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「おい、お前どうするつもりなんだ」 「なっ何がだ」 「今から逃げるだろ。すぐにサイレンが鳴ってパトカーに追いかけられて、捕まっちゃうんだぜ。刑務所に入るんだぜ。ほんまもんのヤクザとか居て新入りはメチャクチャに虐められるんだぜ。それくらいなら今ここで止めたらどうだ。今止めたのなら警察には言わないでおいてやる」 「いっ今、お前がもう通報されてるって言ったんだろうが」 「今すぐ逃げたら誤報でした、って言ってやるよ」 兄ちゃんは元々が悪い奴ではないのだろう。やることやったら少し気が済んだみたいで、徹さんの説得に耳を傾けた。 徹さん、ナイスです。俺は影でグッと拳を握った。 しかしナイフ突き付けられてなんであんなに落ち着いていられるのだろうか。徹さんは刺されることが恐くないのだろうか。俺は心臓がギリギリして恐くて仕方ないのに。徹さんのことだから余計にかもしれないけれど。 兄ちゃんのナイフは少しずつ下を向き始めた。 「なっ、バカなことしてしまったって、ちょっと後悔してるんだろう。明日の新聞の見出しを飾る気か? 親が見たらどう思うと思う?」 兄ちゃんは徹さんの肩に手を置いたまま、ナイフを持ったもう一方の手を完全に下げた。 「大馬鹿野郎だな、お前は」 「だっ誰だ!」 その言葉でせっかく下がったナイフがもう一度上がる。 「そんな上手い言葉に乗ったって、結局起こしちまったもんは無しには出来ねぇってことなんだよ。お前は、強盗及び殺人未遂だ。あとは捕まるしかないんだ。それなら上手く逃げるしかねぇだろう。俺が手伝ってやる」 今まで様子を窺っていたのだろうか。景品交換所の向こうからサングラスをかけた、いかにも怪しげな男が出てきた。そいつはどっからどう見てもヤクザだった。そして兄ちゃんに背後から近付き、徹さんの両腕を後ろで縛り、自分が持っていたもっと切れそうなナイフを出した。 「ほら、俺が人質に取っておいてやるからその間に逃げろよ」 「おい、逃げたら罪が重くなるだけだぞ」 男と徹さんの言葉に兄ちゃんは板挟みになり葛藤する。 「おらっ、捕まってもいいのか」 結局やくざな男の低音の脅しにビビって、おばちゃんに積み込ませた景品が乗った車で逃走した。 唖然としているとその男が俺に向かって言った。 「おい、そこに隠れてる奴。出てこい」 なんなんだ、こいつは一体。もっと事態が悪くなったことだけはハッキリと分かる。 「その人を離して下さい。もう景品もお金もないですよ」 「くっくっ、金がないだって。笑わかせてくれるじゃねぇか」 そいつは本当に楽しそうに笑うと、 「なあ、いくらでも出すよな。社長さんよ」 後ろから首を締めあげるように抱きついていたそいつは、徹さんの耳元に口を寄せ、この上なくいやらしく、囁くように社長と呼んだ。 「なっ何が社長だ」 今まで平然としていた徹さんは社長と言われて何故か赤面する。 こっそり携帯で連絡しておいたオーナーと3号店店長も出てきた。 「一体いくら欲しいんだ」 オーナーは恐い顔をもっと強ばらせて額を問う。自分の店でお客がどうかなったら大変なことだろう。もう二度と商売できないかもしれない。 そのオーナーの顔も、俺の睨みもものともせずに、そいつは楽しそうにニヤつくのを止めない。 「そうだなぁ、十億は欲しいところだな」 じゅっ十億〜〜? がっ額がデカ過ぎる。確かに徹さんは自分で金持ちだと言ってはいたが。それにしても社長って‥。 あの兄ちゃんからもっと悪い奴への交代劇に俺の心臓ははち切れそうになる。 「全くあいつもこんな最高な人質おいてくんだからとんでもなく阿呆だな」 「何が最高だ。アホはお前だ」 とっ徹さん。頼むから黙っていて下さいって。俺の心臓は持ちそうにありません。 しかしアホと言われてもそいつのイヤな笑いは消えない。 「あははは、相変わらず威勢がいいなぁ。なあ坊や」 「バカヤロ、坊やなんて言われる年じゃない‥‥、って、坊やって」 徹さんが何かに気づいたように後ろを振り返って確認すると、わざわざサングラスを外してそいつは顔を晒した。 「ああーっ」 「てめぇは」 「おまえー」 徹さんとオーナーと店長が一斉に大きな声を出した。 「久しぶりだな」 「伊賀‥なっ何でここに」 35〜6才に見える伊賀と言われた男は徹さんもオーナーも店長までもが知っていた。ここら辺では有名だったのだろうか。 確かにピンストライプのヤクザ丸出しのスーツはよく似合っていた。身長も百八十はあるだろうか。顔も凄味があるのだが俺みたいにごついわけではなく、区分けすればいい男の部類に入るだろう。これなら一度見たら忘れることはない気がした。 「何でってご挨拶だな。俺が出所してくるって分かってたから、そんな用心棒を雇ってたんだろう?」 えっ、俺? 伊賀の指が指す方向には後ろを向いても誰もいなかった。 「おまえどこの組のもんだ。