「騎士の祝宴」 (2)
「―――ええと、その、深い意味では無いのよ」
リンディスが、めずらしくも歯切れ悪く言葉を続ける。
ケントは、自分がぽかんと公女の顔を見つめてしまったことに気づき、慌てて頭を下げた。
「分かるでしょ、セイン」
「分かっております。リンディス様」
セインから、落ち着き払った応えが返る。
ケントは顔を赤くしたまま、俯いている。―――リンディス様のお言葉は、臣下としての自分の忠誠を褒めてくださったと、そういうことなのだろう。先程からの愚かしい振る舞いの数々……自分は、人の言葉一つ一つをまともに受け取りすぎるのだ。
私は、人生というものに対して、修行が足りぬ。
そう思って内心思いきりへこんでいるケントである。
「リンディスは、この旅の間に、供の者たちと、ずいぶんと仲良くなったようだの」
一瞬静まり返った室内に、キアラン候の穏やかな声が響く。
「家臣の人望を集めるのは良いことだ。儂が不甲斐ないばかりに、長らく仕えてくれた者たちを失ってしまった」
騎士二人は、主君のやつれた面に、悲しみの浮かぶのを見る。
ケントは雑念を振り払い、面を上げた。公爵を―――キアランを頼む、と言い残して息を引き取ったかつての上司の姿を思い出し、胸が痛む。
「まだたくさんの人たちが残っているわ。私に力を貸してくれたたくさんの人たちが。お疲れになったでしょう。お休みになって、おじいさま」
「うむ、ケント、セイン、リンディスを頼むぞ」
「はっ」
跪く二人から、ぴたりとタイミングの合った返事が返る。
「ケントを騎士団長にと、ワレスからの具申が上がっておる」
「はい」
ですがそれは、ワレス様が―――それに―――
主君の言葉は絶対である。ケントは心で思ったことを口には出さなかったが、キアラン候からの応えが返ってきた。
「若いものに任せたいと言うのだよ。儂もそう思うておる。これからのことは、リンディスに任せたいと」
少し心配そうに祖父を見つめている少女の横顔が引きしまる。
「私に出来ることなら―――おじいさまに元気になっていただくためなら、何でもするわ。ケント、セイン、ご苦労様でした。これからのことは、追って話し合いましょう」
リンディスが立ち上がる。
きりりとした翠の目が、ケントとセインを見て微笑んだ。
なんとご立派な―――このお方は生まれながらにして、人を治めることを知っていらっしゃる。
ケントはその足元に膝を付いて、騎士の礼を捧げた。
夜の闇が最も濃くなる時刻、玲々たる月光に照らされた白翼の城は、ほの白く輝く姿を水面の揺らめきに映している。
その広間では祝宴が続いていた。
刃を交わし、敵と味方に別れて戦ったものたちが、禊のために杯を交わし、腕と腕を絡ませてグラスを空にする。新しい道を歩き始めるため、遺恨はすべて水に流し、酒に溶かし、互いの未来を祝福して笑いあうのだ。
日の沈む様を眺めながら始まった祝宴は、夜が更けるのも構わずに繰り広げられ、市井へと広がっていった。小さな湖の水面越しに見えるキアランの城下街には、辻々に篝火が焚かれ、その光がきらきらと水面に散っている。
二人の騎士は、宴の続く大広間に居た。
同僚の騎士に勧められて杯を受け取ったケントは、白に銀の飾りのついた礼服をきちんと着込み、腰に着けた飾り帯に短めの佩剣を差している。オレンジに近い茶の髪が、白の高い襟に映えていた。生真面目な顔は酒に染まりはせず、鼻筋の通ったすっきりした横顔の、目元の辺りだけが濡れた感じになっている。
ケントはもともと酒には強くない、といよりからっきしの下戸であるが、勧められるままに何度も杯を干していた。酒を飲むと赤くなるのではなく、青ざめる体質なので、杯を断りにくいのだが、本人は相当に酔っている。それでも、受け取った杯を打ち合わせ、キアランと公女を称える言葉を交わし、一気に空ける。くらりと眩暈がして、軽く口もとを押さえた。
その耳にきゃっきゃ、と高い女声が飛び込んでくる。ケントは、その声のするほうに、思わず振り向いてしまっていた。
―――貴様―――
そこでは無礼講とはいえ、あまりな光景が繰り広げられていた。
壁沿いに置かれた長椅子に腰を下ろした男の回りを、女達が取り巻いているのが目に飛び込んでくる。騎士様、騎士様と持ち上げる城務めの女官たち、女給たちに囲まれ、セインが楽しそうに浮かれ騒いでいた。女達がきゃっきゃと騒ぐのは、セインが時折、手近な女を引き寄せては頬にキスしたり、良からぬことを耳打ちしたりするからだ。
宴に浮かれる大広間の中でも、その辺りは一際賑やで、女たちの嬌声や、楽しげに笑う聞きなれた男の声がいやでも耳に入ってくる。
見慣れた―――聞きなれた出来事のはずだった。これまでなら、やれやれ、と苦笑いで流せたはずだ。
―――なんだ、貴様、その体たらくは―――
今、はその声を聞くのが嫌だった。女達に話しかけるセインの笑顔を見るのが嫌だ。それを嫌だと思う自分が、何よりも嫌なのだ。
「よう、ケント。どうした、さえない顔しやがって」
禿げ頭の大男が、ばん、と背を叩くので、思わず咳き込みかける。先々代の騎士隊長を勤めたワレスである。サカからの旅の間にケントたちと再会し、リンディスに付いて戦うことを選んだ。
自分は、人に分かってしまうほどに、情けない顔をさらしていたのだろうかと、ケントは心の内で戸惑う。
「お主の相棒は、相変わらずだなあ。まあ、嫁でも貰えば落ち着くかも知れん。ケント、お主も騎士隊長に出世しようというのだから、身元のしっかりした良い娘を貰うと良い」
「はあ―――いえ、騎士隊長など、私のような若輩者には―――ワレス様がお戻りくだされば―――」
ばんばんばん、立て続けに大きな手に背をどつかれる。
「わっはっは、このような年寄りを頼りにしていては、キアランの騎士の名が廃ろう。お主ならば、大丈夫。ちょっとばかり真面目すぎるが、人をまとめるにはそのぐらいのほうが良かろうよ」
とても年寄りとは思えない豪快さで、ワレスが笑う。
「私よりはセインのほうが―――」
「あれは、腕も立つし頭も良いが、人の上に立つには向かぬ。人の下に立つのも向かぬが、親友のお主を支えるのためには骨惜しみはせんだろう」
その言葉を聞いて、ケントの心臓は跳ね上がる。
親友―――そう思っていた。ずっと、一生友人でいられるものだと。今は、わからない。セインと自分が親友と呼べる間柄なのかどうか。
何故なら、私は―――私とセインは―――
ケントは自分では意識せずに首を振る。
「おう、どうした。本当に顔色が悪いようだぞ」
ぎょろっとした目が覗きこんでくる。
「いえ、少し酔いました。私は酒には弱いのです」
ケントは思い切り笑ってみせる。それは微笑となって目元にだけほのかに浮かんだ。
「ううむ、そんなことでは、立派な騎士にはなれんぞ」
「申し訳ございません。少し酔いを醒まして参ります」
大広間は水面を望む中庭へと面している。
高いガラス戸を抜け、ベランダに出ると夜気が気持ちよく肌にあたった。
ケントは一人、城の中庭へふらふらと彷徨い出る。
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