憎しみの檻
続編 レリア編 2
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冬の終わりが近づき、もうすぐ春が訪れる。
そんな季節の移り変わりを目前に お屋敷の中は少々忙しない。
あちらこちらで家財や衣服の整理をしているからなの。
先日、屋敷に勤めている使用人が全員集められて、フェルナン様からお話があった。
「近々王位継承が行われる。公表されるのは明日で、継承式は二ヶ月後だ。そこで私は公爵に叙爵される。与えられる領地は旧ネレシア王国の領土だ。この屋敷は新たに近衛騎士団を引き継ぐ私の甥に譲ることになる。諸君らには引き続き、こちらに勤めてもらうつもりではあるが、希望者がいれば私と共に来てくれてもいい」
同じ国になったとはいえ、ネレシアは遠く、故郷を離れる決断をするのは難しいこと。
もしかしたら、ついていくのはわたしとアシルだけかもしれない。
フェルナン様はそれでもいいと思っているみたい。
必要な人材はあちらでも集められるから、あくまで希望者がいればと、おっしゃっていた。
今日はわたしも部屋の整理をしている。
与えられていた私室の家具は、寝台と鏡台、書き物をする机、衣装を入れておく箱、応接用の一人がけのソファが二つと小さなテーブルが置いてある。
どれも備え付けのもので、整理をするのは衣装と私物だけ。
とはいえ、その私物も少なく、家族の形見や頂いた贈り物など大切な物をまとめて、持って行く衣装を選べば、それで終わった。
形見の品は、見覚えのあるお母様のネックレスだった。
ネックレスを飾るサファイアの宝石は、わたしにも受け継がれている母の瞳の色を思い出させる。
それから肖像画。
両親と兄とわたしとクロードが描かれている。
見ているとつらくなるからか、衣装箱の底に布に包まれて仕舞い込まれていた。
これを持ってきたということは、記憶を失う前のわたしも、クロードが死んだものと思っていたんじゃないかな。
戦争が終わってすぐに、わたしはアーテスに来たそうだから、生存者の安否を確認して探している暇もなかったのかもしれない。
クロードはわたしがいなくなったこと、どう思っているんだろう。
エリーヌ様について行ったことは伝わっているはずだから、怒ってはいないだろうけど、迎えてくれる家族が誰もいなくなって、悲しい思いをしていないだろうか。
一人ぼっちはとても寂しくて不安なことだから。
目覚めたばかりの頃、怖くて不安で毎日泣き叫んでいた。
アシルが傍にいてくれたから、わたしは乗り越えることができた。
だから、願っている。
今のあなたの幸せを。
一人ぼっちではなく、大勢の人に囲まれて、笑っていてくれることを。
片付いた部屋でぼんやり過ごしていたら、アシルが部屋を覗きに来た。
「もう荷物の仕分けができたのか、早いな」
「元々、持ち物は少なかったからね。アシルはどう? たくさん有りすぎて、持って行けない物とかあった?」
「いや、オレも少ない。必要な物があれば、向こうで揃えてもいいしな。忘れちゃならない大事なものは、お前だけだ」
アシルはわたしを抱え上げると、ソファに座って膝の上に乗せた。
人を引っ越しの荷物みたいに言わないで。
でも、嬉しい。
彼の首に抱きついて、甘えてみる。
「どうした、今日は甘えん坊だな」
「そういう気分なの。寂しくなってしまったから、ぎゅうって抱きしめて欲しい」
「人肌恋しい季節ってヤツか? オレでよければ幾らでも温めてやる」
わたしを抱くアシルからは、温かい感情しか伝わってこない。
安心できて、ずっとこの腕の中にいたくなる。
お屋敷の外に出るようになって、偶に知らない男の人が変な目でわたしを見ていることがあった。
アシルがわたしを守っていることは、お城の人ならみんな知っていることだから、何かされるわけじゃないけど、顔や体に向けられている視線に邪な思惑を感じられて気持ちが悪い。本当の子供だった頃のわたしには、向けられたことのない視線だった。
子供を作るためには必要な感情なんだろうけど、好きな人以外にそんな目で見られるのは嫌だ。