俺はな、今から組を復活させるんだ。うちへ来いよ。そしたらすぐに幹部になれるぜ。その迫力だ。今も期待されてるかもしれねぇが、こいつから金を取ったらもっと好待遇で迎えてやる。どうだ?」 もしかすると俺ってやくざにスカウトされてる? はぁ、嬉しくも何ともないこのスカウトは実は3回目である。まったく一度くらいは違うことで声が掛かってみたい。 「俺はここを止めるつもりはない。オーナーには恩もある。ここは気に入っている」 「ほぉ、義理人情にも厚いか。ますます気に入ったぜ」 「俺のことはどうでもいい。その人をどうするつもりだ」 「さあ、それは金を受け取ってからの話だ。でも俺はこいつを殺さねぇと先へ進めない。おやっさんにもワビの入れようがねぇ」 「何で殺すなんて‥」 俺の声は掠れてそれ以上出なかった。後は睨み付けるしかなかった。 「いいねぇ、お前。ゾクゾクするよ、その顔。そうだな、用心棒として一緒に来るか」 もしかすると俺が役に立つ時が来たのかもしれない。 「俺は命に代えてもその人を守る。代わりに俺が行くんじゃダメなのか」 「バカ、何言ってんだ」 バカじゃないです。俺はいたって真面目です。 「いい心がけだ。だがお前じゃ10億の価値はねぇ。取り敢えずは運転手に使ってやるよ。運転しろ」 顎をしゃくって車の方へ行けと指示を出す。 「おい、変なこと考えるなよ。俺は徹坊ちゃんを殺すことなんか屁でもないんだからな」 徹さんの名前まで知ってる? この憎まれるという言葉から一番無縁の存在の徹さんに、恨みがあるのだろうか。 「お前なんか警官が来たら終わりだ」 伊賀は薄い唇の端で笑う。 「警官は来ない。そうだろう? 来るなら今頃とっくに来てる頃だ。それが未だにサイレンの1つも聞こえてこないとなれば通報してないってことだ。違うか?」 伊賀は交換所のおばちゃんを見た。 「徹ちゃん。ご免なさい」 おばちゃんは泣きながらその場に土下座して徹さんに謝った。 「だって、だって、徹ちゃんとしゃべってる最中だったから、慌てて通報もせずに飛び出しちゃったのよ」 ずっと心苦しかったのか地べたに顔を伏せて泣き崩れてしまった。 「おばちゃん。いいよ、俺も仕事の邪魔して話しちゃったから。心配かけてごめん」 俺が待たせてしまったから‥。徹さんはおばちゃんにこの小さい窓から声をかけ、話し込んでいたのだろう。俺のせいで、みんなを不幸に巻き込んでいく。 警報装置は作動していなかったのだ。そうとは知らなかった俺やオーナーは誰も電話をかけてなかった。 「そういうことだ。今からサイレンの音がチラッとでも聞こえたらこいつの命はないと思えよ。ふふふっ、いつも用心棒を連れて歩いてたし、中々かっさらうチャンスが来なかったんだ。初めはあのバカのおかげでサツに囲まれて今夜も駄目かと思っていたが、逆にこんな絶好のチャンスをくれて。礼の一つもしないとな。普通ならすぐに警察が来るところだからな」 「おい、俺のボディーガードは強いんだぞ。お前なんか逆にやられちゃうんだぞ。だから連れて行くのは止めた方が正解だぞ」 俺、徹さんのボディーガード‥ですか? でも俺が徹さんにまとわりついてたのって少しは役に立ってたんですね。伊賀が見たときはたまたま俺と一緒の所ばかりだったのだろう。だからウジウジと考えずにもっともっとへばり付いてれば良かったのだ。そしたらこんなことにはならなかったのに。 「運転は俺がしてやる。だからトシまで巻き込むな」 「俺は徹さんについていきます」 「バカか。こんなムショ帰りのヤクザについて行ってどうする気だ。こいつは俺を殺すことなんて出来ないんだ。だから帰ってくるまで待ってろ」 俺は、俺はそんなに頼りないですか。一人よりは心細くないとは思ってくれないんですか。こんな時にまで年上ぶらないで下さいよ。 「えらく見くびってくれたじゃねぇか。俺は昔とは違う。この10年。くさい飯を食いながらどうやって仇を討つか、そればっかり考えていた。何故あのときお前を殺してしまわなかったんだろう、そればかりを考えていたんだ」 「簡単じゃないか。伊賀、お前は人殺しなんて出来る人間じゃなかったんだよ」 「くくくっ、あはははは。小学生だったお前にそんなことを言われるようになるとはな。びっくりだ」 「だから、何回言ったら分かるんだ。俺はあのとき既に中学生だったの。今は25だぜ」 この伊賀という男は殺すなどと物騒なことを言ってるわりに、徹さんと話すのが本当に楽しいようだった。子供の成長を見守るような。そんな昔からの知り合いなら徹さんのことを刺すなんて出来ないかもしれない。ほんとに殺そうと思う事情があったのかもしれないけど、殺せなかったんだ。 中学生の徹さん。今よりはるかに可愛かっただろう。 一度ダメだったことは二度目もダメかもしれない。このままこいつのアジトに連れ込まれてしまったらそれこそ二度と出て来れないかもしれない。 チャンスは今しかない。 徹さん、俺を男にして下さい。 |