすわけにはゆかぬ!」

ただ単に一服盛っておけばよかったのだ。
眠り薬の調合などお手のもの。
このように天化に現実を突き付けるまでもない。

「・・・・・・・・・」

なのにわしは何をしているのか。

「天化よ!考え直す最後のチャンスだ。周軍が朝歌に入る前に紂王の所に行ってはならぬ!」

仙道が紂王を倒したら人間の立場はどうなる?
あくまで人間が紂王を倒さねば無意味なのだ。

わしは何故、こやつに語っているのだろう。
何故この手段を選んだ。
無論、これが最善と考えて選んだのだ。逡巡するも愚か。
何度考え直してもこの手を採るという確信は揺らがぬが。

わしはこやつを止める。
向かい合って止める。
目をそらす天化を望んでいるわけではないのだから。

「―――ではなくては妲己に操られておった殷と何のかわりがあろう?!」

わしはこやつを止める。
言葉を用いて。そして、力を用いてでも。

もちろんこれは成算のある手段。しかし、最も確実な手段ではない。
言葉で止まるとは思ってはおらぬ。
力で止めることは傷を広げる。

「スース・・・わかってくれよスース!」

やかましいわ。わかっておる。
わかっておる、つもりだ。
そうでなければこんな手を採るものか。

「あーたがいままで新しい人間界をつくるためにどんだけ苦労してきたかわかってるさ!
でも・・・でもよ!俺っちもうすぐ死ぬさっ!
このまま体中の血が流れて死ぬのはだめだ!戦って、何かを残して死にてぇんだよ!」

わかっておる。
それでもわしはおぬしを止める。

紂王の手でおぬしを死なせたくはないのだ。

「死に急ぐな!適切な処置をほどこせばもっと長く生きられる!」

むぅ。本音が零れるようだ。
そしてその本音は矛盾している。

手段を選ばなければ、もう少しだけ、こやつを余計に生きさせることは容易だったのだ。
正面から向かい合うなら、これは難い。

そして。
紂王をこやつに倒させないための最も確実な方法は、いまとなってはこやつを殺すこと。
死に急ぐな、と言いながら、わしは天化と戦おうとしている。
何故この手段を選んだ。
殺すつもりはないといっても。
そんなつもりはない。その必要もない。それだけの実力の差がわしらの間にはある。
しかし、だ。
戦いに絶対はない。それでもわしはこの手を選んだ。

適切な処置をほどこせばもっと長く生きられる?
だが何のために。
雲中子らが懸命に研究中だ、と言葉を継ぎながら、わしは答えを持たぬのだ。

「それでも・・・俺っちは行くさ・・・」

天化は莫邪の宝剣を握り締めた。
それを振りかざし、跳ぶ。

「たとえあんたと戦ってでも!!」

来るがよい。もとよりわしもそのつもりだ。
おぬしが戦わずして何のために長く生きるのか、わしは答えを持たぬゆえ。
己が答えを持たぬことを、いや、そもそも答えがないことを、知っているが故に。

「甘ったれるなよ、天化!おぬしはわしにぜったい・・・」

一服盛っておけばよかったのだ。だが、そうしなかった。
目をそらさない天化だから、そうしたくなかった。
語るべき言葉があった。
相対すべき、示すべき力がある。

そうしなかったのはわしだ。
こうすることを、選んだ。

「勝てぬ!」

打神鞭が風を巻き起こす。
わしでは紂王の代わりにならぬのか。
ならぬ、と知っていながらこの手を採る愚かしさ。
けれど、こやつと向き合うことを避けたくはなかったのだ。

「うわっ!」

天化を地に叩きつける。
こやつはぐっと身を起こしわしを睨みつける。
おそらく、また傷が開いただろう。

「―――その程度でひるむな、天化!」

陣を書きながら畳みかける。戦いたいのであれば相手になってやる。

そしてこれは矛盾なのだ。天化の望む相手は紂王。

紂王を人に倒させることを一義に考えるのならば、天化をそもそも戦わせないことだ。
わしと天化にいかほど実力差があっても、戦いに絶対はない。
それでも天化に戦わせてやりたいのなら、紂王と戦わせてやればよいのだ。

天化を行かせてやればよい。
紂王が力を失っているのなら、天化は戦いを望むだろうか。
紂王にいまだ力があるのなら、天化が紂王に勝てるとも限らない。
いや、紂王にいまだ力があるのなら、人では紂王を倒せぬだろう。
仙道の中でも最適な人選はわしでなければ天化のはずだ。昨日の戦いに鑑みて。

天化が紂王を倒しても、己の狡猾さを総動員すれば人間の立場を保つ手はきっとある。
朝歌に武王と軍が最初に入ったという事実だけが知れ渡ることが重要なのだ。
天化がひっそりと歩きで行くのなら、それを隠蔽することなどたいした問題ではないはずだ。

いずれにしても紂王は倒さねばならぬのだ。必要があるならば仙道の手を使ってでも。
遅かれ早かれ殷は滅ぶ。天化を行かせようと止めようと、半日の差もなかろう。
けれど。
天化は行かせなければもう数週間は余計に生きることができるだろう。
そう。問題は紂王ではない。天化なのだ。

否、それよりもわしが。
天化を戦わせてやりたい、けれど、生きさせてやりたいと思っていることにあるのだ。

己が相手をすることでこれを両立させようとする。
傲慢で愚かな手だ。二兎を追って一兎をも得ていない。
それでも、これしかないはずなのだ。
紂王の手で、おぬしを死なせたくはない。

「わしにはまだスーパー宝貝大極図もある!宝剣の光を消し去ってくれよう!」
ありとあらゆる宝貝の中でもこれは。
天化と戦いなおかつ天化を生きさせるのに、最も誂え向きのものであるはずだった。

そのとき。

「おやおや仲間割れかよ?世も末だな」
虚空からもはや聞き慣れた声が響いた。
「行かせてやりゃあいいじゃねぇか遅かれ早かれどうせ殷は滅ぶんだからよぉ」
言うな!
カチンと来たのは半ば本音を言い当てられたからだとはわかっているが。

天化の背後に浮かんだのは無論王天君だ。
「王天君!」
「あ」
手を出す間もなく天化が陣に連れ去られる。

「おぬし、天化をどこへやった?!

反射的に口にはしたが、答えを聞かなくてもこやつが天化をどこへやったのかはわかっておった。
認めたくない、断じて認められないが、しかし。

わしはわずかばかり安堵したに違いなく。

・・・あまつさえ、感謝していたのかも知れぬ。


「周を起こすときも黄天化の命を使って丸くおさめてやった」を
解釈するという副命題があったのですが、達成できているかどうか。
矛盾の片側だけ書くつもりだったのに両側になってしまったみたいです。
目をそらす天化のほかに物分りのいい天化も書いてみたかったとか、
言葉では止まらないと思いながら語るべき言葉があると思ってるとことか、
書いてることも書いてないことも無論納得の上での取捨選択ですが、
それでも上記のとおり、悩みは尽きないみたいです。

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