VS.I (2/3)

「なんだとー」
「じゃ、否定してみろよ」
 くっそー。毎度腹は立つのだが事実なので仕方がない。
「お前だってそうじゃねぇかよ」
「ふん、俺はお前とは違う」
 ああそうだろうよ。小さいころから家族の愛情を一身に集めて育ってきたお前だ。あるのが当たり前になっていて、ありがたみがわからねぇんだよ。
「ごたくはもういい。行くぞ」
「おう。どっからでもかかってきなさい」

 空手は、いや何の格闘技でもそうかもしれないのだが、安易に動くのはまずい。俺たちみたいにやり合いすぎて、互いの動きを熟知してる場合は特にだ。攻撃を避けられて体勢が悪くなったところを攻められて終わり、と言うのがいつものパターンである。バカ馬はずる賢いのでこうやって口で俺を挑発して、先に攻撃を仕掛けるように仕向けてくるのだ。

「なんだと、偉そうに」

 しかし、解っていてもこいつは俺を怒らせるのが非常に上手い。ついムカツいて先に手がでちまう。学校で観客がいるときは余計にだ。みんなの前でバカにされるとどうしても堪えられない。だからむこうでの対戦成績は8勝10敗と負け越していた。

「しょうがないだろう。俺のが強いんだから」
「何言ってやがんでー。ここじゃ俺の方が勝ってるんだ。解ってんのか」
 生馬はぐっと言葉に詰まる。そうなんだ。2人きりで対戦する、庭での3年になってからの戦績は5勝4敗だ。言葉に惑わされないからである。
「ちきしょう、絶対勝ってやるからな。そうすりゃ合計してみろ。俺のが強いってことだろう」
 チッ、なんかくやしいな。ここで勝っても五分かよ。
「弱い犬ほどよく吠えるってね。学校ではおめぇが卑怯な手を使うからだろうが。ここでの勝ち星が本物だ」
 奴は自分の方がちょっと汚い手を使っていることは自覚している。この言葉は核心を突くのだ。
「この野郎っ!」

 来た。予想通りだ。
 まずは正攻法で中段突きを繰り返してきた。俺は後ずさりながらあげ受けでそれをかわす。前が空いたところへ前蹴りが飛んできた。その連続技は生馬のいつものパターンなので、一瞬早く対応できる。俺は体を外側にさばき、左手ですくい上げるように受け流す。体勢が崩れたところへ右上段逆突きを決めた。

 決まった。

 そっと拳を当てて顔を見る。
 ニッと笑ってやる。

 本当に叩いたり蹴ったりはしない。全て寸止め、と言ってぎりぎりの所で止めるのだ。だから上段の回し蹴りなんか入れちゃうと、ケンカの俺らじゃ止まれなくて怪我をしちまう。止められる、避けられると予想がつくときにしか出さない。一応最低限のルールは守っているのだ。しかし高校に入ってからもエキサイトしすぎた時にしたケンカは骨まで折ってしまった。2人とも1回ずつである。


「さて何をやらすかな」
「しまった。はじめに決めとかなきゃいけなかった」
 ケンカをするときはいつも賭けをするのだ。物だったり、事だったりその時によっていろいろだ。だが最初に決めておく場合が多い。それも奮起の材料になるからだ。
「そうだな、弁当はもうじき冬休みになるからいらないし、う〜ん。‥‥そうだ、今の課題の渦巻きポンプ、あいつの本体、描いてもらおうか」

 製図も工高で描くのが最後に近づいてきて難しい物が出題される。この課題もポンプとして見れば1つの物なのだが、こいつを作れるように図面を描こうとすると、その構成している1つ1つを単品図として描くのだ。それでその単品図を集めて今度は組図を描く。そりゃもう何枚もになる。そうして初めて物が作れる元が出来上がる。その中でも組図を除けば、本体が一番難しい。

「えぇーっ! それは勘弁してくれよ。たのむから」
 生馬はとても変わり身が早い。プライドというモノがないのだ。4人兄弟の末っ子というのもあるだろう。そんなモノを持っていてはきっとやっていけなかったのだ。
 わがままを言うときは言う。聞いてもらえないとわかったらいつまでもこだわっていない。切り替えが早い。ぎりぎりまで粘ってさっと引く。
 同じわがままでも1人っ子の俺とは違う。俺の場合、絶対に根比べだからだ。しょせん子供は1人なのだ。親が折れればそれで終わる。
 その代わり2人しかいない家族の顔色をうかがっているので、いつでもどこでも言いたいことを言う、奴とは違う。生馬のとこはじいちゃん、ばあちゃんが生きていたころのことを思えば、残りの家族7人、誰かが自分の意見に賛成してくれるかも、そういう望みがあるからだ。
 ダメ元でない分、俺は慎重になるのだ。

「やだね」
「ちっきしょー、このアホ侍。覚えてろよ。今度は吠え面かかしてやるぞ」
「おう今度な。次もどうなるかわからんがな。だが今勝ったのは誰だ。あぁ? 言ってみろ」
「くっ‥お前‥だよ」
「よくわかってるじゃねぇか。なのになんて俺のことを呼んだんだ。えっ」
「わかったよ。俺が悪かった。鋭侍さま、図面を描かしていただきます。そー言やーいいんだろう」
「偉いじゃねぇか。最初からそういう態度でいりゃあ良かったんだよ。ほんじゃ月曜までって事でいいか」
「待て。ドラフター貸せ。いや、貸してください」

