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「愛しい主のしつけ方」 (2)




「悪ぃなあ。そいつの今夜の相手は俺だからよ」

おわっ、若さま、またこんなとこで―――あああ。

しつこく絡んできていたならず者の腕を捩じ上げているのは、鮮やかな青い髪をした、文字通り見上げるようにでかい男である。鋭角な線を描く、さっぱりとした容貌。笑った口は大きく、その目は生き生きと明るい。

「若……っと―――あんた、何でこんなトコにいるんですか」

「いやまあ、散歩しに出てきたら、おまえが困ってるみたいだったからよ」

肘の辺りを吊り上げられ半ば宙に浮いた男が、ぎゃあぎゃあと喚くのを、全く気にしていない様子の暢気な返事が返る。

えーと、いや、今の方がよけいに困ってんですけどねえ。
マシューは心の中で頭を抱えた。この男と一緒に居て目立たずに済むわけがないのだ。
すでに通りを行く旅人が、一人、二人と、この騒ぎに気を引かれて足を止め始ている。人だかりの中にいても、ぽんと頭一つ抜けて聳える大男はともかくよく目立つのだが、その姿を見つけても、地元の人間なら見て見ぬふりを通すだろう。
その艶のある紺青の髪はオスティアの貴種の印であり、市井の人間にはまずそんな色の髪の主はいない。加えて、人並み外れた長身である。ただ通りを歩いているだけでも衆目を集める。当人はそんな細かいことを気にしていないにしてもだ。

大男の名は、ヘクトル。オスティア候ウーゼルの弟君にあたる。マシューにとっては主筋、若さまと呼ぶ相手であり、紛れも無く尊い身分にある人間なのだが、本人はそんなことには無頓着で、いたってざっくばらんな行動を取る。

オスティア候とその弟ヘクトルとは十以上の年の差があり、兄弟というよりは親子に近いような、反抗と愛情で結ばれた関係にある。兄のほうは、それなりに厳しい態度で接してはいるものの、本当のところは、ことのほかこの弟に甘い。城にも学問所にもほとんどおらず、市井の人々の間に無造作に立ち混じる弟を、黙って見守り、自由にさせている。

ゆえに、オスティアの候弟は、城にはほとんど居つかない変わり者として知られている。どこに居るのかと言えば、こうやって街中をうろついていたり、時にはオスティアを出て、他国へと足を伸ばしていたりするのだ。
オスティアの臣たちにとっては困りものの風来坊な若さまなのだが、その素直で真っ直ぐな気性に、心を傾けるものも多い。
オスティアの若さまは、今日も今日とて、鎧を付けず、青っぽい半袖の上着一枚という、そこらの若い衆と変わらない形をして、街中をうろついていたらしい。

「この野郎、殺す。ぶっ殺す。放せってんだよ」

捕まっている男が、情けなくも凄む。

「殺されんのは困るんだけどな。大人しく引いとけや、兄さんよ。俺ぁ、強えェからよ」

大きな口から発せられる、抑揚の効いた下町言葉を聞いた限りでは、とても貴族の子弟―――オスティアの候爵位の継承者たる者が話しているとは思えない。

ヘクトルはマシューと目を合わせ、にかっ、と笑う。つり上り気味の男らしい眉の下、深い青色の目が、楽しげに煌いていた。若さまは、この騒ぎを面白がっているようだ。もともと、騒ぎのあるところに、自分から突っ込んでいくようなところのある男である。

「どうする、こいつ」

やっちまうか、面倒くせえからよ。
そう、強い眼差しが聞いてくる。

―――やめてくださいよ、俺は仕事中なんですから。
マシューは軽く溜息をつく。
ヘクトルと、こういうとんでもない場所で出会うのは、慣れっこになりつつあるマシューではあるが、潜むのが仕事の密偵である自分が、賑わう通りであからさまに悪目立ちしているこの状況は笑えない。密偵頭の命令で、ヘクトルにはお目付けが付いているはずなのだが、その姿は全く見えなかった。
こりゃ、頭に大目玉―――っていうか、お仕置き喰らうかもなァ。
マシューは、この事態を収拾するべく、じたばた暴れる男に近づく。

