憎しみの檻
続編 レリア編 10
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気がついたら、寝台に寝かされていた。
ここは借りていた客間の寝室だ。
わたし、どのぐらい寝ていた?
窓から差し込む光が、オレンジ色をしていて、夕刻であることが分かった。
あれは夜だった。
今はいつ?
一晩眠っただけ?
計画は明日の夜だと言っていた。
慌てて起き上がり、部屋を飛び出した。
廊下に出たら、タチアナと鉢合わせした。様子を見に来てくれた所だったみたい。
「お嬢様、気を失われたんですから、まだ寝ていなくてはいけませんよ!」
「タチアナ! クロードはどこ!」
鬼気迫るわたしの勢いに驚きながらも、タチアナは玄関の方を示した。
「クロード様ならお支度をされて、出かけられる所ですよ」
今から城に行くんだ。
間に合って!
走って玄関まで行くと、クロードはまだいた。
でも、今にも扉を開けて行ってしまいそう。
「待って、クロード!」
そのまま彼を追い越して、行く手を遮るように玄関扉の前に立った。
「行ってはだめ。もしも、アシルがあなたを殺したら、わたしはまた彼を憎まなくてはいけない。そして、あなたがアシルを殺したら、わたしはあなたを憎むことになる。わたしを家族だと思ってくれているなら、わたしに誰かを憎ませないで、悲しませないでちょうだい」
クロードは黙ってわたしを見ていた。
彼の決意を動かそうと、思いつくまま言い募った。
「記憶が戻ったのか?」
わたしの雰囲気が変わったことに気がついたのか、クロードが口にした問いはそれだった。
「ええ、全部思い出した」
頷いたわたしに、クロードは感情を見せないまま、さらに問いかけた。
「アシルはお前を自害しようとするまで追い詰めた男だぞ。そしてドミニク様の仇でもある。それでもあいつを殺したらオレを憎むのか?」
「アシルはお兄様を殺してなんかいない、そう思わせただけ。わたしが逃げずにシラス様のお話を聞いていれば、すぐにわかったことなのよ。それに仇だなんて、そんな風に思うことを陛下も騎士達の誰も望んでいなかった。あなただって知っているはずじゃない」
今までクロードが口にしてきた言葉が、全て演技だなんて信じられない。
けれど、彼はフェルナン様とアシルに復讐しようとしている。
止めるために、わたしは訴え続けた。
「アシルがわたしにしたことは許せないし、忘れられることじゃない。だけど、彼がずっとわたしを守ってくれて、記憶を失った後は寄り添って尽くしてくれたことも本当なのよ。全部思い出して、わたしはそれでもアシルを愛していると言える。彼と一緒に生きていきたいの」
話している間に気がついた。
クロードの目は復讐に燃えている人のものではなかった。
彼は表情を和らげて、苦笑を覗かせた。
「事が終わるまで遠ざけておきたいと頼まれてはいたが、知ってしまった以上は、おとなしくここで待っててはくれないんだろうな。オレはこれから城に行かねばならん、ついて来るなら急いで支度をしてこい」
頼まれたって誰に?
考えても仕方がない。
慌てて身支度を終えると、クロードが操る馬に乗せてもらって、お城へと向かった。
城に着いた頃にはすっかり日が落ちてしまい、辺りは真っ暗だった。
警備に立っている兵士達は落ち着いたもので、クロードが通ると敬礼して異常はないと報告してくる。
フェルナン様を暗殺するなんて計画、関わっているのは兵士全員ではないということ?
廊下を進んでいくと、謁見用の広間に続く扉の前に兵士が数人集まっていた。
彼らの一人がクロードを見つけて笑顔を向けた。
彼には見覚えがあった。
マクシム=モランという名で、自分の子だと思うと指導が甘くなりそうだと言う同僚の騎士から頼まれて、お父様が育てていた見習いの一人。
彼は従騎士になって自分の家に戻っていったけど、その後もたまに我が家にやってきて、お父様達と一緒に鍛錬していた。
「クロード、遅かったな」
「すまない、屋敷を出るときに少し手間取ってな」
「それはいいけど、なんでレリアちゃん連れてきてるの? もうほとんどとっ捕まえた後だけど、危ないだろう」
「今回の件を気づかれたんで、やむを得ずだ。放っておいて、勝手に動かれるよりは安心できる。それよりも証拠の品はしっかり手に入れた、これで全て片がつく」
「そりゃ良かった。さっさとこんな茶番は終わらせちまいたいからな」
「まったくだ」
彼らの話を聞いていると、段々と状況が呑み込めてきた。
もしかして、計画を実行するのではなくて、阻止しようとしていたの?
