憎しみの檻

続編 レリア編 4

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 旅は続き、次第に風景が懐かしさを覚えるものへと変わり始めた。
 途中に立ち寄った街や村では、エリーヌ様へ温かい出迎えの言葉と、フェルナン様への歓迎の声がかけられた。
 アーテスの統治は悪い物ではなく、むしろ以前より治安は良くなり、生活は豊かになっているらしい。
 かといって、戦に敗れて亡くなった王のことを悪く言う人もいなかった。
 フェルナン様が最上級の敬意を示して丁重に埋葬して弔ったこともあり、村落の老人達は王様の代替わりが起きたといった認識でいることに、わたしは驚いた。
 それはわたしだけではなく、フェルナン様達も同じだった。
 フェルナン様は村の老人に問いかけた。

「私は王を斃し、この地の平穏を乱した侵略者だと、民に恨まれていることも覚悟して来た。どうしてそのように歓迎してくれるのだ?」
「この地は昔からそうなのですよ。力のある者が民をまとめて王になる。だから、次代の王がようやく帰って来られたと我々は喜んでいるのです。しかも、お妃様に選ばれたのはエリーヌ様です。我々の大切な姫君を害することなく護り育ててくださって、ありがとうございます」

 老人の言葉に、フェルナン様はますます困惑した様子だった。
 次代の王なんて呼ばれては、臣下に降りたはずの立場が危ういものになってしまうもの。

「私は王ではない。王はこれまでこの地を統治していた私の兄上だ」
「ジュスタン殿下…今は陛下であらせられますな。あの方は、このような田舎にも足を運んで我々の些細な訴えにも耳を傾けてくださった。それもこれも、いずれこの地に骨を埋める弟のためだとおっしゃっていました。王を敬うのと同様に仕えてやって欲しいと。呼び名やお立場はどうであろうと、あなた様はこの地を統べるお方です。どうか我らの子らを新しい世へとお導きくだされ」

 老人の言葉の真意がわかり、わたし達の驚きも鎮まっていく。
 ジュスタン様も慕われているみたい。
 フェルナン様は兄君の思いを知って、しばし言葉を詰まらせた。
 そして、決意に満ちた目をして頷かれた。

「わかった。そなたらの期待に背かぬように、私も民の声に耳を傾け、皆が穏やかな日々を送れるように心を砕こう」

 騎士の家に生まれ育った箱入り娘だったわたしは、違う立場の人と話をしたことはほとんどない。
 地方の農村に生きる村人達の話を聞けば聞くほど衝撃を受けた。
 それはエリーヌ様も同じで、衝撃を受けた後、積極的に村人達とお話をしていた。
 わたしだけがお傍にいたから、もしかしてわたしは幼い姫に偏った認識を植え付けていた?
 そうかもしれないと思った瞬間、背筋が寒くなった。
 和やかな空気の外で、一人震えていた。

 お父様やお兄様がおっしゃっていた言葉を思い出そうとする。
 二人は一度だって、戦の相手を悪し様に言うことも、自分達が死んだら仇を討ってくれなんて言うこともなかった。
 むしろ、恨んではいけないと諭すほど、遺された者に怨恨や憎悪の感情を抱かせないようにしていなかっただろうか。

 胸がざわざわして落ち着かなくなる。
 忘れていた何かを思い出しそうになる。
 開けてはいけない。
 何をかはわからないけど、なぜかそう思った。




 天候に恵まれて、何者にも襲われることはなく、何もない穏やかな旅路だった。
 長閑な景色が続いていた道の先に砦が見えてきた。
 見張りに立つ兵はいるけど、物々しさは感じない。
 砦の周辺に広がる草原は、決戦の地。
 お父様とお兄様が亡くなった場所だ。

 目を閉じて、祈りを捧げた。
 フェルナン様もエリ-ヌ様も同じように祈っている。
 外にいる警護の兵も、他の馬車に乗っている人達も、みんな口を閉じて静かにその場所を通過した。

 こみ上げてきた悲しみを呑み込み、目を開けると、窓の外には城壁に囲まれた城を中心とした広大な街があった。
 旧ネレシア王都――これからは領都と呼ばれるこの地に、わたし達は帰ってきた。




