憎しみの檻
続編 レリア編 8
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本城の一室に、シラス様の執務室はあった。
シラス様にはご家族はいなくて、今は兵士の宿舎に寝泊まりしていて、昼間はこちらか、外で訓練する兵の指導をしている。
扉を叩くと返事が聞こえた。
良かった、いらっしゃるみたい。
扉を開けると、正面に執務机があり、シラス様はこちらを向いて座っていた。
老人と言っていいお歳のはずなのに、ちっとも衰えを感じない。
白髪と顔に刻まれた皺が年齢を感じさせるけど、眼帯で覆われていない方の右目の眼光は若々しく鋭くて、猛獣を素手で倒した逸話をお持ちだった頃と何も変わられていなかった。
「レリアだな、随分と大きくなって。お前の父が可愛い女の子が生まれたと、赤子のお前を見せびらかして歩いていた姿を昨日のことのように思いだす。騎士の男は妻や娘に甘い物だが、その中でもお前の父は特別だった。妻子への溺愛ぶりは有名だったぞ」
シラス様はお父様を懐かしんで笑っていた。
わたしは少し恥ずかしくなって顔を赤くした。
お父様ったら何をなさっていたのかしら。
「さて、こうして私に会いに来たのは、話を聞く気になってくれたということだな。クロードから何か聞いたのか?」
「はい、シラス様に会えと言われました。見届け人が語るのは、死に際の姿ではなく、生き様だと」
「そうだ、最初はみんな死に際の姿を聞かせてくれと会いに来る。悲しみと怒りを忘れぬように、家族や主人が受けた屈辱を魂に刻みつけるのだと言ってな。クロードもそうだった。あいつも最初は憎悪を宿した目をしていた。何もかも失って自暴自棄になりかけておった。誰しもそうだ、肉親や身内を亡くして、すぐに気持ちを切り替えられる者はおらぬ。私の役目は死者の思いを語り伝えることで、遺された者に寄り添い、生きていく上での道標となることだ。陛下に子供らの行く末を託されたのだ、どいつもこいつもまだひよっこで、ヤツらが一人前になるまでは、そう簡単にくたばるわけにはいかんのだ」
シラス様は後二十年ぐらいは生きているつもりだとおっしゃったけど、もっと長生きしそう。
ああそうだ、ネレシアの騎士達は、誰もがこんな感じの人だった。
明るく前向きで、体を鍛えることが大好きで、一緒にいると楽しかった。
シラス様のお話は、お父様とお兄様に関する思い出だった。
わたしが覚えていることや、知らなかったことまで、シラス様の目を通して見た、生前の二人の姿が生き生きと蘇る。
負け戦と決まっても、誰も戦意を失わず、むしろ喜々として突撃して行ったなんて信じられない。
だけど、語られた思い出と記憶の中の二人の姿が、嘘ではないと納得させた。
「ドミニクは最期まで陛下を守って戦った。そうだ、その前に一騎打ちをやったのだ。大軍に囲まれて、大量の矢を向けられているというのに、一人の騎士と剣で渡り合えることにドミニクは喜んでおった。私は砦の屋上から見ておったが、遠くから見ていてもわかるほどだったぞ。あれは天性の戦馬鹿だ。死しても全力を出し尽くした結果だ。戦に対する後悔も恨みも何一つ残してはおらん。ただ一つ心を残すとすれば、お前のことだけだ。幸せになって欲しい、父と兄がお前に望んだのはそれだけだろう」
涙が溢れて止まらない。
目の前にお父様とお兄様がいるみたい。
泣いているわたしを見たら、二人とも動揺して、慰めようと一生懸命になるだろう。
そこにお母様が来て、抱きしめてくれるの。
三人とも、わたしの心が悲しみや憎悪で満たされることを望む人達じゃない。
「お父様もお兄様も馬鹿です。負けたって生きて帰ってきてくれたらいいのに、死ぬことなんてなかったのに」
フェルナン様は優しい人だった。
あの方が生かすと言ったなら、あれ以上誰も死ぬことはなかった。
だけど、降伏を受け入れられなかった陛下や、父達の気持ちもわかってしまった。
誰も責められない、責めてはいけない。
誇り高い騎士が選んだ生き方を、家族のわたしが否定してはいけない。
それでも、帰ってきて欲しかった。
それが正直なわたしの気持ち。
声を上げて泣き続けるわたしを、シラスは黙って見守っていてくださった。
涙も出尽くした頃合いに、蒸したタオルが差し出された。
わたしが落ち着くまで待っている間に用意していてくださったらしい。
目元に当てると気持ちよかった。
まぶたを腫らせて帰ったら、アシルが心配するよね。
「泣いてしまって、申し訳ありません」
「気にするな、女子の涙など可愛いものだ。男共など暴れ狂って、このか弱い老人に殴りかかってくるのだぞ」
か弱い?
