憎しみの檻

続編 レリア編 7

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 クロードがわたしを連れてきたのは懐かしいお屋敷の前だった。
 鉄製の門扉の向こうに前庭と古めかしい本邸の建物がある。その近くには使用人の宿舎が建っていて、裏側には訓練場を兼ねた庭と小さな森が生い茂る一般的な騎士の家。

 わたしの家。
 両親と兄がいたあのお屋敷だ。

「戦後はアーテスの高官が住んでいたんだが、ちょうど二年前に任期が終わって帰ることになったんだ。その時に、とある縁から融通してもらって買い取った」

 門扉を開けてクロードが中に入る。
 続いて足を踏み入れて、変わらない屋敷の姿に視界が歪んだ。
 あの中に、お父様とお母様とお兄様がいるかもしれない。
 そんな風に思ったけど、ありえないと打ち消した。

「中はさすがに別物だ。お前、屋敷も家財道具も全部売り払って使用人の退職金にしたそうだな。生きていれば渡してくれとオレの分も預かっていたって、庭師のモルガンが紹介状と一緒に持ってきた。おかげで怪我が治ってから路頭に迷わずに次の仕事にありつけた。あの時は助かった、礼を言う」
「そんな、当たり前のことだよ。それにわたしは覚えてないことだし、お礼を言われても……」
「オレが言いたいだけだ、気にすることはない」

 本邸に近づくと、中から年配の女性が一人出てきた。
 彼女はわたしに気づくと笑顔になって駆け寄ってきた。

「レリアお嬢様!」
「タチアナ!」

 わたしも駆け寄って抱きついた。
 母の傍らで補佐をしていた、メイド長だった人だ。

「モルガンもいる。人を雇うことになって、昔の伝手で声をかけたら他にも何人か来てくれた」

 タチアナと抱き合って再会を喜び合っていると、クロードが彼女を雇った経緯を説明してくれた。

「皆、勤め先を探すのに苦労していましたからね。私たちは年もいっているから待遇も良くはないし、クロード様からのお誘いは渡りに船でした」

 身分制度の消滅の煽りを一番受けたのは貴族とそれに連なる人達だった。
 特に当主を失った騎士家では使用人が大勢働き口を失い、一時期は街に求職者が溢れて、紹介状があってもなかなか就職先にありつけない事態に陥った。
 アーテスから役人が赴任してくるにつれて、解消されていったそうだけど、一度下がった雇用条件はなかなか元には戻らず、苦労していたらしい。

「みんなが困っていたのに、何もしてあげられなくて、ごめんなさい」
「何をおっしゃいますか、お嬢様はご自分にできることを十分してくださいました。それにエリーヌ様をお支えするためにお一人でアーテスにまでついて行かれた。旦那様達も誇りに思われておられますよ。お嬢様の方こそ、ご苦労なさったでしょうに、こうしてご無事なお姿を見られて、私は安心しましたよ」

 抱きしめられて、昔と同じように優しい言葉をかけてもらえて、胸がいっぱいになった。
 帰ってきたんだと、この時ようやく望郷の念が満たされていくのを感じた。

「今はみんな困っていないのね」
「ええ、おかげさまでね。市井での節約生活が身についてしまって、前より図太く逞しくなった気がしますよ」

 話し声を聞きつけて、他の人もやってきた。
 みんな笑顔で再会を喜んでくれた。

「レリアお嬢様も帰っていらしたし、やっと結婚式が挙げられますね」

 タチアナが嬉しそうに声を上げた。
 え? 誰が結婚するの?