「後はあのおっさん一人だ。何も気づかずに、ドヤ顔で勝ち誇ってやがる」
「自分は頭が良いと信じ込んでいるんだろう。ネレシアの小悪党ごときが、アーテスの魔王に勝てるものか」
「魔王って言っちまう? あの人なら面白がって名乗ってくれそうだけどな。でもよ、黒幕も一応アーテスの偉いさんなんだろ?」
「私欲に溺れて手駒任せの俗物と、自力で地盤を築いて敵を蹴散らしてきた男が対等であるものか。今回のことも雑な企みでしかなかった。領都に潜んでいたでかいネズミは全て燻りだしたし、こちらでやれることは全て終えた。後は向こうで始末をつけるだろう」
「んじゃ、行きますか。フェルナン様達も、いい加減うんざりしてきてるだろうしな」
広間への扉が開かれると、中から声が聞こえてきた。
喋っているのは、あの密談相手の男だった。
広間の中心にフェルナン様とアシルがいて、兵士達に囲まれていた。
二人の前で喋っていた男が、扉を開けて入ってきたクロード達を見て、ニヤリと笑った。
「これでやっと私にも道が開かれる! さあ、お前達! 復讐の時が来たぞ! 亡き王と騎士達のために、憎い仇を討ち滅ぼせ!」
誰も動かなかった。
みんなとても冷めた目で、一人で騒いでいる男を見ている。
「何をしている! なぜ誰も動かんのだ! クロード=セルトン! 貴様、あの方とした契約のことを忘れたのか!」
クロードは男を無視して、フェルナン様に近づいていく。
そして昨夜、男から渡された封書を取り出して手渡した。
「ようやく手に入れました、今度は本物です」
「ありがとう、これで侯爵との繋がりが証明できる。みんなには苦労をかけたね」
「いいえ、単なるゴミ掃除です。これで不要なものが全て片付くのなら、やり甲斐がありました」
フェルナン様とクロードのやりとりを見ていた男が、真っ青になって震え始めた。
クロード達が暗殺の計画に乗ったのは、黒幕との繋がりの証拠を手に入れるためだったことに、やっと気がついたのだ。
「なぜだ? この男は我らの王を殺したんだぞ! 貴様らには忠誠心というものがないのか!」
「貴様はネレシアの民でありながら、陛下や騎士達のことを何もわかっていないのだな。フェルナン様は王を自らの力で斃した。王に認められて勝者となった、ネレシアの子らを次代に導く、新たな我らの王だ。復讐など、亡き陛下のご意思に最も背く行いだ。おまけに自らは手を汚さず、他人の力を借りて我らの故郷を掠め取ろうとするようなゴミクズを、正当な領主を廃して迎え入れようなどと、貴様の方こそ恥を知れ!」
クロードの一喝で、男は腰が抜けてへたりこんでしまった。
兵士達が素早く拘束する。
そもそも力で抵抗できるはずもなく、男は縄で縛られてつれて行かれた。
わたしは後ろで成り行きを見守ることしかできなかった。
わたしがいることに気づいたアシルが、焦ったようにクロードに声をかけた。
「おい、クロード。どうしてレリアがここにいる」
「あの男が証拠の品を持ってきた時に、会話を聞かれてしまってな。置いてきても後を追われそうだったから連れてきた。それとレリアは記憶を取り戻したぞ、少なくとも死ぬ気はないようだから、オレは見守ることにする。せいぜい頑張れ」
「記憶が戻った?」
こちらを見たアシルに、肯定の意味で頭を縦に振る。
クロードはわたしに向き直ると語りかけてきた。
「レリア、オレはお前に帰る場所がないと思うなら帰って来いと言ったが、あれは撤回する。幸い旦那も見つかったようだし、帰る家はこれから自分で作れ。オレもそうする、妻にしたい女がいるんだ」
「アナベルね」
「ああ、そうだ」
クロードもアナベルのことを好きだったんだ。
だったら、わたしのことなんて気にせずに、早く気持ちを伝えれば良かったのに。
そう思った次の瞬間、クロードが発した言葉に絶句した。
「お前の同僚だと知ってはいたが、どういうわけか嫌われていてな。まあ、付き合いも長いし、今ではそう悪くは思われていないはずだ。これから本格的に頑張って口説いてくる」
この人何を言ってるの?