首を傾げると、シラス様はニヤリと笑った。
「無論、黙って殴られてやる義理などない。ことごとく返り討ちにしてやったわ。どんな方法であれ、感情の発散は良いことでもある。悲しみも過ぎると怒りに変わる、それが悪い方向に向かえば身の破滅に繋がるからな。だからこそ、陛下は私に託されたのだ。生半可な騎士では、ヤツらの怒りを受け止められぬと」
何だかシラス様と従騎士達の間には壮絶なやりとりがあったみたい。
クロードもそうだったのかな。
悲しみや怒りを受け入れるのに時間がかかったのは想像できる。
シラス様は一人一人に向き合って、前を向けるように寄り添ってくれていたんだ。
わたしももっと早く会いに来ていれば、エリーヌ様に偏った考えで接することはなかったんだろうか。
「レリア、もっと早く会いに来ていれば、などと考えてはおらんか?」
心の内を見透かされてドキッとした。
「お前がアーテスに行くまで、幾ばくも日がなかった。あの時に私が何を語ろうと、素直には聞けなかっただろう。十年という月日があって、ようやく受け入れる準備ができた。そんな風に考えれば良い」
わたしの心が軽くなるような言葉を選んでくれている。
だから、陛下はこの方に子供達を託したんだ。
「時に、レリアよ。あのアシルという男、お前の恋人だと聞いたのだが、本当か?」
「は、はい、そうです」
シラス様まで気にしていたの?
意外に思ったけど、この後聞かされた話にわたしは驚くことになる。
「ドミニクと一騎打ちをした騎士の話をしただろう、その騎士がアシルだ。アーテスの兵も話題にしておったから、レリアの耳にも入っていたはずなのに、どうしてそうなったのかは興味があってな」
アシルがお兄様と戦った?
アシルは生きていて、お兄様は亡くなった。
それじゃ、お兄様を討ち取った騎士は……。
わたしの反応を見て、シラス様は察してくださった。
顎に手をやって思案顔になった。
「今のお前には記憶がないのだったな。確かに二人は戦ったが、決着はつかなかった。ドミニクは戦いの最中に放たれた弓兵の矢から陛下を庇って亡くなった。私の目から見て、あのまま続けていればドミニクが勝っていたはずだ。そもそも万全の状態であれば勝負にもならなかった。あの小僧にもそれがわかっていたのだろう。仲間に戦いぶりを賞賛されても、本人は少しも浮かれた様子がなかった。十年ぶりに会って、恐ろしく腕を上げておって驚いた。あの戦いがあやつにとって何らかの糧になったというなら、ドミニクも本望だろうて」
アシルがお兄様を殺めたわけではなかった。
安堵してもいいのに、心のどこかで不安が渦巻く。
わたしはそれを知って、何を思ったんだろう。
アシルは前のわたしについて話したとき、いつも冷たい目で睨まれていたと言っていた。
それって、つまり……。
嫌だ。
思い出したくない。
これ以上、考えちゃいけない。
シラス様に気取られないように気をつけて立ち上がった。
「お話、ありがとうございました。またお父様達のお話、聞かせてくださいね」
「ああ、いつでもおいで。いつもむさ苦しい男ばかり相手にしておるから、若い娘と話すのは癒しになる」
笑顔でお部屋を出たけど、心は激しく動揺していた。
アシルがわたしに何も言ってくれなかったのは、お兄様とのことをわたしが忘れていたから?
わたし達、本当に恋人同士だったの?
みんながそう言うのに、肝心のあなただけが言ってくれない。
誰も知らない真実が、わたしとアシルの間にはあるのかもしれない。
クロードとお話ができて、シラス様にもお話を聞いて、家族を亡くした心の整理が徐々にできてきた。
多分、今なら一人で眠れると思う。
けれど、アシルにそれを言うのは躊躇われた。
少しでも一緒にいたかったから。
記憶を失う前のわたし達の関係は気になるけど、今のわたしの心は決まっている。
わたしはアシルに恋をしている。
一人の女性として愛されたいと思っているの。
わたしの心が子供に戻ってしまったから、恋人だとはっきり言ってくれないの?