「タチアナ、レリアは話をするために連れてきただけだ。ここには住まないし、婚約も結婚もする予定はない」

 戸惑っていると、クロードが鋭く咎めるような声を発した。
 その途端、タチアナもみんなも驚いた顔に変わった。

「なんですって、そのためにこの屋敷を買い取ったんじゃ……」
「屋敷を買い取ったのは、オレの感傷からだ。オレとレリアは将来を誓い合ったわけではない、元から何の約束もしていないんだ、勝手な期待でレリアを悩ませないでくれ」
「す、すみません……」

 急にみんな意気消沈したように静まりかえった。
 そうか、昔は大人になれば何となくクロードと結婚するかもしれないという空気は感じていた。
 お母様には時々クロードをどう思っているか聞かれたことはあったけど、お父様からは何も言われたことはなかったし、クロードだって恋愛感情を匂わせたり、将来のことを口にしたことは一度もなかった。
 身内だからと言って、ことあるごとに女性避けにされていたことしか覚えてない。
 お城に勤めるようになってからだって、そんなに変わらなかったんじゃないかな。

「わたしはみんなにまた会えて嬉しかったよ。ちょっと事情があって、記憶が十二才までのことしか覚えてないの。だから、今は結婚とか考えられなくて、ごめんなさい」
「まあ、記憶が! 何があったんです、お可哀想に! こちらこそ申し訳ありません。そうですね、今はもう一度お会いできたことを喜びましょう」

 また空気が明るくなって、わたしも笑った。

「タチアナ、茶の用意を頼む。レリア、ついてこい」
「うん!」

 話したいこと、聞きたいこと、たくさんあるの。
 家族はいないけど、クロードはいる、懐かしい人達にも会えた。
 帰ってきて良かった。
 わたしは故郷の全てを失ったわけじゃなかったんだ。




 クロードと一緒に玄関から中に入る。
 彼が言っていた通り、家具や内装は全て変わっていた。
 前の住人が残した物をほとんどそのまま使っているそうだ。

「家具なんぞ、アーテスまで持って帰るのも一苦労だろう。できれば買い取ってくれと頼まれた。その分、値段の交渉でかなり譲歩してくれたがな」

 クロードは家具や内装にあまりこだわりがなかったみたい。
 元に戻せない以上は、見目良くて、使えるなら何でも良かったと、どこか投げやりに言った。
 その態度に少し引っかかりはしたものの、通り過ぎるついでに目についた扉を開けて、室内を見ていった。

「庭の方はモルガンが張り切って、昔の形に戻している。訓練場も整えてくれたから、あそこだけは昔の面影があるぞ」
「うん、でもまだ懐かしむにはつらいかな。亡くなったことを受け入れるのに時間がかかったし、ネレシアに帰ってきて、本当にもう会えないんだと思ったら悲しくなってしまうの」
「当然のことだ。記憶を無くしたってことは、気持ちの整理もやり直しってことだからな。懐かしむのはその気になった時でいい、いつでも付き合うぞ」
「ありがとう」

 応接室に通されて、対面に座る。
 タチアナがテーブルにお茶とお菓子を置いてくれた。
 手作りのクッキーだ。
 クロードに食べていいと促されて、クッキーを口に入れる。
 懐かしい我が家の味。
 また食べられるなんて嬉しい。

「相変わらず、タチアナのクッキーは美味しいね。こういう懐かしさなら大丈夫だよ」

 じっくり堪能して頬を緩めてそう言うと、初めてクロードが笑った。
 口の端をちょっとだけ持ち上げる感じだけど、それは笑顔と呼べるものだった。

「あのね、どうして関わる必要がないなんて言ったの? わたしが近くにいると邪魔だった?」

 真っ先に尋ねたのはそれだった。
 普通のお話すらしてくれないなんて、気にならないわけがない。

「邪魔になるのはオレの方だろう、それに合わせる顔もないと思った。オレ一人生き残って、お前の傍にもいてやれなかった。会ってもどんな顔をすればいいのかわからなかった」
「邪魔に何て思わない。それにあの時大怪我をしていたんでしょう。生きていると知って、わたしは嬉しかったの。お父様とお兄様と一緒にあなたも死んでしまったと思っていたから」