「すいませんねえ。その男、俺のイロなんですけど、暴れだすと手がつけられなくってね。こないだも三人ほど、斧で真っ二つに頭ァ割っちまって、その上しょっ引きにきた官兵まで叩きのめす始末で―――ほんと、困ってるんですよ」

軽く首をかしげ、大げさに肩をすくめる。
暴れていた男がびくりと動きを止めた。その顔が見る間に青くなる。
ヘクトルが、いやーな顔をするのを上目に見て、ちょっと楽しく思う。

「俺もあんたみたいな人が、良いんだけどさ…」

後ろから吊り上げられている男の肩に、しどけなく腕を掛けて顔を近づける。

「―――おい」

ヘクトルが低く吼えるような声を出したので、間近に見ている、不細工な面がすくみ上がる。

「わ、わかった。わかったからよ。まだ手ェ出してないんだから、許してくれよ。金なら払う、払うからよォ」

「金だと」

とんでもない無法者扱いをされることになった若さまは、金なんかいらねえ、とぶつぶつ呟きながら、大きな手でがっちりと掴んでいた男を、投げ出すように突き放した。
ひぃ、とか、ひぎゃ、とか言う悲鳴をあげながら、男は見物の人ごみを掻き分け、転がるように逃げて行く。

その姿が消えるのを目で追っていたマシューは、人ごみの中を縫って、止り木亭の入り口に近づいてくる男を見つけだした。黒っぽい格好に、押さえた身振り。長髪を後ろに流し、額に巻いた布で一まとめにしている。左半顔に目立つ傷。年のころは二十の後半といったところだ。目当てとする男の風体である。

「マシュー、てめえ」

俺を美人局にする気かよ。
剣呑な顔で見下ろしてくるヘクトルの、広く厚い肩に手を掛け、引き寄せる。

「ごめんよ、あんたが俺のこと放っとくからさあ」

首にぶら下がる感じに力をかけ、自分より頭一つ分は優に高いところにあるヘクトルの顔を、間近なところまで引き寄せる。そうすると、大きな身体の影になって、止り木の扉に近づく男の目からは隠れることができる。

「おい―――」

目の前にきた青い目が、訝しげに顰められている。

「若さまのせいですからね、ちょっと付き合ってくださいよ」

ヘクトルだけに聞こえるように、ほとんど息だけで囁く。
答えが返る前に、顔を両手で掴んで引き、唇を寄せる。

触れた唇が音を出さずに、何を、と言った。
つま先立ちになってその唇を塞ぐ。男娼とそのイロの痴話げんかのあげくの絡みってところだ。ちょっとした見世物だが、ここいらでは夜の薄闇に紛れて、よく見る風景だ。

自分からしかけた猿芝居―――だけど、心臓が跳ね上がったように恐ろしく早く脈打っているのに気づいて、唇を合わせたまま苦笑する。愛しい女と唇を交わしているわけでもあるまいに。
まあ、俺はこの人、好きだけどよ。傍に居るのが気持ちの良い男で、その姿を見るのが、その笑い声を聞くのが好きだ。

触れ合っている唇が、あほ、とか、くそ、とかそんな罵倒の言葉を呟き、次の瞬間には、喰らい付くように深く唇を合わされていた。

「ん――ン」

若さま、ヤリスギですよ、こりゃ。

がちっと筋肉を着込んだ感じの胸を押し返して唇を離そうとするが、強い腕に囲いこまれるように抱き寄せられ、探るように舌が割り込んでくる。

「ふ、ん、んん」

相手の出方が予想と全く違っているので、思わず思い切りうろたえる。

もしかして、さっきの意趣返しってやつですか。何もこんなトコで思いっきり見世物にならなくても…こりゃ本当に、頭に殺されても文句は言えな―――

濡れた舌に手荒く嬲られる感触が、じわじわと、身体の中の熱を煽ってくる。
少しつま先立ちになっていた脚から力が抜ける。意識より先に、身体のほうが口付けに溺れこもうとしているようだ。



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