憎しみの檻
続編 レリア編 5
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初めてのお休みは、アシルと同じ日になった。
城内の案内は必要な場所だけされているから、二人で歩いてみることにした。
「十年前にちょっといただけだからな、どこに何があるのか、ほとんど覚えてねえな」
わたしは忘れてしまったけれど、アシルも似たようなものだった。
入ってはいけない場所には、注意の札や見張りの兵士さんがいるから、とりあえず城内を巡っていくことにする。
ふと、回廊から外を見ると、城壁の上を見回りの人が歩いているのが見えた。
「ねえ、城壁の上に行ってみようよ、きっと城下街が全部見えるよ」
「おい、レリア」
アシルが躊躇うような声を出したので、少し意外に思った。
「どうしたの? 高い所苦手だった?」
「そうじゃねえけど……、お前が言うなら行ってみるか」
「怖かったら言ってね、どうしても行きたいわけじゃないから」
「違うって言ってんだろ」
強がる彼に笑って見せて、手を繋いで城壁に向かう。
近づいていくに連れて、なぜか嫌な感覚がした。
上に行けば見晴らしが良いと思っているのに、階段の前まで来たら足が動かなくなった。
「あれ、どうして?」
行ってはだめだと思った。
足は少しも前にでないし、体が震え始める。
「レリア」
アシルの声が聞こえて、繋いだ手に意識が移った。
「無理しなくていい、見る所は他にもたくさんある」
「うん」
手を引かれて、ようやく足が動いた。
城壁から離れるにつれて、心が落ち着いていく。
何だろう、あそこで何か嫌なことでもあったのかな。
気になるけど知りたくない。
思い出してはいけないと、わたしの心が言っているから。
次に向かったのは庭園だった。
王城は無抵抗で開城されたから、壊されたものは何もなかった。
噴水や樹木などは、昔から在るそのままの姿で残っていて、エリーヌ様が懐かしいとお喜びになっていた。
城内の廊下には歴代のネレシア王の肖像画が飾られていて、王や王子達の遺品や王家にまつわる縁の品なども、宝物庫に大切に保管されているそうだ。
嬉しいことだけど、不思議にも思ったからアシルに尋ねてみた。
「前の王家の物を残すのって珍しいことじゃない? こういう時って全部自分の国の物に置き換えたりするんじゃないの?」
「ジュスタン様は歴史家でもあってな。吸収併合した国を任されて統治しに行くと、どんな物でも貴重な資料だとか言って大事に保管させるらしい。噂だとある土地で崇められていた石像を面白半分でわざと壊したヤツが縛り首にされたこともあるってよ」
ジュスタン様は、その土地の民の声を聞き、心に寄り添って統治する方針を決めるらしい。
人心掌握をするには、相手を知らなければ上手くいかない。
そういう主張をしているんだって。
「優しい人なのかな?」
「少なくとも悪い人じゃねーな。ただ自分と敵対した相手には容赦しない人だ。エルネスト様も似たようなもんだ。二人ともフェルナン様には甘い兄貴って所も似ているな。ネレシアはフェルナン様に任せるってのは最初から決めてたみたいだし、十年かけて憂いなく渡せるように準備してたんじゃねえかな」
道中に立ち寄った村の人達も言ってたね。
弟のためだって。
それは建前でも打算からでもなく、本当の気持ちなんだろう。
フェルナン様が騎士になったのは、兄王子達と争いたくなかったからだと聞いたことがある。
兄弟だから仲良くしたいって当たり前のことなのに、立場や周りの思惑が絡むと難しいこともあるんだね。
庭園を抜けて、建物の中へと戻る。
正面入り口を通り抜けた時に、奥の方から歩いてくる人がいることに気がついた。
兵士の人だと思う。
年齢も体格もアシルと同じぐらいに見える。
防具は金属製の胸当てと小手、膝当てだけの簡素なもので、腰には剣を装備していた。
赤みがかった金髪は見覚えのあるもので、こちらを見ている碧の瞳はかつての快活さを失って、どこか暗く沈んだ印象を受けた。