 疎ましく思われていたわけではないと知って、わたしの心は晴れた。
 これで心置きなく語り合える。

「今までのこと聞いてもいい? クロードは何をしていたの? ずっと兵士だったの?」
「ああ、治安維持の部隊に入って、領内の警備をしていた。従騎士だった頃もやっていたことだ。戦後から数年ほどは、色々荒事も多くてな。即戦力は重宝された。お前はどうしていた? 記憶はなくても話ぐらいは聞いているだろう」
「エリーヌ様のお側にずっといたよ。他の人が言うには、すごく冷静で何でもできる侍女だったんだって。信じられないよね」
「いや、最後にあった頃なら、それなりにきちんとした侍女になっていたぞ。戦中の緊張感もあっただろうが、話し方も落ち着いていたし、大人びて見えたな」

 クロードから聞いた話によると、勤め始めて一年ほどは今のわたしのような感じで、仕事に慣れて自信がついたからか、徐々にしっかりしてきたらしい。

「アーテスの王宮には意地悪な人や悪い人もいたけど、アシルが守ってくれてたから、わたしは無事に暮らしていられたの。記憶を失ってからだって、彼は傍にいて寄り添ってくれた」

 そう言うと、クロードは顔をしかめた。

「記憶を失うほど酷い目に遭ったんじゃないのか? 自害をしようとしたのだとも聞いた。守られていたのなら、どうしてそんなことになる」
「その辺は、ちょっとよくわからないの。何か理由があって死のうとしたんだと思うんだけど、わたしはずっと周りの人に守られて大切にされていた、それは本当のことなの」

 真相はわたしの記憶の中にしかない。
 他の人の証言は、どうしたって憶測が入ってしまう。
 だから、このことで誰も責めたくはなかった。

「アシル=ロートレックはお前の何なんだ? 部屋に寝泊まりしていると聞いたが恋人なのか?」
「そうみたいだけど、アシルは何も言ってくれないの。一緒に寝てるのは、わたしが眠れないから添い寝してもらっているだけだし、嫌なことや変なことはされてない。むしろ、わたしのお願いごとを何でも聞いてくれて、大切にしてくれているの」

 アシルを悪く思われたくなくて、一生懸命訴えたけど、クロードの顔はさらに険しくなっていく。

「わかった、今はお前の言葉を信用しておく」

 今はってどういう意味?
 ちゃんと伝わってる?
 一応納得はしてくれたのか、顔から険が取れた。

「レリア、帰る場所がないと思っているなら、ここに来い。オレはこの屋敷から動く気はない、身内もいないから相続人をお前にしてもいい」

 クロードの誘いは思いがけないもので、すぐに返事ができなかった。

「クロードのことは家族だと思ってる。だけど、そこまでしてもらうわけにはいかないよ」
「オレはドミニク様に命を救われた。あの人の代わりにお前を見守ることが恩返しになるんだ。それにオレもお前を家族だと思っている、困っているなら助けたいし、力になりたい。それでは理由にならないか?」
「わたしもそう思ってた。クロードが幸せでいるなら、それで良かったの。でも、そうじゃないなら支えたい、力になりたいと思ったの」

 わたしがクロードに伝えたかった言葉は、彼がわたしに言ったことと同じだった。
 何だ良かった。
 クロードは、わたしを昔と同じように身内だと思ってくれていたんだね。

「オレは何も困ってやしない、心配無用だ。それよりもオレはお前が心配だ」

 二人で同じことを思っていたとわかって、笑ってしまった。
 大変な騒ぎになってしまったけど、話ができて良かったな。

「時間ができたら、シラス様に会うといい。以前のお前も話を聞くことなくアーテスに行ったそうだ。十五の娘には亡骸を見るだけでも耐え難いことだったのだろうとおっしゃっていた。見届け人が語るのは、死に際の姿ではなく、生き様だ。ネレシアの騎士達が何を思って戦い死んでいったのか、何を残そうとしたのか、心の整理をつけるためにも耳を傾けてみるといい」

 シラス=バシュラール様。
 あの戦場で唯一生き残った、ネレシアの最後の騎士。
 そして王から託され、戦友達の死を見届けて語り部になった。

 正直、お父様達の最期を聞くのは怖くて、どうしても会いに行けなかった。
 けれど、クロードは必要なことだと言う。
 死に際の姿ではなく、生き様だという言葉に勇気が出た。
 前に進むためにも目を背けていてはいけない。

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