憎しみの檻
ただ君の幸せを願う 6
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アシルを鍛え始めて二ヶ月が過ぎた。
彼の体はさらに屈強になり、私との模擬戦を繰り返すことで、剣技や体技の応用にも幅が出てきて、期待以上の成果を見せている。
鉄球や岩を使った筋力強化の方法を教えた時には、拷問にでもかける気かと勘違いされたが、今では適応して私が課したメニューを黙々とこなしていた。
毎日限界まで体を使うせいか、就寝時は一度も目が覚めることがないそうだ。
感謝されたが、なぜだろう。
ぐっすり眠れているのならいいか。
私の方も全盛期に近い体になってきたと思う。
もう少しで目標は達成されるだろう。
他の騎士達は、こちらに合流してくることはなかったが、各々できそうなことから取り入れて修練に生かしてくれているようだ。
フェルナン王子はたまにやってきて、一緒に剣を交えてくれる。
最強を目指すのはアシルに任せておけばいいので、王子には筋力強化はそこそこに剣技の方を磨いていただくことにした。
日が暮れるまでアシルと修練を行った日は、疲れ切った彼を送っていく。
そして出迎えにきたレリアと、少し話をして帰るようになった。
レリアはいつも笑顔でいる。
彼女にお兄様と呼ばれることが嬉しい。
毎日が充実して、楽し過ぎる。
この穏やかな日々がずっと続けばいいのに。
「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
鍛錬の合間に入れた休憩中に、アシルから話しかけられた。
「なんだ、さっきやったトレーニングについての質問か?」
「ちょっとは鍛えることから離れろよ。そうじゃなくて、レリアのことだ」
「レリアの?」
「……その、クロードってヤツとレリアは、好き合ってたりしたのか?」
時々、もの問いたげな視線を感じるとは思っていたが、そんなことを気にしていたのか。
「いいや、二人ともお互いにそういった感情はなかったよ。ただ、いずれそうなるんじゃないかと皆が思っていたというだけだ」
年の近い男女。
仕える家の娘と従騎士。
相性が良ければ、そのまま妻合わせる。
ネレシアの騎士の家ではよくある縁組みだ。
「レリアが城に奉公に出たのは行儀見習いも兼ねていた。城に勤める結婚前の女性は、誰かに見初められることもあるし、世話好きな者から見合いを勧められることもあるからな。クロードのことも選択肢の一つに過ぎない。それに父も私も、自分の目に適った男にしかあの子を渡さないつもりだった」
クロードが、レリアを自分の将来の伴侶にと望んでいたのか、私は知らない。
彼は何も言わなかったから。
ただ、クロードがレリアと我が家で暮らしていた頃、彼は家族の一員だった。
私は彼が弟になるのなら良いと思った。
だが同じく、レリアはもう一人の兄のように思っていたのかもしれないし、たらればと考えても意味はない。
「過去がどうでもレリアが選んだのは君だ。仮にクロードと再会して好意を伝えられたとしても、レリアの心が変わることはない。あの子は純粋で一途だから」
記憶を封じてまで愛したいと想った男を捨てるわけがない。
それができるなら、あの子は自死を考えるほど追い込まれなかったはずだ。
「君の心配は杞憂だ。そのようなことに心を砕く暇があるなら体を鍛えろ、私に残された時間は少ないのだ」
「結局、そこに行き着くのかよ。あんたならレリアが結婚するまで居座りそうだけどな」
「さすがにそれはユベールに悪い。私は早く未練を取り去り、主君や父母が待つ世界に行きたいと思っている。他に心残りと言えば、舞踏会でレリアとダンスを踊れなかったことかな。デビューの日にエスコートをする約束をしていたんだが、戦争が始まって果たせないままだった」
「舞踏会か、それなら叶えられるかもしれねえ。ただし、独り身のユベールにレリアのエスコートはさせられないから、会場で一曲踊るだけになる」
「それで構わない。ありがとう、アシル」
これが死後の私が見ている夢だったとしても、神に感謝しよう。
私の心残りを次々と叶えてくれるのだから。
また少しばかり日々が過ぎ、今日もアシルと木剣で手合わせをした。
体は私の意思を阻害することなく反応してくれている。
とうとう満足できる所まで、ユベールの肉体は鍛え上げられたのだ。
そして、かつての冴えを取り戻した私の剣に、アシルは追いついていた。
速さ、力、技、全て申し分ない。
