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「騎士の祝宴」 (3)




水際、石垣で固められた湖岸近くに佇み、ほの白い月明かりが水面に反射して、ゆらゆらと揺らめくのを見つめる。

ケントは溜息をつく。
胸の辺りが苦しいのは、酒を飲みすぎたせいだ。
楽しそうに女達と笑うセインの姿を思い出す。
女達のなめらかな肌に寄せられる唇を思い浮かべると、その感触を思い出した肌がぞくりと泡だった。

いやだ。

思わず自分の肘を引き寄せるように抱く。

こういうのは、いやだ。
感覚や、感情に溺れこむような、情けない自分はいやだ。
大したことではないのだろう。セインにとっては。誰かと唇を交わすことも、肌を合わせて抱き合うことも。自分にとっては、天地がひっくり返ったような驚き、忘れようとしても、振り払おうとしても消えない、刻印のようなことだったけれど。

あの時は、たまたま私が傍にいたから、ああいうことになったのだろう。あれから、私事に気をとられるどころではなくなって、思い出すことも無かったけれど―――

というよりは、懸命に思い出さないようにしていたのだ。毎日顔を合わせる相手である。いちいち意識してなどいられない。そう思いながらも、相手が視線を合わせてくれば、目を逸らさないようにするだけで意思の力を使い果たすような気持ちがする。
セインときたら、それまでと全く変わりない様子で無駄口を叩いてみたり、女の子の品定めを持ちかけたりするのだ。

―――おまえは、私を何だと思って―――

聞ける訳のない問いを、心の中に何度も繰り返した。セインは何時もどおりの態度を崩さないから、ケントにはその答えは分からない。
思い切ろう。忘れてしまおう。相手も自分も縛り付けるような、こんな思いをいつまでも抱えていたくない。

そう、思うのに―――

だんだんとむかっ腹が立ってくる。何だってこんなところで一人でうじうじと思い悩まなければいけないんだ。しかも、こんな不毛極まりないことで。
ああ、もう、考えるのをやめよう。

忘れる。

考えたところで答えは出ないし、だいたいこんなことを考えて泣きたいような気持ちでいるのは、酔っているからだ。ちょっとばかり行き過ぎたこともしてしまったけれど、友達でいられるのなら、肩を並べて戦場を駆けるとこができるのなら、それで―――

「いやだ」

吐息のような声が漏れた。

「何が?」

真後ろから、声が掛かる。聞きなれた、セインの声が。
うわっ、と驚いて膝が砕けた。
湖岸の淵でよろめくのを、するりと首に回ってきた腕に抱きとめられる。

「何やってんの、危ないなあ」

き、貴様が驚かすからではないか。

文句を言おうと思って振り向くと、頬に唇を押し当てられていた。その感触をひどく気持ちよく感じている自分の身体にとまどう。

「ばっ…馬鹿者」

「はいはい、こんなとこで暴れない。落ちるよ」

肩を抱かれて、湖岸から離される。手が襟元に伸びてきてビクリと身体が震えた。

「何もしない。苦しいだろ、そのままじゃ」

薄く笑われて、アルコールでは大して変わらなかった顔に一斉に血が上るのが分かった。セインの両手が襟元に掛かってきて、礼服の高い襟の留め金を外され、胸元のあたりまでを緩められる。夜気が火照った肌に触れてきて、ほっと息を付く。
気がつくと、セインの緑ががった茶の瞳が、自分の顔をじっと見つめていた。

なな、な、なんだ。私の顔になにかついているのか。それとも、酔っ払ってよっぽど可笑しな顔をしているのか。

器用そうな手が頬に触れ、何をするということもなく、そのあたりに留まった。その感触に身体が震えそうになるのを、どうにか押さえようと思い、手を強く握りこむ。

「こっちよ、フロリーナ。水面が綺麗なの」

いきなり、間近な場所から少女の高い声がした。
驚きのあまり、ケントは全ての動きを止める。庭木の茂みの影から、手を繋いだ二人の少女が姿を現した。

キアランの公女リンディスは、少年の着るような簡素な白い服を礼装として身に着けている。その腰には旅の間に手に入れた聖剣を佩いている。貴婦人のように着飾るのは落ちつかないからと、サカの服は脱いだものの、ドレスに身を包もうとはしなかった。

そのしなやかな右手は、一回り華奢な少女の手を握りしめている。天馬の騎士としての鎧を脱いだ少女は、甘い薄紫の巻き毛を細い肩におろし、淡い色の簡素だが可愛らしいドレスに身を包んでいる。行く手に男の姿を見つけて慌ててリンの影に身を隠した。
戦場では勇敢にペガサスを駆る少女は、北のイリアの出身でフロリーナという。ケントたちとの旅の間に、ずいぶんと慣れてはきていたが、今だに男性は苦手らしい。

ケントのほうも、できることならセインの影に身を隠してしまいたい心境だった。セインのほうは、ケントの頬から掌を外そうともしない。

馬鹿、やめろ―――

そう思うが、動転してしまって体が動かない。

「あらら、先客がいたようね」

「これは、リンディス様」

ケントの頬をゆっくりと撫でるようにしながら、名残惜しげに手指が離れて行った。

「ご無礼を―――」

ケントはよろめくように膝をつく。

「こちらこそ、お邪魔しちゃったみたいで、ごめんなさい。―――いやあね、ケントったらそんな堅苦しくしないで」

「ねえ、困ったもんですよ、こいつは。いやあ、フロリーナさん、今日は一段と可愛らしいですね」

貴様は、くだけすぎだ……

セインがあまりにもいつもの態度のままなので、力が抜けてふらふらと眩暈がする。とんでもないところを目撃されたというのに、なんだってそんなに平然としていられるのだ。

「そんなに気にしないでちょうだい。私たちもデート中だから、ね、フロリーナ」

公女の唇が、頭半分ほど背の低い少女の額に寄せられ、ちゅっと小さな音がする。

「行きましょ、フロリーナ」

少女達は、手を繋いだまま楽しそうに笑いながら、芝生の上を駆けていく。月明かりに照らされてひらひらと軽い裳裾が踊る。お伽噺めいた、美しい眺めだった。
ケントは一瞬、その後ろ姿に見とれる。

「んじゃ、俺たちもデートの続き」

ぼーっと膝をついたままでいると、恭しく右手を差し出された。



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