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「おあずけ」 (2)




「おばちゃん、おかわり」

まばらに人のいる食堂で、俺は三杯めの皿を差し出した。

「いい食いっぷりだねえ、坊や、でかくなるはずだよ」

「坊やはねえだろうよ」

「そういったってねえ、ずっとそう呼んでるんだ、いきなりは変えられないよ」

おばちゃんは山盛りにした煮込みの皿を、俺によこしながらいった。そんな会話が、ここ十数年は繰り返されているから、呼び方を変えてくれる気は無いに違いねえ。恰幅のいい女で、半白の髪を後ろで一つにまとめている。質素な黒っぽい服に、いつも白い前掛けをしている。昔は牙の仕事を手伝っていたそうだが、連れ合いを亡くしてからは、下働きの女衆を束ねている。
牙の連中には、親しみを込めて、おばちゃんと呼ばれていた。
 
おばちゃんは、恰幅のいい身体で、そのへんのテーブルにも給仕をして回っている。ここにいる連中は、肉親には縁の薄い連中、行くあてを持たない人間が多い。そういう木っ端みてえな人間が風に寄せられて吹きだまるのさ。牙はもともと、親父がそういった吹き溜まりの連中を集めて作った。おばちゃん、だってそうだ。一人息子の行方が知れないのだというのを、誰かに聞いたことがある。

 三杯目の皿とパンを盛った籠をからにして、満足する。ついでに、と林檎の入った籠に手を伸ばそうとして、俺は、食堂に入ってきたラガルトに気づいた。じゃあ、兄貴も戻ってきているはずだ。そうか、なんか落ちつかねえと思ったら、今日はまだ、兄貴の顔拝んでねえよ。
ラガルトは、テーブルに着くでもなく、辺りを見回している。誰か探していやがるのか。
 
林檎を三個掴んで、俺は兄貴の部屋へ向かった。
いや、向かおうとしかかって、廊下に出たところ、台所中の食器をぶちまけたかのようなけたたましい音がして立ち止まった。食堂の方に振り向くと、仁王立ちしたおばちゃんがまき割り用の斧を握って立っているのが見えた。おばちゃんの横、ひっくり返ったテーブルの周りに食器やら食い物やらが散乱している。斧を軽々と振り上げて構えたおばちゃんの前に、ラガルトが立っている。こっちからは後姿しか見えないが。

「許さないよ」

おばちゃんが叫んだ。その声は酷く振るえ、歪んでいる。
なんだ、ラガルトの奴、何をしやがった。

ざん、と、緊迫した空気を裂いて斧の一撃。ラガルトが、軽くバックステップでよける。重さに身体が振られるのを逆に利用して、横にもう一撃がくる。さすがにラガルトは身軽だ。ひっくり返った椅子から飛んで、横倒しになったテーブルを飛び越えて楯にする。がっ、と斧がテーブルに食い込み、そのまま、半分ほどを吹き飛ばす。いきおいを抑えて手元に引き戻し、逆手に振り上げ、肩上に構えなおした。恰幅のいいエプロン姿があっけにとられるほどの動きを見せる。体重を使って、軽々と斧の動きを操っている。

いやあ、てえした動きだぜ、おばちゃん。若いころはかなりの使い手だったんだろうなあ。
―――いや、違うだろ。感心してる場合じゃなさそうだぜ。
おばちゃんはあきらかに殺気を発している。斧を振るうごとにこっちまでその波動が寄せてくるぐらいの、凄まじい、破れかぶれの。

ひらり、ひらり、と、黒いマントがその打ち込みをかわしていく。身体を下げ、頭上の刃をやりすごす、身を沈めた反動をつかって飛び上がる、椅子の腰掛と背に足をかけ、蹴り飛ばしながら、テーブルの上へ。長い髪がラガルトの動きと反対に振れる。奴はナイフを抜いていない。なにやってんだ、あいつ。刃は向けないまでも、得物をつかえば刃よけぐらいにはなるだろうによ。

