憎しみの檻

続編 レリア編 1

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 彼と初めて会ったのは、わたしが七才の時だった。
 促されて前に進み出た少年は、頭に包帯を巻かれ、体は服の上からでもわかるほど枯れ枝のように細く痩せていて、髪も肌も萎れて張りがなくて痛々しい。
 表情は暗く、唇は固く結ばれていて、子供らしい明るさはどこにもなかった。
 一目で何か酷い目に遭っていたのだとわかった。
 騎士であるお兄様は、街の治安維持も担っている。
 職務中に保護した子なんだろう。

「彼はクロードだよ。これから我が家で暮らすことになったから、レリアも仲良くしてあげてね」

 無言の彼に代わり、お兄様が言う。

「はい、お兄様。これからよろしくね、クロードお兄様」

 彼に声をかけると、無愛想な顔がますます険しくなった。

「呼び捨てでいい、オレはお兄様なんて上等なもんじゃない」
「わかったわ。じゃあ、クロード。これからよろしくね」

 挨拶をし直すと、彼は難しい顔のまま、こくりと頷いた。




 クロードはわたしより二つ年上だった。
 口数は本当に少なくて、声を聞かない日もあった。
 お母様がご飯をたくさん食べさせて、お父様とお兄様が運動をさせているうちに、痩せていた体に肉がついていった。
 赤みがかった金色の髪に艶が出てきて、ボロボロだった肌も綺麗になり、健康を取り戻していく。
 徐々に会話もするようになって、半年も経てば、彼は普通の少年の姿になった。

「オレは騎士になりたい、見習いにしてくれよ」

 元気になると、クロードはお父様とお兄様にお願いを始めた。
 彼のお願いを聞いたのはお兄様だった。

「見習いになれるのは十二才からだ。それまでは体作りと勉強だ」

 勉強と聞いて、クロードは顔をしかめた。

「勉強なんて何の役に立つんだ?」
「私も専門的な難しいことまでは教わっていないが、最低限の読み書きはできないと困るぞ。レリアが今やっているから一緒にやろう。私が教えるから、ゆっくり覚えていけばいい」

 お兄様は教師役を買って出て、わたし達に教え始めた。
 わたしとクロードは机を囲んで書き取りの練習をしたり、本の朗読をしたりする。
 お兄様も一緒の勉強会。
 一人でやるより楽しかった。

 クロードは必要だと言われたことはちゃんとやった。
 体力作りもそう。
 朝早く起きて、鍛錬をしているお兄様に指導してもらって、一生懸命与えられた課題をこなしていた。
 騎士になりたいという熱意だけは誰にも負けていない。

 彼はお兄様に憧れと恩を感じていた。
 殺されかけていた所を救ってもらい、その時の勇姿に目と心を奪われたんだって。
 誰に殺されかけたのか、家に来る以前のことは何も教えてくれなかったけど、わたしにこそっと打ち明けてくれた。

 やがて、十二才になったクロードは騎士見習いになった。
 わたしと一緒に勉強をすることもなくなり、お兄様について歩いて修行をしている。
 ちょっと寂しかったけど、お父様やお兄様と一緒に帰ってくるから、そのうち慣れた。




「レリア、そろそろお父様達が休憩に入られるから、そこに置いてあるタオルを運んで」
「はーい」

 庭の訓練場まで、人数分のタオルを運ぶ。
 お母様は厨房にいて、メイド達とレモンの蜂蜜漬けや飲み物を作っている。
 わたしは自分にできる仕事を任されて、誇らしげに胸を張りながら、訓練場がある庭に向かった。

 お父様達は休憩場にしている木陰に入って休み始めていた。
 お父様とお兄様、そして二人が指導している見習い達。
 お兄様が育てているのはクロードだけだけど、お父様は他家から子供を数人預かって指導していた。
 数年の見習い期間で適性を見て、指導についていける人だけが従騎士になれる。
 暑いからか、全員上半身の服を脱いでしまっている。

「お父様、タオルを持ってきました」
「おお、ありがとう、レリア。皆に手渡してやってくれ」

 指示された通りに、近くにいる人から渡していく。
 最後にクロードに渡した所で、お母様達が来た。
 わたしはクロードの隣に立ち、汗を拭いている彼を見ていた。

 最初に会った頃の痩せていた名残はない。
 腕にも胸にも筋肉がしっかりついていて、お腹は割れていた。

「人の体をそんなにじっくり見てどうした?」

 視線を感じた彼に怪訝そうに問われる。

「触ってもいい?」

 好奇心が疼いて手を伸ばしていた。

「おい、まだいいって言ってねぇ」

 まず腕に触れた。
 ぺたぺた触って、感触を確かめる。
 あんなに細かったのに、鍛えるってすごいのね。

 骨が浮いていた胴体は引き締まった肉の鎧になっている。
 吸い寄せられるように胸に触れると、手首を掴まれて、上に持ち上げられた。

「な、何してんだ、お前えええっ!」

 クロードの顔が真っ赤になっていた。
 珍しい表情。
 慌てている彼が面白かったのもあって、思わず笑ってしまった。

「前は痩せてたのに、今はすごいねぇ」
「見りゃわかんだろ! 何で触ってんだよ!」
「触ってみたかったの」

 問いかけに答えてたら、お父様が走ってきた。
 そして逞しい胸筋をわたしの前に突き出した。

「レリア! 触りたいなら私の胸を触りなさい!」
「あなたは何をおっしゃっているの……」

 お父様の叫びに、お母様が額に手を当てて俯いている。

「お父様のはいつも触っているからいいです」

 わたしの言葉にお父様が崩れ落ちる。
 クロードはわたしの手首から手を離すと、ぷいっと横を向いた。

「お前もう十才になるんだろ、いつまでもガキだからって許されると思うなよ。男の体を触りたがる女は痴女って言われるんだぞ」
「ちじょ?」

 悪い言葉だというのはわかった。
 お兄様がやってきて、クロードの頭を掴んだ。

「言葉遣いが悪いよ。身内相手でも練習しろと言ったはずだ。それと羨ましいことされておいて、レリアに向かって痴女とは何だ」
「オレは常識を教えているだけだ! 触られて羨ましいって変態かよ! うあああああっ!」

