憎しみの檻

続編 レリア編 6

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 男の人についていくと、通りの雰囲気が少し変わってきた。
 道行く女性は派手目のお化粧をしていて、服装も胸元の開いたドレスを着ていたりして、目のやり場にちょっと困る感じ。男性は紳士風の人もいれば、着崩した服装の柄の悪い人もいる。
 戸惑い始めた頃に着いたのは、立派なお屋敷風の建物だった。
 門扉や前庭がなく通りに面して入り口があるから、貴族の屋敷じゃないことはわかる。宿なんだろうか?
 男の人は扉を開けて中に入っていく。
 続いて入っていくと広い玄関ホールに出た。

「ちょっとここで待ってて、店の人に聞いてくるから」

 男の人はわたしを置いて、奥の方へと歩いていく。
 クロードのことお店の人に尋ねてくれるみたい。
 奥には年配の女性がいるようで、何を言っているのかは聞き取れないけど話し声が聞こえた。
 お話が終わるまでおとなしく待っていると、奥から若い女性が出てきた。

「あなた、レリアじゃない?」

 急に名前を呼ばれて驚いた。
 女性の声は若くて、男の人と話していたのとは別の人だ。
 二十代半ばぐらいの色白の綺麗な女性は、エメラルドの双眸で見定めるようにわたしを見ていた。
 姿勢の良い佇まいが印象的で、艶のある蜂蜜色の髪は上品に結い上げてまとめてある。着ているドレスは飾り気のない新緑のシンプルなものだったけど、豊かな胸と細い腰に目を惹かれて少しも地味には感じない。大人の色香とはこういうものかと感動すら覚えた。
 女性の圧倒的な美貌と迫力に見とれていると、彼女の視線が鋭くなった。

「あらまあ、騎士家のお嬢様は、しがない文官の娘なんて記憶にもないということかしら?」

 いけない、この人はお城で侍女をしていた頃のわたしの知り合いだ。
 慌てて謝ろうと頭を下げた。

「ごめんなさい! 記憶がなくて、お城で侍女になる前までのことしか覚えてないの!」

 わたしの弁解を聞いて、彼女は半信半疑の面持ちになった。
 こんな話、すぐには信じられないよね。

「嘘でしょう、本当に記憶がないの?」
「本当なんです。忘れてしまって、すみません」

 頭を下げ続けていると、ため息が聞こえた。

「信じるわ。そういえば、出会ったばかりの頃のあなたはそんな感じだったわね。それで、久しぶりの故郷に浮かれてふらふら一人で出歩いて、騙されてこんな所に来たってわけ? 何をやっているのよ」
「だって、それは、あの男の人がクロードを見たって言ったから……」
「あなたクロードを探していたの? 何よあの人、まだ会いに行ってなかったの? それで私の前に現れるなんて、二人揃って苛つかせてくれるわね」

 わたし騙されてたの?
 なぜかどんどん不機嫌になっていく目の前の人が怖くて、恐る恐る顔を上げると、彼女は先ほどの男の人がいるはずの奥へと向けて、声をかけた。

「女将さん、その男は詐欺師よ。この子、ベルモンドのお姫様よ。売り買いしたなんてクロードにバレたら、幾ら騙されたからだって言っても、店を潰されてしまうわよ」
「なんだって! ふざけたマネしやがって! お前達、そいつを逃がすんじゃないよ!」
「へい! 女将さん!」
「うわあああ! 助けて!」

 年配の婦人ががなりたてる声と、あの男の人の悲鳴と、別の男性達の怒声が聞こえてきた。
 何が起こっているんだろう?
 呆然としていると、彼女はさらに距離を詰めて、わたしの前に立っていた。

「アナベルよ、昔は城で侍女をやっていたの。あなたの同期で同僚だった」
「覚えてなくて、ごめんなさい」
「謝罪はもう良いわ、どうして記憶がなくなったのかなんて、わたしには関係ないし、興味もない。クロードとはちょっとした縁があるから助けてあげただけ。ちょっとこっちに来て座りなさい」

 アナベルさんが招いたのは、ホールと続きになっている広い部屋だった。
 花や美術品が飾られていて、座り心地の良さそうなソファと小さなテーブルがセットになっていて、それが複数置いてある。
 何に使われている部屋なのかな?