見られているだけだから、嫌な気持ちになっても誰にも言えなくて、そういう日はアシルに甘えて抱きしめてもらう。
アシルとなら、キスをしても全然嫌だと思わない。
体に触れても、触れられても、きっと大丈夫。
アシルはわたしとそういうことをしたくならないのかな。
前のわたしとはしてたんだと思うから、またいつか同じようにして欲しい
「今夜も添い寝してね」
「はいはい、最近は夜中に起きることもねえから、幾らでも抱きついてきていいぞ」
やっぱり今夜も何もなさそう。
アシルはネレシア式の修練を始めてから、朝までぐっすり眠っている。
前みたいに夜中にいつの間にかいなくなったりしないから、わたしも安心して寝ていられた。
今はまだこれでいいんだろう。
わたしの心は子供だから、今のうちにたくさん甘えておこう。
ネレシアに向かうことが決まり、エリーヌ様はお世話になった方々に、ご挨拶をしにお出かけになることが増えた。
今日は後宮にいる王妃様に面会に行かれるエリーヌ様のお供をしてきた。わたし達の周辺には近衛騎士さんが四人いて警護をしてくれている。
正面から、親子らしき貴族の男性達が歩いてきた。
こちらに気づくと、父親だろう中年の男性が声をかけてきた。
「これはこれは、エリーヌ妃殿下ではありませんか、お久しぶりでございます。ますますお美しくなられましたな」
「ごきげんよう、メルセンヌ侯爵。お世辞でも嬉しいですわ」
エリーヌ様は控えめに微笑み、男性の挨拶に言葉を返された。
男性は笑みを浮かべているけど、笑顔の裏に何かありそうな悪い顔をしている。
外見だけで偏見を持ってはいけないんだろうけど、近衛騎士さん達の空気がぴりっと引き締まって警戒する時のものに変わったから、あまり良い相手ではないんだろうと察せられた。
「夫婦生活は順調ですかな。フェルナン様は昔から身を慎まれておられましたから、あちらの方は淡泊で、お若い姫君にはお辛いことなのではと心配しておりましてな」
言っている意味がよくわからないけど、ものすごく品のないことを言っている気がする。
エリーヌ様の顔が引きつっているし、近衛騎士さん達の顔も怖くなってきていた。
そしてこの人と、その後ろにいる若い男性の視線が気持ち悪い。
エリーヌ様をじろじろ見回して、ついでにわたしの方も見て、胸元を凝視しながらニヤニヤ笑っているの。
エリーヌ様はこほんと咳払いをして、顔の前で扇を広げた。
不快感を示す遠回しな意思表示だとわたし達は気がついたけど、この親子はわかってないみたい。
「ご心配には及びません。フェルナン様は最高の男性ですわ、一途に情熱的にわたくしを愛してくださるの。わたくし、王妃様のもとへお伺いする途中なのです。お約束に遅れては困ります。お話の途中で失礼しますけど、悪く思わないでくださいませね」
「それは失礼をいたしました。お引き留めして申し訳ありません、どうぞお通りください」
メルセンヌ侯爵はあっさりと引き下がったけど、気持ちの悪い視線はずっと追いかけてきていた。
「レリア、大丈夫? あの人達、露骨過ぎて嫌になるわ。お屋敷に帰るまで、護衛の騎士から離れてはだめよ。何をされるかわかったものじゃない」
エリーヌ様は笑顔の下で怒っていた。
あの人達はわたしとエリーヌ様を見て、いやらしいことを考えていたんだ。
ぞわぞわ鳥肌が立ったけど、守られているから離れなければ危ない目に遭うことはない。
騎士さん達も頷いて、さらに警戒を強めた。
「それにしても、メルセンヌ侯爵もご子息も、アシルの気性はご存じのはずなのに、レリア殿にあのような視線を向けるとは何を考えておられるのでしょうな」
「そうですね。手を出そうとしたら、アシルは侯爵でも殴り飛ばしますよ。後始末をするのはフェルナン様と我々になりますが、理由が理由だけに諸侯もこちらの味方をせずにはいられますまい」
騎士さん達が不思議そうに話している。
王子の妻とその侍女に不埒なことをしようものなら、王家に対する翻意ありと思われても仕方がない。
それとも、自分達の魅力に惹かれて、わたし達の方から不貞の誘いをしてくると思っているの?