まだ先があるのなら、共にもっと高みへといけただろう。
だが、私はここまでだ。
これ以上を望むのは欲張りというものだ。
剣撃の応酬の末に、私の剣は標的を逃がし、相手の剣先が体に触れる寸前で止められた。
息を一つ吐く。
剣を引くと、アシルも剣を引き、構えを解いた。
「見事だ、今日までよく私の指導に耐えてついてきてくれた。君に教えることはもうない。後は自身で好敵手を見つけるか、自己研鑽を積んでくれ」
アシルと再び剣を交えて敗北したことで、中途半端に終わった勝負の決着がついた。
負けることは悔しいことのはずなのに、晴れやかな気持ちでそう言えた。
私の夢、最強の騎士を目指す道のりは、あの日に迎えた死と共に終わっていた。
今の私はレリアを幸せにするために存在している。
あの子を守る男を強き騎士に鍛え上げることこそが、私ができる唯一のことだった。
「私に勝ったのが君で良かった、これで心置きなくレリアを託せる。君がレリアに償いたいという気持ちは本物だ。レリアが君の愛を求めて結ばれたいと願うなら、私は喜んで祝福しよう」
「全部オレの弱さが招いたことだ。あんたに誇り高い死を与えられなかったこと、レリアを傷つけて追い詰めたこと、死ぬまで忘れないし、許されたいとも思わない。今、ここで誓う。オレはもっと強くなる、あんたが言った無敵の騎士になってレリアを守る。オレの命はレリアのためにあるんだ」
アシルの誓いを聞いて、体と魂を繋いでいる絆が薄くなっていくのを感じた。
私が満足するたびに、黄泉への道が開かれていく。
ユベールが目覚める日が近づいているのだ。
そろそろか。
死の間際に一瞬でもと願ったのに、それ以上の時間を神は私に与えてくださった。
あの世への旅路の果てに神に拝謁する機会があるならば、永遠に貴方の敬虔な信徒となることを誓おう。
社交シーズンではないものの、貴族同士の交流は絶えず行われている。
アシルの実家であるロートレック家でも晩餐会や夜会が開催されており、その一つである息子達の友人知人を招いた夜会に、私も招待してもらえることになった。
レリアはアシルのパートナーとして、何度か顔を出しているそうだ。
アシルの家族はレリアが記憶喪失であることを知っているから、婚約や結婚については口出しせずに見守っているらしい。
今日の夜会は招待客が若者を中心としているだけに、集団見合いを兼ねているようだ。
バルトから仕入れた情報によると、アシルの母親は縁結びの世話好き夫人として有名であった。
だから息子に頼まれて、独身のユベールに招待状を送ることは、彼女にとって何の不思議もないことだった。
おかげで堂々と出席できることになり、新しく誂えた夜会服を身をまとい、ロートレック家へと向かった。
ちなみに筋肉が強化されたことで、手持ちの服のサイズが合わなくなってきたので、全て新調することになってしまった。
これは申し訳なかった。
ユベールの資産状況からすると、それほど負担ではなかったというか、彼は必要以上に散財をしない堅実な人であったゆえに蓄えは十分にあったのだが、私の財産ではないのでどうしても申し訳なさを感じてしまう。
「これまで坊ちゃまは、女性とのお付き合いにはどこか消極的でございましたからな、喜ばしいことです!」
喜んでいるバルトには悪いのだが、私はレリアとダンスをしたいのであって、出会いを求めにいくのではない。
そもそも私が女性と仲良くなっては困るのだ。
それはユベールが戻ってきてから、彼自身が見つけてくるのを待ってくれ。
罪悪感に苛まれ、ため息をついているうちに、馬車はロートレック家に到着した。
敷地は広く、本宅に別館など幾つも建物を備えた、なかなかの大豪邸だ。
馬車を下りて、案内されるまま、会場の大広間へと足を踏み入れる。
すぐにレリアが駆け寄ってきてくれた。
「ユベールお兄様、ごきげんよう」
レリアは淑女のお辞儀を披露して、にっこり微笑んだ。
彼女のドレスは淡い水色で、清楚可憐な印象を与えるものだ。
私の女神は今日も可愛くて美しい。
「可愛らしいお出迎えをありがとう。いつにも増して綺麗だね」
こちらも返礼のお辞儀をして、彼女に微笑みかけた。
そして、レリアの後ろに立つ、アシルに顔を向けた。
「ご招待ありがとう、アシル」
「おう、まあ楽しんでいってくれ」
「お言葉に甘えてそうさせてもらうよ。レリア、後で一曲踊ってくれるね?」
「はい、アシル以外の人と踊るの初めてなの、うまくできるかわからないけど、よろしくお願いします」