 先触れが出ていたのか、街に入る前から歓声が聞こえてきた。
 馬車道の両端に、大勢の人がいて、ほとんどの人が笑顔で歓迎の声を上げている。
 フェルナン様とエリーヌ様が客車の窓から顔を覗かせて手を振ると、一段と歓声が大きくなった。
 城へと続く道は歓迎の声で満たされていて、わたし達の前途が明るいものであることを暗示していた。

 開かれた城門を越えると、大きな石造りの城が見えてくる。その周辺には見慣れない建物があった。ずっと小さな頃、お父様に連れられてお城に来た頃にはなかったものだ。
 馬車は城の前庭に入り、建物正面の出入り口へと続く広場の前で止まった。
 そこには女性が二人立っていて、そのうちの一人である、慎ましい装いの貴婦人を見て、エリーヌ様の目に涙が滲み始めた。

「お母様」

 貴婦人はネレシアの元王妃――エリーヌ様の母君ソランジュ様だ。
 馬車の扉が開けられると、まずフェルナン様が下りられて、エリーヌ様に手を差し出された。
 エリーヌ様はその手を取ると、馬車を下りて母君の所まで歩いて行かれた。
 再会の抱擁をしているお二人を羨ましく思いながら、わたしも馬車から下りようとしたら、アシルが手を貸してくれた。

「ありがとう」
「どういたしまして、長旅お疲れさん」

 急に寂しくなってしまって、アシルに抱きついた。
 アシルは黙って受け止めてくれた。
 彼にはわたしの気持ちがわかっているみたい。

 大丈夫、わたしは一人じゃない。
 無事に着きましたって、ユベールお兄様にお手紙を書こう。
 アシルのお母様や、お屋敷の侍女さん達にも出さなくちゃ。
 アーテスの王都にはわたしのことを受け入れてくれた人達が大勢いるんだ。故郷に帰ってきたんだから、これからもっとたくさんの出会いがあるはずだ。




 落ち着いたから、アシルから離れてエリーヌ様のお側に行く。
 近づいていくと、ソランジュ様の隣にいた女性が声をかけてきた。
 女性はお城の侍女のようで、ワインレッドのワンピースの上に白いエプロンドレスを身につけていた。

「お久しぶりですね、レリア。すっかり大人になってしまって、見違えましたよ」

 わたしを知っているらしい人なのに、思い出せなくて戸惑った。
 返事ができなかったわたしを見て、彼女は安心させるためか柔らかく微笑んだ。

「ごめんなさい、あなたには城での記憶がないのでしたね。私はこの度の人事で侍女長を任されたマガリ=ラクール、マガリと呼んでちょうだい。あなたが侍女になった頃にも侍女長を務めていたわ」
「何も覚えていなくて、申し訳ありません」
「謝らないで。記憶を失うほどつらい目に遭いながら、よくエリーヌ様を支えてくれました。これからは私もいますから、一人で悩むことなく何でも相談してね」
「ありがとうございます」

 マガリ様は少し寂しそうに目を細められた。

「以前、勤めてくれていた侍女達は、仕事がなくなったので一度解雇されてしまったの。私もソランジュ様と修道院にいたの。この十年、城にいるのは政務に携わる文官と治安維持に従事する兵ばかりで、必要だったのは料理人と掃除夫と庭師ぐらいでしたからね。公爵家となることで人手が必要になったから声をかけようとしてみたけど、あなたと同期だった若い人達は、みんな嫁いでしまったり、行方がわからなくなったりして、誰も連絡がつかなかったの。それより年上ともなれば、なおさら戻る余裕はないと断られてね。新しく雇い入れた侍女達は経験がないし、今から教育するにしても間に合うかどうか困っていたのだけど、フェルナン様が侍女を連れて来てくださったから何とかなりそうね」
「はい、みなさん優秀ですから、お任せしても大丈夫ですよ。そうだ、ナディアさん、こちらに来てください」

 わたしは一行の中にいた侍女の一人を手招きして呼んだ。
 彼女はアーテス国民の特徴である長い黒髪を、後ろでまとめて三つ編みにしている、清楚な雰囲気のお姉さんだ。

「どうしました、レリアさん」
「ナディアさん、こちらは侍女長のマガリ様です。マガリ様、こちらのナディアさんがアーテスから来た侍女達のまとめ役をなさっています」

 ナディアさんは、今回こちらに来た中では一番年長の二十才。
 マガリ様に引き合わせておけば、この後の意思疎通が滞りなく行われるはず。

「よろしくね、ナディアさん」
「マガリ様、わたし達は今後あなたの部下になるのですから敬称は不要です。これまであちらで培った経験を生かして、公爵ご夫妻のために精一杯お勤めさせて頂きますので、よろしくお願い致します」
「わかりました、お若いのに頼もしいことです。レリアも信頼しているようですし、これなら仕事を割り振れるわ」

