憎しみの檻

続編 レリア編 11

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 夕食の時刻は過ぎていたけど、部屋に戻る前に食堂に立ち寄って、軽い食事を頂いた。
 食堂は夜勤の兵士や残業している文官のために夜中でも人がいて、パンとスープのみだけど、いつでも食べられるように用意されていた。
 お腹は少し空いている程度だから、ちょうどいい。

 事後処理のためか、普段より多い数の兵士達が歩いているけど、非常事態というほどでもない。
 きっと何も知らされていない人達は気づいていない。
 この時間なら侍女達はほとんど自室にいて、仕事をしている人はエリーヌ様のお傍にいるから、警護の兵に護られている。

 わたしもクロードの屋敷に置いておいたら安全だと思っていたんだろうな。
 あの密談を聞かなかったら、わたしは記憶を取り戻すことなく、今頃まだお屋敷でのんびり過ごしていたと思う。
 結果的に良かったのだ。
 記憶を取り戻したことを、わたしは後悔していない。

 ただ一つ憂いていることは、明日になって他の人に会うことだ。
 どんな顔をして会えばいいの。
 今日までの子供なわたしではいられない。
 以前の周りに壁を作っていたわたしにも戻れない。
 二つが混ざってしまったわたしのことを、みんながどう思うのか少し怖い。




 部屋に戻り、寝間着に着替えて、寝台に寝転んだ。
 夕方まで気を失うように寝ていたせいか眠くはないけど、疲れたので横になった。

 幾らか時間が過ぎて、扉を叩く音が聞こえた。
 体を起こして、寝台の縁に腰掛けた。

「どうぞ」

 促すと、アシルが入ってきた。
 フェルナン様が気を利かせてくださったのか、案外早くお勤めから解放されたようだ。

「レリア、……」

 アシルはわたしの名前を呼んだ後、言葉が続かず、もごもごと口だけを動かした。
 何を言っていいのかわからなくて、わたしの様子を窺っている。

「心配しないで。わたしは死ぬ気はないし、あなたを殺す気もない、ただ話がしたいだけよ。突っ立っていないで、ここに座れば? 言っておくけど情事のお誘いじゃないからね」

 わたしが座っている位置から、ちょうど一人分空けたぐらいの場所を軽く叩いて彼を招いた。

「わかってる、お前の意思を無視して、オレが何かをすることはない」

 アシルが腰を下ろすと、沈黙が下りた。
 まずはわたしから話すべきなんだろう。

「記憶が戻ったきっかけは、さっき捕まった男とクロードの会話を聞いて、クロードがあなたとフェルナン様を殺すと思ったからよ。復讐を止めるために説得するには、何も知らないレリアのままではだめだと思ったから」

 割れるような頭の痛みは、記憶が一気に戻ったせいだ。
 その後、眠ることで、戻った記憶を整理していたんだろう。

「全て思い出しても、あなたに死んで欲しくないと思った。わたしね、今日までの記憶もあるの。子供に戻って最初に見たのはあなただった。あなたはとても親身になって、過保護なほど世話を焼いて、わたしに優しくしてくれた。初めてのデートでは初々しい口づけをしたし、その後も二人でアーテスの景色を見て回った。社交の場ではエスコートされて、ダンスを踊ったわね」

 記憶を無くしてからの一年と少しの間を懐かしく思い返す。
 何も知らないわたしは、好奇心の赴くまま動き、見るもの全てを眩しく感じた。
 あなたが手を引いてくれたから、どこにでも行けたし、どこに行っても楽しかった。

「わたしは恋をしていた。恋人だったというあなたと、もう一度結ばれたいと思った。確かに前みたいには戻れないわよね、だってわたし達は恋人同士じゃなかったんですもの」

 どんなに心を惹かれても、所詮は体だけの繋がり。
 わたしは愛を乞わず、あなたを殺すこともできずに、死に逃げようとした。

「あなたはわたしを辱め、その一方で何者からも守ってくれた。わたしがどれだけ反抗して罵っても、あなたは一度も怒らなかった。絶対的な支配者の余裕、そんな風に思っていたけど、それにしてはあなたの態度は優しすぎた。支えが欲しい時につい縋り付きたくなるほどにね。わたしに自分を憎ませて、あなたは何がしたかったの? 本当にわたしに殺されたかったの?」

