4.しあわせ
夏休みも終わり、烈の試験の日が刻々と迫っていた。
しばらく来られない、とJに言い、藤吉にも言っておいた。
試験まで、あと1週間。
「烈、ごはんだよ」
「はーい、今行く」
烈は机から顔を上げた。
「それじゃ豪、僕晩ご飯食べてくるから」
(ん、行ってらっしゃい)
そういい残し、豪は窓から空を見ていた。
烈は最近思うことがある。
恋人というか、両思いになってもうかなりの日にちが経った。
なのに…豪は何もしてこない。
手を繋いだり、キスしたことは何回もあるのに。
烈自身を求めたことが、一度も無い。
「(まぁ、期待してるわけ…じゃないんだけどさ)」
その光景を想像して、一人で赤くなった。
「どうしたの?なんか赤くなってるけど。熱でもある?」
「ううん、そうじゃないよ」
なんでご飯時にそんなこと…と思いながら烈はおかずを口に運ぶ。
「今日は御飯いっぱい作りすぎてね、豪がいたら食べて貰えたんだけど。猫のえさにするしかないかね」
母親はそうぼやいて、食事を再開した。
「(豪がいたら、か……)」
豪はいるにはいる。しかし、食べることは無いのだろう。食べ物がモノにしか見えない、と言ったのだ。
食欲そのものが無い。
言って、ふと気づいた。
「…そうか、食欲がない、んだ……」
「烈?」
ほとんど食べ終わった食事を見た。烈は残った食事をかきこんで「ごちそうさま」と早々にテーブルを出て部屋に戻った。
(烈兄貴、もう終わったの?)
「ああ…」
豪はずっと外を見ていたらしい。
どうして気づかなかったのか。豪は幽霊だ。食欲も無ければ、睡眠欲も無い。それはつまり。
性欲も無い、ということになる。
「(ということは、僕から誘わなくちゃいけないのか…)」
しばらく悩んだ。食事後の勉強が手につかないくらいに。それでも、豪は気づかない。
烈は思い切って尋ねた。
「…豪、今日は……こっちで夜を過ごしてくれないか?」
(烈兄貴?……それは、いいけど)
「うん、ありがと豪」
それで、発展するかどうかは自分でもわからないけれど。
※ ※ ※
夜になり、烈はベッドで横になった。
豪はというと、ベッド脇に座ってどこか遠くを見ている。
これが、朝まで続くのが「豪の夜」なのだ。しかし、眠ったわけではない。
「…豪」
(何?)
呼べばこうして、気づくのだから。
ベッドから呼ぶと、豪はこっちを見ている。
「お前、僕の考えていることがわかるんだよな?」
(ん…まぁ、なんとなく、だけど……)
罪悪感を感じるときは一番に気がつく。しかし他に自分が思ったことを豪が口出ししたことが無い。
それは豪なりの思いやりなのだろう。そして、豪自身が思う心残りである「烈を縛らない」の制約のためでもある。
布団から手を出して豪の髪にそっと触れる。
すり抜けてしまうが、それでも梳くように撫でた。
(…烈兄貴)
「わかるん、だよな……」
それ以上は、恥ずかしくていえなかった。こんなにも豪を求めていると。
(わかるよ、でも……俺がどういう存在か、知ってるだろ?)
「知ってる…でも……」
(……)
豪は目を伏せた。そうして髪を撫でる感触に委ねるように、眼を閉じる。
抱いて欲しいというのは容易いだろう。
ただ、豪は抱こうとしてもすべて通り抜けてしまう。それでも欲しい。
生きてるが故に浅ましいだろう願い。
「ごう……」
(……烈兄貴、止めて)
言われるがままに止めると、豪はベッドの上に座った。
そのまま足まで登り、烈の頭の両側に手を押いて、四つんばいの状態になる。
「ご、ごう……」
(烈兄貴は、何にもわかってない…)
哀しげな表情で、烈を見つめる。
(俺はもう死んでて、烈兄貴は生きてる。それが交わるってことが、どういうことかわかる?)