体も顔つきも大人の男性になっていて、記憶の中の少年の姿と重ね合わせるのに時間がかかった。
「クロード?」
立ち止まって、その場で呼びかけた。
彼はわたしを見つめて、眉間に皺を寄せた。
近寄りがたい空気を感じて、無意識にアシルの服を掴んでいた。
「レリアか」
「う、うん。そうだよ、久しぶりだね」
こちらを見つめるクロードの表情から、感情を読み取ろうとしたけど、わからない。
怒っているわけでもなく、喜んでいるわけでもなく、些細な心の動きさえも感じることができなかった。
彼はわたしの隣に視線を移して、アシルに声をかけた。
「顔は合わせた、これでいいな?」
クロードはそれだけ言って通り過ぎようとする。
そんな彼の肩をアシルが掴んで止めた。
「待てよ。十年ぶりに会ったんだろうが、これでいいわけあるか!」
「必要があるなら会うと言った。今は関わる必要を感じない」
二人は話をしたことがあるみたいだった。
でも、関わる必要がないって言われてしまって、どうしたらいいのかわからない。
「そういうこと言ってんじゃねえ。レリアはずっとお前に会いたがっていた、話ぐらいしてやったっていいだろうが!」
アシルが怒ったように言って、クロードがわたしに向き直った。
「記憶を無くしたと聞いた、オレで役に立つことがあるなら協力する、手助けが欲しいなら遠慮なく言え。こっちはこの通り、元気にやっている。心配されるようなことは何もない。お前もこちらに帰ってきたばかりで大変だろう、オレのことは気にするな」
再会を喜び合うとか、裏切り者と罵られるとか、想像は色々していたけど、こんなことは思いもしなかった。
何とか会話を繋げようと、ずっと思っていた言葉を口にした。
「生きていてくれて良かった、クロードは今幸せ?」
「そんなこと、お前は考えなくていい」
「おい!」
ばっさりと切り捨てるみたいに返された。
アシルがまたクロードに何か言いかけたけど、肩に置かれた手を払うように外すと、彼は行ってしまった。
追いかけるなんて怖くてできなくて、遠ざかっていく後ろ姿を黙って見送った。
そんなわたしにアシルが気遣わしげに声をかけてくれた。
「レリア、大丈夫か?」
「うん。ごめんね、アシル。心配させちゃって」
「オレのことはいい。それより黙っていて悪かった。あいつは必要があれば関わるって言うだけで、理由も言いやがらねえ。お前に嫌な思いをさせちまうかと思えば、クロードと会ったことを言えなかったんだ」
アシルはこちらに来た日に、クロードと引き合わされたそうだ。
その時にわたしが会いたがっていることを伝えたけど、さっきと同じで会うことを拒否されたんだって。
「あいつとは職務上、これから何度でも会うんだ、そのうち引きずってでも連れてきてやるからな」
「無理に連れてこなくていいよ、クロードに迷惑をかけたいわけじゃないの。時間をおいて、わたしから会いに行ってみる」
クロードは領内の兵達をまとめる隊長なんだと、アシルが教えてくれた。
十年前からアーテスの治安部隊にネレシアの若者を入れて、領兵として勤められるように指導をしつつ、組織の体制を作り上げてきたそうだ。
現在ではほとんどの兵が、ネレシア出身の人に入れ替わっている。
予想通り、領兵の上役は元従騎士達ばかりだった。
彼らのまとめ役がクロードなのも納得だった。
「フェルナン様が来たから、これから役職を任命し直して指揮系統を新しく構築することになる。ようするにこれから指揮下に入る兵隊のトップにあいつがいるってことだな」
お互いに領内にいるのだから、会う機会はまたある。
それに役に立つことがあるなら協力すると言ってくれた。
完全に拒絶されたわけじゃない。
わたしを遠ざける理由はわからないけど、少なくとも嫌悪等の悪い感情からじゃないことだけは確かだと思った。
けれど、それからクロードと会える機会はなかった。
クロードは宿舎には住んでいなかった。
彼は職務の報告をフェルナン様にするために、数日に一度は城を訪れるけれど、用が済めばすぐに帰ってしまう。