 わたしは逃げる前に聞くべきだった。
 この男が何を考えて、わたしを陵辱しながら、周囲の害意から守り続けたのか。時折見せた優しさの意味を。

「最初はただ弱い自分を責めて欲しかったんだ。粋がって一騎打ちを挑んでおいて、何一つ勝てやしなかったのに賞賛されることが耐えられなかった。お前の目がドミニクに似てたから、代わりにしようとした。傷つけたかったわけじゃない、仇としてずっと憎まれてさえいれば良かった」

 アシルはそこから心境がどう変わっていったのか語り続けた。
 初恋と失恋を同時に自覚したことが発端だったなんて、呆れてものも言えなかった。
 愛されないから殺されたいって、飛躍しすぎて理解が追いつかない。

「あなた、馬鹿よね」

 罵倒を口にしたのに、アシルは黙って受け入れた。
 あれだけ酷いことをされてきたのに、憎悪も怒りも感じなかった。
 愛は免罪符にはならないけれど、彼がわたしに与えたものは屈辱と憎悪だけではなく、それ以上の献身と愛があり、両者がせめぎ合って後者が勝ってしまっている。
 兄の仇でもなくなった彼を憎み続けることは、わたしにはできそうになかった。

「でもね、そんな馬鹿でもあなたが好きみたい。前みたいに、なんてもう言わない。わたしを愛しているなら、告白から始めて。全部最初からやり直しましょう」

 アシルはこちらに向き直ると、わたしの右手を取り、手の甲に恭しく口づけた。

「生きていてくれて、ありがとう。犯した過ちは生涯をかけて償う。その上で乞う。愛しています、オレと一生添い遂げてください」
「わたしも愛しています。この先、わたしが帰るのはあなたの所だけよ」

 わたしの返事を聞いて、顔を上げたアシルは、感極まったようにわたしを抱きしめた。

「大切にする、絶対守る、世界一幸せにしてみせる」

 これからもっと幸せにしてくれるの?
 今までのあなたを見ていたから、その言葉も信じられる。

「嬉しい、期待してるわね」

 好き、大好き、愛してる。
 憎くて殺してやりたいとまで嫌ったはずの人なのに、今の彼にわたしが告げる言葉は愛に満ちた言葉だけだ。




 翌日、わたしは大勢の女性を前にして、頭を下げた。

「記憶が戻りました。今までご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 この場にいるのはエリーヌ様とソランジュ様。そしてマガリ様を始めとした侍女達全員だ。

「ほ、本当なの、レリア、本当に記憶が戻ったのね?」

 エリーヌ様が瞳を潤ませて、わたしの手を握った。

「はい、全て思い出しました。エリーヌ様、アーテスに渡ってからの事、なんとお詫びして良いかわかりません。幼いあなたにアーテスの全てを故国と親族の仇だと吹き込み、無用の罪悪感を植え付けて、お心を守るどころか苦しめてしまった。愚かにも故国に戻るまで、わたしはそのことに気づけませんでした。処分はいかようにもなされてください、どのような罰でも謹んでお受け致します」

 あの頃のわたしはエリーヌ様を守ろうと必死だった。
 けれど、何から守るべきだったのかを間違えてしまった。
 笑顔でいて欲しいと願いながら、幸せから遠ざけて、自身の悲しみと憎しみを呪いのように囁き続けた。
 今なら自分のしたことが、どれほど悍ましいことだったのかがわかる。
 わたしの呪いを浴び続けてもエリーヌ様は毒されなかった。
 フェルナン様を愛することで大人になられたこの方は、誰に教えられずとも正しく父君の遺志を理解されていた。
 自分の不甲斐なさに頭を下げることしかできない。
 そんなわたしにエリーヌ様は優しく言葉をかけてくださった。

