「どうしてこうなったんだ」
誰だってこの光景を見ればそう言いたくなる筈だ。
自室のベッドには何故かゼロが眠っているのだから。そう、俺の部屋で。何故か。
枕元には見慣れたディスクが数枚散らばっている。恐らくこれを返しに来たのだろうがだからって寝る事は無いだろう。
「どうしようか…」
山のように大量にあった書類を片付けた直後なので自分はもうヘトヘトだ。今すぐ寝たい。
が、自分より一回りどころか二回りは大きいゼロがベッドを占領している。
(でもゼロが悪いんだし)
小さな罪悪感と戦いながらゼロをベッドの隅の方に移動させて自分が寝る場所を確保する。
とにかく眠くて横になってすぐにスリープモードに移った。
ふわふわさらさら
寝起きで覚醒しきっていないぼんやりした頭で表現するならそんな風に頭を撫でられていた。いつの間にヘルメットを取ったのだろうか。俺の記憶では取らずにそのまま寝てしまった筈だけど。
この手はゼロ、では無いだろう。ゼロにしては小さく優しく、心地好い触り方だった。知らない手なのに、落ち着く。
何とか眼をこじ開けて見れば、先日ゼロの部屋で見た女の子が俺の頭を撫でていた正体だった。
「君は、」
誰。
そう言おうと思っても声が出ない。不調だろうか。
彼女は俺の言いたい事が分かったようで、また人差し指を一本立てて口元に持っていった。
また内緒、か。
(ダメだ、まだ眠い)
彼女と話をしたいのに、俺は瞼を閉じてまた微睡みに落ちていった。最後に見た彼女は、微笑んでいた。
「エックス、エックス!」
「あれ、ゼロ…?」
「これ、お前じゃないよな!?」
ゼロは怒りながら光を反射して輝いている己の金髪を掴み、俺に見せた。
「今度は、ウェーブ…?」
今度の金は緩やかな波を描いていた。
「起きたらこうなっていた…!」
「えっと、どんまい…?」
なんと言えばいいのだろうか。犯人は分かっているけれど彼女が何者なのかさっぱりだから俺にはどうしようもない。
そう思っていればゼロは俺の顔をじっと見ていた。何かあるのだろうか。まさか。
「よく見たらお前もやられたみたいだな」
「え」
「鏡見てこい」
ダッシュで洗面所に入り鏡を覗き込めば、俺の額には可愛らしい花が二輪咲いていた。
やられた。
非常時用の通信音が鳴り、飛び起きた私は呼び出し元のマグネットマンの部屋へ駆けた。
昨日より彼はワイリー博士のラボにて短期間の滞在をしている。彼に会ったのは昨日が初めてだ。仕事の報告を聞き、雑談をしたが、理路整然とした喋り口と人当たりのよさに内心驚いた。それまで聞いた彼の評判とは大違いだったのだ。
きっと彼が素晴らしいので他の兄弟機は嫉妬半分でそんなことを言ったのだ、そう思うに充分な振る舞いだった。
そんな彼がこんな朝焼け眩しい早朝に担当技術者を呼びだす。紛れもない非常事態だ、と思った。
が。
「やあ、おはよう。ちょっと助けてくれないか」
彼は部屋の天井からぶら下がっていた。
ニードルマンが言っていたことを思い出す。あの愚弟はどうも抜けている、仕事は出来ても普段の奴とは付き合いたくも無い。
ジェミニマンが言っていたことを思い出す。マグは本当に兄かと疑いたくなる、所作に対する無頓着さはプログラムエラーではないかと思うほどだ。
「どういうことなの……」
「ご覧の通りだよ、何とかしてほしい」
彼の額のマグネットが強力磁石であるが故に鉄筋構造の天井にくっついて離れない?
そんなこと言っても常識的に考えて電磁石でしょ? どうして磁力をコントロールできない?
言いたい事は幾つも浮かぶが、言う気は起きなかった。
どう考えてもおかしいのだ。
この前代未聞の事態に私は解決策など持ち合わせているはずもなく、マグネットマンはマグネットマンで言葉の割には切羽詰まった素振りを見せない。
「あなたが引っ張ればね、降りられる気がするんだ」
「そんな非科学的な。マグネットらしくないんじゃないの?」
「昨日会ったばかりなのによく知っているんだね」
「仮にもヒューマノイドが言うようなセリフじゃないって意味」
「ああ、そうだね」
とにかくこのままにしておくわけにもいかないので、彼の言うようにしてみる。足を引っ張ってもびくともしない。腰に飛びついて自重を加えてもまだ無理。
「私では解決できそうにないわ。博士をお呼びしましょう」
「もうちょっと試してみてよ、 」
そう言うや、マグネットマンは腰にしがみ付いていた私の腕をほどき、両手で抱き上げた。
そう、彼は自由だった。額の飾りが天井に付いて離れないという一点を除いて。
「やだ、ちょっと」
「高いところは苦手か。そんな気がした。いい表情をしているね」
足が心許ない。宙に浮いているのだ。今彼に落とされたら、私は約2メートルの落下をする。湧き立つ恐怖感に血の気が引く。
「さて、あなたに一つお願いがある」
「下ろして、マグネット」
「願いを叶えてくれたら」
「何、何でもいいから言って」
彼はどうしてそんなに嬉しそうなのか。下を見られない。横も見たくない。上からの景色が全て嫌いなのだ。彼しか見たくない。今助けてほしいのはむしろ私だ。
「あなたから抱きしめて、キスをして」
……意味が分からなかった。
「つまりわたしは、あなたに俗に言う一目ぼれをして、自分を制御できないがゆえにこのような事になっているらしい。それで、キスでもすれば、とけるんじゃないかと」
「いや、でもキスは」
「わたしは何時間でもこのままでいいが、あなたも大丈夫かな」
「……ひどい」
彼のマスク越しに伝わる声は、いつまでも優しげだ。……強引になる恋の衝動? ここのヒューマノイドは皆何かがおかしい。マグネットマンもそれに同じ、いや、それ以上だ。
「吊り橋効果って知ってます?恐怖を味わわせれば恋愛感情にすり替わるっていう」
「手の内を見せるなんて余裕ね」
「あなたに余裕はなさそうですね」
言い返す時間すら嫌になるほど怖いのだ、本当は。
「……」
両手をマグネットマンに向けて広げる。それだけで恐ろしい。早く、早く縋りつきたい。
ゆっくりと、私と彼の身体が近づく。早く、寄せて。
伸ばしに伸ばした指先が彼の身体に触れる。背に腕をまわす。彼は急いている私を止めない。傍から見れば、私が、がっついているようだろう。強く胸がぶつかる。
「降りたいんだろう。ひとおもいにどうぞ」
鼓動はとうに早鐘を鳴らし続けて、痺れて来たような気さえする。
「好意じゃないわよ、こんなの…ッ」
「印象付けられたなら、充分収穫だ」
どうせただの接触だ。しかもマスクだ。事故。事故。
言い聞かせて、早くこの恐ろしい状況を脱したくて、私は――
どたん、と大きな音を立てて床に触れたとき、私は不覚にも涙が出ていた。他人に拭われているそれが、不快でなかったのが……口惜しくてならなかった。