「ここはお客を部屋に案内するまで接待する待合所よ。店の営業は夜だから、今は誰も使わないわ」

 わたしがソファに座ると、アナベルさんは部屋を出て行った。
 しばらくすると、お湯が入ったポットと茶器をワゴンに乗せて戻ってきて、お茶を入れ始めた。
 動きに一つも無駄がない。
 優雅な手つきで茶葉を扱い、お湯を入れる、蒸らし時間も完璧だ。
 声も出せずに見とれている間に、わたしの前に紅茶が置かれた。
 好みで足せるようにミルクと砂糖が添えられている。
 食器の音がしなかった、紅茶も一滴もこぼしていない。
 すごい、すごい!
 わたしの目は輝いていたと思う。
 アナベルさんはすごく嫌そうな顔をした。

「女将さんが兵士の詰め所に使いを出したわ、しばらくしたら迎えが来るでしょう。その間に何が起こったのかわからないって顔してる間抜けなあなたに、どれほど危ない目に遭いかけていたのか教えてあげる」

 彼女の言葉には棘と毒が込められていたけど、全部的を射たことばかりだったから、素直に頷いて聞くしかなかった。
 あの男の人はクロードの行き先なんて知らなくて、わたしを騙して娼館に連れて行き、身売りに来た娘だと偽って、お金を騙し取って逃げるつもりだったらしい。
 もしも、わたしのことを誰も知らないお店だったら、そのまま娼婦にされて働かされていたかもしれない。
 アシルにも誰にもどこに行くか伝えずに出かけたから、助けが来ることも期待できなかった。
 具体的にどうなっていたかを聞かされて、恐ろしさで震え上がった。

「手慣れていたから、あちこちで荒稼ぎして流れてきたって所じゃない? 手配されているだろうし、良くて牢獄、悪くて縛り首でしょうね」

 誘拐の上での人身売買は罪が重い。
 繰り返していたなら、厳罰は免れない。

 ところで、アナベルさんはここは娼館だと言った。
 クロードはこの店に出入りしているってこと?
 男の人なんだから、不思議はないけど、少年だった頃のクロードのことしか覚えていないから、軽い衝撃を受けた。
 そこに白髪交じりの恰幅の良い女性が部屋に入ってきた。

「ご挨拶が遅くなって失礼しました、レリアお嬢様。あたしはこの店の主人でオルガと申します。オルガでも女将でもお好きなようにお呼びください。この度はとんだことに巻き込まれてしまいなさったね、大事になる前に気づけて良かった。これに懲りたらよく知らない男にはついて行ってはいけませんよ」
「は、はい」

 子供みたいに注意されてしまった。
 肩を落として俯くと、女将さんはわたしの側に跪いて、慰めるように手を握ってくれた。

「怒っているんじゃありません、心配しているんですよ。あたしを含めたこの店の者はお嬢様の兄君のドミニク様にお世話になったんです。今はクロード様にも気にかけてもらっていましてね、まったく縁のないことじゃないんです」
「お兄様に?」
「はい、上客でもありましたが、それ以上に売られてきた娘達のことを不憫に思われていてね。なるべく理不尽な目に遭わせないようにと、何かとお力になってくれていました。おかげさまで、うちに来るのは行儀の良いお客様ばかりですよ」

 女将さんはお兄様のことを懐かしむように微笑んで思い出話をしてくれた。
 お兄様は治安の悪い場所にも積極的に赴いて、人助けをしていたらしい。
 そんな話、わたしにはしてくれたことなかったのに。
 万が一わたしが興味を持ってついて行きたがったら困ると思ったのかな。

「惜しい人を亡くしましたが、クロード様はあの方の背を追うように、今もこの地を守っておいでです。だからね、あたしらはちっとも悲観していないんです、ネレシアの騎士は滅んではいない、後継はしっかりと育っているんだってね。公爵様のお考えは存じませんが、よほどの愚か者でなければ、彼らがこの地の護りに必要なのだとおわかりになられるでしょう」

 わたしはネレシアの騎士を、本当の意味で理解していなかったのかもしれない。
 ベルモンドのお姫様。
 アナベルさんがわたしをそう揶揄したのもわかる。
 わたしは家族に守られて、小さな箱庭の世界で生きていた。
 お城にいた時もきっと同じ。
 本物のお姫様の傍にいて、醜いものや厳しい現実から遠ざけられて、自分の目で見て感じたものだけが真実なのだと思い込んでいた。

 わたしが記憶を無くして逃げた時も、きっと見えていなかった真実があったのかもしれないと思い至る。
 クロードを追いかけてきたことで、知らなかった世界を見ることができて、また少しわたしの意識に変化が起きた。




「そろそろ迎えが来る頃でしょう、わたしはこれでお暇するわ」

 女将さんが部屋に入ってきたからか、アナベルさんが出て行こうとする。
 急いでソファから立ち上がる。
 もっとお話がしたかったけど引き止めては迷惑になる、お礼だけでも言わないと。