ありえない。
あんな気持ち悪い人達と、比べるまでもない。
アシルはとても素敵な人なの。
エリーヌ様だって、フェルナン様が大好きなの。
他の男の人の所になんて頼まれたって行かないわ。
今日は嫌な思いをしたから、思いっきりアシルに甘えよう。
そう言いつつ、毎日何かを理由にして甘えている気がするわ。
でも、良いの。
わたしが一番幸せを感じられる時間だから。
わたしがニコニコしていたら、アシルも一緒に笑ってくれる。
彼も同じように幸せを感じているんだって、そう伝わってくる気がするの。
王妃様のお部屋に通されて、わたしは護衛の騎士さん達と一緒に部屋の隅に控えた。
エリーヌ様は勧められてソファに座り、歓談が始まった。
「エリーヌ様がこちらに来られて十年、長いようで短かったですね。お小さかった姫君も、もう立派な大人です。フェルナンはあなたを娶ってから毎日幸せそうでしたよ」
王妃様は優しく微笑まれた。
それは子供の幸せを見守っている普通の母親の顔に見えた。
「エリーヌ様には王宮は恐ろしい場所と、あの子は教えたでしょうね。もちろん恐ろしい場所でしたとも、息子達が幼かった頃など、毒殺や刺客の襲撃は絶えず訪れ、口に入れる物は当然としても、眠る時まで油断がなりませんでした。我が子を守るために随分と手を汚し、人に恨まれもしましたよ」
フェルナン様も、一度毒で死にかけたことがあった。
高熱と痛みに苦しむ弟を見たことをきっかけに、兄王子達は団結して、自分達を脅かす闇に立ち向かおうと奮起した。
「ジュスタンとエルネストは、表向きは王位を巡って競い合う姿勢を見せていましたが、そうではないの。二人が行いたかったのは国政の改革よ。アーテスは発展のために他国の文化と影響力を取り込み続けてきた。その歪みが権力争いの激化を招いた。国政に介入しようとする国外からの圧力を弱め、国を割るような欲望や願望を持つ臣下を排斥して統制する。地道に少しずつ、二十年以上の月日をかけて事を成してきた、あの子達の悲願が間もなく叶おうとしている。王位継承はその最後の一手。今後、この国は良い方向に変わっていくでしょう」
国内に入り込んでいた不穏な勢力は数を減らし、目立った動きはほとんどなくなった。
まだ隠れて陰謀を企んでいる者もいるけど、それらを追い落とす準備は進んでいる。
王が政務を全て新王に譲り渡して手を引くことで、勢力図は塗り替えられ、隠れた者を燻り出すきっかけになる。
王妃様はわたし達にもわかるように、王宮の現状を語られた。
「フェルナンは政争とは無縁の場に置き、兵を率いて国を守る役目を与えました。あの子は王子として果たせる唯一の責務として、兄達とは別の形で戦い続けてきました。国が落ち着き、平穏が訪れても、人の欲がなくならぬ以上、闇が完全に消えるわけではない。エリーヌ様、フェルナンはこの国の守護の要、それはネレシアに行っても同じ事。どうか今後もあの子の心を支えてあげてくださいね」
「はい、フェルナン様はお優しくお強い、皆を守るために戦える人です。けれど、戦の度に心は傷ついて血を流し続けてこられた。あの方に寄り添い、お心を慰め、癒しになることこそ、私の使命と心得ております」
王妃様のお話を聞いて、エリーヌ様は真摯に答えられた。
その答えに王妃様は満足そうに頷かれた。
だけど、エリーヌ様は表情に憂いを滲ませられた。
「今のお話を聞いて気になることがあるのです」
「あら、何かしら?」
「こちらに来る途中、メルセンヌ侯爵と出会ったのですが、どうにも不躾で不快な視線を私や侍女に向けてこられました。これまではそのようなことはなかったのに、もしやあの方々は……」
「エリーヌ様、あなたの予想通りですよ。ですが、ご安心なさい、息子達は全て把握しています。二度と彼らがあなた方の前に現れることはないでしょう。これまで通り、護衛を置いて守られていれば、危険に見舞われることはありません」
王妃様は優雅に微笑んでおられたけど、瞳には冷たい光が宿っていた。
さっきのエリーヌ様みたいに怒っているんだ。
長年、命がけで地位と子供を守り続けてきたお方は迫力が違う。
王妃様とエリーヌ様は、最後には和やかに別れの挨拶を交わされた。
王妃様はエリーヌ様にはずっと優しくて、王宮に来ると何かと気遣ってくれていたそうで、部屋を出る時エリーヌ様は少し寂しそうだった。
実の母君のように甘えることはできなくても、頼りにされていたんだわ。
こうしてまた一つ、新しい生活へ向けての準備が進む。
心が弾むような、寂しいような、様々な気持ちを抱えて日々を過ごした。
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