月の儀式10

「俺はお前の妃になるなんて一言も言ってないぞ!」
 睨み合ってる二人の間を割ってルドが怒鳴る。
「誓わなければ一生そのままだ」
 ギガはあっさりとその言葉を跳ね返す。腕を切り落とさない限りここからは抜け出せないだろう。
「しかしこのままでは魔王も倒せませんよ。倒して欲しければすぐにルド様を解放してください」
 そう詰め寄るハイトを睨め付け、ギガはルドに話しかけた。
「ハイトを助けたければ血の儀式で誓え。私の妃になると誓え」
「言っただろう。あんたはそんなことはしないって」
 ルドは本気でそう思っていた。自分を放してくれることはないだろうが、ハイトをどうかすることもないだろうと。

「ふん、解った。公平に剣で決着を付けようじゃないか。目覚めさせてくれた礼だ。一度だけ機会をやろう。私に勝てたら解放してやる。その代わり負けたら妃になれ」
 ギガは自信満々でそう言うと腰に下がっている剣を抜いた。ハイトには顎で示す。その先にはルドの聖剣が立てかけられていた。真剣勝負となれば、負けは死を意味する。それでもハイトは受けた。
「ルド様は物ではありません。その賭けには応じられませんが、あなたを倒さなければ自由が手に入りませんね。それにこの仕打ちのお礼もしなくてはなりません」
 ハイトもほのかに余裕がある様子を見せ、ルドの剣を手にした。


 激しい金属音が幾度となく響き渡る。
 薄暗い部屋の中に火花が散る。

 ハイトとギガの剣が振り下ろしたり受け止めたりと、風切り音と共に攻防を繰り広げていた。
 どちらも一歩も引かず、すんでのところでかわしていた。それでも時間が経つにつれギガの服があちこち切れ、血で短線が描かれだす。図体が大きい分狙いやすく、動きも鈍かったのだ。
 だがハイトよりも高い上段から振り下ろされる剣は、受け流すので精一杯だった。ギガの方が力もある。刃を合わせて押し合いになるのだけは避けなければいけない。身軽さと素早さで対向するしかない。少しでも気を抜くわけにはいかなかった。

 ジリジリとハイトが押し、ギガの背中に壁が近づいてきた。横に振り払ったハイトの剣が壁に当たった。高い金属音が響く。
 一瞬の隙をついてギガが上段に構えた。振り下ろされる‥それを狙いすまして下から勢いよく振り上げた。
 派手な音がして、少ししてから剣が地面に落ちた。
 ギガの剣がはじき飛ばされたのだ。
 ハイトは壁に剣先を突き立て、ギガの首筋に刃を当てた。

「止めてー」
 コゴが叫ぶ。
 その声で無心で闘っていたハイトは我に返った。コゴの方を見る。
 ギガがそれを逃すはずがなかった。挙げていた手をハイトの手首に掛けると握りしめた。
「甘いな。なぜすぐに殺さなかった」
 ギガは空色の瞳を深い海の色に変えた。
 鈍い、くぐもったような音がして、ハイトは腕を押さえ膝を付いた。

「ハイトっ」
 ルドが必死で呼びかける。ギガがハイトの剣を避けようと手首を持ったのは見えた。だが何が起こったのか解らなかった。ギガは軽く握っていただけだったのに、ハイトの手は曲がるはずのない方向を向いていたのだ。
「ギガ、卑怯だぞ。ハイトが勝ってたじゃないか」
「ふん、殺されなかっただけ良かったと思え。さあ、誓いを」
 ギガが勝利の笑みを浮かべ、日の石版を持ってルドに詰め寄る。
 すると利き手じゃない方の手に剣を持ってハイトがギガの前にゆらりと立ち塞がった。折れた骨の痛みを堪えているためか脂汗が浮き、眉の間に立て皺が入る。
「それで何が出来る」
 今度はためらわずにハイトは剣を振り下ろした。
 ギガは石版を盾にして受ける。石版は割れて砕けた。勢いを殺された刃が少しだけギガの肩に食い込んだ。そこから血が剣を伝って流れ、ハイトの腕にも垂れてくる。
「それまでだな」
 ギガは剣を持ったハイトの腕を、そこで血の流れを止めるように握ると、また瞳の色を変える。
 もう一度嫌な音が響いた。剣が落ちる。
「止めろ。もう止めてくれ。ハイトも下がって、お願いだから」
 ルドは絶叫する。その願いも聞かず、ハイトはまだギガの前に立っていた。腕は振り子のようにぶらついている。それでも目の輝きだけは失われていなかった。