 俺の家は安いマンションだが金はある。かまってくれない分は金で補うかのように、勉強に使う物なら惜しまず買ってくれるのだ。だからドラフターなんて宿題に使う程度なのに、頼んだらあっさりと買ってくれた。
「ふーん、どうすっかなぁ」
「意地が悪いぞ」
「しょーがねぇな。後から家へ来い」
「ああ、準備したら行く」


 生馬は自分の部屋に行き、帰ろうとしたら大兄が下駄箱に置いてある灰皿に灰を落としにきた。またタバコをくわえる。あまりにも様になってる仕草だが、俺はその口元から目がはなせねぇ。

「何がしょーがねぇな、だ」
 タバコがはなれると、突然にその口が開かれる。
「‥えっ‥えぇっ、なっなんだよ」
 違う所へ気がいってた俺は言葉が発せられたことにも、その内容にも面食らう。
「本当は初めっからそれが目的だったんじゃないのか。来て欲しいんだろう」
「だっ、誰に」
「決まってんだろう。生馬に」
「だからそれは俺が組み手に勝ったから‥」

 俺は言い訳をしかけてまたタバコがくわえられた口を見つめる。唇が窄められ、薄くなり、その隙間から煙がでる。

「俺はさ、お前が工高に入るまで兄弟の中で一番好かれてると思ってたんだぜ」
「そうだよ。一兄も凌兄も大好きだけど大兄が一番親近感が湧くから」
「そう、俺もそれにころっと騙されてたんだ。もちろんお前は生馬と変わらず可愛い弟だ。ま、可愛いってにはおめぇら2人ともでっけぇがよ」

 一体大兄は何が言いたいのか。口元に行ってしまう視線を懸命に戻す。

「騙すってどういうことだよ」
「小学校の高学年ぐらいからか。一生懸命俺の真似しだしただろう。言葉遣いや、態度なんか。だからてっきり俺のことが気に入ってるからだと‥な」
 そう、生馬にされたあの日から‥。
「そのとうりじゃんか」
「それがさ、ほんとなら一騎の後を追っかけてけるはずなのに、高校を工業にするって言うだろう。工業系列の仕事がしたいなら大学でそういう学部を選べば済む。それなのに工業って言うからには、誰もが俺の工高へ来ると信じて疑わなかった。もちろん俺もだ」

 何となく大兄の言いたいことが解ってきた。嫌な焦燥感が俺の体を駆け抜ける。手が勝手に玄関の戸へと伸びる。

「待て。まだ話は終わっちゃいねぇ」
 伸びた手を掴まれて、残りの手でタバコをもみ消す。至近距離から最後の煙がかかる。俺は思わずむせ込んだ。
「それにこれだ。なぜタバコは真似しない?」
「しっ、してたじゃないか。でもどうしても旨いと思えなかったって、何度も言っただろう」
「じゃなんで、そんなにタバコばっかり見てたんだ?」

 俺は言葉がでない。時限爆弾をしかけられた気分だ。ここに生馬が下りてきたら‥。

「俺っ、先に帰って少しはうちの中、片付けとかねぇと」
 何とか逃げようと頑張ってみるがどうしたんだろう。今日の大兄は少しおかしい。あっさり、さっぱりが信条なのに。
「いろいろしてそうなのに、意地が邪魔してこれはまだなのか。それとも常に欲しいってことか?」

 腕が首に回る。身長は余り変わらない。大兄の方が少し低いがおばさんのサンダルを引っかけてるせいで嫌でも唇が目についた。そしてどんどん近づいてくる。もう少しでくっつくという所で止まった。
 あっ、しまった。‥俺は逃げない自分に気がついて慌てた。
 それを見て大兄は満足そうに笑う。

「似てるんだろう。あいつと。この口が」
 爆弾は、爆発した。全てを悟られてると解って俺は大兄を突き飛ばした。
「いってぇな。何もほんとのこと言われたからってそんなに思いっきり突き飛ばすことないだろう。安心しな。あのバカはまだほんとにガキなんだよ。自分の気持ちすら解らないな。あいつと一番そっくりなこの俺が保証してやる。したけりゃしてやりゃあいい。ハッキリさせてやった方がいいぜ」

 その後、大兄は俺の耳を引っ張ると、今度は自分で踏まないと爆発することはない地雷を吹き込んで、1人でメタクソにいい顔をして戻っていった。俺はその背中に叫ぶ。

「要るかーっ!」


 俺は赤面しているだろう顔をおさえて家に帰った。俺の親は揃って出張だ。2人とも課長なのだが、今かかってる仕事は部が1つになって動いているらしく、2人揃っていないことが多くなった。それまではどちらかが必ず居たのに。

 俺は1人は嫌いなんだ。

 それで今日のねぐらの女を確保していたのに、あのバカ馬のせいでパアになっちまった。なのになぜそれが目的なんて言われなきゃならねぇんだよ。俺は怒ってるんだ。


 自分の部屋にはいると西側にある窓から生馬の家を覗く。俺の家は角部屋の2階で奴の家がよく見えるのだ。今も窓に人影がちらちらしている。一兄のだった2階の南東の部屋だが、出て行ってからは生馬のになっている。
 庭もよく見える。実は俺の方は生馬のことを小学校に入る前から知っていた。いつもいつも家族に囲まれて楽しそうに遊んでる奴を見ていたのだ。

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