自転車を走らせ、大通りから住宅街へ入る。俺の家は角に立っていてかなりでかい。先祖代々住んでる沢田家は、じいちゃんの代で結構土地を売り払ったが、まだ四軒は家が建つほどあった。 必ず誰か一人が家督を背負って立つ時代は終わったため、長男の親父が真ん中に二軒分貰って家を建て、両側に弟の叔父と妹の叔母がそれぞれ家族で住んでいる。一族みんな集まっているのだ。しかし祖父母は俺が小学六年生のときに死んでしまった。最後まで仲のいい夫婦だった。 だから土地はすでにあったため、家は大きくても別に金持ちでも何でもない。親父は普通のサラリーマンである。 車庫にケッタを入れて家にはいる。 「ただいま、あれっ凌兄いるんだ」 すぐ上の兄貴は二つ上で、大学の二年生だ。バイトと遊びで忙しくこんな時間に家に居た試しがない。 「おかえり、バイトは夜なんだ」 やっぱりね。 ちなみに一番上は俺と五つ違いでエリートサラリーマン、というのをやっている。昔から出来が良かった。就職と同時に家を出てしまった。 二番目は三つ違いで俺と同じく工業高校を出て働いている。出来が悪い所まで似ているので一番仲がいい。 名前は上から、一騎(かずき)、大馳(だいち)、凌駕(りょうが)、で生馬だ。三人ともちゃんとひねってあるのに俺だけそのまんまでちょっと悔しい。いかにも最後はめんどくさいって感じだもんな。 俺は部屋にはいると鞄を投げ、着替えをして屋根裏部屋へ入る。ロフトなんていいものではない。小さな天窓が切ってあってほの明るい。そこに一兄のベッドが置いてある。寮に入ったので必要がなくなったのだ。しかしまだきれいなので、寮を出たときに使うのに残してあった。そして俺は一兄が使ってた一番にいい部屋、この屋根裏がついた所を貰ったのだ。 ベッドでごろごろしていたら寝てしまったらしい。凌兄が怒鳴り込んできた。 「こらっ、生馬。なんべん呼んだら分かるんだ。えーちゃんがきてるぞ」 えっ、もう七時か。しまったな。寝るつもりなんてなかったのに。 寝ぼけている頭を叩きながら下までおりる。鋭侍は居間で凌兄と和んでいた。お袋も顔を出して夕飯に誘っている。 実は鋭侍の家は俺の家の真正面なのだ。といっても一戸建てのお向かいさんと言うわけではなく、三十軒ほどの小さな分譲マンションだ。もう建ってから二十年にはなるらしい。 ではなぜ小学校に入るまで知らなかったかというと、鋭侍は保育園に行ってたからである。奴の母親は産休のみですぐに職場復帰した。鋭侍は〇歳から保育園に預けられていたのだ。だから一人っ子でも俺に対抗できるほど強かったのである。兄弟が何十人もいるのと同じだもんな。 小学校に入ってからは学童保育に行っていた。母親同士が知り合ったのは、当然けんかをして怪我をしたときである。礼儀正しく、さっぱりとした鋭侍の母親を俺のお袋は気に入ってしまった。それから週二回空手に通うようになると、お袋がその時ぐらいは面倒を見る、と言って家へ来ることになったのである。 もちろん俺も鋭侍も始めは大反対だった。しかし鋭侍は八人家族にあこがれたのか、兄貴達を気に入ったのか、いやがらなくなった。一人反対していた俺は奴が来たときだけ自分の部屋で飯を食ったりして反抗していた。 だが兄貴達はすごく鋭侍を可愛がった。俺より年がいってるだけあって解っていたのだ。それが取られるという危機感も手伝って余計に気に入らなかった。何せ俺は独占欲が強い。 鋭侍の母親は義理堅く、毎月、食費と預かり賃を渡していたみたいだ。それで奴は一段と安心してうちに通ってきていたのだ。 ますます俺達は仲が悪くなっていく。もう意地になっていたのだ。兄貴達の取り合いからお袋の取り合いまでした。鋭侍は愛情に飢えていたんだろう。今なら分かるのだがあんなガキの頃にはちょっと無理だ。俺は随分と家族の自慢をしてしまった。そしてその度にけんかになった。酷いことをしたと今は少し反省している。 だって奴には家族旅行とかの思い出がほとんどないのだ。そしてあるのは、俺の中では一部の―たまに誘われて一緒に行った―うちの思い出が全てだろう。 「おう、負け犬め。レポート持ってきたか」 「なんだと。このっ」 血気盛んな奴はすぐに立ち上がって俺に向かってくる。 「じゃあ何で硬さ試験のレポート二度も書いてんだよ。えっ、言って見ろよ」 言葉をなくした奴は真っ赤になって立ちすくむ。俺は、へへ〜んと笑って鋭侍のあごを撫でた。