唖然として、クロードを見つめた。
女将さんの気持ちがわかったわ。
鈍感にもほどがあるでしょう。
アナベルがわたしに嫌みを言いたくなるのもわかる。
十年もあって、本当に何をしていたのよ。
彼女ときちんと向き合って話していれば、もっと早く両思いになれたでしょうに。
わたしは家族として、この馬鹿な男の背中を押してあげることにした。
ちょっぴり昔の意趣返しもあるけど、はっきり言ってあげないと、いつまでも気づかなさそうだもの。
「ねえ、クロード。記憶が戻ったついでに、思い出したことがあるの。アナベルが、従騎士だった頃のあなたを追いかけていた女の子達のうちの一人だったってこと、知っていた?」
「なんだと?」
クロードが驚愕の表情をした。
やっぱり気づいてなかったのね。
わたしは当時の理不尽な目に遭った記憶を思い返した。
昔の怒りは簡単に蘇ってきてくれた。
「あの頃、あなたに近づきたい女の子達に、わたしはとても敵視されていた。あなたが身内だからと事あるごとに女避けにするからよ。侍女仲間にもそういう子達はいて、嫌がらせをされたり、逆にあなたとの仲を取り持ってもらいたいと媚びを売られたり、散々な目に遭った。でも、アナベルだけはそんなことしなかった。仕事と私事は別ときっちり線を引いて、不慣れで失敗ばかりの私をよく助けてくれた。でも、仲良くはしてくれなかった。あなたに好意を持っている以上、わたしと親しくなれば下心のある人と同じになってしまうもの。わたしは彼女と友達になりたかったのに、あなたのせいでできなかったのよ」
非難を込めた目をして責め立てると、クロードは動揺して謝ってきた。
「す、すまなかった。女避けのつもりはなかったんだが、迷惑をかけた」
「とっくの昔に終わったことだから、もういいの。でもね、きっとアナベルは、あの頃のような気持ちはもう持っていないかもしれない。だって、あなた何も気づかずにいたんでしょう? あれだけ夢中になって追いかけていたのに、わたしの同僚としか認識していなかった男に、彼女はさぞかしショックを受けたことでしょうね。おまけに、あなたがわたしのことを想い続けていたと思ってる。この十年、あなたとアナベルの間に何があったのかは知らないけど、女将さんが残念な男を見る目をしていた理由がわかったわ。アシルの事をとやかく言えないでしょう、あなたもせいぜい頑張って」
言うだけ言って、すっきりした。
クロードはまだ呆然としていたけど、、そのうち動き出すだろうと置いていく。
アナベルを傷つけた分だけ苦労すればいいんだわ。
わたしはアシルの所へ歩いて行くと、彼の腕を掴んだ。
「お話があるの、落ち着いたらわたしの部屋に来て。遅くなっても、起きて待っているから」
「……わかった」
笑顔で言ったのに、アシルは怯えた顔をしていた。
前はわたしの前で、そんな顔見せたことなかったのに。
意地悪でいやらしくて、不遜極まりない傲慢な男。
そんなあなたは、わたしが記憶を失ってから、どこかに消えてしまったものね。
前のわたしが戻ってきたら、あなたはどんな風に変わるかしら。
今までとはまた違う、新しいわたし達になれそうな気がした。
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