唇を触れあわせるだけの口づけや、抱擁の先にある行為を、わたしは望んでいる。
何も知らないから、大人の行為に憧れているだけ?
きっとあなたはそう言って、わたしを子供扱いするのでしょうね。
でもね、アシル。
わたしはあなたとこの先も、ずっと一緒に生きていきたいの。
アシルに大人の女性として見てもらうにはどうしたらいいのだろう。
誰に相談しようと悩んだ末に、わたしが訪れたのは娼館だった。
女将さんとアナベルさんに話を聞いてもらいたかった。
「あなた、ここが娼館だってわかってる? 気軽に何度も訪ねてこられては困るのよ。無駄に私の時間を奪うならお金を取るわよ」
アナベルさんは辛辣に言い放ち、わたしを椅子に座らせて、お茶を入れてくれた。
怒っていても、やっぱり親切だ。
「料金はお幾らでしょうか? 今は手持ちが少ないので支払いは後日でもいいですか?」
「客でもないのに本気で取るわけないでしょう! 今のは嫌みよ! あなたって子はいつもいつもそうなんだから!」
「アナベル、そう感情的になって怒鳴るんじゃないよ。いつもの冷静さはどこに行ったんだい。お嬢様、お代は必要ありません。あたしでよければ幾らでもお話を聞きますよ」
女将さんが取りなしてくれたので、アナベルさんは黙り込んだ。
立ち去らずに席に着いてくれたから、聞いてくれるつもりはあるみたい。
わたしは二人に、アシルと一歩進んだ関係になりたいことを相談した。
ふんふんと頷きながら話を聞いていた女将さんが話し出した。
「ようするに、お嬢様はその方に抱かれたいとおっしゃるんですね」
「多分、以前はそういうこともしていたらしいので、わたしの心が成長するのを待っているのでは、というのが周りの人の推測です。でも、それっていつのことなんでしょう? 心はどうすれば成長するものなんですか?」
「そんなの人それぞれでしょ。子供なのに大人びていたり、大人になっても分別のつかない幼稚な人もいるわ。でも、今のあなたに手を出したら罪悪感が湧くだろうというのは理解できるわね」
そうなの?
言動に外見や雰囲気が引きずられているのかな。
アシルが何もしてこないのって、本当にわたしが子供過ぎるからってことなの。
「てっとり早くその気にさせるなら、誘惑でもしてみたらどうですかね。ここは一夜の夢を売る店です、伽を盛り上げるための衣装なら、たんとありますよ」
「やめときなさいよ、女将さん。私はお勧めしないわよ、余計なことを吹き込んで、クロードに恨まれるのはごめんだわ」
「なら、あんたは降りな。あたしが勝手にやることだからね」
「忠告はしたわよ。レリア、あなたも目先の刺激に気を取られていないで、誰のことが本当に好きなのか、よく考えなさい」
アナベルさんは怒ったように言い捨てて、席を立って行ってしまった。
誰のことが好きって、わたしにはアシルしかいないのに。
それにどうしてクロードに恨まれるって思うの?
もしかして、アナベルさんは……。
「アナベルのことはお気になさらず。気を持たせながら曖昧な態度を取り続ける男は、お嬢様のお相手さんだけじゃないってことですよ。あなたもあの子も、面倒臭い男に惚れちまって大変だね」
女将さんは肩をすくめてため息をついた。
やっぱりアナベルさんて、クロードのこと好きなんだよね。
それでクロードがわたしのことを好きだと思ってる。
違うのに。
クロードがわたしを見る目には熱がない。
あれは家族がわたしを見ていた目と同じだ。
わたし達の間には親愛の情しかない。
クロードはアナベルさんのこと、どう思っているんだろう?
相談されたわけじゃないから、口出しもできないし、もどかしい。
それにね、わたしはアナベルさんと仲良くなりたいの。
態度は辛辣だし毒舌だけど、彼女の言葉は誠実で芯が通っている。言動や行動がどれほどきつくても、どこかにお人好しな優しさが滲みでているの。
出会った人にはふわふわした箱入りお嬢様と評されるわたしの目には、彼女は目標にしたくなるほど素敵な女性に映った。
んん?
もしかして、記憶を失う前のわたしって、アナベルさんのマネをしていた?
侍女をしていた頃のアナベルさんを想像する。
何だか少しだけ、みんなから聞いたレリアの姿と重なった。
戦争のこともあるんだろうけど、わたしがここから変わったきっかけは、案外身近な人への憧れという単純なものだったのかもしれない。
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