「なぜだ。殺されたいのか」
 ギガはハイトを殴り倒した。
 ハイトは不自由な姿勢でまた立ち上がり、ギガとルドの間に入る。
「ハイト、もういいから。ギガ、血の儀式で誓ってやる。頼むからこれ以上ハイトを傷つけないで」
 ルドは泣き叫ぶ。自分が甘かったことを痛感する。男の嫉妬まで読めるほど人生経験を積んでいないのだ。

「‥ルド様。それはなりません」
 やはりまだハイトの目は死んではいない。
「なぜそんなになってまで立ちはだかるのだ。傷つくだけで何もできんのだぞ。それが忠義というものか」
 ハイトは前にもギガに見せた薄笑いを浮かべた。
「私の目の黒いうちはルド様を他の者に渡すつもりはない。忠義でもなんでもない。私が見たくないだけなのだ。私のルド様が他人のモノになるところを。ルド様を手に入れたいのなら私を殺してからにしてくれ」
 ルドは涙が溢れて止まらなかった。こんな時だけど、イヤこんな時だからこそなのか。ハイトの本音を聞けて嬉しかった。ハイトも自分のことを思ってくれてる。もしかしたら自分と同じぐらいに‥、それ以上に。

 ハイトは両腕を広げ、手首をぶら下げた格好でギガに迫る。ギガは迫力に負けたのか少し引いた。
「それが本音か。お前は忠義心が厚いってだけで、ただの家来じゃなかったのか」
 すかさずルドが口を挟む。
「何を言ってるんだ。ハイトは守り役であって家来なんかじゃないんだ。守り役ってのは直系の者たちの先生であり、兄貴みたいなもんなんだ。ハイトは頭が固いから俺にだってこんな話し方だけど、普通はタメ口きいておかしくないんだよ」
 ハイトは頑固なまでにルドに敬語を使っていた。だからルドは他の組になってる者たちが友達みたいで羨ましかったのだ。でもそれは自分を抑えるためだとしたら‥。
  「俺にはハイトしか居ない。他のやつと一緒になんかならない。ましてやギガ、お前なんかとは絶対に嫌だ。ハイトが死んだら俺も舌を噛み切ってやる」
 ルドにそこまで言い切られて、ギガのこめかみがピクピクと震える。怒りで切れたのか。ハイトの腹に拳が飛んできた。ルドは思わず目をつぶった。

 もの凄い音が聞こえ、とうとうハイトはルドの側に倒れた。うずくまって動けない。
 手の先だけでハイトを触ると、意識はまだあるのかうなり声を上げる。両腕は折られ、あの馬鹿力だ、あばらも折れてるだろう。意識がある方が苦しいと思うのだが、ルドはほっとした。ハイトは生きている。

 まだギガは気が収まらないのか、ハイトの腕の付け根を持つと引っ張り上げた。
 その時、ルドの止めてと懇願する声と同時に、魔王の来襲を告げる警鐘が鳴った。
「ちっ、来たか。お前達のことは後だ。今度こそやってやる」
 ギガはハイトを放り投げた。

 そしてあれだけ魔王退治をして貰いたがっていたのに、二人をそのまま置いて出ていった。ルドの精によって武器の攻撃力が上がったことに自信を持っているのか。

「ハイト、しっかりして。お願いだからもう少し頑張って。それを‥」

 ハイトはずるりと重そうに体の向きを変えるとルドに向かって微笑んだ。そしてルドの腹の上に頭をそっと乗せる。
「ルド様。私のルド‥さ‥」

 ハイトは目を閉じ、ルドの腹は頭が重くなっていくのを直接感じた。
「いっ、いやだ。ハイトっ、ハイトーっ」

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