 マガリ様はナディアさんの所作を見て、満足されたみたい。
 わたし達侍女はエリーヌ様達と一緒にマガリ様について行くことになり、男性陣とは別行動になった。
 フェルナン様とアシルは、こちらの文官達と今後のお話をするために行ってしまった。
 アシルがまた後でと言ってくれたから、笑顔で見送った。




 ソランジュ様は、しばらくお城に住まわれることになった。
 公爵夫人になられるエリーヌ様の相談役という名目であったけど、幼い姫から取り上げてしまった母君との時間を、僅かでも取り戻してあげたいというフェルナン様の気遣いからでもあった。
 エリーヌ様とソランジュ様がお二人だけでお話をされている間に、こちらで雇われた侍女達と対面することになった。
 経験がないと言うだけあって、どの子も見習いに出される十二才か、それに近い年の子だ。
 アーテス側の侍女達が教育係につくことになり、それぞれ担当の子と引き合わされる。
 わたしも二人の女の子を紹介された。

「ノエミとシビルです。この二人はレリアとナディアに教育をお願いします」

 ノエミは十二才、シビルは十三才。
 二人とも金髪碧眼で、ノエミは控えめな感じで、シビルは相手を真っ直ぐ見据える利発な子という印象を受けた。

「レリアよ、よろしくね。わたしはちょっと記憶をなくしちゃって侍女の仕事も覚え直している所なの、一緒に頑張ろうね」

 二人に笑顔で声を掛けたら、驚いた顔をされた。
 ナディアさんに顔を向けると、くすくす笑っていた。

「ノエミ、シビル。今の彼女はあなた達の一つ年上ぐらいのお姉さんといった所かしら。見た目より中身はずっと可愛いから、気負わずに接してあげてね」

 ナディアさんの言葉に、二人は頷いて頭を下げた。

「はい、よろしくお願いします」
「お願いします」

 こうして仕事仲間との顔合わせが終わったけど、見た目より中身は可愛いってどういう意味なの。
 わたしの見た目って周りの人にはどう思われているの?
 鏡に映る大人の姿のわたしは、確かに可愛らしい感じではないし、顔立ちもどちらかといえば鋭くきつい感じにも見える。

 以前のわたしはクール系美女だったと、ナディアさんは言ってた。
 普段は冷たく他を寄せ付けないのに、こちらが困っているとさっと現れて助けていく、さりげない優しさを見せる所が、ギャップを感じて素敵だったと。

 わたしは何があって、そんな人になってしまったのだろうか。
 誰かの影響のような気がするんだけど、マガリ様は違う。あの方の雰囲気はふんわりしていて優しいもの。
 毅然として凜々しい感じの侍女さんがいたはず。
 一体誰だったんだろう。




 その後は簡単に城内の説明を受けた。
 外にあった見慣れない建物は、駐留していた兵のために建てられたもので、現在でも兵の宿舎に使われていた。
 住んでいる人は独身の男性が中心で、食堂や入浴設備も備えられていて、住居としてだけでなく夜勤の人の仮眠室も兼ねているそう。
 侍女が主となる女性用の宿舎は、そちらとは離れた場所にあり、安全を考慮して守衛がいて、基本的に男性は立ち入り禁止で、面会を希望する際は本城内にある応接室を利用するようにとのことだった。

 エリーヌ様付きのわたしは宿舎ではなく、本城内に部屋を頂くことができた。
 以前、侍女だった頃に使っていた部屋らしいけど、やっぱり何も思い出せなかった。

 アシルは落ち着くまでは家も部屋もいらないと言って、わたしの部屋で眠っている。
 彼の私物は少ないし、場所を取るわけじゃないからいいけどね。
 同じ部屋で寝泊まりしているのだから、彼とわたしが恋人関係にあることは、こちらでもすぐに認識されることになった。
 結婚は? なんて聞かれることもあるけど、曖昧にごまかしている。
 落ち着いてからするんだろうって思われているみたいで、このことで誰かに深く詮索されることはなかった。

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