おばちゃんの斧が、飛んできた椅子を弾きとばす。

「ゆるさないよ、疾風。あの子の仇はとらせてもらう」

あの子って誰だよ。
わけわかんねえ。

食堂にいる連中は、遠巻きに二人を見ている。あっけにとられているのか。そりゃそうだ、俺だって今まで口を開けっ放しにしていたらしく、舌が乾いてるぜ。
早いとこ、誰かなんとか…って、誰かじゃねえ、俺だろ。
ずらり、と剣を抜く。

俺のかわいこちゃんは、あんまり室内向きじゃねえんだよ。そりゃ、食堂はそれなりに広いけど、俺がこいつをぶん回すとなるとなあ。食堂ぶっこわして、兄貴に叱られるのは確実だろう。なにが起きているのか、いまいち訳がわからんのだが、おばちゃんが怒ってるのはラガルトのせいだ。俺が食堂をボロボロににたところで、ラガルトが悪い。

よっしゃ。

とりあえず、おばちゃんとラガルトの間に割って入ろうと思い、剣を担ぐ。詰め込もうと思えば百人ほどは入れるはずの食堂の向こう端で始まった騒ぎは、少しずつ俺のいるこっちがわの端に近づいてくる。

しかしまあ、ラガルトの野郎、よく避けやがる。テーブルの上の上の皿を蹴り飛ばし、足下を狙ってくるのを、軽く飛び上がってよけ、壁を蹴ってくるりと回って床に下りる。その横顔からは、いつもの飄々とした感じはうかがえない。唇を引き結び、相手の動きを見逃すまいとしている。下手に割って入ろうとするのはやつの邪魔になるだろう。

俺は剣を担いだまま、ラガルトの視界に入る場所へと移動した。
相手を見据えながらも、視界の端を使って、次の移動先をさがしていたらしいラガルトが、俺を見つけた。

「手ぇ、出すんじゃねえ」

低く刺さるような冷たさの声。
ちくしょう、てめえ、何だその態度は、助けてやらねえぞ。
注意をそがれたらしいラガルトが横なぎの打ち込みをよけてふらつく。わずかな揺らぎを逃さずに上から斧がくる。

俺は、ラガルトを突き飛ばす。何があったのか知らねえが、おっかけっこを終わらせねえことには、いくらラガルトがすばしっこいったって限度がある。そりゃ、俺はこの男がだいっっっきらいだぜ。ことあるごとに兄貴にべたつきやがってよ。でも、年中顔を突合せてる奴の頭がカチ割られるのは、見たかねえしな。

がっ、と手元にかなりの衝撃。
やるなァ、おばちゃん。
がつん、とラガルトが壁にぶつかる音。ちっと力を入れすぎたか。

「おばちゃん、やめときな。いったい何があったっていうんだ」

おばちゃんは、ぎりぎりと斧を押してきながら唸った。

「邪魔しないどくれ。あたしはソイツをぶっ殺してやるんだよ。息子の仇だ」

息子?おばちゃんの息子は行方不明じゃなかったか。ラガルトの今日の仕事ってのは、そいつを殺ることだったのか。ラガルトが妙に言いにくそうだったから、兄貴に関係のある女かなんかだと思ってたんだが。

「あんたの息子は牙を裏切った。“黒い牙の名のもとに粛清を”―――あんただって良く知ってるはずだぜ、揚羽」

冷たく乾いたラガルトの声。

アゲハって…おばちゃんのことか。いや、なんかにあわねえ…とか考えてる場合じゃなさそうだ。刃を交えれば力が伝わってくる。手加減していい相手じゃないと俺の身体が勝手に判断したらしい。首筋にぴりぴりと緊張が走る。殺気を向けられれば、俺は興奮する。なあ、コイツをたたき切ってやろうぜ、と、もう一人の自分が囁いてくる。

「そうだねえ、よおく知ってるさ。あたしァ、前っからあんたが嫌いだよ。そう言って、昔の馴染みを虫ケラでも潰すように始末できちまうあんたがねえ」

「おばちゃん、やめろよ、なあ」

「邪魔ァしないどくれ。邪魔するんなら―――」

急に斧が引かれる。体重を前に持っていかれるのを、膝で支える。
高く掲げられる重たい刃。

「あんたも殺すよ、坊や」

俺に向けられたおばちゃんの目が、殺意と涙にぎらぎらと光る。



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