「えっ?」
豪からそんな言葉が出るとは思わず、烈はうろたえた。
(死合わせ。烈兄貴が今からしたいことはそう言う)
目を細めて、豪は微笑んだ。
「しあわせ?」
(死をぎりぎりまで引き寄せて合わせる。だから死合わせ。夏の日に、教えてもらった)
「……」
あの時、豪のまわりを飛んでいた光のことを思い出す。
(事情を話したら、教えてくれたよ。いつか求められるかもしれないからって、俺からはきっと求めないからって)
本当にそうなるとは思ってなかったけど。と、豪は言った。
「死合わせって、何なんだよ…」
(…俺が生きてる状態に近づく代わりに、兄貴が死に近づいていく。そういう行為)
「……!」
豪は倒れるような形で烈のとなりで横たわった。
(俺、兄貴をそんな目に合わせたくないよ)
言って、豪は笑った。
「死合わせをすると、僕は死にかけるとして、お前はどうなるんだ?」
(…兄貴の身体に、触れるようになる。それだけ、兄貴が俺に近づくから)
「なるほどな……」
確かに、それをするには代償がいるのだろう。死にかけてしまうのだから。
「でも、お前は僕を死なせはしないだろ?」
(それをしても、死ぬわけじゃないよ。でも……)
目を閉じかけた豪の表情に、心が揺らぐ。
手を伸ばして、豪の頬に触れる。
(烈兄貴……)
「お前は、リスクを恐れるような奴じゃなかっただろ?いつだって、自分の思いにまっすぐだった」
(それは)
「…豪」
無理矢理引き寄せて、キスをした。
やっぱり感触なんか無い。けれど死合わせとやらをすれば、きっと、豪に近づけるんだ。
唇を離した。豪は驚いた表情で烈を見た。
「やって、その死合わせを」
(烈兄貴)
「僕が望むんだ、応えてくれよ、豪」
(……一度やりはじめたら、止まらないかもしれない。それでもやるのかよ)
「それでも、だ……お前が好きだから。どこまでだって、近づきたいんだ」
それで、もし死ぬようなことになったら、豪には悪いが、僕は幸福の中で死ねると思う。
(わかったよ、兄貴)
豪が身体を起こした。
仰向けになった烈に、再び四つんばいの体勢で豪が見下ろした。
(……辛いかもしれない。けど我慢してくれよな)
「死なない程度で頼むよ」
(わかった)
言って、二人で笑った。
(烈兄貴、手をだして)
「ん…」
いつものような行為。豪は烈に対して何かするとき、必ずといっていいほど直前に「手を出して」と言う。
豪はそれを”願掛け”と言っていたが。
「またなのか?」
(今度は、少し違うけど)
言って、豪は烈の手を取った。今回は片手ずつ、ゆっくりと指を絡める。
豪が目を閉じると、そこから羽根のように僅かずつ、感触が生まれた。
絡めた指の一本一本まで組んでみると、皮膚を引っ張られた。
「…豪、なんか感触があるような気がする」
(そう?たぶんそれだけ、俺が烈兄貴から吸い取ってるんだと思う)
「吸い取る?」
(なんかよくわかんないけど、生きるために必要なもの、なのかな。そういうの)
烈もよくわからなかったが、そういうものがあるのだろう。生きるために必要な力みたいなものが。
「全部吸い取られたら、僕は死ぬのかな」
全部、豪に持っていかれたら。それはそれで嬉しいような気もする。
(そんなことはしないよ、それに吸い尽くしても俺は生き返ったりしないし)
所詮、生きているものと死んでいるものの境界線をぎりぎりまで近づける行為であって、線を越えることは出来ない。
「…そうだな、でも、なんかとても温かいよ」
(そっか)
豪は微笑んだ。少し首を振ると、細く伸ばした青い髪が烈の頬に掛かった。
「あ……」
髪の細部まで感じるようになった。豪が烈からそれだけ吸い上げたことになり、