「何を言うの、わたしの方こそ謝らなければ。あなたが間違っていたのなら、諫めるのがわたしの役目でした。あなたが苦しんでいたことに気づけなくて、わたしの方こそごめんなさい。こうして記憶が戻って、あなたは過ちだったと認めて謝罪してくれた。もう十分です、過ち以上にあなたは私の支えになってくれた。失いたくない、掛け替えのない人なの。これからもわたしの傍にいてください」
「もったいないお言葉です。エリーヌ様、ありがとうございます」

 周囲を見れば、みんなもらい泣きをしていた。
 急に我に返ってしまって、恥ずかしくなった。
 次にわたしは、ナディアさん達、アーテスの侍女に向かって頭を下げた。

「アーテスの皆さんにも、色々とご迷惑をかけてしまって申し訳ありません。この場にいない方々にもお詫びをしなければならない所です」

 主に子供に戻った後のお世話のこともだけど、それ以前のよくない態度のことも謝りたかった。

「そんな、迷惑だなんて思ってませんよ! 向こうの皆さんだって、謝って欲しいなんてちっとも思っていません!」
「そうですよ、記憶を無くす前でも、憧れの人でしたもの! むしろ可愛くなって、懐いてもらえて嬉しかったんです!」
「そ、そう、ありがとう」

 ナディアさんを始めとするアーテスの侍女達は全然気にしていないと言ってくれた。
 そうね、とても可愛がってもらった覚えがあるわ。
 子供のわたしは優しいお姉さんがたくさんできて喜んでいたけど、今となっては甘え過ぎていて恥ずかしい。

「雰囲気変わりましたよね、急に大人びたみたい」
「レリアさんは大人なのよ、これで普通なの」

 ノエミとシビルがこそこそ話している。
 そう、わたし、いい年の大人だったの。
 二十五才になっているはずだわ。
 やだ、子供だった頃の記憶に引っ張られて、きちんと年相応に戻れてるのか不安になってきた。

「レリアの記憶が戻ったことは喜んでいいのね? その記憶があなたを苦しめたりはしていない?」

 気遣わしげに声をかけてくださったのはソランジュ様。

「はい、大丈夫です。一番の元凶とも和解しましたので、あの記憶に悩まされることはもうないでしょう」

 一番の元凶と口にした途端、アーテスの侍女達の表情が苦々しいものに変わった。

「やっぱり、元凶はアシル様だったんですね」
「あの献身ぶりは普通じゃないと思っていました、罪悪感からだったのなら納得です!」
「今度浮気したら、わたし達も加勢します! 自分を追い詰めないで叩きのめしてやりましょう!」

 頼もしい味方がたくさんできてしまった。
 エリーヌ様まで頷いていらっしゃる。
 あなたは本当の理由を知っていらっしゃるでしょうに。

「ありがとう。けれど、アシルは二度と浮気はしないと約束してくれました。あの人は言ったことは守る人です、何も心配しなくていいんです」
「レリアは柔らかくなったわね、記憶を失った後の記憶もあるからなの?」

 エリーヌ様からの問い。
 ずっと一緒にいたのだから、変化に気づくのもお早い。

「ええ、子供時代をやり直した気分です。わたし、随分と視野が狭くなっていたようで、誰にも頼れないと思い込んでいました。一人でできることなんてしれていたのに、わたしの知らない所で見守って助けてくれていた人は大勢いたんです。遅くなったけど気づけて良かった」
「無理もないわ、あなたもまだ子供だったのに、やむを得なかったとはいえ、エリーヌを託して大きな責任を背負わせてしまった。あなたが持つ罪の意識は私が背負わねばならないものです。もう自分を責めないで、これからは幸せになるために生きて。かつて王族だった私達の願いは、この地に生まれた子供達が健やかに生きていくことよ」

 ソランジュさまのお言葉で、わたしの心の重荷は消えた。
 もう誰も憎まなくていい。
 家族を裏切るなどと思わなくてもいい。
 わたしはやっと本当の意味で息をつくことができた。

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