「私は頑丈だから、何度足を踏んでも平気だよ。緊張しないで身を任せてくれれば、素敵な時間にしてみせよう」
「頼もしいです、お兄様」
私は二人と共にいて、開宴の時を待った。
近くにいる女性達の集団から、時々視線を感じたが、気づかなかったフリをしてやり過ごす。
紹介者もなしに、自分から男に声をかける女性はそうそういまい。
社交をするわけにはいかないので、極力目立たないようにしなければ。
招待客が集まった頃、主催者であるアシルの両親が挨拶をして、楽団が舞踏の音楽を奏で始めた。
まずロートレック家の人々が、広間の中央に出て踊り始める。
両親以外の男女は、アシルの兄達と彼らのパートナーだ。
レリアもアシルに手を引かれて、踊りの輪に加わった。
危なげなくステップを踏み、時々アシルと顔を見合わせて笑っている。
とても楽しそうで、幸せそうだ。
心が満たされていくのを感じていると、奇跡の時間の終わりが近づいてきていることを悟る。
今夜が最後だ。
そんな予感がする。
曲が終わり、アシルにエスコートされたレリアが、こちらに近づいてくる。
頬は薔薇色に染まり、高揚した心地のまま、無邪気な笑みを浮かべていた。
「次は私と一曲お相手願います」
手を差し出して、誘いの言葉をかけた。
「喜んで」
レリアが笑顔で私の手を取ってくれたので、寄り添って踊り手達がいる方へと歩み寄る。
「お兄様と舞踏会で踊る約束をしていたんです。でも記憶がなくて、舞踏会に行けたかどうかもわからないの。今夜、ユベールお兄様と踊れて良かった、きっとこんな感じだったんだろうなって想像できるから」
「それは良かった。私で良ければ幾らでもお付き合いしよう。たとえ、私の記憶が戻って、今日までの記憶が消えてしまっても、私は君のもう一人のお兄様でいるよ。元の私もレリアのことを気にしていたんだ。君を笑顔にするためなら、きっと手助けをしてくれるはずだ」
「ありがとう、お兄様。わたし、記憶がなくなって気づけたの。ずっとたくさんの人に見守られていたんだってこと。もちろん意地悪な人もいるけど、この国にも優しい人は大勢いるのね」
「そうだよ、どこに行ってもそうだ。君は今のまま素直で優しい人でいてね」
「はい」
踊りながら話をした。
今日まで、レリアとした様々な会話も思い出す。
好きなこと、苦手なこと、日々の中で起きた、嬉しいことや楽しいこと。そして、アシルが大好きなこと。
瞳を輝かせて、たくさん話してくれたね。
つらい記憶を封じて、そうして得た平穏の中で、レリアは幼い頃の天使に戻れた。
けれど、いつかは封じた記憶と向き合うことになる。
その時に、今の君が得た幸せな記憶と紡がれた人々との繋がりが、必ず力になってくれる。
ああ、レリア。
私の最愛。
私の分まで生きて幸せになってくれ。
父も母もそう望んでいる。
私たちの大切な宝物。
黄泉へと向かうこの魂が、どこに行き着こうとも、私はただ君の幸せを願う。
踊り終えて、アシルの所に戻る。
しばらく談笑していると、アシルの兄達がレリアを誘いにやってきた。
今日は私とも踊ったので、他の参加者達に誘われるかもしれないからだ。
アシルの身内が囲んでいれば、彼女を見合い目的の参加者として扱う者はいないだろう。
音楽に合わせて楽しそうに踊るレリアを見守りながら、隣に立つアシルに囁いた。
「お別れだ、何となくそんな気がする。明日になればユベールが戻ってくるよ」
アシルは何とも言えない複雑そうな顔をしていた。
「レリアに言わなくていいのか?」
これは私への気遣いだろう。
束の間だけでも会いたいという願いは、レリアにもあるのかもしれない。
けれど、私の存在をあの子に知らせるなんて、迷う必要もないことだ。
「レリアに二度も悲しい別れをさせたくない。新しい兄ができた喜びだけがあればいい。ユベールは良いお兄様になってくれると思うよ」
「会ったことも話したこともないのにわかるのか?」
「わかるさ、彼の魂は私と共にずっとここにいたから。それに君の家族も、あの子を温かく迎えてくれている。この先、レリアには新しい出会いが幾つもあって家族や友人が増えていく、私がいなくてもレリアは幸せになれる」
もう思い残すことはない。
帰ったら、最後の日記を書いて眠る。
ああそうだ、ユベールに感謝の言葉を書かなければ。
目覚めてから、今日この日まで、君のおかげで楽しくて幸せな日々を過ごせたよ。
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