烈の身体から少しずつ、力が抜けていく。
「豪、キス…できるか?」
手を合わせるだけじゃ物足りない。もっと欲しいと思う。
これも長く続くわけじゃない。ならば許す時間だけは、もっと求めていたい。
(うん、やってみるよ)
片手だけを離し、お互いに口付けた。
「ふうっ……んん……」
少し冷たいような気がする。だけど、しっかりとわかる。自分から豪の首に腕を回した。
本当に、わかる。肌の弾力も。骨が中に通っていることも。
舌を絡めた。冷たい豪の口腔に体温を分け与えるかのように。豪もゆっくりであるが烈を求めた。
「ん……」
自分がこんなに豪を求めるなんて、想像がつかなかった。
それは死なせたことへの罪悪感から来ているのかもしれない。けれど今は。
愚かでもいい、豪がここにいて、交わりたいと思っている。
唇を離した。唾液が僅かに伸びて、重力どおりに下へと落ちる。
(…大丈夫?烈兄貴)
「うん…平気だよ」
見ると、豪は先ほどの服と違っていた。薄く一枚シャツを羽織っている。
下も普通のジーンズのようだ。
(…ある程度、触れるようになったみたいだな。兄貴のキス…すっごい強かった)
微笑んで、烈はそっぽを向く。
「…っ、恥ずかしいこと言うな」
(今からもっと恥ずかしいことするのに?)
「う、うるさい…」
あからさまに照れている。豪はちょっと可笑しくなった。
(まぁいいか、烈兄貴のそういうとこも好きだよ)
「…はぁ……だからそういうことを簡単に……」
(いいじゃん、誰にも聞こえてないんだから…さ)
「……」
豪の手がボタンを外していくのを、烈は顔を背けながらも抵抗はしない。
全部外れて、胸が露わになったところで胸の一点に口付ける。
「ひあっ!」
たまらず跳ねた。なにせ冷たいのだ。ひんやりしている。
それなのに、器用に先端がちろちろ蠢いて、断続的に訪れる感覚に、身体が勝手に反応した。
片方は銜えられて、片方は指でぐりぐりと掻きまわされた。
「ひうっ……ふうっ……」
(ん…)
足の間にほとんど強引に割り込まれ、身体の力は抜かれているのでほとんど動けない。
けれど豪は酷くはしないだろうし。そうされる分だけ豪はどんどん、僕に近づいてくる。
ただ、それでも豪は何も感じないかもしれない。
本来の目的なんて最初から間違ってる。
それ以前に豪は僕を高めているだけで自分から快楽を求めようなんて思わない。
本当は豪からも求めて欲しいと思うのに。そんな自分に涙が出そうだった。
豪は乳首から舌を離した。烈は泣きそうな顔で豪を見る。
「お前……無理してるんじゃないのか?」
(…え?)
ここまできて、という顔で、豪はきょとんとした。
「…僕の勝手に付き合わせて、こんなことまでさせて……」
(烈兄貴、いまさらそんなこと言うなよ、俺興奮しそうだから)
さらりと言った。豪は起き上がり、髪を掻きあげる。
その姿が妙に扇情的で、鼓動が鳴る。
(そりゃ、俺は幽霊だからな、睡眠欲も、食欲も、性欲も無いよ。心臓の音もしない)
「……」
(でも、兄貴のそんな格好は可愛いって思うし、さっきのキスだって、すっごい俺に響いたんだから)
そういい、豪は烈に覆いかぶさった。羽根のように軽い。感触はあるが、厚い布団をかぶっているのと重さがほとんど変わらない。
優しくキスを落とした。額、目、頬。首筋まで口付けて。冷たい感触が全身に広がる。
(だからそういう遠慮は無しな。死合わせまでして繋がるんだから。それに…兄貴が求めるからこっちも煽られるんだよ)
「…へっ?」
(兄貴が俺を求めるその気持ち、俺に頂戴?)
子供のように無邪気に、豪が笑った。
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