憎しみの檻
ただ君の幸せを願う 4
NEXT BACK INDEX
ユベールの屋敷は王都の中、さらに王城近くにあった。
王城の周辺に建つ邸宅は貴族のものが多く、彼の住まいはタウンハウスと呼ばれる、領地持ちの貴族が王都に滞在する時に使用する第二の邸宅とも呼ぶべきもの。
ユベールの両親は遠く離れた領地におり、王都での社交の類いは、ほぼ息子に任せていたようだ。
幸いにして今は社交シーズンではないし、私がこの体に留まっていられるのも、そう長い時間ではないはず。
バルトの助けを借りて、後でユベールや両親が困らないように最低限の義務はこなしておこう。
現在、私は馬車に乗って王城に向かっている。
城内は広いので、移動先によっては馬車が使われる。
いつもは鍛錬を兼ねて徒歩で行くそうだが、私には案内が必要なことと、体調を心配したバルトの手配で家の馬車を使うことにした。
さて、城が見えてきた。
訓練場はどんな所なんだろう。
城門を通り抜け、御者が馬をつけた先にあったものは、大きな円形の建物だった。
これは闘技場だ。
私の中の戦士の血が滾る。
筋骨隆々の男達が血湧き肉躍る武闘に興じる場に思いを馳せて、意気揚々と足を踏み入れた。
近衛騎士団はフェルナン王子の直轄部隊。
年齢は四十代から十代までと、幅広い年齢層から随時有望な人材が集められていた。
王子が戦場に赴くことになれば共に軍に加わるが、普段は王子夫妻の身辺警護や住居である邸宅周辺の警備に配置され、他の部隊に請われて実戦経験を積むために賊の討伐にも参加している。
王国軍最強の実力を維持するために、自己鍛錬と研鑽を怠らないエリート集団だ。
訓練場の中はすり鉢状に観客席が設えられていて、客席から見下ろす中心に闘技を行う広場があった。
実戦に即した訓練を行うためか、馬が走れるほどの広さだ。
広場では待機中の騎士達が各々体を動かしていた。
木剣で手合わせをしている者もいる。
相手を探すのに苦労はしなくて良さそうだ。
「ユベールじゃないか、体の具合はどうだ?」
「フェルナン様から事情は聞いている。困ったことがあったら、何でも聞いてくれ」
広場に入ると、近くにいた騎士達が、気さくに気遣いの言葉をかけてくれた。
礼の言葉を述べて雑談を交わしつつ、周囲を見回して、アシルを見つけた。
彼は一人で体を解している。
走り込みでもするのだろうか。
だが、ちょうど良い。
あの日の再戦といこうではないか。
「アシル」
私は場内にあった武器棚から木剣を二本手に取り、彼に声をかけた。
こちらに気がついたアシルに笑みを向け、誘いの言葉を口にする。
「体慣らしに手合わせしてくれるか? 最初の相手は君がいい」
断らせる気などないからな。
レリアを苦しめた罪は贖ってもらおう。
改心したとはいえ、いつ浮気の虫が騒ぐかわからんような男に、大事な妹を託すのは業腹だ。
「相手するのは構わねえが、あんた俺を殺す気でもあんの? すげえ殺気を感じるんだけど……」
アシルが胡乱な目で私を見ている。
いかんいかん、殺気が出ていたか。
「訓練の手合わせとはいえ、真剣勝負だからね。やる気が出過ぎたんだよ。大事な仲間を殺すなんてあるわけないじゃないか」
だけど、熱が入ってうっかり殺してしまうこともあるかもね。
心の片隅でこっそりと呟いた。
有無を言わせぬ威圧を放ち、アシルに木剣を握らせた私は、さっそく彼に打ちかかった。
周囲には見物人が集まってきている。
ますますあの日の再現に近くなった。
まずは様子見の一撃を放つ。
様子見とはいえ、かなりの力を込めた。
アシルは難なく受け止めて、威力を逃がす。
私はさらに踏み込んで、連続で斬撃を繰り出した。
以前と同じく、アシルは私の剣速に追いついて、全ての攻撃を受けきった。
一度退いて、構え直した。
今度は向こうが打ちかかってくる。
九年の歳月を経て、彼の力と技は磨かれており、記憶にあるものよりも鋭さを増して迫ってくる。
だが、剣筋は見えている。
さばくことは容易い。
しかし、脳裏に描く動きに、体の方が追いついて来ない。
怪我をしている時よりは動けているのだが、まだ全身に重りをつけているかのような鈍さを感じた。
それゆえに、また勝負は互角だった。
打ち合える剣の重みに歓喜し、十全の力を振るえぬ体に苛立ちを覚えるという、嬉しいのか悔しいのかよくわからない感情が交錯する。
まだ足りない、何もかも足りない!