バシッ、と俺の腕を振り払うとドサッとソファーに座り込む。 「生馬、お前らまだやってんのか? いい加減にやめたら?」 凌兄があきれた顔でしみじみ言う。 「ほんっとに仲が悪いんだか、良いんだか、わからん奴ら」 「悪いに決まってるだろう」 二人の声がはもる。 「誰がこんな奴と、俺は凌兄やおばさんに会いたくて来てるんだ」 「俺だってレポートがなければ会ってないぜ」 「だけど会いたくてレポート書かせてるんだろう?」 「ちがーうっ、俺が勝ったからだ!」 凌兄はいつも変なことを言う。 「はいはい、ご飯が出来たよ。勉強の話もいいけど冷めちまうよ」 そこへ何も解ってないお袋が来て話は中断された。勉強の話なんてこれっぽっちもしてないぞ。 親父と大兄は残業で遅くなるそうでいなかった。 二人揃って飯を食うなんて、きまずーい雰囲気になると思うだろ。しかし鋭侍はうちのお袋に余計な心配をかけたくないみたいで、お袋の前では絶対突っかかってこない。もち売られたものは買うけどな。すると俺が悪い、怒られるという図式になり分が悪いので、自然とその場だけは絡むことがなくなった。 お袋の前だと二人とも仲良しの幼なじみになってしまう。そして無理に話を合わせているうちに気づいてしまったのだ。俺達は似た者同士。転び方によっては非常に気が合うんだということを。 奴のジョークはおもしろい。始めは「けっ、くだらん事言いやがって」なんて思ってたのだが、一度プッと吹きだしてしまったらもうダメで、それからは笑わされっぱなしだ。保育園で保母さんの気を引くのが日課だった奴は話し上手で、人を退屈させない。この外見とのギャップが余計に女にうけてるのかもしれない。それと考えてることがピタッと合うのだ。 たとえば中学の時、ボーイスカウトのボランティアで、身障者と散歩をすることがあった。そのとき近くにいた奴が「こんなの自己満足で、優越感に浸ってるだけだよな、偽善だよ、偽善」なんて言ってたのだ。当然その場で話すことはなく、帰ってから鋭侍はお袋に「例え自己満でも何にもやらない奴よりか何倍もまし」そう話したのだ。 俺の考えと一緒だった。別に俺達は奉仕精神が旺盛なわけじゃないから、心から尽くしてる人たちには悪いが、やっぱ自己満足だと思う。だけど需要と供給が満たされればそれでいいんじゃないか。相手がどう思っているかは解らないけど。 そう思ってたことを全て鋭侍に言われてしまったのだ。思いっきり相づちを打つとあいつも驚いていた。そんなことがある度に俺達は確認し合う。表裏一体なのだと。でもだからと言って仲良くなるほど単純じゃない。やはりそれは母親の前だけであった。 飯を食い終わって二人になると態度は元に戻る。 「おい、レポート出せや」 鋭侍のレポートを受け取ろうとしたとき凌兄に呼び止められた。 「えいちゃんは先に行っててくれないか」 凌兄に言われると鋭侍は素直に二階へ上がっていった。 「何だよ。今からレポートやるんだぜ」 「それは分かってる。けどいつまでそんなことを続けるつもりなんだ?」 「鋭侍が降参するまでだよ」 「お前なぁ、分かってるのか。このまま行けばえいちゃんは大学へ行って離ればなれになっちゃうんだぞ」 「えっ、大学って奴がそう言ったのか」 「そりゃ工業からだと難しいだろうけど、一兄の行ってた高校だって入れたぐらい賢いんだ。お前の工高からだって推薦でいけれるんだろう?」 「うっうん。あいつの成績なら何の問題もなく推薦取れる」 「だろう。だったらもう少し素直になったらどうだ。えいちゃんの気持ちは解ってるんだろう」 いったい凌兄は何が言いたいんだろう。 「何だよ。鋭侍の気持ちって」 凌兄はため息をつく。 「えいちゃんも報われないなぁ。こんなバカに合わせてレベル下げてさ。じゃどうしてお前と同じ工高へ行ったんだ」 「工業が好きだったから?」 「それなら大ちゃんと同じ所でいいだろう。向こうの方がランクが上なんだから」 「だけどうちの方が近いじゃん」 「本気でそう思ってるわけ?」 だって違うのか。ほかに何か理由があるのか。どんなに頑張って考えても分からない。 「本当にそう思ってるんだけど。何かいかん?」 「じゃあ、工高へ入ってすぐのことを思い出してみたらどうだ」 なんかあったかなぁ。やっぱり何も思いつかない。 「なにかあったっけ」 凌兄は大げさに首を振ると諦めたように話し出す。 |