「助けてくださって、ありがとうございました」
「お礼なんかいらないわ。こっちが借りてるものに比べたら何の足しにもならない、本当に嫌になる。良かったじゃない、クロードはあなたのために家まで買ったのよ。何年離れてようが、お姫様はいつまでも大切にしてもらえて羨ましいわ」

 アナベルさんは、最後まで険のある態度でとりつく島もなかった。
 記憶を失う前のわたしは、そんなに彼女に嫌われるようなことをしたのかな。
 それなのに、嫌っているはずのわたしを助けてくれて、お茶を入れてくれたり、わかりやすく状況を説明してくれたりして親切だった。
 わたしはアナベルさんを嫌いになれない、仲良くできたら嬉しいな。

 でも、わたしのために家を買ったってどういうことなんだろう。
 クロードは何も言ってなかったよ。

 アナベルさんが行ってしまうと、女将さんがすまなそうに眉を下げた。

「すみませんね、お嬢様。アナベルの態度は褒められたもんじゃないですが、クロード様とは色々ありまして、つい嫌みを言っちまうのも無理はないんです、勘弁してやってください」
「言われたことは本当にその通りですので、怒ってはいません。でも、最後のクロードが家を買った話は聞いていないので、どういうことかわからなくて……」
「おや、そうですか。まだお会いしていないんですか?」
「顔は合わせましたけど、関わる必要はないと言われてしまって。だから話したくて探しに来たら、このようなことになりました」

 女将さんは苦笑していた。

「あらあら、クロード様もややこしい人ですからねえ。あたしが口を出すことでもないんでしょうが、少なくともお嬢様を嫌っているわけではないと思いますよ。あの方は今でもドミニク様を慕っておられるんですから。時に、お嬢様には恋人がいらっしゃったりするんですか?」

 なぜか恋人の有無を聞かれてしまって、照れながら頷いた。

「は、はい、一応……」
「なるほどね。それでそのお方はお嬢様から見て良い男ですか?」
「はい! とっても素敵な人です!」

 夢中になってアシルのことを話すと、女将さんはにこにこ笑って聞いてくれた。

「お嬢様はその騎士様が大好きなんですね」
「はい、大好きです!」
「それはようございます。そんな出会いは貴重ですよ、絶対に逃がさないようにしませんとね。男と女のことなら、このあたしで良ければ幾らでも相談に乗りますからね」

 それから二人で座って楽しくお話していたら、玄関の扉が開いて、クロードと一緒に数人の兵士が入ってきた。
 詰め所にいた人達だ。
 わたしを帰した兵士さんもいて、彼は部屋から出てきたわたしに気づくと駆け寄ってきた。

「隊長の知り合いって本当だったんですね! 申し訳ありません!」

 勢いよく頭を下げられて、面食らってしまった。

「い、いえ、いきなり訪ねて行ったわたしも悪かったので、気にしないでください」

 彼は謝罪をした後、クロードの所に戻ってまた謝っていた。
 そして兵士さん達は詐欺師だった男の人を拘束して、外へ連れて出て行った。
 一人残ったクロードが女将さんに話しかけた。

「女将、世話を掛けた。あの男は手配犯で懸賞金がかけられていた。後日、うちの使いが店に持ってくる。それと個人的に礼がしたい」
「礼ならアナベルにどうぞ。あの子が教えてくれなくちゃ、気づかずに金を渡していた所でしたからね」
「わかった、次の花代に上乗せしておく」
「はぁ、あなた様はまたそういう……。いいですよ、あたしには口を出す権利はありゃしません。でもね、いい加減に愛想を尽かされても知りませんよ」
「何を言っている? あいつに必要なのは金だろう。施しは受けないと言うから、こうするしかないんだ」

 アナベルさんにするお礼のことで、女将さんとクロードは何か言い合っていた。
 女将さんは呆れた顔をしてクロードを見ている。
 ものすごく残念な人を見る目だ。

 クロードは腑に落ちない様子で首を傾げていた。
 そして、視線をこちらに向けて、疲れたようにため息をついた。

「レリア。お前、オレに会いに来て、こんなことに巻き込まれたそうだな。後で城まで送ってやるが、とりあえず話を聞いてやる、今後もこんな無茶をされたらたまらない」
「うん!」

 良かった、クロードと話ができる。
 笑顔になったわたしを見て、クロードは複雑そうな顔をしていた。
 不機嫌とか、そういう表情じゃなくて、戸惑っているような感じがした。

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