アシルは顔を合わせれば説得してくれてるけど、彼の答えが変わることはなかった。
少しだけでも話がしたいと思い立って、自分から動くことにした。
わたしは彼がどこに住んでいるのかも知らない。
城下街には兵の詰め所があるそうだから、そこに行けば会えるかも。
そう思って訪ねてみることにした。
アシルにこれ以上頼るのは申し訳なくて、お休みの日に一人で出かけていった。
領兵が頻繁に通りを見回りしているから、昼間なら女性の一人歩きも大丈夫らしい、後は道に迷わないかどうかの不安だけ。
見知っているはずの城下街だけど、一人で歩くなんて今までしたことがなかった。
お出かけはいつも家族の誰かが一緒だった。
地図を用意して、目的地を確認。
地味な色合いのワンピースを選び、日除けに帽子を被った。
初めてのお使いに行く幼児のような心境で、わたしは城門を出て、街へと足を踏み入れた。
地図を頼りにたどり着いた詰め所は石材で造られた二階建てで、想像以上に大きな建物だった。
入り口の横で建物を見上げていたら、声を荒げて騒いでいる男の人が、兵士さんに二人がかりで抱えられて、通り過ぎて行った。
兵士さんだけでなく、街の人も出入りしていて、頻繁に人が行き交って忙しない。
街で起こった事件や事故を扱っているだけあって、物々しい空気を絶えず感じた。
雰囲気に気後れして、入り口でまごまごしていたら、見回りから戻ってきたらしい若い兵士さんが声をかけてきた。
「綺麗なお姉さん、どうしたの? 何か困りごと?」
すごく軽そうな話し方だけど、体は鍛えられていて逞しい。一緒にいた相棒らしき兵士さんも、屈強な体つきをしていて威圧感があった。
でも、わたしには見慣れた感じの人達だ。
むしろ、安心してしまう。
初めての場所での緊張も解けて、すぐに用件を口にすることができた。
「クロード=セルトンに会いに来たのですが、彼は今こちらにいますか?」
クロードの名前を出すと、相手は困った顔をした。
「クロード隊長に何の用事? 事件関係の通報や情報提供なら受付に案内するよ。助けてもらったお礼なら、あの人絶対受け取らないし、お近づきになりたいとかなら、なおさらお勧めしない」
「あの、違うんです。わたしは彼と知り合いで、ちょっとだけ話がしたくて」
「そういう人よく来るんだよ。無理に会っても、冷たくされて泣かされるだけだから諦めな」
全然信じてもらえなくて、やんわりと宥められて帰るように促されてしまった。
お城で会える機会を待つしかないかな。
他の知り合いに会えれば、居場所を聞くこともできるだろうけど、実家はわたしが売り払ってしまったらしく、今は別の人が住んでいると聞いていて、あの頃にいた使用人の誰にも会う手段がなかった。
城に戻ろうと歩きかけて、視界の端に映り込んだ人影に目を奪われた。
こちらに背を向けて歩いている大柄な兵士の後ろ姿はクロードとそっくりだった。
「待って!」
急いで追いかけたけど、彼は気づかずにどんどん歩いて行ってしまう。
歩いているだけなのに、なんて早いの。
息せき切って角を曲がったら道が分かれていて、どっちにいったのかわからない。
「君、大丈夫かい?」
息を整えていたら、男の人に声をかけられた。
見回りの兵士さんかと思ったら、普通の街の人みたい。
華奢な体つきの、力仕事とは無縁な感じ。軽薄そうな雰囲気は遊び人みたいだ。
けれど、この辺にいたのならクロードを見ているかもしれない。
「人を探していて、赤みがかった金髪の兵士さんがどちらに行ったか見ていませんか?」
「兵士? ああ、その人ならあっちに行ったな。一緒に探してあげるからついておいで」
思ったより良い人だった。
軽薄そうなんて決めつけてごめんなさい。
わたしは彼についていった。
後から思い返せば軽率だったと反省したけど、焦っていたからつい信じてしまったんだ。
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