 お兄様の指が力を強めて、クロードの頭からミシミシと怖い音がし始めた。
 お母様がわたしのそばに来て、諭すように声をかけた。

「レリア、クロードはお父様やお兄様とは違うのよ。彼はあなたのお婿さんになるかもしれない人なの、そういう人には結婚が決まるまで触れてはだめよ」

 体に触って良い男の人はお父様とお兄様だけ。
 幼いわたしにお母様はそう教えた。

 お婿さん。
 わたしはクロードを見つめて想像してみた。

 大人になった彼とわたし。
 よくわからない。
 お父様とお母様みたいな感じになるの?
 今とそう変わらなくない?
 けれど、悪くはないと、そう思った。




 十二才になったわたしは、王城に奉公に出ることになった。
 しかも、エリーヌ様付きの侍女!
 まだ内定して教えられただけだけど、新しい世界に出て行くことに期待と不安が半々だ。

 今日は王都で武術大会が開かれていた。
 王都の外にある砦近くの草原が会場だ。
 各家ごとに天幕が張られて、出場者の騎士達とその家族や従者達が集まっている。
 我が家の男性陣ももちろん出場するので、わたしはお母様やメイド達と一緒に、食べ物や飲み物を運んでお世話をしたり、細々した雑用を手伝っていた。

 きゃあっと近くで女性の歓声が聞こえた。
 わたしと同年代か年上ぐらいの女の子達が誰かを囲んではしゃいでいた。
 その囲みを掻き分けるようにクロードが出てきて、わたしに向かってずんずん歩いてきた。

「レリア、オレにスカーフをくれ」

 スカーフは女性達がお気に入りの騎士に渡す応援の品。
 事前に受け渡しをすることもあるけど、競技の前に観客から差し入れられることもあって、今も受け渡しがあちこちで行われている。
 さっきクロードを取り囲んでいた女の子達が、スカーフを手に持ってそわそわしているんだけど、わたしでいいの?

「渡したがっている人、たくさんいるみたいだよ」
「受け取ったら後で面倒なことになるだろ。身内からなら問題ない、用意してあるんだろ?」
「そうだけど……」

 わたしは周囲から向けられる嫉妬の視線に小さくなりながら、用意していたスカーフを渡した。
 受け取ったクロードは、目立つように腕に巻くと、快活な笑顔を浮かべた。

「ありがとな! 一番になってくる!」

 笑顔でそう言われたら、何も声をかけないわけにはいかない。

「頑張ってね!」

 元気に駆け去る彼に、大きな声で声援を贈った。
 鋭い嫉妬の視線がさらに注がれたけど、わたしは何も悪くないもん。




 クロードが出る競技は馬術で、障害物を越えての競争だ。
 最初は従騎士達が競うことになっていて、各家から選ばれた騎手が次々と入場してくる。
 騎乗したクロードが場内に入ると、女性達の歓声がすごくなってびっくりした。
 さっきの子達も応援に夢中になっていて、わたしのことなど忘れてくれていた。
 驚いているわたしにお母様が囁いた。

「クロードは人気なのよ。見習いからたった二年で従騎士になれたし、あの子顔も良いでしょう? 将来性に期待できるって気の早い人は釣書を送ってくるわ」
「クロード、結婚するの?」
「いいえ、クロードからはまだまだ半人前だから縁談は断ってくれと言われているの。そもそもドミニクのお相手が決まっていないのに、急いで受ける必要もないでしょう」

 お母様はくすくす笑っている。
 そして、わたしに目を向けた。

「レリアはどう? クロードを見て、胸がドキドキしたりしない?」
「わからないわ」

 胸がドキドキって、物語に素敵な騎士様が登場した時みたいに?
 そういうのはない。
 じゃあ、違うのかな。

 開始の合図が鳴らされて、騎馬が一斉に飛び出した。
 あ、クロード早い。
 クロードの馬がどんどん他を引き離していって、一番にゴールした。
 大きな歓声が場内を包む。

 クロードがわたし達の近くまでやってきた。
 彼はわたしを見つけると片手を上げて声をかけた。

「やったぞ、見てたか!」
「うん、すごかったよ、おめでとう!」

 拍手して、勝利を讃えた。
 ドキドキはなくても、輝くために一生懸命努力している彼を見ているのは好きだ。




 わたしのクロードに関する記憶はここで終わっている。
 彼はお兄様と常に一緒だったから、お父様とお兄様の死を教えられた時、彼も戦場で亡くなったのだと思っていた。
 十四才だったクロードは、今は二十七才になっているはず。
 生きているかもしれないと知ってから、再会への期待からか、彼のことを思い出すことが増えた。

 あなたは今何をしているの?
 戦争が終わってからの十年をどんな風に過ごしてきたの?
 そして、あなたは今、幸せですか?


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