私の焦燥が剣に伝わり、それにより放たれた強い一撃がアシルの剣を弾き飛ばした。
弾いた木剣が飛んでいくのを目にして、集中が途切れた。
周囲の様子が視界に入り、耳が音を拾う。
目の前のアシルは呆然とした顔をしていた。
握っていた剣が消えた彼の手は、痺れているのか微かに震えている。
アシルの口が動く。
「……あんた、まさか……、嘘だろ……?」
驚愕に目を見開いて、彼は小さく呟いた。
その瞬間、私は察した。
今の手合わせで、ユベールの中身がドミニク=ベルモンドであることに、アシルが気づいてしまった可能性を。
私は彼に歩み寄り、顔を寄せて小声で囁いた。
「少し話をしようか、君に相談したいことがあるんだ」
こうなれば、取り繕うのも面倒だ。
私は策を考えることが苦手だ。
そもそもアシルをどうにかしないことには、レリアの幸せはないのだ。
妹を託すに相応しい相手かどうか見極めてやる。
そして相応しくないと判断したなら叩きのめして排除するだけだ。
アシルと二人、連れだって訓練場を後にした。
彼もあの場で話すことではないと察してくれたようで、おとなしくついてきている。
人気のない開けた場所まで来ると、アシルの方から重い口を開いた。
「ありえねえと思って言わなかったんだが、あんたの場合、記憶喪失にしてはちょっとおかしいし、別の人格が入ってるって言われた方が納得できるんだよ」
アシルは見舞いに来た時から、私に疑いを持っていたらしい。
彼は困惑で揺れる眼差しをこちらに向けた。
「その人格ってのがドミニク=ベルモンドってわけはねーよな? さっきの手合わせ、既視感しかなくてよ。まるで中途半端に終わったあの日の再現みたいだった」
私は微笑んだ。
この笑みを見て、アシルの顔が次第に引きつっていくのを、面白く感じながら見つめ続けた。
「ご名答。私はドミニク=ベルモンド。ネレシア王の忠実な騎士にして、可愛いレリアのお兄様だ。私の最愛の妹が随分と世話になったようだね、君には色々と聞かねばならないことが山のようにあるんだよ」
私の答えを聞いて、アシルは頭を抱えた。
「マジかよ! 何で今なんだ! 死んだ直後に出てこいよ! そうしたらオレはあんなことしなかったのに!」
「それは私も思ったことだ。もっと早くに戻ってこられたのなら、レリアを守ってやれたのに」
しかし、アシルが言うあんなこととは何だ?
私が死んだことで、彼は何か悔いるようなことをしたのだろうか。
勝負の途中の横やりで死んだとはいえ、アシルのせいではないことは私も承知している。決着を付けられないまま相手を喪って、気持ちのやり場の行き先を見いだせず、何か愚行に及んだということか。当時の彼はまだ血気盛んな十八才、若さ故の過ちなど誰にでもある。
「私が勝負を放棄したのは、王への忠誠を示すためだ。私の死を君が気に病むことはない、君は立派に戦ってみせた。勝敗はつけられずとも、あの日の君の行動によって、私は最期の戦いで一人の騎士として充実した気持ちを味わって死ぬことができた。感謝こそすれ、恨みに思うことはない。過ちは贖えば良い、傷つけた人がいるなら贖罪の気持ちを持ち続けるのだ。許されることはなくても、心が届けば相手の慰めになる」
今のアシルは生前の私と同じ年頃なのだが、戦いの中で彼とクロードを重ねた時から弟を見守るような気持ちになってしまっている。
私の死がきっかけで起こったことだというなら尚のこと、私は彼の力になりたいと思った。
アシルは懺悔を始めた。
私の死後、レリアと出会った彼が、何を思って、何をしたのか。
レリアの記憶が失われた時に起こった、彼から見た事実を全て。
話を聞き終えた私は、深呼吸をした。
これほどの怒りを覚えたのは生まれて初めてだ。
私に対する後悔のはけ口に、我が最愛の天使に憎悪を植え付けたばかりか、憎まれ続けるために陵辱し、逃げられないように囲って穢し続けたなどと知っては平静ではいられなかった。
強烈な殺意を、冷静に諭す心の声で押し込み、口にする言葉を探した。
だめだ、アシルにも何らかの痛みを与えなければ、この荒れ狂う怒りは止められない。
「気が済むまで殴らせろ。だが、殺しはしない。そう簡単に殺してたまるか」
出てきた言葉はこれしかなかった。
とりあえず、気が済むまで殴ろう。
言葉通り殺しはしない。
罪は贖わなければならない。
この男には、人生の全てをかけて、レリアを幸せにしてもらわねばならないのだ。
「やってくれ、抵抗はしない。ただ、レリアが心配するから、殴るなら服で隠れる見えない場所で頼む」
アシルは神妙な面持ちで頷いた。
両手を下げて、無抵抗の意思を示す。
良い心がけだ。
レリアのためならば、私も怒りを抑えよう。
半殺しにするのは諦めて、腹に一発だけ強烈な拳を見舞う。
かつて同じことをしてクロードは気を失ったが、アシルはかろうじて意識を保っていた。
蹲り、悶絶している彼を見下ろして溜飲を下げる。
臓腑へのダメージでしばらくは何も食べられないだろう。
私の怒りはこのぐらいで静めて、これから何をするべきか考える。
うむ、私がやるべきことなど一つしかない。
アシルを鍛える。
エリーヌ様を娶ったフェルナン王子は、いずれ必ずネレシアに行く。
アーテスが近代文明や価値観を多少国内に持ち込んだところで、民衆の意識はそうそう変わらない。あの地を統治するなら必要になるのはやはり純粋な武力なのだ。
レリアと共に生きるというなら、アシルもネレシアに行くのは必然。
生前の私と同等か、それ以上の強さがなければ、レリアも主君も守り切れまい。
「よし、今後の方針は決まった。アシル、私が君を鍛え上げよう。どのような敵が現れようと打ち倒せるように、世界最強の騎士にしてみせる!」
「……まて、どうしてそうなった? 贖罪ってそういうことなのか?」
足下で呻きながらアシルが何か言っているが、異論は認めない。
ユベールの体も鍛えねばならぬし、稽古相手も確保できた。
これからの毎日が楽しみだ。
それにこれらはレリアの幸せに繋がっている。
レリア、お兄様はお前のために頑張るよ。
NEXT BACK INDEX
Copyright (C) 2024 usagi tukimaru All rights reserved